再び山へ
店から下ろしてもらったばかりのブーツの履き心地を確かめつつ、木樵頭の家に帰り……明日の朝の「山入り」に備えて色々とやっていると、夜になってからアギナ親方が男を1人連れて現れた。気付けば外はすっかり暗くなっており、親方も今日の熊の毛皮の処理をしてから家に帰ってきたら、この来客があったと言う。
「ユキオ様。彼がヨーイスで毛皮の加工業をやっているトビィです」
「ああ……、親方や木樵頭の防寒着を作っていると言う人ですね。ユキオです。初めまして」
俺は目の前に居る小柄な男に頭を下げた。彼はこの村の辺りでは珍しく俺よりも背の低い男で、製材所を経営するウォーレンとは対極に居るような外見だ。年齢は……アギナと同年輩だろうか。俺よりは少し下に見える。小柄で童顔。髪もまだ薄くなったり白髪になったりしている感じではないが、年相応に顔には皺が刻まれていた。
「どうも……トビィって言います」
見た目とは裏腹に、口数が少ないタイプなんだろうか。それでも彼は俺に手を差し出して来たので握手を交わした。別に機嫌が悪いわけではないらしい。
と……思ったが次の瞬間、彼の表情が一変した。
「あのオオカミの毛皮は素晴らしいですねっ!是非オラにやらせてもらえませんかっ!」
「え……?」
突然……何やら一気にテンションが上がった彼に対して、俺は面喰ってしまった。
「あの毛皮をもう見たのですか?」
「はいっ!オラ……あんな凄い毛皮は初めて見ましたよっ!」
うーむ。毛皮の専門家である彼から見ても、やはりあのクロスジオオカミの毛皮は破格みたいだな。やはりあれだけの毛並みを持つ魔物オオカミの毛皮を「完全な形」で採取出来るのはかなり珍しいようだ。
「まぁ……あの毛皮は既に親方に差し上げたものですので、そう言う話は親方とされた方がいいんじゃないですか?親方もどうやらアナタの腕を信頼されているようですし。もし引き受けてくれるのでしたら木樵頭の分もやって頂きたいですねぇ」
俺は親父さんに進呈する予定だった毛皮を〈倉庫〉から取り出して彼に渡した。彼は突然目の前に現れたオオカミの毛皮に驚きながらも、その毛面を撫でながらウットリしたような顔をしている。
「こっ……これも見事な……。この毛並みです……これが素晴らしい」
「一つお聞きしたいのですが……大人の男性用……それも木樵頭くらいの体格の人に合わせた上着を、その毛皮1枚で作れるんですか?」
アギナ親方の身長も180センチ近くあるのだが、いかんせん彼は現在……病み上がりと言ってもいい状態で言うならば「骨と皮」と言う表現が似合うような体躯なので、元の健常だった頃が判らないのだが、親父さんの体格で、果たしてこの毛皮1枚で足りるのだろうか。
俺はそもそも、170センチ足らずの小太り体型の自分と、俺と同じくらいの身長だがスタイル抜群である月野さんの防寒着を「1人当たり毛皮5枚を使って」とか考えていた事もあった。その後実際に皮を剥いでみる段階でハボやアギナから「5枚も必要無い。3枚でも多過ぎるのでは?」との指摘を受けた。
なので、素人目の俺の感覚ではやはり「3枚くらいで十分なのか?」と思っているのだが……実際に鞣してみると、このクロスジオオカミの毛皮は更に当初想定していた以上の大きさで仕上がったので、「1枚でもいけるんじゃないか?」と思い始めたのである。
「うーん……そうですね……。木樵頭と親方の上着を毛皮1枚ずつで仕上げるのは、ギリギリ足りない気がしますね。しかし2人の分を2枚でなら、何とかなるんじゃないですかねぇ」
「ん……?どう言う事ですか?」
「ああ、いや。1人の上着を1枚で作ろうとするんじゃなくて、2枚の毛皮を使って2着作るなら大丈夫って事です」
何か……難しい事を言ってないか?まるで頓智のような話になっているな……。俺が理解出来ずに表情を曇らせると、彼はちょっと笑いながら説明してくれた。
「えーっとですね……。オラはもう10年以上も木樵頭や親方に頼まれて上着を作ってるんですがね。2人は着ている上着の形が違うんですよ。木樵頭は『袖の無い』上着を好むんです。多分木樵作業で腕を良く動かすからですかね。それに対して親方はいつも『袖付き』の上着を頼まれるんですよ」
「ああ……そうだな。俺の場合は弓を使うんで左胸と袖に『当て革』が無いと弦が腕を弾きやがるんですよ」
