表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポチってみたら異世界情報システム  作者: うずめ
商人だらけの村
34/81

山神様のお力

 日は既に変わり7月26日。俺が意識を朦朧とさせながら木樵頭(やまがしら)の家に戻ると、もう朝の4時を回っていた。正しく「精魂尽きる」ような状態で、俺は大通りで村の中を縦断するのに30分以上掛かってしまったのだ。東の空は既に白んでおり、秋が段々と深まって来ているこの季節でも日の出に向かって朝が始まろうとしていた。


暁暗の大通りを通ってここまで辿り着くのに、何度か〈ナイトビジョン〉を掛け直し……尽き掛けていた精魂に更なる負担を掛けてしまったのかもしれない。木樵頭邸の前まで辿り着き、玄関扉を開けて中に入ったのだが……とても静かにコトを進める事など出来ず、大きな物音を発ててしまう。どうやらそれを聞いてマリが起き出して来た……。


マリは元々、あと1時間もしないうちに起床するつもりだったのだが、玄関から大きな物音がしたので……明け方の侵入者を撃退する為に(ホウキ)を手にしていた。そりゃそうだわな。マリは玄関先で蹲っている俺にランプの灯りを差し付けた。


「ゆっ、ユキオ様ですか!?どっ、どうなすったんです!?」


「ああ……マリさんすみません……。ちょっと疲れただけです。大丈夫です……。このまま部屋に戻って寝かせて貰います。多分……俺は朝食を食べませんので……アリサ様の分だけで……」


そこまで言って、俺は這うように階段を昇ると……2階の客間の扉の前に月野さんが立っていた。


「つ、月野さん……ただいま……戻りました。すみません……ちょっと魔法の練習をやり過ぎてしまって……」


 彼女は心配そうに俺の顔を覗き込み、肩を支えてくれた。申し訳ない……。


「小河内さん……無理をしないで下さい……小河内さんがこうなる度に私はもう……」


「す、すみません……。ちょっと精魂の尽きどころ(・・・・・)を見誤りました……」


「そうですか……気を付けて下さいね」


俺は漸くベッドに横になる事が出来……そのまま作業着を脱ぐ事もせずに眠り込んでしまった。


 * * * * *


 アラームの設定もせずにそのまま眠り込んでしまった俺が目覚めると、13:40になっていた。先日に引き続き実に9時間以上も爆睡してしまった事になる。どうもこの歳になって夜更かしをすると反動が凄いな……。俺はベッドで横になったまま……寝起きの脳味噌でそこまで考えが及ぶと、ベッドから撥ね起きて周囲を見回した。


部屋の反対側にある机の上に生地を広げ……その横には定規を持った月野さんが椅子に座っている。そして多分俺が急な動作で起き上がったので、彼女も驚いてこちらに目を向けたようだ。


「あ……すみません。何か凄い寝てしまっていたようで……」


「ふふふ……おはようございます。ぐっすりとお休みでしたよ」


彼女は笑っている。未明の醜態を思い出し……俺は恥ずかしさで俯いてしまう。恐らくは大いびき……そして歯軋りまで聞かれていただろう。だから他人と相部屋で寝るのは嫌なんだ……。


「いやぁ……昨夜はちょっと相性が落ちる『光魔法』を練習に織り交ぜてみたら……気が付くとあのザマでした。それでもあのような代償を払っただけあって、改めて色々と解った事もありますね」


「何か新しい事が解ったのですか……?」


「ええ。俺の『光魔法』への相性は『C』評価なんですが……C評価程度なら精魂への負担はそれ程大きなものにはならず、30回くらいは連続して使えました。俺は過去に2回も『精魂切れ』らしき消耗を受けてますが、あの時は相性が『E』評価の『火魔法』の使用1回で急激に力尽きました」


「そうなんですか……。『E』と『C』でそんなに差が……?」


「まぁ……そもそも俺はそんな『消耗具合』を測るつもりで『光魔法』を連続使用したわけじゃないのですが……」


「あ、そうなんですか?」


「いや、俺は今……『光魔法』は〈ヒール〉しか使えないんですが、光魔法の熟練度が上がれば新しく〈ライト〉が覚えられるんじゃないかなと。ほら……俺って結構活動が『夜型』なんで、自力で照明が用意出来れば便利かなぁって思ったんです……」


「あはは。そうなんですね」


「ですが……結局、熟練度は殆ど上がりませんでした。どうやら『相性』は『熟練度上昇』にも影響するようですね。『C』も中々悪くないと思うんですがね……これだけやって〈ライト〉は習得出来ませんでした」


「『C』って……10段階あって上から3番目ですよね?」


「そうですね。『光魔法』は〈ライト〉も魅力的なんですが、『合成魔法』にも興味があったんですよ」


「あ、あのお湯を沸かせる魔法ですね?」


「ええ……まぁ、お湯を沸かすだけじゃないんですがね。〈ヒート〉は。しかし結局、『光魔法』はあれだけやって2%しか上がらなかったので、合成魔法どころじゃなかったです」


俺は苦笑した。


「ただ、昨夜はメインで練習していた『闇魔法』と『水魔法』で合成魔法が生まれました。毒を注入する魔法なんですが……」


「え!?どっ、毒ですか!?」


「ええ……まぁ、使いどころが難しいですが……」


そう言いながら、俺は「ある事」に気付いた。


「あっ……そうか!あの〈ポイズンショット〉の説明で見た……『魔法による解毒』って。月野さんが先日覚えた〈キュアポイズン〉で相殺出来るんじゃ……」


「えっ?どうかしましたか?」


「いや、この毒魔法……どうやって練習しようと思ってたんですが、月野さんと共同でやれば効率良く熟練度上げが出来そうですね。お互い相性が『A』ですし」


「どういう事ですか?」


「ええ。つまり俺が〈ポイズンショット〉を使って毒を入れた生き物を月野さんが〈キュアポイズン〉で解毒するんです。これを繰り返せば……まぁ、お互い『光』と『闇』ですが熟練度をずっと上げ続けられますね」


