暴走する次元倉庫
本話の文中において「崖部分の人力エレベーター」のゴンドラ寸法に誤りがございましたので訂正させて頂きます。
俺と月野さんは、木樵頭やハボと一緒に、木樵頭邸から出た。俺が〈倉庫〉から取り出した「こんぼう」の先端に〈ライト〉で光源を置いてもらい、それをハボに持たせて歩き出す。
先端から強烈な光を発している流木の太くて短い枝を持った男が先導する異様な4人組が、村の南端……山の入口へと続く木戸門に着くと、こちら側にも当直で門番をやっている村人が立っており、ハボが掲げている強烈な光を放つ「こんぼう」を見て、「なっ!なっ!だっ、誰だっ!」と誰何してきた。多分、光が強すぎて目が眩んでしまい、俺達の顔が見えないのだろう。
親父さんが村人に声を掛けると、村人はこの異様な集団の正体を知って安心したような顔になり、「頭ぁ……脅かさないで下せぇよ……」とボヤきながら木戸門を開けてくれた。
門番に礼を言って、俺達はまずはエレベーターのある場所を目指す。山から下りて来た時は、道々で薬草を摘んだりしながら歩いていたので気付かなかったが、この道はこちら側から大きく、そして緩やかに右方向に曲がっているようだ。俺はてっきり……あのエレベーターまでは一直線の道で続いており、位置的には村から真っ直ぐ南側にあると思ったのだが、実際は曲がりながら南西方向に向かって行く。
しかしこれはどうやら、道筋を決めた際に「川に沿って」という考え方で森を拓いたので、こんな形状になっているのだろう。とにかく先日の山下りの時もそうだったが、道の西側はずっと川が流れているのだ。
この川……エレベーターのある崖のところで滝になっているのだが、そこから下流は幅も広くなっているので……いっそ木材は筏でも組んで川に流してしまえばいいのにと思ったのだが、親父さんによれば川の深さが一定ではないので、木を流しても底に引っ掛かったりしてしまう場所もあるらしいのだ。なるほど……俺が考えるまでもなく一度は試されているんだな。
「ああ、ハボ。すまん……。さっき朝飯を食いながらお前に相談しようと思っていたんだが、卵の話ですっかり忘れていたな」
「は……?あ、ああ!なんかご相談があると言ってましたね」
「そうそう。お前、親父さんから今日は何をするのか聞いてるだろ?」
「ええ。木を1本伐るんですよね?」
「うん。それを俺が持って帰れるか試すんだけどな」
「そう聞いてます」
「で、その持って帰る木は俺がもらえる事になっているんだよ」
「あ、そうなんですね?」
どうやら俺がその木を報酬として受け取る事までは聞いていなかったらしい。
「で、木を持ち帰る事が出来た後の話なんだ。それをお前に相談したかったんだよ」
「え?持って帰った木を……?ああ、もしかして……製材したいとか?」
「うん。最終的に、その木を使って今鞣している毛皮を干す為の木枠を作りたいんだ。16頭分のオオカミと、あのバカでかい熊用の木枠を新しく作る必要があるんだよ」
「木枠……ですか?」
「お前は『伸ばし干し』の木枠を知らんのか?毛皮を広げて、更に木枠に縛り付けて伸ばし広げながら干すんだよ」
「そんな事……あぁ!やってますね!猟師小屋の裏でしょう?あそこでよく、なんか四角い木枠一杯に鹿の皮を広げて、太鼓みたいにピーンと張ってますね。あれですか?」
やはりこの男は隣の製材所で働いているだけあって、皮の枠干し風景を見ていたようだ。
「そう、それだ。それをオオカミと熊の皮にもやりたいんだが……あのオオカミと熊の図体がデカ過ぎて、皮があの小屋にある木枠に収まりそうにないんだよ」
「ああ、なるほど……確かに……あのオオカミと、熊……は物凄く大きかったですもんね。熊の皮って、もう剥いであるんですよね?工場で肉を出してましたよね」
「うん。もうとっくに剥いで鞣し液にも浸け終ったよ。だから大急ぎで木枠を作らないといけないんだ」
「あ、なるほど。その木枠をさっきの木で作ろうと思っているんですね。だから枠材にしなければいけないと」
漸く俺の話を飲み込んでくれたらしい。
「なので、今日これから木を伐りに行って、俺が上手い事それを運べたら、明日の朝からでもいいんで製材所で枠材に仕上げてくれないか?」
「ええ。大丈夫ですよ。もう裁断機の整備も済んでますから。じゃあ……オラの工場の仕事始めはユキオ様の木を枠材にする作業になるわけですね!」
ハボが笑い出した。彼にとっては半年以上待たされた今年の「仕事始め」である。
「やってくれるか?日当も出す。何人居ればやれそうかな?」
「ええ。そうですね……オラと……」
「そんなもん、お前とウォーレンの2人でやっちまえるだろ?」
俺達の話を聞いていた親父さんが横から話に入って来た。
「え?叔父さんと?まあ……そうだね。叔父さんと2人居ればやれるかな」
「ユキオ様。ウォーレンは俺の弟です。あの工場を仕切っているんですがね。身体も鈍ってるでしょうから、ハボと一緒にコキ使ってやって下さい。どうせ暇ですから日当なんていりませんよ。俺が後で菓子でも持って行きやすから」
「いやいや。親父さん。日当はちゃんと出します。ハボにはいつも世話になってますしね」