なるほど……この前月野さんやジーヌが言ってたな。前腕に弦が当たって内出血を起こすとか……怖い話だった。
「なので木樵頭の上着を作るなら袖が要らないので、この大きさの皮なら少し余りますが、逆に親方の長袖にはちょっと足らない……その分を木樵頭の余った分を使わせて貰えば……」
「ああ……!なるほど。そう言う事か!バラバラに誂えると親父さんの方が少し余って親方の方が少し足らない。だから余った分を足りない分に回すって事ですね?」
なるほどね……。説明を聞いて漸く理解出来たわ。そもそも、木樵として例年は本格的な冬が訪れる前に伐り出しが終わるので、真冬には山中で活動をしない木樵頭と、真冬でも猟師として山で活動するアギナ親方では防寒着に対する考え方も変わって来るのか。
「ええ。そう言う事です。解ってもらえて良かった」
トビィはニコっと笑った。
「そう言う事でしたら、トビィさんの思うようにやって下さい」
「ユキオ様や山神様は……上着を作らないんですか?何か俺達のやつだけ作らせてもらうのは……」
「ああ。俺達の分は不要です。俺達の服はアリサ様が今、作ってくれてますので」
「えっ!?山神様がご自分で?」
「ええ。アリサ様は本来、このような衣服の事に対して物凄い知識をお持ちなんです。まぁ、知識だけじゃなくて実際にその伎倆も素晴らしいので……。ほら……その毛皮の仕上がりだってアリサ様のお知恵をお借りしてますからね」
「あ!そう言えば……。そうか……。この毛皮は山神様のお力で、ここまで素晴らしいものになっているんでしたね……いやぁ……ははは。あれだけ凄いお力を持っていらっしゃるのに、服を作るのも上手いなんて……」
アギナは笑い始めた。
「親方。アリサ様を『山神様』と呼ばれるのは構いませんが、そのお力については、あまり口外されると困ります」
俺が改めて釘を刺すと、彼は慌てて口を噤んだ。
「すっ、すみません……」
あの親方が何かを恐れるような様子を見せたからだろうか。トビィの表情もちょっと改まった。この様子だと既にアギナから「俺の怪我を治してもらった」くらいは聞かされているのかもしれないな。
「まぁ、もう毛皮はお渡ししましたので……後はそちらで決めて下さい。その上着が仕上がる頃には、俺達はもうこの村から立ち去っているかもしれませんが……親父さんには親方か、トビィさんから渡して頂ければいいです」
「ユキオ様達は……もうこの村から出て行かれるのですか?」
アギナはこの話を初めて聞いたのか、やや驚いた表情で尋ね返して来た。
「ええ……。もうこの村でやる事は粗方終わりましたからね。後は親父さんとの約束通りの数の木材の運搬を手伝った後に……親方が取り組んでくれている熊の毛皮が仕上がったら、一度この村を出ようと思ってます」
「で、出て……どちらへ行かれるんです?やはりアンテラか……ミランドですか?」
「ああ、いやいや。予定としてはヨーイスに向かう予定です。そもそもさっき話したアリサ様の服作りがもう少し掛かりますし、マルノでやってもらっている肉製品の完成にまだまだ時間を要しますので。その間ヨーイスに行って、アリサ様の使う弓を1張誂える予定ですね。ヨーイスには弓職人も居ると聞いてますので」
「山神様の弓……ですか」
「ああ……親方には言ってませんでしたっけ。アリサ様は嘗て、俺達が居た国の代表になる程の弓の腕前を持っているので、彼女に見合う弓が必要なんです。道具屋でも一応出来合いの弓が売られてたんですがね。なかなか女性である彼女の体格に合ったものが無くて……」
「あ、ああ……そうでしょうね。この村の住民の中でも弓を使う女なんて見ませんしね……。普通は男物として売られているでしょうなぁ……」
「ヨーイスには弓を作る工房があるんですよね?」
俺の質問にはトビィが答えてくれた。
「ええ。ちょっと前までは2軒ありましたがね。今ではタンと言う爺さんがやってる所だけになってます」
「そのタンさん……という人が独りでやっているんですか?」
「ああ、いやいや。タン爺さんは弟子を3人抱えてますので。その1人が今話した『もう1軒あった』の工房の跡取り……になるんですかね。ジュミの親父は……病で早死にしちゃいましたから。なのでまだガキだったジュミはタン爺さんの所で修行してるってわけです」
なるほど……2軒ある弓工房のうちの1つは現在、主の伎倆が足りなくて休業状態なんだな。
「その……弓工房で道具とか借りれますかね……?」