「えっ!?そんな事が!?」


「まぁ……なんかズルしているような気もしますが、俺が思うにですね……恐らくこんな『魔法が使える者』が2人一緒に行動しているケースは世界的に見ても稀なんじゃないですかね」


「そうなんでしょうか?」


「ええ。しかも俺と月野さんの場合、俺がエルフの儀式の内容を上回るような性能を持つ〈鑑定〉が行える上に、『闇属性』と相性が良いのも幸いしているかもしれません。逆に俺から見て、こんな身近に『光属性』と抜群の相性を持つ人が居るのはかなりラッキーですね」


「そっ……そうでしょうか……」


月野さんは何故か顔を赤らめる。


「とにかく……。この〈ポイズンショット〉なんて、どう鍛えようか思ってましたが……思いがけずそれが解決しそうで良かったです」


「でも、今のお話を聞くと『練習台』が必要になるわけですよね……?」


「あ、ああ……そうですね。俺の〈ポイズンショット〉を受けて、月野さんの〈キュアポイズン〉を繰り返し食らってもらう人が必要ですね」


俺は笑い出したが、月野さんは不安そうな顔をしている。何と言うか……こういうところかな。俺が「闇」で彼女が「光」である……ちょっと納得してしまうな。彼女は「練習」とは言え「誰かに『毒』を打ち込む」という行為に対して素直に受け入れられないという考えがあるのだろう。


もちろん、俺だってそうだ。俺だっていくらなんでも無暗に俺達と何の関わり合いも無く、且つ何も危害を加えて来ない者に対して毒を打ち込むなんてしたくない。しかし俺はそれを「練習」として思い付き、実行しようと思っている。ここのところが……彼女と根本的に違っているんじゃないかと思っている。


「俺が思うに……多分これ、標的は『人間』である必要はありませんね。『生物』なら何でも良さそうなので、虫とか……ネズミとか。俺は虫が大嫌いなんですが、昨日『パベルの実』を拾っている時に結構見掛けました。他にもリスとか……イタチみたいなのも森には居ましたよ。そんな奴らでも『対象』には出来そうですね」


「そ、そうですか……」


 月野さんはまだ俺の話を聞いて引いたような様子なので、俺は話題を変えた。


「ま、まぁ……結局『光魔法』の熟練度はあまり上げる事が出来ずにこんな醜態をお見せしてしまったんですがね。今も言ったように『闇魔法』と『水魔法』でも合成魔法が出現したので、他にも色々と組み合わせはありそうですね。月野さんの場合ですと『光と風』が本命ですし『風と火』も当然狙えるでしょう。出来れば『光』と同じくらい『風』も鍛えるべきです」


 俺はベッドから出て部屋の隅に置かれた水差しの脇にあった木のコップを手にしてベッドに戻って腰を下ろした。


「あと……もう1つ覚えたのが……」


そう言ってコップの中を覗き込みながら、このコップの直径は5センチくらいかと見当を付ける。


半径2センチ!〈アイスドロップ〉!


コトン!


直径5センチくらいのコップの中に、直径4センチくらいある球形の氷が出現し、コップの底に落ちた。〈ウォーター〉で作り出す「精製水」と違って、出現した瞬間に重力の影響を受けるようだ。後はコップの大きさに合わせて半径3センチくらいで〈ウォーター〉の「保持時間」を1秒くらい設定して発動させれば……トプン!という音と共にコップの中が「氷水」で満たされた。


「おお!出来ました。飲んでみます?」


俺は月野さんにコップを差し出した。非常に精巧に作られた木のコップは2つあり、この部屋専用で置かれていたようなので……、我々は初日に側面に付いている木の節模様の違いで何となく自分がいつも使うコップを決めていたのだが、今回俺が氷水で満たしたのは月野さんがいつも使っていたコップであった。


 彼女は俺の差し出された自分のコップを受け取り……その中を覗き込んで驚いている。


「えっ!?これって……!もしかして氷ですか!?」


驚く彼女の後ろに置かれている水差し置き場から、俺は自分のコップも取り出し……同じく氷水を満たした。そしてそのまま口に運んでみる。……冷たい!これまで常温でしか飲めなかった〈ウォーター〉で作られた水が……恐らく〈アイスドロップ〉で作られる氷も精製水を使っているのだろう。しかも氷は占い師が使う水晶玉のように芯の部分まで透明で、自宅の冷蔵庫に付いていた製氷皿で作っていた……「中が白くなる」感じではない素晴らしい見た目だ。


「美味い!冷たくて美味いですよこれ!いやぁ……こっちの世界に来て初めて冷たい水を飲んだ気がしますねぇ」


俺の声を聞いた月野さんも、コップを傾けて口に水を含み……やはり驚いている。


「おっ、美味しいですねっ!」


彼女がここまで嬉しそうな顔をするのは、この家に来て初めて風呂に入った時以来じゃないだろうか……?