「でもね、ユキオ様。俺達の村は、ユキオ様と山神様が居なかったら、こんな山が再び開く日を迎えられなかったんだ。俺なんて、村だけじゃなくて身体まで治してもらった。貴方達には数え切れない恩を受けちまった……。しかもこれからやろうって事は、上手く行けば村の木樵達が冬に飢え死にせずに済む事になる。俺達は、それにもっと報いないといけないんですわ……」
「親父さん。その気持ちだけ十分ですよ。俺達は確かに……成り行きでこの村を救ったのかもしれないけど、それは対しては本来……親父さんが報いる事じゃないでしょう?別に無理に感謝して欲しいとは思わないけど、村を代表して俺に礼を言うべきなのは親父さんじゃないはずだ」
俺は親父さんを諭すように言った。つまり「村を代表して俺に礼を言うのはもっと違う奴だろ?」と言いたいのだが、俺自身がその「違う奴」との面会を避けているので、この場合はどうでもいい事だ。しかし親父さんは俺の言葉を聞いてすっかり黙り込んでしまった。この期に及んでまだ屋敷でふんぞり返って、救世主に自分で足を運んで礼を言いに来ない「若造」の不遜に対して怒りを新たにしているかもしれないな。
「まぁ、とにかく……お前と叔父さんの2人でやれるなら日当を出す。2人で銀貨5枚あれば足りるかな?」
「5枚!?そんな……!十分ですよ!」
「そうか。それで十分だと思ってもらえるなら、ついでに木枠作りも手伝ってくれるとありがたい。やっぱり俺と違ってお前達は『木材のプロ』だろうからな。ははは」
俺が笑いながら「オプション契約」を口にすると、ハボは笑いながら「分かりました!帰ったら叔父さんと相談します」と言ってくれた。これで製材と木枠作りにも目途が付いた。俺は今の会話内容を隣を歩いていた月野さんに報告した。
「良かったですね。これならその……商人の人への納品日に間に合いそうですね」
「もしかしたら……月野さんにまたご協力頂く事になるかもしれませんが……」
「ええ。もちろん『枠伸ばし』は手伝いますよ」
「いえ。それだけじゃなくて……」
「え?他に何か私にやれる事がありますかね?」
「ちょっと試して頂きたい事があります」
「私が?何か試すのですか?」
「はい……。まずは伐り出した木です。これを『生木』のまま製材に掛けるのは……多分品質的に宜しくないんじゃないかと」
「へぇ……そうなんですね?」
「いや、俺も専門家じゃないんで何とも言えないんですが……以前何かの動画で見たんですけど、家とか建てる時に使う材木は伐り出してから何年か掛けて乾燥させているらしいんです」
「ああ……それって私も聞いた事がありますね」
「多分、この親子の方が詳しいだろうから……後で聞いてみますが、もし乾燥が必要ならば……月野さんの〈ヒート〉でちょっと乾燥を試してもらえないかなと」
「え……!?私の魔法でですか?」
「ええ。今の所、あの魔法はお風呂を沸かしてもらうくらいにしか使っていらっしゃらないと思いますが……」
俺が笑いながら話すと、月野さんも「確かにそうですね」と笑みを浮かべる。彼女は多分、〈ヒート〉を「湯沸かしの魔法」だと思っていた節すらある。
「あの〈ヒート〉を木材に対して使ってみたらどうかと……。昨晩、親父さんの身体を治療している月野さんを〈鑑定〉してみたら、〈ヒート〉の熟練もちょっと成長していたんですよ。確か今の最高出力ならば摂氏108度で10分くらい加熱し続けられたと思います。それで断続的に中心から加熱してもらえば……そこそこ水分が抜けてくれるんじゃないかと思ったんです」
「そんな使い方が……?」
「ええ。多分その魔法……本来はそう言う使い方をするんじゃないかなと。但し、合成魔法なんで……連続使用で月野さんにどれくらいの消耗が発生するのかが不明なんですよね……」
「でも、小河内さんが近くに居て下さるのでしょう?」
「ええ。もちろんです」
「だったらやってみます。もし私があの小河内さんみたいに消耗し尽くしても、ちゃんとベッドまで運んでくれますよね?」
「いやいや!そんな消耗し尽くすまでやらなくてもいいですよ!何度か連続使用してもらって、疲れるようならば即中止です。いいですね?」
「わかりました。頑張ります!」
「ありがとうございます。それと……木の乾燥が終わったら、木枠で伸ばし干しをする際にも、皮に対して低い温度で加熱してみるとどうなるか……実験してみたいですね。俺が思うに、加熱の魔法って使い道が色々あると思うんですよ。洗濯物を乾燥させたりとか……」
「ああ……なるほど。化繊を使って無いなら100度くらいで加熱しても木綿なら大丈夫そうですね」
「乾燥機って、俺もコインランドリーで何度かお世話になったんですが、結構時間掛かるじゃないですか。俺、以前に暇だったんで、コインランドリーの店内で乾燥が終わるのをずっと待っていた事があって……」
「私は利用した事が無いですね……なんか盗難とか怖くて……」
「ああ、女性の方は心配かもしれませんね。俺はズボラなんで週に1回くらい一気に洗濯機を回した時に干すのが面倒だったんで、結構利用してました」
俺は苦笑しながら話を続ける。
「その……待っている間に、機械に貼ってあったラベルとかを読んでて知ったのですが、乾燥機って最高でも80度くらいで回すらしいんです。まぁ、洗濯物の材質によって調整出来るんですけどね。多分、化繊だとそんな高温でやったらヤバそうですが」