「え……?道具って?もしかして……自分で弓を作るつもりですか?」
「ええ……まぁ。アリサ様が昔使っていた弓はちょっと特殊な形をしているので、俺自身の手で作りたいのですよ。山の中に居た頃、女の冒険者からちょっとの間……弓を借りて試していらっしゃったのですが、やはりしっくりきてなかったようですので」
「そうなんですか……。しかし……ユキオ様は弓も作れるんですか?」
「ははは……まぁ、そうですね。それに俺じゃないとアリサ様からの細かい注文を聞けないでしょうし」
「ああ……なるほど。しかし山神様は弓も達者とは……」
「そうか……親方はアリサ様の弓の腕前をご覧になっていませんでしたね……ははは」
「さっきのお話ですと……国の代表だったって……」
「そうですね……。俺の国では当時かなり有名でした。山の中で一緒だった、あの冒険者の女も驚いてましたよ」
「国って……ユキオ様達の国にはどれくらいの人が住んでるんですか?」
「え……?ああ、そうですね……俺達が居た国の人口は1憶2千万人くらいですかね」
「え……?いちおく……?」
ああ……そうか。この世界の連中には億の単位が理解出来ないか。
「うーん。そうですね……。この村の人口を500人として……それでも解り難いかな。この村24万個分って言っても解らんでしょうね……あはは」
「え……?」
「いや。まぁ……実際には俺達の国ではちょっとややこしいんですが、弓が2種類ありましてね。アリサ様が使っていたような様式の弓を使っていた人は1万人くらい居たそうです。つまりアリサ様は、その1万人の代表だったって事になりますかね。まぁ、代表は他にも何人か居たようですが」
「1万人……1万人の代表ですか……」
アギナは漸く現実的な数字を耳にしたが、それでも「1万人の代表」と言うのも中々凄まじい数字だろう。俺が月野さんから聞いていた往時のアーチェリーの競技人口は大体1万人くらいだったらしい。ちなみに「弓道」の競技人口はその10倍くらいだそうだ。
日本では圧倒的に弓道が盛んだが、世界的には当然ながらアーチェリーの方が競技人口では圧倒しており、全ての種目を併せると……その競技人口は約600万人に達すると言われているらしい。近年は用具の発展も著しいので、障害者スポーツとしても盛り上がりを見せており、五輪競技の基準を満たす普及度でも当然ながらアーチェリーだけが満たしている。
そもそも弓道は「武道」と見做して取り組んでいらっしゃる方が多い為、あまり本腰を入れて「世界的な普及を!」とかは考えていないのかもしれないな。
今の月野さんは、競技者として取り組んでいた高校生時代の全盛期には及ばないかもしれないが、それを補って余りある「魔法」と言う力を手に入れている。正直あの〈テイルウィンド〉の魔法なんかだと、競技アーチェリーには余り貢献しないかもしれないが、この世界における「実戦的な弓射」にとっては、恐ろしい効果を発揮するだろう。
「弓の達人」+〈テイルウィンド〉は、ある意味「剣の達人」なんかよりも恐ろしい。今の俺にとっては正直、不意打ちでも食らわない限り……いくら剣の腕が素晴らしくても、殆ど脅威を感じない。しかしあの射出速度で正確に急所を遠い場所から射抜いて来る「魔法を付与された矢」は、〈集中〉でも対処出来るのか……俺にとって「天敵」とも言える組み合わせだ。
しかし今の所、俺の知っている「風使いの弓達人」は月野さんだけだ。つくづくこの人が俺の同行者であった事に感謝したい。
「まぁ、そう言うわけで……弓製作の為にヨーイスにお邪魔する事になると思いますので、その際はどうか宜しくお願いします」
俺がトビィに頭を下げると、相手も恐縮したように「いえいえ!こちらこそ!ユキオ様達がいらっしゃるのを心待ちにしてますね!」と、笑いながら頭を下げていた。
これで毛皮の加工依頼も終わった。アギナは今晩自宅にトビィを泊めるそうで、明朝彼に熊の毛皮を見せてやりたいので許可を求めて来た。俺は別に断る理由もないのでそれを許し、寧ろあの毛皮の使い道を専門家の目で見てもらい、後日俺達がヨーイスに移った時に教えて欲しいと頼んでおいた。
明朝の「入山」に備えて早めに寝ておく。今回は俺だけが山に入る予定で、月野さんは毛皮鞣しの手伝いで止まってしまっていた服作りを再開してもらう事にした。彼女もマリとのコミュニケーションが大分出来るようになって来たので、先日のような不安はあまり感じてないと言っていた。