「俺は、こう言った冷却系の魔法は『水魔法』と『風魔法』辺りの合成で使えると思ってたんですが、水魔法だけで使えるようになりました。いや……『水と風』の組み合わせって、俺達2人とも苦手な組み合わせなんで……縁が薄いと思ってたんです」


俺は「水属性」が「A」だが「風属性」が「D」だし、月野さんは逆に「風属性」は「A」だけど水属性が「E」なのである。なので2人とも見事に「水と風」という組み合わせが苦手なのだ。


元々……月野さんが習得した〈ヒート〉が「光と火」という合成魔法だったので、逆に「温度を下げる」系の魔法も合成魔法だろうと予測していた俺にとって、氷を「水魔法」単体で作り出せたのはかなり意外だった。しかしこの先……ゲームとかに出て来た「吹雪を出す」とか……「強烈な水流の渦」的な魔法はやはり合成魔法なんじゃないかと……まだ思っている。


 氷水を美味しそうに飲む月野さんの顔を見ていたら、何故か風呂に入りたくなった。なので彼女にお願いして湯を沸かしてもらおうと、2人で下に降りる。階段を降りたところでマリと出会ったので、明け方の騒ぎについて改めて詫びた上で風呂を借りたいと申し出ると、あっさり許可が下りた。


俺達はそのまま風呂場に向かい、いつも通り俺が〈ウォーター〉で浴槽に水を満たしてから、月野さんの〈ヒート〉で湯を沸かしてもらった。俺の〈ウォーター〉の熟練度が順調に上がってきているので、一度の発動で最大40リットル近くは給水が出来る。〈ヒート〉による加熱時間を含めて3分もあれば浴槽一杯に適温の湯が沸かせるのだ。


俺は月野さんに礼を言って、風呂に入った。思えば風呂に入るのは2日ぶりだな。マルノ村では色々あって入れなかった……。まぁ、月野さんが居なかったので大変な思いをしながら薪を使って欲しくなかったせいもある。


 風呂から上がって新しい肌着に着替え、サッパリした気持ちで廊下に出ると、久しぶりに親父さん……この家の主である木樵頭のエドルスが帰宅したところに出くわした。


「おや……。親父さん。お帰りなさい。今帰って来たのですか?」


「ありゃ!ユキオ様。ええ。今帰って来ましたわ」


「そうですか。とりあえず風呂に入ったらどうです?今ちょうど沸かしたんですよ」


「おお!まさかこんな時間に風呂が沸いてるとは!ははは!ではそうさせてもらいますわ!」


 彼は左の腰にぶら提げていた大鉈を玄関脇の壁にあるフックに掛けてから、大きなブーツを脱ぎ捨て、サンダルに履き替えてからリビングに入り、マリに「今帰ったぞ!」と言ってから風呂に向かって行った。マリが台所から出て来て「あれ?」と言うような顔をしていたので、俺が笑いながら「親父さんは風呂に行きました」と伝えた。


「あ……ああ、そう言えばお風呂を沸かして頂いたんでしたね……」


「ええ。親父さんが今日帰って来る事は判っていたんですか?」


「そうですね。2日で帰るって聞いてましたから」


山開きは24日早朝だったので、確かに今日は26日。木樵頭である彼は植林地帯の巡回をした上で、山林の様子を見て現地で人員の割り振りだけをして帰って来たのだろうか。


 マリが帰宅した夫の為に、中途半端な時間だが昼食を作ると言い出し……俺にも作ってくれる事になった。時刻は14:30。うーん。確かに中途半端な時間だが、俺は朝飯すら食って無いのでこのままでは夕食まで何も食わない事になっていたから、ちょっとありがたかった。


俺は一旦部屋に戻り、月野さんに親父さんが帰宅したので今後の事も含めて下で話をして来ると告げて、風呂上りの肌着姿から、借りている作業着を着直して再び下に降りた。リビングの長机のベンチに座って待っていると、湯気をホカホカ上げながら肌着姿になった親父さんが首に拭き布を掛けた状態でやって来た。


「はぁ……いやはや。帰ってすぐに風呂に入れるとは思いませんでしたわい」


「ユキオ様と山神様がちょうど沸かして下さったのよ。はい、お疲れさま」


 俺の向かいに座った親父さんに、マリが恐らくはシウロの入った木のジョッキを持って来て机に置いた。俺はジョッキを持ち上げた親父さんを制止した。


「ああ、親父さん。もしかしたらこっち(・・・)の方が酒が美味くなるかもしれないですな。少しだけ飲んで量を減らしてもらえますか?」


「え……?どう言う事です?」


親父さんはそう言いながらも、俺の言った通りにジョッキの中のシウロを2口くらい飲んでジョッキを机に置いた。中身の量がちょうど3センチくらい減ったので、俺はそのジョッキ……直径10センチくらいある大きなそれ(・・)に半径4センチくらいで〈アイスドロップ〉を使って氷をトプンと入れてやった。


「なっ!何ですこれ!?」


「いや、何かそういう果実系の酒って冷やすと美味いとか聞いたんで……」


前の世界でもコンビニとかに行くと、果実系の酒は大概冷蔵庫で冷やされていたのを思い出したのだ。


「むおっ!?美味ぇ!これは……氷ですかい!?」


 親父さんは一口飲んで仰天しながら、ジョッキの中身を一気に空けた。


「母ちゃん!母ちゃんっ!もう一杯だっ!これにもう一杯くれっ!」


親父さんは台所に居るマリに大声で「おかわり」を要求する。面倒臭そうに台所から出て来たマリは


「何だい……?この後、村長さんのところへ行くんだろ?1杯だけにしておきなよ!」


と、親父さんの要求に対して難色を示しているが、親父さんはそんな事はお構いなしだ。


「いいから!頼むっ!これ(・・)にこのまんまもう1杯頼むっ!」


親父さんの差し出すジョッキを受け取ったマリは、ジョッキの中に何か入っているのに気付いて「あれ?」と覗き込む。


「何か入ってるわね……」


「氷だっ!ユキオ様が氷を入れて下すったんだ!」


「えっ!?氷?」


 俺はニヤニヤしながら、追加でもう1個……さっきと同じ大きさの氷を入れてやった。マリはカランという音と共にジョッキの中に突然丸い氷が出現したので驚いてジョッキを落としそうになる。