「そうですね。私の記憶ですとポリエステルで60度……薄手だとそれくらいが限界です。それ以上で加熱すると凄く縮んだりしてましたね。実習で見た時は」
「でもほら。木綿とかの天然系の繊維ですとアイロンで150度とかで加熱出来たりしますよね?」
「ええ。確かに……綿や麻100%とかですと、200度くらいまで大丈夫ですね」
「だったら……干した服、こっちの世界なんか全部天然繊維でしょうから、100度で加熱しても大丈夫じゃないですか?水は摂氏100度で蒸発するんですから、『服そのもの』が100度になれば……」
「ああ!そういう事ですか!一気に乾いてしまいそうですね!シワが凄そうですけど」
「その辺、シワがどれくらい寄るのかも実験してみたいですね。服でやらなくても端切れの布とかでもいいですし」
「そうですね……でも、小河内さんはよくそんな事を次から次へと思い付きますね。やっぱり頭が良いんだなぁ……。私なんか小河内さんの教えてもらった事だけをやってるだけですもの……」
「いやいや……俺はずっと独りが好きだったので、何から何まで自分でやらないといけなかったんです。だからいつも『どうすりゃ楽になるのか』とか『どうすりゃサボれるか』というような事ばかり考えてました。それに月野さんとは世代が違います。俺がガキの頃なんて、まだまだ世の中が不便でしたから。自分で色々やれないとどうしようもなかったんです」
実際……俺は子供の頃から独りだった……と言うか独りで居る事を好んでいたと思う。そして……思春期にちょっとキツい体験をしてからは尚更自分の殻に閉じ籠るようになった。他人に頼れない分、自分で色々と勉強しないと「気が済まない」性分になってしまっていたのだ。だから仕事以外の余計な事まで色々と覚えたりしたのだ。
俺達が「木を手に入れた」後の皮算用的な計画について話をしているうちに、空も明るくなってきたのでハボから「こんぼう」を回収して〈倉庫〉に仕舞い、〈ライト〉の光源に頼る事無く歩き続ける。俺も〈ナイトビジョン〉を解除した。
歩き続けて……1時間半くらいだろうか。俺達はエレベーターのある崖下に辿り着き、一旦休憩する事にした。手ぶらで来ている俺が、ニヤニヤしながら〈倉庫〉から人数分の木のコップと真鍮のポットを取り出し、更に小袋から茶葉をポットに入れてから〈ウォーター〉で水を満たし、月野さんにお願いして加熱してもらう。
2分も経たないうちにポットから湯気が出て来たところで、皆に持たせたコップに熱い茶を注ぐと、木樵頭の親子は湯気の立つコップを持ったまま呆然としていた。今使った物は全てマリから借りて来たものだ。彼女には他にも鍋やちょっとした食材も貰って来ている。俺はそれを全て袋に纏めて、〈倉庫〉にブチ込んで来ているのだ。
「まっ、まるで……魔法ですな……」
「いや……親父……魔法なんだってば……」
「そ、そうだったな……そうか……あちちっ!」
ボンヤリとコップを口に運んだ親父さんが熱い茶をうっかりそのまま口に入れて舌を火傷していた。
「親父さん、落ち着いて下さい。あの人達が見てますよ……」
俺が指差す先には、木樵……と言うか多分エレベーターの管理だか作動を担当している村人が数人で半年間放置していた機械の調整を始めていた。朝からご苦労さんだな……。
「ああ……はい。いやぁ……何も無いところから茶が出て来たものですから……」
「ははは……冷たい方がよかったですかね?」
今では俺が氷も作れるようになっている。熱いのも冷たいのも自由自在だ。一頻り……10分程度休憩してから以前も通った崖上に続く急角度の通路を登ろうとゲンナリしかけた時……親父さんが
「ああ、ユキオ様。多分エレベーターで上げてくれますよ」
と言った。マジか!?……しかし大丈夫なのか?まだ調整中じゃないのかよ?俺もかなり不安に思ったが、それを上回る人物が居た。
「いや、親父……いいよそんな……坂を登ろうよ……」
倅は明らかにエレベーター使用に難色を示している。彼は先日も崖上で挙動がおかしかった。彼にとっては……山の中で、この場所だけが鬼門のようだ。
俺個人としては……先日はこの崖上から下りてくるだけでかなり体力を消耗した。この崖……先日は上から眺めて、何メートルくらいだと思ったか……多分5、60メートルくらいだと認識していたが……下から見上げると、それどころじゃないように思えた。
「この崖……どれくらいの高さがあるんですか?」
「うん……ああ、83メートルだったか……確かそれくらいですわ」
そんなに高かったのかよ……。そりゃハボも渋る高さだな。
「で……大丈夫なんですか?まだ調整中なんでしょう?」
「ああ、動作自体は問題無いですわ。俺も昨日、これに乗って降りてきましたし」
「あ、そうなんですか?じゃ、今は何を?」
「ワイヤーを変えたんですわ。錆びとりましたんでね。で……ヨーイスから新しいケーブルを取り寄せたんですが、やっぱり半年も使ってなかったから替えのワイヤーも錆が入ってましてな。今はああやって、繰り返し動かしながらワイヤーの錆びを落としてるってわけです。安全性には問題無いですわ」
ああ、なるほど……やっぱりメタルワイヤーで引き上げているのか。そりゃそうだよな。あの巨木を下ろすわけだし。しかし降ろす時はまぁ、重力も手伝ってくれるだろうけど……上げる時は逆に大変だろうに。そこに4人も乗っかって大丈夫なのか?