部屋の中にある作業テーブルに座って〈ライト〉で小さな灯りを浮かべ、服の型取り作業を始めた彼女に挨拶をして、俺は先に眠らせてもらう事にした。月野さんにはよく頼まれて使用する〈スリープ〉の魔法だが、この魔法の唯一の欠点は俺自身に使えない事だ……。それでも、ここ数日の間身体を結構動かしていたのか、それほど時間を掛ける事無く俺は眠りに入って行った。
* * * * *
8月4日の朝。俺は03:00にセットしていたアラームで目が覚める。月野さんは夜なべをする事も無く適当に切り上げて就寝したようだ。当然ながら彼女はまだ熟睡しているので、彼女を起こさないようにまずは〈ナイトビジョン〉で視界を確保してから、更に彼女に対して〈スリープ〉を使い……俺は服を着て部屋を出た。
これまでは作業着を来てからサンダルを突っかけるだけだったのが、ブーツを履いて靴紐を結ばないといけない。俺のような腹の出た中年男は床にしゃがんだ体勢で靴紐を結ぶ事が辛いので、ベッドに座ったままの状態で面倒な靴紐によるブーツの締め上げをした。
この脱ぐのに緩めたり履く時に締め上げたりが本当に面倒臭いのだが、ちゃんと靴紐で締め上げると、足との一体感が高まるので重たいブーツでもサンダルより歩きやすくなるのが不思議だ。
月野さんは〈スリープ〉によって、余程の事が無い限り起きないとは思うが、階下ではマリもまだ眠っていると思うので、俺は忍び足で階段を降りて裏口から外に出た。
なるべく音を発てないように井戸から手押しポンプで水を汲み、顔を洗って口を濯ぐ。一旦屋内に戻ってリビングに行くと、テーブルの上にこの前も借りた鍋や木の器、コップとスプーンやフォークなどのカトラリーも置かれていた。鍋以外は全て木製で、親父さんの手によるものだそうだ。
食材もパンとハム、それとレタスっぽい葉物野菜……俺が毎朝食べているハムサンドが作れるようにと揃えてくれたようだ。量としては延べ10食分くらいはあるだろうか。俺が昨晩この件をマリに話したところ、親父さんにも向こうで食わしてやってくれと言われ、かなり余裕のある量が用意されているのだ。
それらを全て〈倉庫〉に仕舞い、いつも通りの「手ぶら」になって再び裏口から外に出た。当然ながら外もまだ真っ暗なので〈ナイトビジョン〉をずっと継続して使用しているのだが……これは気のせいでは無く視界に薄っすらと「色」が付いている!
この前までは「そんな気がする」程度だったのだが、今日は明らかにハムに僅かな色合いが出ていた。もしかしてこの魔法……熟練度が上がって行くにつれて、最終的に普段と変わりなくモノクロでは無い……カラーの視界になるんじゃないか?実際、熟練度が原因と思われる視界の改善は確実に現れている。
この魔法を初めて使った当初は視界にノイズのようなものが入っていたのだ。何と言うか……昔のアナログ時代のブラウン管テレビで電波の受信が悪かったりすると出ていたようなノイズだ。今ではそれが全く見られない。相当に鮮明な……基本モノクロの視界になっていたのだ。
それが段々とカラー化されている……。〈鑑定〉によれば俺の〈ナイトビジョン〉の熟練度は14%だ。この魔法、俺の感覚では「使用回数」では無く「使用時間」で熟練度が上昇している気がする。現在の持続時間は800秒……13分強なので、もちろんだが何度も再使用しているのだが、そんな使用毎による視界の変化では無く……使い続けていてると何時の間にか鮮明になっていたという感じだ。
俺は暁暗とも言える真っ暗な村の大通りを通って山への入口となる「山木戸門」に到着した。正面門と同様、こちらの門にも村人らしき者が見張りとして不寝番をしているのだが、何も照明を持たない俺がいきなり真っ暗なところから現れたので、その男は驚いて飛び上がっていた。
「なっ!?だっ、誰だっ!?」
「ああ、すまん。ちょっと通してもらえるかな。木樵頭の親父さんとエレベーターの所で待ち合わせているんだ。朝6時の約束だからな。これくらいの時間に出ないと、俺のようなオッさんの歩みでは間に合わんのだ」
「あっ……!も、もしかしてユキオ様ですか?」
「うん?ああ。俺はユキオだが……アンタと会った事があるっけ?」
「あ、いえいえ。ユキオ様と言う方が日が出る前から山の中に入るからって……伝言を受けてました」