「ええっ!?」


「いいからっ!それに入れて来てくれっ!」


「あっ……う、うん……」


マリは驚いた顔のまま、台所に消えて行った。


「氷って……そんなに驚く事ですか?」


「そりゃそうでしょう!こんな(・・・)季節に氷だなんて!俺ァ見た事も無ぇですよ!」


「ああ、それでは氷自体は寒くなれば手に入るんですね?」


「手に入るって言うか……寒い朝に外に置いてある桶に水を張っておくと氷に変わっている事があるんで、それを割って使う程度ですよ」


「ほぅ……?では氷を『作る』って事はしてないんですね?」


「作るって……どうやって作るんですかい?」


「いや、何かそういう仕組みがあるのかと思ってましたが。まぁ、暑い季節は別として……冬にどっかの池とかで大量に切り出しておいて保管しておくとか……」


昔……まだ冷媒装置が発明される前は寒冷期に池の表面に張られた氷を切り出し、「氷室」と呼ばれる地下倉庫などに保管しておいて、夏の時期に将軍様に献上された……とか聞いた事があった。こっちの世界ではそういう貯蔵庫は存在しないのだろうか。


「そんな……保管出来る場所なんてあるんですかい?やっぱりそれは『魔法』で……?」


親父さんはすっかり前のめりになっている。そうこうしているうちにマリがシウロの「おかわり」を持って来た。


「おお!ありがてぇ!」


 親父さんは早速ジョッキに口を付けて、冷たくなったシウロを一気に飲み干し……「プハァッ!たまんねぇっ!」と大きく息を吐き出した。もう既に酒臭くなっている。


「いや……もう一杯欲しいところだが……この後村長の家に行くんで、ここまでにしときますわ……」


物凄く残念そうだ。「くぅぅ……」とかまで言っている。


「村長に何か報告とかあるんですか?」


「まぁ……そうですな。思ったよりも下草と枝が多かったので、今は総出で刈り出してます。7月中の伐り出しはちょっと難しい……そう報告しに行くつもりですわ」


「なるほど。今年は予定よりも急いで伐り出さないといけないんですよね?」


「ええ。その通りですわ。今の時点で5カ月近く遅れてますんで……例年の倍のペースで伐り出しをせんと、予定の本数は出せなくなりますなぁ」


「やはり予定本数は伐り出さないと……村全体が金不足になるんですか?」


「え、ええ……そうです。俺も詳しくは知らんですが、ミランドやアンテラから入れてもらっている物資は……今年の伐採出荷の分で前借りしてるんじゃないですか?」


「え……?でも伐り出した木材って、競り(セリ)に掛けて換金するんでしょう?」


「ええ。その前借りをする為に4月頃だったですかね……1度セリをやってるんですわ。現物は山が開いてから納めるって事で、モノが無い状態でセリを1度開いてるんです」


「ああ、なるほど……『先物』的な取り扱いで先に代金だけ貰ったわけですね」


「さきもの……?」


「ああ、つまり『伐り出した木を優先的に受け取れる権利』をセリに掛けた……と言う事でしょう?」


「ああ、そうです。その通りです」


「その……4月の時点でセリに掛けたのは今年の伐採分全部では無いんでしょう?」


「そうですな。前の()セリで出したのは180本だったですかね」


「180本……この前聞いた話ですと今年の計画伐採本数が550本でしたっけ……?ならば……3割ってところですか」


俺が大雑把に暗算した内容を確認するかのように親父さんは小さく頭を揺すりながら暫く頭の中で計算したらしく……


「そ、そうですな……3割ぐらいだと思います。ユキオ様は計算が早いですなぁ……」


と驚きながら笑った。


「それでは最初に伐り出す180本分は、もう売り手が決まっている……というか、物資の代金と引き換えになっているって事ですか?」


「ええ。そうなりますなぁ……。村の生活を維持する為とは言え……あの時はかなり安く買い叩かれました。特にミランドの奴らには足元を見られましてねぇ……」


 なるほどね……親父さんが、今現在村の中をウロついているアンテラ系の商人だけでなく、ミランド系の商人に対しても良い感情を持っていないのも頷ける。そして、そんな足元を見られる状況を許した若き村長に対しても一層不信感を抱いているのではないだろうか。


「これから村長のところに行って話し合うつもりですがね……あの若造は多分、『前借分を先に伐り出せ』って言って来るでしょうなぁ」


「なるほど。村長としては『外からの借り』を一刻も早く精算したいと?」


「まぁ、そんなとこでしょう。しかし、伐り出した木を全部そんな借金の返済に充ててたら、今この時の木樵達の収入が無くなる……奴らは暫く『タダ働き』をする事になっちまうんですよ」


ああ、そうか。確かに山に入れなかった時期の生活を維持する為に、商人達に買い叩かれても「先物売り」で凌いだのは仕方無いとしても、山開きとなった今の段階で木樵たちに現金収入が無いと、村民の生活が立ち行かなくなるのか。


「せめて3割……いや2割でいいから別セリに掛けてくれれば村人の暮らし向きも一息吐けるんですがね」


「ではさっさと180本伐り出してしまうしか無いって事ですか?」


「まぁ……そうなりますがね。しかし180本って言ったら……どんなに急いでも1月半……場合によっては2月は掛かるでしょうなぁ。これからどんどん寒くなります。そうなると身体もキツくなりますから」