結局、親父さんに押し切られたのと……そもそも俺自身があの九十九折れの急坂に気持ちが折れてしまい、エレベーターに乗る事となった。坂を歩いて上ると30分以上かかるが、エレベーターだと3分くらいで崖上まで行けるのだそうだ。
月野さんにも当然聞いたが、彼女は意外にも「面白そうですね!」と言いながら真っ先にゴンドラに乗り込んだ。このゴンドラ、元は木材を吊り下げる為のものなので幅約20メートル、奥行き約3メートルくらいと相当に大きなものなのだが……なにしろ「柵」が無いのだ。どうやら格子状の底板を使って木材を縛り付けて固定するというものらしい。
なので、我々が乗り込む際に……管理の作業員の人が板を敷いてくれた。ここに座ってくれと言うことらしい。ヤバい……思った以上に安全性への配慮がされてない。そもそも……人間を載せる時点で適切な運用に適っているとは思えないのだ。
「ぎゃあああああ!ダメだああああああ!落ちるうううううう!」
全員が乗り込み、親父さんの指図によってゴンドラの上昇が始まった途端にハボが騒ぎ始めた。まさかここまで高所嫌いとは。まだ3メートルくらい上がっただけじゃないか。
「うるせぇぞハボっ!男がこんな事でギャーギャー騒ぐんじゃねぇ!」
親父さんは倅を叱りつけているが、アンタだって倅の高所嫌いに見切りを付けて木樵にさせてないんじゃないのか?俺だって「柵が無い」と言う見た目の恐怖に必死で抗っているんだぞ……。しかし俺の隣で体育座りをしている月野さんはあまり怖がっている気配は無い。
「親父さん、ちょっとハボを押さえておいて下さい。静かにさせますんで」
俺が親父さんに指示を出し、ハボを叱責していた親父さんが「えっ?」と振り向いたが、もう一度「ハボが落ちないように押さえ付けて!」と言うと、慌てて彼の肩を掴んだ。
〈スリープ〉!
俺の魔法によって、それまで必死の形相で喚いていたハボが急に大人しくなり……静かになった。親父さんは「えっ!?おいっ!ハボっ!」と驚きながら呼び掛けているが肩を掴んでいる手は放していない。
「ハボを眠らせました。上に着いたらちゃんと起こしますので、それまで支えておいてあげて下さい」
「なっ!?眠らせたですって?そんな事が出来るんですかい!?」
「まぁ、本当はやりたくないんですがね。あそこまでうるさいとアリサ様のご機嫌を損ねそうでしたので……」
俺が苦笑しながら話すと、親父さんは途端に「あ、な……なるほど」と大人しくなった。その間にもゴンドラは不安になるような軋み音を発てながら崖を上昇している。
このゴンドラ、仕組みとしては単に崖上からワイヤーで吊っているだけでは無い。ワイヤーと同時に崖面側にあるレールで歯車を噛みながら上下しているのだ。なので風が吹いたところでゴンドラが揺れるわけでもない。俺も恐怖を押し殺しながら、この動作機構を解析しようと見回していたが、どうやら「ワイヤーの巻き取り」と「ラックギアの回転」、そしてそれをアシストする両側のウエイト(錘)の3点で構成されているようだ。
なので、考えようによってはかなり安全性と効率に優れた構造をしていると言える。但し……そもそもがさっきも言ったが人間を乗せる事を前提に作られていないので、落下防止設備が不足している。つまりはゴンドラ本体は柵も取り付けられていない台板1枚……それも搭載木材を緊縛する為に固定ロープが掛かるように格子床になっており、そのままだと真下が丸見えである。
「親父さん、このエレベーターって……いつもこうやって人間を乗せているんですか?」
「そうですなぁ。俺なんかは最近、あの坂を上がるのが辛くなって来てましたからな……これに乗せてもらってますわ。でも、昨日山神様に膝を治してもらったもんで、坂道も苦にならんかもしれませんなぁ。がはははっ」
まぁ、あれか。この異世界においてはコンプライアンスだとか安全基準とか、そんな思想は存在しないのだろう。俺はもっと突っ込んで、「この乗り方をして転落事故とか起きてないのか」とか聞いてみたくなったが、やはり怖くなって思い留まった。
しかし……俺がそんな、1秒が1分に感じる程に長く感じた運搬エレベーター搭乗体験も、突然ガコォン!という音と共に終了した。驚いた俺が咄嗟に後ろを見ると……ゴンドラは崖の上に到着していた。どうやら恐怖の時間は幕を下ろしたらしい。
俺はハボに掛かったままの〈スリープ〉をキャンセルしようと思ったが、覚醒した途端にこの場で暴れられても困るので、親父さんと……崖上側に居たエレベーター係員に頼んで、ゴンドラから下ろしてもらってから、解除した。案の定……彼は覚醒した瞬間に絶叫を再開したが、親父さんがビンタを一発くれてやると、正気を取り戻したようだ。
「ほらっ!いつまでボーっとしてるんだっ!行くぞ!」
父親の厳しい叱咤を受けて、彼はノロノロと立ち上がり……何がどうなっているのか把握していなさそうな顔で最後尾を歩き始めた。
「結構スリルがありましたねぇ……」
隣を歩いていた月野さんが突然ブッ飛んだ発言をしたので、俺は瞠目した。この人はどういう神経をしているのだろうか。やはり俺なんかよりも十分に肝が据わっている。流石は「精神」が「B」評価の人だけの事はある。
そこからは暫く緩やかな上り坂……つまり数日前に俺達が下って来た幅3メートル程の、人工的な整備が入っている轍のある道を上る事になった。ここが一番キツかった……。2時間くらい上っただろうか。前回通った時には見かけなかった脇道のような所を入って行く。脇道と言っても、やはり幅は3メートル近くある。
「あれ……?この前通った時は、こんな道あったっけ?」
俺の問いに、既に立ち直っていたハボが答えてくれた。
「ああ、この前はこの辺り……下草と言うか雑草が生い茂っていて見えなかったかもしれませんねぇ」
「ああ、そうなんだ。結構この辺からもう鬱蒼としているんだな」
「この辺は日当たりもいいんで、多分半年も放っておいたら草だらけになりますよ。なっ?親父」
「そうだな。ここら一帯は山開きの初日に皆で草を取るのが大変だったわ」
確かに言われてみれば……なんか道が新しい感じに見える。伸び切った周辺の雑草も含めて根こそぎ取り除いて道を均し直したようだ。この道には轍が付いていないのだ。
「あとどれくらいで着きますかね?」
「もう少しですわ。もう30分も無いと思います」
現在の時刻はまだ08:56だ。やはり朝の4時に出て来て、しかもあのエレベーターに乗せてもらったので案外早く現地に着きそうである。まだ2時間歩くとか言われていたら休憩を要求しようかと思ったが、30分ならば頑張って歩けそうだな。
「あと30分くらいだそうです。お疲れではないですか?」
「ええ。私は全然大丈夫ですよ。でも……小河内さんは辛そうですね……」
やはりそう見えているか。流石に運動不足の49歳には堪える山の上り道なのだが、俺よりも一回り近く年上の親父さんがまるで疲れる様子も無く歩いているので、ここで俺だけが泣き言を言うのは流石に恰好悪い。
あ……そうか。親父さんは昨日、月野さんに両膝のガタを治してもらっていたな……。だからあれだけ歩けているのか……クソっ!