「ああ、そうなのね。木樵頭から聞いてたのかな?」
「はい。多分そうだと思います。オラは直接聞いたわけじゃないんですが……」
「そうか。この見張りと言うか……門番ってのは村の人達で当番が決まっているのか?」
「ええ。そうですね。一応は村の中に残っている大人の男が交代で当番をしてます」
「ふぅん……。当番はしょっちゅう回って来るのかい?」
「うーん……いや、今は2月に一度くらいですかね……。オラは前回、夏祭りの時にちょうど昼番で正面門の方に立ちましたよ」
「ああ、昼も門番に立つんだな。なるほど……。ご苦労さん」
「いえいえ。お気を付けて」
木戸門を開けながら、門番の村人は色々と話を聞かせてくれた。やはりこのアンゴゴでは背後の山の産物に依存しているだけあって、山に入る人々……木樵や猟師が経済の主役で、村に残っている人々も色々と協力しているのだろう。
俺もこの村を訪れた当初は、「山に入らない村民は何の仕事をしているのだろうか?」と疑問に思っていたのだが、やはりそれなりに仕事はあるらしい。村の建物や施設の修繕、清掃もそうだし……ウォーレンが経営する製材所だけでも普段は20人程の従業員を抱えているらしい。
もちろん宿屋や食堂、雑貨屋もそうだし俺達も立ち寄った布生地屋や靴屋もそうだ。ここ最近ずっと山を閉じていたのですっかりと村の経済……と言うか「金回り」が停滞していたので、皆失業したような状態だったが、山が開いて村の経済が動き出せば……それらの人々にも再び忙しい日々が戻って来るのだろう。
今回……木樵頭の親父さんは、出だしの運搬を俺が一手に引き受けると宣言している為、橇や荷車を専門で牽く人々を動員していない。なので本日時点でも製材所の従業員達のように「暇を持て余している」連中はかなり村の中に残っているようだ。
俺はエレベーターへと続く一本道を歩きながら、独り歩きはやはり怖いので〈探知〉を断続的に使っている。「獣」と言う括りで探知対象を設定すると……時折探知範囲にチラチラと「対象」が入って来る。その画面に映った「●」に視線を向けて「押す」と、俺に判りやすく「キツネ:177メートル、0メートル」と表示され、その正体と位置を知らせてくれる。どうやらまだ山の麓の平坦な森林であるせいか対象との高低差は無いようだ。
しかし探知画面には結構動物が表示される。中には鹿が全く動かずに表示されたままになっている。もしかして……罠に掛かっているんじゃないか?そんな想像すらさせてしまう。結構これで独り歩きの気を紛らわせてくれるものだ。
俺の〈探知〉はこれまでもこまめに使い続けていたせいか、つい数日前に習得したばかりなのにも関わらず既に熟練度が14%にまで成長していて、探知範囲も当初の半径100メートルだったものが、今ではもう230メートルにまで広がっている。この技能、熟練度が最大にまで育ち切ると……その探知範囲は半径100キロにまで広がるらしい。半径100キロなんて関東地方は余裕で収まる広さだ。凄い技能である。
そう言えばこんな……独りで歩くのは、この世界に来てから初めてかもしれない。この前、夜中に村の中でいくつかの「闇魔法」を練習した時も久々の単独行動であったが、今回は周囲に誰も居ない状況だ。試しに探知対象を「獣」から「人間」に切り替えてみたが、探知画面に何かが引っ掛かる事は無かった。
誰も居ない森の中の……それでも広めに造られた道を独りで歩きながら、俺は様々な事を思い出したり考えたりしていた。今回、この山の中から300本の木材を運び出し、アギナが仕上げる熊の毛皮を回収し……そして忘れてはならない、先日誤って「地中から取り出してしまった」ホダの切り株を元に戻せばもう……セリ村でやり残した事は無い。
その後は恐らくマルノ……いや、やっぱりヨーイス村に滞在する事になるだろうな。ヨーイスで月野さんの弓を作る。そうしながら、マルノで預けた肉が加工されるのを待つ。
そもそも、最終的には月野さんが手掛けている「俺達の衣服」が出来上がらないと……このアンゴゴ入植地から旅立つ事は出来ない。少なくとも今借りている服を木樵頭の家に返さないといけないし、季節はこれからどんどん冬に向かって行く。
この地域は赤道に近い低緯度にあるので、それ程の寒さにはならないとは思うが……何しろ海抜が高い。なので冬はそれなりに寒くなると言う。だからこそ木樵頭やアギナ親方は冬になると毛皮で作られた上着を愛用しているのである。