「あぁ……そう言う事情があるんですね。俺も山の中を歩いて来ましたが……あれだけの大木を伐るのは大変そうですねぇ……」


「いや、ユキオ様。『伐る』のはそんなに大変じゃないんですわ。元々は枝打ちや間伐もキッチリしてますから。事故にさえ気を付けていれば伐り倒すのはそれ程じゃないんです。伐り出しで一番苦労するのは山からの『運び出し』なんですわ」


なるほど……確かにあの大木を山から運び出すのは大変そうだな。俺達が最初に通っていた獣道にもなっていない天然の坂道なんかじゃなくて、植林地帯に入った途端に人工の林道的なものが整備されていたが、そこから(ソリ)に載せて山道を下るって言っても、やっぱりあの大きさだ。重さもさることながら、あの木の長さだと取り回しだって大変だろう。


加えてあの最後の崖……。あそこにはエレベーターが設置されていた。エレベーターって言ったって手動だろう……?そんなもん使ってまずは180本を村まで持って来ないと前借分が解消されないとは……。これは俺が思っている以上に大変な事になってないか?


伐り倒すのは簡単……とまでは言わずとも、まぁ……要は斧だか鋸だかで伐るだけだからなぁ。運搬……そうか。まずはあの整備された林道……と言うか山道に出して橇に載せる事すら大変そうだ。


 俺はその場面を頭の中で想像した。過去にテレビだの動画だので木の伐採なんかの映像は見た事があったが、あの山の中の大木……「ホダの木」だの「テンビルの木」は、動画で見たスギやヒノキなんかよりも大きく見えた。あんなの……森の中で伐り倒してから山道まで引っ張り出すのに何人の人手が必要なんだよ……。


「うーん……山がまた開かれたと言っても、そう簡単に木を持って来れるわけじゃないんですな……」


 そう口にした俺は次の瞬間……何となく思い付いた。あれ……もしかして大木って言ってもあの大きさだったら俺の〈倉庫〉に入らんか……?


確かにあの大木……直径は1メートル強、高さは優に20メートルどころか30メートルくらいあったような記憶があるが……最初に飛ばされた場所の木ならまだしも、ハボ達と歩いたあの山道沿いから見た「手入れのされている木」は下の方の枝が落とされていたせいか、「木の天辺」まで容易に見通せていた。


であれば……倒されてから残った枝を払って丸裸にしてもらえさえすれば、俺の「視界」には十分に収まりそうな気はする。なるほど。そうか……俺ならば「伐採木の運搬」に対する手間を最小限に出来るかもしれない。


「親父さん、俺が山道をハボ達と下りながら見ていた木って……倒したら、あの高さ……いや長さのまま橇に積むんですか?」


「え……?」


「毎年計画的に植林して、決められた手入れを繰り返して来ているんですから、伐採する木なんて毎年同じような大きさになっているんでしょう?それをそのままの長さで橇に載せるのかな?って思ったんです」


「あ、ああ……。そう言う事ですかい。毎年伐り出すのは30メートルくらいまで育った木ですな」


「30メートル!やっぱりあの木ってそんなに高かったんだ……」


親父さんは俺が驚いているのが珍しいのか、ちょっと笑いながら教えてくれた。


「まぁ、ホダで30メートル、テンビルで25メートルくらいですかねぇ。でも伐ったのをそのまんま載せるわけじゃないんですわ」


「ほぅ?」


「本来ならば、倒してから1月くらいはその場で放置するんです。その間に葉を枯らしてから枝を切り落とすんですわ。だから例年ならば年が明けてから伐り倒しは始めますが、そこから1月寝かせて葉を枯らしてから『枝落とし』をして……後は『切り分け』をしますな」


「切り分け?」


「ええ。『ホダの30メートルもん(・・)』なんかをそのまま道まで引っ張り出すのは無理ですから。その場で分けるんですよ。まぁ、一番多い分け方は『20メートル』と『10メートル』ですかな。根本に近い20メートルと先から10メートルの木材ってのは用途が違ったりするんで、もう伐ったその場で分けてしまうんですわ」


「ああ、そういう事ですか。なるほどね……だったら……俺でもいけるかな……」


 俺はつい……後ろの方の言葉を独り言のように口にしてしまった。


「え……?どう言う事ですか?『いける』って言うのは?」


親父さんから突っ込まれたので、俺は独り言を聞かれた事に気付いて慌てた。


「ああ、いやいや!何でもないです!」


しかし待てよ……実を言えば、俺はちょっと木材を必要としている事情があった。それは……鞣した後の毛皮の処理である。


 鞣した毛皮をドラムから取り出した後に、毛皮を「伸ばしながら乾燥させる」という工程があるのだが……猟師小屋の外に、その為の「木枠」が何台か重ねて置かれており、当初の俺はオオカミの毛皮を伸ばすのに、その木枠を借りようと思っていたのだった。


しかし……実際に皮を剥いでみて判ったのだが、あのオオカミの毛皮は通常の……あの猟師小屋で扱っていた鹿やらイノシシに比べて格段に大きいのだ。魔物化していないオオカミや熊なんかも年に何度か……極めて少数だが仕留められているらしいのだが、オオカミや熊は仕留める際に暴れ回るのでどうしても毛皮に傷が多く入ってしまい、1頭分の毛皮が丸々使用出来る事は滅多に無いらしい。


なのでオオカミや熊の毛皮は通常、大きな傷に沿って分割して処理するらしいので、木枠自体はそれよりも捕獲機会の多い鹿やイノシシに合わせた大きさで作られていた。なので「クロスジオオカミ1頭モノ」の毛皮には少々サイズが足りないのである。