この脇道に入ってから、木樵の恰好をした人達を何人か見掛けるようになった。中にはロープを幹に巻き付けて、器用に木に登り……鉈で枝を切り落としている人も居る。ああいうのを動画とかで見た事あるが、近くで見ると大迫力だ。なるほど……あれが林業か。
「この辺の木はまだ伐り出す程育ってないんですか?」
「そうですなぁ……多分この辺のホダで30年でしょう。出荷は大体60年目くらいですな。テンビルだと45年くらいですねぇ」
60年かぁ……。まぁ、0から更地に植林して行ったわけでもないし……この地域での林業の歴史は200年を超えるわけだから、代々そうやって山林資産を受け継いでいるわけだろうしな。
「なるほど。長期的な計画で何世代にも渡って事業を継承しているんですな。木樵頭の家もそうやって代々継いでるわけですか」
「まぁ、オラの代で一旦従弟のアデイルに継いでもらいますけどね……」
ハボが苦笑している。そう言えばこの連中の家は次の代で木樵頭と製材所の跡継ぎが入れ替わるんだったな。
「ハボはそれでいいのか……?まぁ、高い所が苦手だって言うのが木樵にとってかなりマズいと言うのはさっきのエレベーターで解ったけど」
俺が笑いながら聞くと、ハボも頭を掻きながら答える。
「いやぁ……確かに親父の跡を継げないのは悔しいですけど、やっぱり高い所がですねぇ……あれじゃしょうがないです。まぁ、オラは製材の方が性に合ってますねぇ……機械いじりも嫌いじゃないですし」
「ふぅん……そんなもんか。何と言うか……正直もっとお前はその件で屈託みたいなものがあるんじゃないかと思ったんだけどな」
「くったく……?まぁ、とにかく高い所はダメです。帰りはオラだけ坂を下りますから。もう絶対にゴンドラには乗らないです!」
「そ、そうか……。まぁ……無理は良くないしな。自分に合った仕事をするのが一番だよ。俺もそうだった」
そんな事を話しているうちに、道の先が何か大きな物体によって塞がれていた。親父さんが構わず進むので目を凝らしながら付いて行くと……それは巨大な橇だった。
「ユキオ様。漸く到着です。この辺から今年伐り出しのホダになります。テンビルはここからもうちょい奥に行くんですがね……。ひとまず『試し伐り』をやるならここのやつでいいでしょう」
そうか……ここが今年の現場か。俺は聳え立つホダの木の天辺を見上げた。凄い……なるほど。これが60年モノなのか。親父さんに聞いた通り、高さ30メートルくらいありそうだな……。
「ところで、それが本来運搬に使う橇ですか?随分と大きいですが……何人で動かすんです?」
「8人で牽きます。そんでもって2人が木と一緒に乗り込みますんで……10人ですな。この橇だと一度に3本積めますわ」
「3本って事は、えっと……3本伐って、それぞれ2本ずつに切り分けたものがって事ですか?」
「ええ。そうなりますな」
「では……180本分って言ったら切り分けで360本……この橇で延べ120台分ですか。まさか橇が120台あるわけじゃないですから、このバカでかい橇をここまでまた戻したりするわけですよね?」
俺がポンポンと暗算で色んな数字を言ったので、親父さんはちょっと話に付いて来れていない。暫く頭の中で計算していたようで……
「えっと……そうですな。ユキオ様はホントに計算が早い……。この橇をエレベーターの上から戻すのに半日掛かるんですわ……」
なるほど……。確かにそんな事をやってたら180本運ぶだけでも、1カ月半から2カ月掛かるって話は納得出来る。俺が橇を見ながら木材の運び出しについて改めてリアルにその大変さを噛みしめていると、橇の向こう側から誰かがこちらに声を掛けて来た。
「頭ですか!?もう戻って来たって事は……やっぱりあの『ボンボン』の野郎は話を聞き入れてくれなかったっぽいですね!」
そう言いながら、頭に手拭いのような布を被り、ワインレッドのような色の長袖シャツに黒いベストを着た作業着姿の若者が現れた。日焼けして精悍な顔立ちをしている。背丈は木樵頭親子と同じくらいかな。いかにも「若き山の男!」と言った感じの青年だ。
「おぅ!アディか。橇はどうだ?どこか壊れてたか?」
「いえ。どれも大丈夫そうです。一応、バラしてみようかと思いましたが……特にガタもグラつきもないので、このまま使えるでしょう。おっ!?ハボ兄も来たんですか?珍しいっすね!」
「アディ。精が出るな。山に泊まりで籠ってお疲れさん。ちょっと、木を伐る手伝いに来たんだ。1本だけだけどな!大鋸はどこにある?」
「うん……?伐るの?しかも1本だけ?」
「アディ。こちらはユキオ様だ。オオカミを1人で退治してくれた村の恩人だわ」
親父さんが若者に俺を紹介すると、彼は俺を頭の天辺から足の爪先まで一頻り眺めてから「えっ!?」と驚いている。そりゃそうだろう。こんなオッさんがオオカミを全部倒したとか、普通はホラ話にしか聞こえない。
「ユキオ様。こいつが甥っ子のアデイルです。さっきも話に出てた製材所をやってる俺の弟の倅です」
「おお。そうですか。ユキオです。よろしく」
俺は一応、型通りの挨拶をした。正直、前の世界で暮らしていた時は……こういう感じの威勢の良さそうな若者は苦手だったが、人間……見た目だけで判断してはいけない。現に、俺からすればこの親父さんのようなタイプの人間だって……いや、そんな事を言ったら他人はみんな苦手だったのだ。もちろん月野さんのような美人さんだって例外じゃない……俺は多分、こっちの世界に来てから結構対人関係の耐性がかなり上がっていると思う。