アンゴゴから出たら、どこに向かおうか……。まず有力なのは東の峠を越えた先にあると言う「プレス商業連合」の首都であるミランドだ。色々と聞くに、ミランドは世界的にも最先端の都市だと言う。一応俺達の当面の目標としては「月野さんの言語問題」と言うものがあり、その「鍵」となるのが魔道具の存在である。
様々な考察を経て、俺は魔道具であれば月野さんの言語問題に対して一定の解決が得られるのではないかと予想している。この世界、言語は統一されているわけではないくせに……既に人類の行動範囲が惑星全体に及ぶ程に広がっており、国際的に……もしくは大陸間において様々な交流を持ったり、世界規模での国際組織なども存在しているらしい。
つまりはそれらの国際化において「言語の溝」を埋める手段は確実に存在しているはずなのだ。個人の資質による言語能力に頼っている……とも考えられるが、何しろそれら国際組織の中には俺がこれまで〈鑑定〉を掛けたところで「知性」がGだのHばかりの「冒険者の組織」が存在している。
彼ら冒険者は国境を越えて活動する機会もそれなりにあるらしく、それが上位の階級になれば大陸間の移動すら伴う依頼も存在する……と言うのはジーヌの説明であった。
そんな奴らが……自らの言語能力に依って異文化コミュニケーションを採っているとは到底思えない。それともあれか?B級やらA級冒険者に昇級する条件に「3カ国語以上を流暢に操れる」なんてものが含まれているのか……?いやいや!あいつらの知性でそれは無理だろう。
で……あるならば、彼らは何らかの手段によって「言語問題」を解決しているはずである。それが恐らくは「魔道具」なのだろう。であるならば……そのような物品さえ入手出来れば、月野さんでもこの世界において言語能力を獲得出来る……はずである。
次に……「目標」とまでは言わないが、俺が個人的に興味を持っているのは「魔法使い」の存在である。ミランドには「治療院」なる施設が存在し、そこを経営しているのはどうやら「光魔法」が使える魔法使いであるらしい。その人物が老若男女何れかは知らないが、一度どんな奴なのか確かめてみたい。別に会話を交したり、交流するつもりはないが……〈鑑定〉に掛けてみたい。
どれだけの魔法能力を持っているのか……俺達にとってまだ知らない魔法を知っているかもしれない。魔法の名称さえ確認出来れば、「ライブラリ」で検索に掛ける事で内容を知る事は出来ると思うのだ。
その後の事は……今はまだ考えなくてもいいかな。もしかしたら言語能力を獲得した月野さんが俺から離れて行く……と言う事態も考えられるしな。
もし……そのような事になるなら、それはそれで構わないと思う。彼女はそもそも、俺のような胡散臭いオッさんと行動を共にするような人では無いと思うからだ。あれだけの魔法の素質を持っているならば、コミュニケーション能力さえ獲得出来れば明日からでも1人で別の道を歩いて行ける人なのだ。
俺は俺で、その後はどこか誰も居ないような場所に独りで閉じ籠って適当に暮らして行ければ良い。例えば……それこそ「山神様」がいらっしゃると言われている、この前方の山々の最も高い場所……その辺りに適当に家でも建てて独り暮らしも悪くない。
(やっぱり俺は……独りで居る時が一番楽だなぁ……)
色々と将来……いや、俺の場合はもう「老後」の設計図を頭の中に描きながら歩いていると、前方にお馴染みの……崖の上下輸送に使用される、青い色に塗装された昇降機が見えて来た。
* * * * *
49歳のオッさんが独りでダラダラ歩くと、思った以上に時間が掛かるものらしい。3時半に出発し、前回は1時間半程度で到着していたのを憶えていたので余裕を持って5時過ぎには到着するだろうから、相手を待ちながらゆっくりと朝食のハムサンドでも食おうかと思っていたのだが……。結局到着したのは05:24だった。
前回に比べて30分近くも時間が掛かっている。別に足元が悪いわけではない。寧ろ前回のサンダル履きに比べて今日はブーツで足元を固めているので、足元には全く不安が無いくらいだ。やはり健脚の人に無意識に引っ張ってもらうと足の運びも早くなるのかな。いや……何だかんだ途中で2度も小休止をしたのが原因か。