 しかも今鞣しているものの中には、全長で6メートル近く、幅も4メートルをちょっと超えるような「ギンエリグマ」の無傷な1頭モノまで混じっている。とてもじゃないが現状の設備では「伸ばし」が出来そうにもない。


そんな状況なので本来であれば熊はともかく、クロスジオオカミの分くらいは木枠を作り直したかったのだが……当然ながらそれを作る「素材」が無かった。なので俺は当初、既存の設備として外に置かれていた木枠をバラした上で木組みを継ぎ足して大型化させる事を考えたのだが、やはりそれだと継ぎ目で毛皮を引っ張り広げる強度が足りないと月野さんに指摘されて断念した。


そして仕方無く……同じ場所の地面に立てられている「伸ばし杭」を使って、杭に毛皮を引っ掛け……両端を引っ張ると言う「原始的なやり方」で何とか皮を伸ばそうと考えていた。これは相当に重労働であることが予想されたので、ハボか月野さんに手伝ってもらう事すら考えていたのである。俺の体力では恐らく……1日2枚が限界だろうし、「杭伸ばし」は1回では収まらず……ムラを均す為に何度か作業を繰り返す必要すらあるらしい。


なので時代が進んでからは、予め毛皮よりも2周りくらい面積の広い木枠を組んで、枠辺の何カ所かに紐を結わえ付け、その端を毛皮の端に開けた穴に通して全方向に毛皮を伸ばして固定する……というやり方に取って代わられた。皮革の処理は、この「枠引き」によって労力が大幅に軽減するだけでなく、全体をムラ無く均等に伸ばせるようになり、品質も上がったのである。


俺はこのような知識を月野さんから教わっていた。彼女が言うには……「あのサイズの大きな毛皮を人の手を使って杭で伸ばすのは現実的では無い」のだそうだ……。


そう言った事情もあって、実は今鞣している毛皮を(すす)いだ後の作業をどうしようかと悩んでいた。しかし……ここで切り倒した木材の運搬を俺が〈倉庫〉を使って一気にやってしまえば……親父さんに部屋を使わせて貰っている「借り」を返せるし、何よりも「木枠の材料」を少し分けて貰えるんじゃないか?


「ホダの木」ってのは建築材としては、この世界でもトップクラスの特性を持っているらしく、特にこの地で産出される「アンゴゴブランド」の木材はその大きさ、木の詰まり具合、身の色でも最高級とされている。まぁ……皮伸ばしの木枠なんかに使うにはとてつもなく勿体無い材木である事は確かなのだが……。


 俺は親父さんに思い切って提案してみる事にした。


「親父さん……ちょっと実際にやれるか(・・・・)は判んないですけど……その木の運搬、俺が引き受けましょうか?」


俺の申し出を聞いた親父さんは、俺の言っている言葉の意味が飲み込めていないようだ。


「ん?えっと……ユキオ様……。今何と……?」


「ですから、その大変な木の運搬を180本分俺が引き受けましょうかって言ったんですよ」


俺は自分でも「気が触れたんじゃないか?」と思ってしまい、ちょっと笑いながら説明し直す。いや、確かに俺の言ってる事は、普通の人だと理解の範疇を超えている。


「どっ、どういう事です?」


「親父さんも、マリさんも……俺が『何も無いところ』からオオカミの死体を取り出した事を憶えてますか?」


「あ、ああ……あの……アギナの家で……?」


「そうです。まぁ……あれを思い出してもらえば解るでしょうが、俺はそういう(・・・・)技を持ってます。仕組みを説明するのは非常に難しいんですがね」


「あの……オオカミを出したり引っ込めたり……」


「ええ。それと同じ事が『切り分けた木材』に対しても出来ると言ったら……?しかも180本一気にです」


 親父さんは、再度俺の言っている言葉を飲み込み……暫く頭の中で咀嚼し、その意味を理解した途端に驚愕の表情となった。


「なっ!なっ!な、な……何ですって!?あれ(・・)と同じ事が『木』でもやれるって事ですかい!?」


親父さんは驚いた拍子にベンチから引っくり返って床に転がり落ちてしまった。


「ちょっ!親父さん!大丈夫ですかっ!?」


俺は逆にビックリしてしまい、慌てて机の反対側に回り込み、ベンチの下の床で蹲っている親父さんの肩に手を掛けた。


「あっ!あ痛てててててっ!」


どうやら身体を捻りながら転がり落ちてしまった御年(おんとし)60歳の木樵頭は腰なのか肩なのかは判らんが身体を痛めてしまったようだ。マジかよ……。


「ちょっ……!どこが痛いんですか?立てますか?」


 親父さんの悲鳴と、俺の大声を聞いて台所に居たマリが出て来た。


「アンタ!何やってんの!?どうしたの!?」


「いや、すみません。俺と話をしてて、俺がちょっと変な事を言っちゃったせいで、親父さんが驚いて引っくり返ってしまいまして……」


「そっ、そうなんですか?」


「いてててててっ!」


「ちょっと、親父さん!このまま動かないで!今、アリサ様を呼んで来ますから!このままですよっ!」


「えっ!山神様をっ!?やっ、山神様はこんな怪我まで治せるんですか!?」


俺の言葉を聞いたマリが驚いた。


「ええ。なので親父さんをこのままにしておいてもらえますか?動かさないようにして下さい」


 俺はそのまま立ち上がって、リビングを飛び出して階段を駆け上がり……客間の扉を開けた。山神様は、相変わらず机に布生地を広げ……何か定規を当てて蝋石で線を引いていた。扉に背を向けていた山神様は……俺が急き込んだ様子で部屋の扉を開けた事に驚いたのか、何事かと定規を持ったまま振り返った。