「どうもです!オラはアデイルって言います!ユキオ様!クソみたいなオオカミどもを、ブッちめてくれてありがとうございましたっ!」
見た目通りに威勢良く礼を言われ、俺はちょっと引いてしまった。月野さんも彼の声の大きさに驚いている。
「いやいや……成り行きだよ。別に元から退治しようと思ってやったわけじゃない。野宿してたらいきなり囲んで襲って来たから手当たり次第に殴り殺しただけさ。ははは……」
俺が笑いながら話すと、ハボが慌ててこの従弟に対して
「いいか……?ユキオ様と……このアリサ様に無礼な真似をして怒らせるなよ?特にアリサ様は怒らせると本当にマズいからな?」
真顔で説明している。親父さんも横から「そうだ。山神様の機嫌を損ねるんじゃねぇぞ!」と口添えしている。どうやらこの親子には、俺がジワジワと言い募っていた「山神様の怖さ」という「薬」が効き過ぎてしまっているようだ。
親子の真顔での忠告を聞いたアデイルは顔色を変えた。言うまでも無く、最初の印象で俺に対して何となく「侮り」があったのかもしれない。
「まぁ、そんな事はいいですから……とりあえずどの木を伐ります?やはり伐り倒してみて貰わないと運べるか判りませんね」
「おお。そうでしたな。アディ。丁度良かった。お前……ハボと2人で、そこのホダを1本倒してくれ」
「え……?さっきもハボ兄が言ってましたけど、1本だけ伐るんですか?」
「そうだ。1本伐ったら……ユキオ様。切り分けはどうします?いつもの10、20でいいんですかね?」
「えっと、つまり根元側から20メートルと先端側の10メートルって事ですよね?」
「ええ。まぁ、実際には根元側から20取ったのと、その『残り』って事になりますけどね」
親父さんは橇の上に置かれていた、束ねられたロープを持って来た。どうやら伐り倒した後に、このロープ……20メートルの長さのロープを当てて、その長さに切ったのを「主材」、残った10メートル前後の先端側の木を「副材」と呼ぶらしい。
「ならばそれで構いません。お願いします」
俺がゴーサインを出すと、親父さんに命じられたアデイルがどっからともなく全長2メートルくらいあるバカでかい鋸を引き摺って来た。なるほど……あれが大鋸か。鋸は2人で両端を持って挽くらしく、要は棒状の両手で持つ取っ手の間に刃渡り2メートル、太さ50センチもある鋸刃が挟まっている……確かに名前通り、バカバカしい大きさの鋸だ。
あんなデカい鋸をどうやって使うのだろうか……と思っていたら、アデイルは親父さんから指示されたホダの木の地上から40センチ……彼の膝下くらいの高さの幹を、彼自身が持っていた普通の大きさの鋸で切り始めた。当たり前だがそんな大きさの鋸では幹の太さが1メートル以上もありそうな、このホダの木は伐り倒せそうにない。
どうするのか見守っていると、親父さんに
「ユキオ様。そこはちょっと危ないんで、あっちの橇のある辺りから見ていてもらえますかね」
と言われたので、月野さんにも伝えて……俺達は橇の並んでいる辺りに場所を移した。そこから暫く見ていると、普通の鋸で5センチくらい切り込みを入れてから、ハボとアデイルが大鋸を持って座り込んだ。座りながら、2人挽きの大鋸をさっきの小さな切り口に当てて、座ったまま声を掛け合って交互に大鋸の取っ手を引き始めた。
ああ、なるほど……!2人は向かい合って大鋸の両端にある取っ手を両手で持ち、お互いの片足をホダの幹の根元に踏ん張るように掛けて、大鋸を挽いている。その姿は……向かい合って手漕ぎボートを交互に漕いでいるような感じだ。ああやって2人挽きで大鋸を操るのか……凄いな。
月野さんも、2人の若者が大鋸を挽く姿を見て「凄いですねぇ……」と感心している。2人……特にハボなんて本来は木樵じゃなくて製材所の作業員なのに、息ピッタリで挽いている。普段はボンヤリしているように見えるハボだが、やはり鋸の扱いは本職の木樵と遜色無いようだ。
どうやら大鋸挽きも、決められたやり方があるらしく、彼らは1から20まで数えながら鋸を挽き、20まで行ったら、一旦手を止めて休憩しつつ鋸の刃が入っている方向を確認し、何やら修正を話し合い、再び「せーのっ!」と言う掛け声と共に1から数え始める。この1セットで概ね20センチくらいは鋸が進むのだ。
そして鋸の刃が全部幹の中に入った後の休憩の時に、1人が刃の入る方向を確かめている間に……もう1人がどっかから持って来ていたこれも大きな鉄製の楔を鋸刃の後ろからキーン!キーン!と打ち込む。恐らくこれによって鋸刃が木の身に食い込んで動かなくなるのを防ぐと共に、木があらぬ方向に倒れないようにコントロールするのだろう。大変合理的に考えられている。
2人が1本のホダの成木を伐り倒すのに20分くらいしか掛からなかった。直径1メートルを超えるホダはやがて……ビキビキビキと音を発てて、ドーン!という地響きと共に誰も居ない山道側に倒れた。
「うおっ!倒れた……」
俺は思わず声に出してしまった。それだけ豪快で大迫力の場面だった。俺が発したこの言葉は、どうやら日本語だったらしく、その声に反応したのは月野さんの「凄いですね……」という声であった。
うーむ……これが直径1メートル、長さ30メートルの原木か……デカい……。想像以上にデカい。こんなの……俺の〈倉庫〉に入るのか……?