待ち合わせの場所であるエレベーターの下には、既に木樵頭の親父さん……エドルスと、その甥であるアデイルだけでなく、エレベーターを操作管理していると思われる十人くらいのガッシリとした体格の男達が立っていた。遠目で見ても何だか暑苦しい光景である。
「おはようございます!ユキオ様っ!」
アデイルが無駄に大きな声で挨拶して来る。父親であるウォーレンとは、やはり気質が違うように思える。環境が人を育てるのだろうか。
その他の連中も「ウッス!」とか「おはようッス!」などと威勢の良い声を一斉に上げたので、俺も仕方なく「おはようございます」と、普段は出さないような大き目の声で応じた。
「すみませんね……何かお待たせしてしまったようで。でもまだ05:26なんですよね……早めに着いて、ここで軽く朝食でも摂ろうと思ってたんですけど……」
「え……まだそんな時間でした?いやぁ、すみませんね。山の中には時計が無いですから。日の出のタイミングで待ってりゃ大丈夫かなと思ったのですわ」
「そうですか……皆さんはもう食べたんですか?」
「ええ。俺らはさっき食べましたんで……どうぞ遠慮なく食べたって下さい」
「ええ……ではまぁ、歩きながら……」
俺は〈倉庫〉からパンを出し、ナイフで切れ目を入れた上でレタスのような葉物野菜とハムを挟む。待っている連中はこの光景を見て唖然としている。
「い、今のパンとか……どこから……」
エレベーター職員達がザワついている。俺はハムサンドの出来に満足しながら
「じゃ、これを食べながら歩きますんで」
と、出発を促した。
「そ、そうですかい?では……おぅ!だったらゴンドラの準備をしてくれ!」
親父さんは職員達に声を掛け、彼らは「は、はい!」と応じて操作台やゴンドラの方に散って行く。作業員的な人達はまだ何人かこの場に残っており、彼らが「オラ達はどうしましょう?」と親父さんに聞いている。
「そうだな……今日の時点で、まだお前達には仕事が無いんだよなぁ……」
どうやら、この連中は崖下側でエレベーターから積み替えられる荷車の管理をしているらしい。
「ユキオ様……。ここから村までの道も運んで下さるんですよね?」
「ええ。そのつもりですが。最終的にはそのまま製材所と猟師小屋の裏側にある川を挟んだ対岸の弓射場まで行って、そこに下ろすつもりですけど」
「じゃあ……こいつらの出る幕は無いか……」
「ああ、それでは……もしよければ、帰りに俺を村まで乗っけて行ってもらえませんかね……?多分山を歩き回ってクタクタになってると思うので……」
俺は苦笑しながら、帰り道の提案をすると……親父さんは笑いながら「ははは。なるほど」と了承してくれた。本来であれば、巨大な木材を運搬する時に使う長さ3メートル弱の荷車1つだけを馬に繋いで、俺を乗せてくれる事になった。この荷車は2台1組で運用されるらしく、長大な木材の両端部をそれぞれ載せて、運搬する木材自体で間を支える構造にして2頭の馬に牽かせるらしい。
このエレベーターの乗降場所は、案外周囲の森も拓かれていて、ここからは見えないがこの荷車が100台近く置かれている場所や、その荷車を牽く為の馬を繋養している大きな厩舎もあるそうだ。しかしこの半年に及ぶ魔物騒ぎで、馬は全てマルノ村の牧場に移されていたらしい。
それでも山開きになると言う事で、既に80頭程は厩舎に戻って来ていると言う。俺が先日マルノ村に行った時には、もう放牧場にそのような馬らしき姿は見られなかった。恐らく馬の移動はその前には既に終わらせていたのかな。
「じゃ、ゴンドラに乗りましょうかい」
親父さんは、やはり今日もエレベーターを使って崖の上に昇るらしい。ハボが居たら、また〈スリープ〉を使わないといけないところだった。親父さんとアデイルに続き、俺は板の敷かれた木材運搬用エレベーターのゴンドラに乗って腰を下ろし、ハムサンドを腹に詰め始めた。
やがてガコっと音を発ててゴンドラが上昇し始める。先日これに乗って崖を一往復しているので、俺でも多少はこの光景に慣れてしまったようだ。前回よりも、それほど怖さは感じない。その証拠に、ハムサンドを普通に食べていられるからな。
「この前乗った時とは、何か違う気がすると思ったら……これ、この前は付いてませんでしたよね?」
俺がゴンドラの両端に付いている柱のようなものを指差すと、アデイルが説明してくれた。