「ど、どうかしました?」


「す、すみません。ちょっと下で『事故』が発生しまして……」


「えっ!?事故?……なんかちょっと大きな声が聞こえたような気がしましたけど……」


「親父さんがベンチから変な体勢で転がり落ちてしまいまして……身体を痛めたようなんです」


「まあ……!オジ様がですか?」


「ええ……なのでちょっと月野さんに治してもらえないかと……。俺の腰を治してくれたように……」


「あ、ああ。そう言う事ですか。分かりました!」


 月野さんは机に定規を置いて立ち上がり、俺と一緒に1階に降りて来てくれた。


「親父さん、アリサ様が来ましたので……ベンチの上で横になれます?」


そのまま床に寝かせて治療すべきかと思ったが、流石にそれはちょっと拙いと思い……3人で木樵頭の巨体をなんとかベンチまで持ち上げてうつ伏せに寝かす事が出来た。


言葉が通じない月野さんに代わり、俺が親父さんに色々と尋ねる。


「親父さん、どの辺りが痛いですか?この辺ですかね?」


などと尋ねながら……主に背中と腰を中心に身体を掌で押す。暫くそれを続けていると、背中の真ん中……肩甲骨のちょっと下当たりで「うっ!そっ、そこですっ!そこがっ!」と親父さんが呻いた。更には床に落ちた時に右肩を強く打ち付けてしまったようで、右腕も動かせないと言う。


「月野さん、この辺らしいです。多分身体を捻らせた状態で引っくり返ったので……筋でも痛めたのかもしれませんね……」


「なるほど。解りました……。えっと……着ているものは脱いでもらった方がいいですかね?」


「ああ、そうでしたね……了解です」


 俺は親父さんの服を脱がせる事にした。不幸中の幸いと言うか……親父さんは風呂上りだったので上半身は肌着姿だった。なので脱がす事にはそれ程苦労する事はなかったが、うつ伏せの状態で右肩もやってしまっているので肌着を脱がせる際に親父さんは「うっ……!ううっ!」と何度も呻いた。マリはその様子を心配そうに見守っている。


「この人……去年、クシャミをして肋骨を折った事があって……」


「はぁ!?クシャミで折れた……?」


「ええ。もう歳ですから……」


「マリっ!よっ、余計な事を……!うっ!痛てぇ!」


ああ……でも何か……聞いた事があるな。ちょっと歳を取ってくると思わぬ事で骨が折れたりするって……。しかしクシャミで肋骨が折れるって……怖すぎるだろ……。


俺は一瞬、他人事じゃないと思って途轍もない恐怖に襲われたが……暫くすると笑い出しそうになり、それを必死に堪えた。確かにマリの話は、この場で他人に伝えるべき内容では無い。本人にとっては恥を晒す事になるだけだ。


「まぁ……親父さん。ちょっと大人しくしていて下さい。今からアリサ様に治してもらいますから」


「うっ……!はっ……はいっ!お、お願いします……」


 俺は月野さんの方に振り向いて「お願いします」と言って場所を入れ替わった。彼女はそのまま無言で頷き、親父さんの横にしゃがみ込んで、俺の教えた患部の辺りに両手を当てた。


暫くすると、彼女が両手を添えている辺りで、傷があるわけでもないのに光が広がり、マリだけでなく俺も驚いた。俺自身は昨日この〈セラフィ〉の魔法で腰を治して貰ったのだが、その時は親父さん同様にうつ伏せで寝ていたので、この発光現象を見ていなかったのである。


光は3秒程発してから静かに彼女の両手の中に消えたように見えた。それと同時に、親父さんの表情が変わる。


「あ……あれ……?背中の痛み……あいててててっ!」


どうやら背中の痛みが消えたので、不意に起き上がろうとした為に……今度は右肩から激痛を感じたようだ。意外にドジだな……。


「肩もやっているんでしょう?無理に動いちゃダメですって!」


俺はついに笑い出してしまい……「ほらほら。動かないで……ここですよね?」などと言いながら親父さんの右肩に手を乗せると、親父さんは激痛が走ったのか「うぎゃああああ!」と喚いた。よく見ると……右肩の外側の形がおかしいし、内出血をしているような色で腫れ上がっている。これって……肩を骨折しているんじゃないか?


「月野さん……これ……折れてませんか?ほら……左肩と、この辺りの形が違ってませんかね……?」


俺が指先で、患部に触れないように指し示すと、月野さんもちょっと息を飲むような様子になった。


「折れてそうですね……ここ……内出血してますし。治るんでしょうか……?」


「いやいや。術者が不安になっちゃいけませんよ。そこは自信を持ってお願いします」


 俺達2人が理解不能な言語でボソボソと右肩を指差しながら相談している様子を見たマリが一層不安になったようだ。


「だっ、大丈夫でしょうか……?この人……肩の骨が……」


「ええ。折れているみたいですね。とりあえずアリサ様にお任せしましょう」


俺は努めて……何事も無いかのような落ち着いた態度でマリに説明した。俺達が下手にオロオロしたら患者に無駄な不安を与えるだけだ。先日の無法な冒険者達ならばともかく……今日まで世話になりっぱなしの、この善良な老夫婦を無暗に不安がらせるのは不本意である。


「じゃ、すみませんが……お願いします。落ち着いて……」


俺は月野さんに声を掛けて場所を空けた。彼女は右に位置を変えて再びしゃがみ込み……親父さんの、骨折しているであろう右肩の内出血を起こしている辺りを包むかのように両掌を添えた。親父さんが激痛に耐えているのか、歯を食いしばって声を嚙み殺しているような呻き声を上げた。俺なら痛みで気絶しちゃうかもしれんな……。流石は山の男だ。