伐り倒した木には既に親父さんが持っていたロープを当てがって20メートルの見当を付けている。俺は切り口の所に歩み寄り、その部分を観察していたが……試しに手を当てて身を乗り出し、木の姿全体が何となく視界に入ったかと思ったところで〈倉庫〉への収納を試みた。
すると……今までそこに倒れていた大木が一瞬でフッと姿を消した。俺は自分でやった事に仰天してしまい、暫く言葉を失い……その場に立ち尽くす。
俺の意識を戻したのは、親父さんの「何だぁ!?」という……山中に響き渡るような驚愕する大音声だった。
俺の足元で、木を伐り終わってその場で座り込んで休んでいた2人の若者も「なぁっ!?」「ええっ!?」と驚きの声を上げている。
月野さんが俺の所にやって来て
「あ、あの……今のはあの……小河内さんの、『見えない場所』に入れた……んですよね……?」
大きな目をパチクリさせながら聞いてきた。
「え……?え、ええ……どうやらそのようですね……」
俺の返事は何故か他人事のようだった。いや、これは本当に俺がやったのか……?
「ユキオ様……あの……切り分けはしなくてもいいんですかい?」
親父さんが恐らくは20メートル離れた向こう側から呆然とした顔をしつつも大声で聞いて来た。なんか意外に落ち着いているな……。俺よりも落ち着いている気がするぞ。あの人……。
「あ、い、いや……すみません。ちょっと試しにやってみたら……このままでも入りましたね……」
「え……?えっと……じゃ、どうしやすか?切り分けはナシでいいんですかい?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!おいハボっ!今のまんま製材所に持ち込んでも大丈夫なのか?それとも切り分けはしないと拙いのか?おいっ!聞いてんのか?」
俺は振り向いて、地面に座ったまま……こちらは本当に呆然としているハボに聞いた。
「そ、そんな……き、木が……消えた……!……はい?」
どうやら聞こえてなかったらしい。
「今の木のまんま製材所に持ち込んでも大丈夫なのかって聞いたんだ?『全部付いたまんま』だけどいいのか?それともやっぱり枝を落として切り分けもした方がいいのか?」
「あっ……!すっ、すみません……!えっと……出来れば切ってもらった方が……と言うか……そのまんま持ち込むとか聞いた事が無いんで……」
ハボが狼狽えながらしどろもどろに答えてる横で、突然アデイルが大笑いし始めた。どうした?狂ったのか?
「はははっ!凄ぇっ!凄ぇよユキオ様っ!オラ、こんな凄ぇの初めて見たよっ!あっはっはっは!」
「そうか……。まぁ……滅多には見れないだろうな。喜んでもらえて何よりだ……」
若者2人の様子を見て、俺は却って正気に戻る事が出来た。なるほど……視界に全部……いや、反対側の死角部分は別として「全貌が掴める」程度のアバウトさなら〈倉庫〉にブチ込めるんだな……。「ライブラリ」とか「システムのヘルプ」に色々と条件が記載されていたので、もうちょっと厳密なのかと思ったんだが。
「親父さん、どうやら製材所の都合で『枝落とし』と『切り分け』はやった方がいいらしいです。すみません……ちょっとまた出しますんで、後ろに退がってもらえます?」
親父さんはこっちに歩いて来て、俺の横に立った。
「まぁ、そりゃそうでしょうなぁ。あんなのいきなり工場に持ち込んだらウォーレンの野郎も腰を抜かしちまいますぜ……」
「そ、そうですか……。まぁ……いつもは切り分けたものしか持ち込まれないでしょうしね……」
「ええ。そもそも切り分けないとゴンドラに乗りゃあせんですから。あんなもん取り回しも大変ですわ」
そりゃそうだろう。伐った木は必ずあの崖にあるエレベーターを使用して下に降ろす。なので親父さんが言う通り、30メートル級の原木はそもそも乗っからないのだ。
つまり恐らくはアンゴゴ入植地が開設されて以来……村に20メートル以上の木材が入って来た事は無いのだろう。この200年以上……いや、製材所が何年前から村で稼働を始めたのかは知らんが、最大20メートルの木材を加工する事を前提に機械も設置されているんだろうなぁ。
「じゃ……置き直しますよ」
そう言って俺は、〈倉庫〉の中に「ホダの木」と言うラベルが付けられた、原木を元の位置に合わせるかのように取り出した。
ドッッッズゥゥゥゥン!