「この柱の先に車を付けるんです。で、そこにロープを巻き付けたやつで……木材を吊ってゴンドラに載せたり下ろしたりするんですよ」
ああ、なるほど。ゴンドラの積み下ろしに「滑車の原理」を使うのか。そりゃそうだよな。崖上で橇からゴンドラに積み替えないといけないし、下まで降ろしたら今度は荷車に積み直さないといけないわけだ。恐らくは基本的に人力作業だろうから、こんな道具を使わないといけないのだろう。
俺達はゴンドラから下りて、なだらかに上りになっている轍の通った運搬道路を歩き始める。ここから2時間以上もこんな調子で上り坂が続く。今日の行程で一番キツい箇所かもしれない。
「なるほどね……。普通に伐った木を山から運び出すのは、俺が想像している以上に大変そうだなぁ……」
「ええ……なのでユキオ様が運び出してくれるって聞いた時は……俄かに信じられませんでしたよ」
「ははは……あの時貰った木は、お前の親父さんとハボに頼んで材木に刻んでもらったよ。それで木枠を作ってな。オオカミと熊の毛皮も無事に鞣し終わりそうだ」
「ああ……親父の工場に持ち込んだのですか?親父も暇してたから多少は暇潰しになったんじゃないですかね」
「暇潰しどころか……刻んだ材木で木枠も作ってもらったし、猟師小屋の外に作業用の足場まで組んでもらったよ。本当に世話になった」
「へぇ……まぁ、身体も動かせた事だろうから……良かったんじゃないですかね」
「俺達が山に入っている間に、村で何かありませんでしたかね?あの村長がまたぞろ何かやらかしたとか」
親父さんが話に入ってきた。
「村長はどうだか知りませんが、冒険者の中に居たバカな奴らが俺達が鞣していたオオカミの皮を途中で盗み出そうとしましてね……」
「え……!?あの見事な毛皮をですかい?冒険者って……あの村長がアンテラから呼んで来た奴らですか?」
「ええ。あちこちの山の中に散っていた奴らが村に帰って来て集まったのですがね。その中の何人かが、オオカミの毛皮を俺が騙し取ったと勘違いしたみたいなんですよ」
「騙し取ったって……あれはユキオ様が退治したんだから、ユキオ様のものでしょう?何で冒険者らがそんなに騒ぐんですかい?」
「ほら……俺が山の中で懲らしめた後に村まで連れ戻した奴らが居たでしょう?」
「ああ、ハボが案内したって奴らですよね?なんか山に入る前に一番威張りくさっていた奴らだ」
「頭……奴らだけじゃなくて冒険者って奴らはみんなそうでしたよ……山に入る前日に夜中まで酒場で騒ぎやがって……そのせいで山に入るのが遅くなってたじゃないですか」
アデイルが怒り半分、呆れ半分で教えてくれた。なるほど……そう言えばハボは「昼前に村を出た」と俺に説明していた。大方明け方まで調子に乗って飲んだくれた冒険者達が寝過ごした為に出発が遅れたのだろう。
「まぁ……所詮は手に職が無くて、正業に就けないような奴らなんだろう?その中でも更に人相の悪そうなのが3人でつるんで猟師小屋の外に干していた毛皮を強奪しようとしてな」
「え……?そ、それでどうなったんです?」
「そりゃアリサ様がお怒りになって半殺しにされたよ。そのままボロボロになった状態で村の牢屋にブチ込まれているんじゃないか?村長には役人にしっかり引き渡して必ず処罰するように伝えてある。もう冒険者を続けるどころじゃないだろうなぁ」
俺がいつものようにニヤニヤしながら話すと、アデイルもそうだが……特に親父さんが顔色を変えて「そうですか……山神様がお怒りになりましたか……」と呟いている。
「まぁ……俺達やハボが村まで引っ張って行った奴らが自分の手柄のように自慢したんでしょうな。だから奴らは『それならオオカミの死体は冒険者のもの』と勘違いしたのでしょう。あの4人にも再びキッチリ言っておきましたから反省していると思いますよ」
この話をしながら、俺は敢えて親父さんにそのオオカミの毛皮を1枚贈った事は内緒にしていた。アギナ親方や毛皮職人のトビィにも同様に口止めしてある。まぁ、これは俺なりの「サプライズ」ってやつで……今着ている作業服を最後に返す際に、出来ればその毛皮で出来たベストを親父さんに渡してやりたい。
前回訪れた時と同じくらいの時間を掛けて歩き、轍の残った運搬道路から整地し直したと言う脇道に入り……暫く歩いて行った所で俺は驚愕の光景を目にした。
俺が先日……文字通り「根掘り葉掘り」してしまったホダの巨木周辺の森が……失くなっていたのだ。