 月野さんが再び口元で何かブツブツと呟くと、患部を覆っている彼女の両手の辺りから光が溢れ出した。それと同時に親父さんの口から「あぁぁぁ……」と変な声が漏れ、俺は思わず噴き出してしまった。


今度の光は収束するまでに5秒程を要したか。治療を試みた部分が広かったのか、それとも怪我の程度(レベル)が酷くて難易度が高かったのか……いずれにしろ、先程の背中よりも少し時間が掛かったようだ。


光が収束し、月野さんが手を離して立ち上がったので……俺は親父さんに様子を聞いてみた。


「どうですか……?痛みは取れましたか?」


 親父さんは暫くそのままうつ伏せにベンチで横になっていたが、やがて「信じられん」というような顔で起き上がった。そして表情通りの言葉を発した。


「何と……い、痛みが……全く……し、信じられない……」


さっきまで激痛と闘っていたせいか、すっかりと放心したような顔になっている。それでも骨折していたと思われる右肩を、左手で押さえながらグルグルと回している。


「奇跡だ……。こんな事が……ああ……おおおおお!」


 突然大声を発したので、月野さんがビクっとした。いやいや。山神様を驚かせるなよ……。親父さんは我に帰ったのか、上半身裸のままで月野さんの方に振り返り……


「やっ、山神様っ!あ、ありがとうございますっ!この通りですっ!」


と、彼女に向かって拝むような素振りを見せた。いや……だから急に身体を捻っちゃダメでしょ……。また痛めますよ……。


「親父さんが礼を言ってますよ……。まぁ見りゃ判りますね……」


俺は苦笑しながら、山神様に患者からの感謝の意を伝えた。その横ではなんと妻のマリまで一緒になって拝んでいる。しかし俺は、ベンチで座りながら拝む老人の脇腹の様子が気になった。


「あのこれ……。さっき話していたクシャミで折れた箇所ですか?ほら……なんかここの骨だけ出っ張ってません?」


思わず笑いながら、親父さんの左脇腹を指差した。するとマリも笑い出す。


「そうそう。そうですよ!この人……ここを折っちまったみたいでね……。そのまま放っておいたから変なくっ付き方をしちゃったんですかねぇ……」


「うっ、うるさいわっ!その話はするなって言っただろう!」


親父さんは山神様への感謝の態度から一変して、妻を一喝した。俺は月野さんに小声で今の会話内容を訳した。


「俺が今、指差した場所……ほら。あそこがちょっと(いびつ)と言うか……膨らんでるでしょ?どうやら去年、クシャミをして肋骨を折ったらしいんですよ……」


「えっ!?」


山神様も流石にこんな嘘のような話を聞いて驚いているらしい。


「あれって……骨折した(あと)なんですか!?」


「ええ。マリさんの話ではそうらしいですね。親父さんも、あの怒り様ですからホントの話なのでしょう。どうします?確か……〈セラフィ〉は過去の自然治癒してしまった患部も元通りに治せるんじゃなかったでしたっけ?」


「あっ……そう言えば小河内さんはそう説明してくれましたね」


「俺も昨夜……ぶっ倒れるまで〈ヒール〉を使ったんですが、全部『傷痕』に対してでした。なので〈セラフィ〉も同じように怪我の痕もキレイに戻せるかもしれませんね」


「なるほど……試してみましょうか?」


「分かりました。親父さんに伝えてみましょう」


 俺と月野さんが、また日本語で話し始め……しかもクシャミでの骨折痕を指差したりしてたので、親父さんはまたぞろ不安になり始めたらしい。落ち着かなさそうな顔でこちらを見上げていた。


「親父さん。アリサ様が……その骨折痕も治しましょうかと聞いていますが……どうします?」


「えっ!?これも治せるんですかい?」


「ええまぁ……試して下さるようですね。もし良ければ……今度は『仰向け』で横になって下さい」


「は、はい……では……」


親父さんは神妙な顔でベンチに仰向けで横たわった。俺は月野さんに親父さんの意志を伝えると、一つ頷いてからまたしゃがみ込んだ。今度も患部は外から見ても判るような状態なので、彼女は迷いなくちょっと変形している親父さんの老人とは思えない筋骨隆々の……いや、そのせいで余計に目立つ左脇腹の患部に……両手を添えて口元でブツブツと呟いた。


またしても両手から光が溢れる……つまりは患部に反応していると言う事だろう。やはり過去に「変な()ぎ方」をしてしまった骨折痕にもこの〈セラフィ〉は有効なのか。


光が収まり、彼女が手を放すと……少し出っ張っていた接ぎ損ないの肋骨は……その痕が全く判らないくらいに元通りになっていた。これには流石に老夫婦だけでなく、俺も驚く。


「す、凄い……流石は山神様……」


 そこまで言ってマリが絶句している。そして……よもや月野さんが俺に対して驚くべき要望を述べた。


「どうせですから、もうちょっと練習したいですね。この方々……他にどこか痛めてませんかねぇ」


俺は驚いた顔のまま、彼女の方に振り向いた。


「えっ!?この人達を練習台に?」


「ええ……どこか痛めているなら、今のうちに全部治してしまった方が……」


「そ、そうですか。ちょっと聞いてみますね……」


俺はまだ呆然としている老夫婦に対して……


「えっと……山神様が、他に痛い場所は無いかと。マリさんもどこか痛い場所があったら治すと言ってまして……」


「ええっ!?」


やはり一斉に驚き直す夫婦の顔を見て、俺はもう笑うしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです 応援してます [一言] お風呂は昨日も入ってましたよ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