先日、御前様屋敷のリビングで熊の死体を放り出した時よりも凄まじい地響き……先程、若者2人が伐り倒した時のようなバカでかい音を発てて、何も無い場所に枝葉が付いたままの原木が姿を現した。凄い迫力である……とか俺自身が思っているくらいだから、他の連中は言わずもがなだ。
「おいハボっ!アディっ!いつまで座ってやがるんだ!さっさと枝を落せっ!」
「えっ!?このまま放置して枝を枯らさないんですか?」
「いや、ユキオ様はこれを今日中に村に持って帰るんだ。だから全部枝を落とした上で切り分けも今からやるぞ!」
「こっ、これを持って帰る!?」
「お前は今見たばかりだろう?ユキオ様ならば持って帰れるんだ。いいからまずは枝を落とせっ!」
若者2人は立ち上がり……原木の先端側に付いている枝を、各々腰にぶら提げていた鉈で切り払い始めた。親父さんは再びロープを使って20メートルを測り始める。俺はそれを手伝って、根元側でロープを押さえてあげた。
親父さんはロープの端……20メートルのところに鉈で傷を付け、まだ枝を払っているアデイルの代わりに、彼がさっき使っていた普通の鋸で傷の辺りをコリコリと切り始めた。多分また、あの普通の鋸である程度切り込みを入れたら、バカノコを使って2人挽きをするんだろうな。
俺はすっかり暇になったので、今伐られたばかりの切り株に腰を下ろした。そして……事故が起きた。
いや……事故と言うか……。俺が腰を下ろした切り株は、まだ『伐りたて』だったせいか……ちょっと湿っていた。多分、切り口から樹液が溢れ出していたのだろう。俺は尻に湿り気を感じて、思わず「うわっ!」と小さく悲鳴を上げ、慌てて立ち……上がろうとした。
その時、咄嗟に切り口に右手を着きながら尻を浮かせる際に、手に触れていた「切り株」を〈倉庫〉に収容してしまったのだ!
まさか……切り株に触れていただけなんだが、多分……咄嗟に視線が視界の右端にある「■」アイコンに行ってしまったのか。そしてそのままアイコンを「押して」しまったのか……まさしくこれは「〈倉庫〉の暴発」である。
それにしても……切り株って……根っこが地面の中にあるんだから「視界に入ってない」はずだろうが!どう考えてもこんな巨大な樹木の根っこの部分なんて地中深く、そして広く張り巡らされているはずで、到底「全貌を捉えている」と見做されるわけないだろうに……。
切り株が消え、そして恐らくは一緒に根っこも〈倉庫〉に収容されて消失した為に、その場に直径3メートル程の大きな穴が空いた。そして俺はその穴に落ちた……と言うか嵌ってしまった。
最初に俺の異変に気付いたのは、「木を出しますんでちょっと離れていて下さい」とお願いしていたので、俺からちょっと離れて様子を見守っていた月野さんだった。彼女の悲鳴が聞こえる。
「小河内さんっ!ちょっと!大丈夫ですかっ!?なっ、何でっ!?どうしてこんなっ!?」
穴は思った以上に広く、そして深かった。柔らかくなった土に埋もれた俺は声を上げることも出来ないままに、ドッキリ番組で落とし穴に嵌ったお笑いタレントのように、地中に消えかけた。
〈集中〉!
俺は咄嗟に世界の動きを遅くした。素晴らしい。我ながら素晴らしい反射神経だったと思う。この状態から、埋もれかけた右脚を振り上げて、周囲の柔らかくなった土を踏みしめた。足がそのまま土にめり込むのも構わずに俺は左足を振り上げた。もう必死である。〈集中〉が切れる……。
〈集中〉!
俺はまたしても咄嗟に〈集中〉を継いだ。この現実時間での数秒間……俺は何もかもがゆっくりと流れる世界の中で、藻掻きに藻掻いた。手足を土の中でバタつかせながら、必死になって地上に這い上がろうとする。3度目の〈集中〉を継いだ次の瞬間、右足側に何か手応え……いや「足応え」があったので、それを踏み込んで身体を持ち上げた。多分……地中に埋まったまま消えた根っこが取り込んでいた大岩だったかもしれない。
「ぬぅうおりゃああああ!」
49歳のオッさんのどこにそんな底力があるのか。いわゆる「火事場のクソ力」だろう。大袈裟かもしれないが、死に抗う気持ちとアドレナリンが全開になっているであろう俺は、穴の中から飛び出し……3度目の〈集中〉が残り3秒になって、泥だらけの姿で月野さんの隣まで這って移動した。
―――世界は再び「元の早さ」で進み始める。
俺はもう……体力を使い果たして地面に寝転んだ。肺が痛い……。決して土が口から気管に入ったわけではないが……49歳の運動不足の肉体を、短時間で酷使し過ぎたのだ。これは……あのオオカミの群れを駆逐した時以来の体力切れだ。魔法を使い過ぎて精魂が尽きたのでは無い。単純にスタミナが尽きたのだ。
「小河内さんっ!」
月野さんは、一瞬……俺が嵌っていた穴に向かって叫び、そして次の瞬間……自分のすぐ隣で大の字になって地面に引っくり返っている俺を見付けて、飛び付いて来た。
「だっ、大丈夫ですか!?小河内さんっ!」
「だ……大丈夫です。大丈夫ですので……すみません……離れて下さい……」
もう声も碌すっぽ出ない俺が消え入りそうな声でお願いすると、月野さんはハッと身を離した。このパターン……懐かしいなぁ……。
直後に親父さんやハボも駆け寄って来た。後から追って来たアデイルは切り株があった穴の縁に立って驚愕の表情で覗き込んでいる。
「ゆ、ユキオ様……こ、これは……一体……」
「すみません……ちょっと手許が狂いまして……ちょっと休ませて下さい。さ、作業を……作業を続けてもらって結構なので……」
泥塗れの俺は……そこまで言って、再び大の字になって地面に横たわった。




