そりゃ受け取りますよ
この画面が表示される不思議な「システム」を俺に託したと言う……宇宙人?のセラニカ氏が遺したと思われるメッセージを読み終え、その内容に対して一通りの考察を加えた俺は「まだ何か読み残しがあるのではないか」という不安に駆られながらも、それを振り切るかのように【戻る】ボタンを押した。
「押した」と言っても視線を合わせて、ほんの1、2秒程度……ピントを合わせるかのように見つめるだけである。いや、実際はそれすらも必要無いかもしれない。このボタン操作、どうやら視線云々以前にもっと直感的に操作が出来ている気がする。上手く表現出来ないが、「ポチっと押してる」と言うイメージを脳内で意識するだけで押せているような気がするのだ。
メッセージを読む前の画面には、「メッセージがある」旨の通知(と【閲覧】ボタン)だけが表示されていたが、【戻る】ボタンを押して「戻った」とされる画面には別の表示になっていた。それは多分……今の俺にとってかなり重要な選択となる文章と、2つのボタンであった。
「***テナースに関する知識と情報を受け取りますか?***」
このような一文の下にボタンが並んでいた。シンプルに【受け取る】と【受け取らない】の2つだ。
これがセラニカ氏からのメッセージに記されていた「選択肢」なのだろう。ここで【受け取る】を押せば、彼が1000年かけて収集したとされるこの世界の知識と情報を得る事が出来、【受け取らない】を選べば「この異世界転送」そのものを辞退して元の世界に戻される。
元の世界に戻った場合、待ち受けているのは「死」……のようだ。確かにあの時……大きな音と共にエレベーターの籠が大きく揺さぶられた。照明が消え、暗闇となった次の瞬間に扉の隙間から溢れて来たあの光。楽観的に見るならば、あれはこの「異世界転送」を原因とするもの……とも考えられるが、実際は違うだろう。
あの光は……「死をもたらす光」なのでは無いだろうか。その寸前に俺はけたたましい音を発するスマホの画面を見た。あの通知の内容が本当の事であるならば……あの光は俺の生命を奪うものなんだろうな……。
【受け取らない】を押す……それは俺にとって「死」を意味すると思うと背筋が凍る程怖くなる。
俺は慎重に画面全体を視野に入れ、改めて文の下に横に並んでいる2つのボタン……【受け取る】と【受け取らない】に注意を集め、思い切って【受け取る】ボタンを「カチッ」と押すイメージを頭の中に描いた。
すると……今の画面に対して更に重なるような形で小さな画面が中央にポップアップされた。
「本当に受け取りますか?」という文と下に表示される【受け取る】と【戻る】のボタン。良かった……ちゃんと確認画面が用意されているのか……。誤って【受け取らない】を選んでしまっても一応は、もう一度戻せる機会が与えられていた……。俺は軽く息を吐き出して【受け取る】ボタンを「押した」。これで恐らくは【受け取らない】……つまり「元の世界に戻されて次の瞬間の死を迎える」という選択を排除出来た……はずだ。
確認画面の【受け取る】を押した瞬間に、一瞬何やらその場の雰囲気に変化を感じた。耳元で「スゥン」というような音を聞いた気がする。さっきの選択肢が表示されたポップアップ画面を上書きするかのように、同じサイズの枠線の中が新たな文字列に置き換わった。
「シェルを起動・・・」3秒程で文字が切り替わる。「マスターを変更・・・」「小河内行雄を確認・・・」何やらこの「システム」が目まぐるしく動作しつつ、体感で10秒程の間に次々と表示が切り替わった末に
「***小河内行雄を新たなマスターとして登録完了しました***」
とポップアップが消えて「メイン画面」的な部分に動作結果が表示された。どうやらその内容からして、間違いなく「俺」がマスター(?)として認識され、登録もされたようだ。この時、俺はこの「システム」が正式にセラニカ氏から俺への譲渡が完了したのだなと理解した。全く……不思議な感覚である。
しかし、登録完了の一文の下に一緒に出現した【次へ】というボタンを「押した」次の瞬間、またしてもポップアップ表示がメイン画面の上に出現し、そこには再び理解に苦しむ一文が表示されていた。
そこには「次元術を開放し、次元倉庫を利用しますか?」という一文と、これまでと同じように【利用する】【利用しない】という2つのボタン。新たな選択肢だ。「次元術」だの「次元倉庫」とは何だろう……?俺は再び選択を保留して考え込んだ。
【利用する】という選択肢が存在している時点で、これを「利用する」選択をすると文字通り「次元倉庫」が利用出来るのだろう。名前からして何かの「施設」ではないかと推測出来る。
単純に倉庫なら……「物体」という言い方は何か大袈裟な気がするのだが、まぁそういう事だろう。物体を保管する場所。
規模はまちまちで、個人宅レベルだと庭やベランダに置かれた主にトタンで作られた組立式の「物置き」が想像出来る。「100人乗っても大丈夫!」というテレビCMでお馴染みのアレだ。
その他にも、一定以上の店舗なら店舗裏には単なる在庫商品の保管場所や冷凍冷蔵機能を備えた倉庫だってあるし、港湾地域や運河沿いには高さ30メートルを超えるような超大型倉庫が建ち並んでいる。
規模の大小は別として、「倉庫」と言えば上記のような「保管場所」をイメージするが、それの頭に「次元」という単語が付くと、ちょっと想像するのが難しくなる。そもそも俺が「前の世界」で暮らしていた頃は、日常生活において「次元」という単語は滅多に使わなかったし、耳にする機会も少なかった。
某有名「怪盗活劇アニメ」に出て来る主人公の相棒で射撃を得意としたキャラクターの名前か……せいぜい、「女の子は三次元よりも二次元だよなっ!」と興奮気味に特定のネット掲示板で意見が交わされたりするのを見て「あぁ……二次元の方がお手軽ではあるなぁ」などと同意しかけたりしたくらいだな。
しかし今回の「次元」はそんな銃使いや女の子云々の話では無い。「倉庫」の話である。そんな風に漠然と考え込んでいた俺は、突然ある考えが浮かんだ。今の「怪盗活劇アニメ」と同様に、日本人であれば一定以上の知名度を持つ「あのアニメ」に出て来る獣型ロボットの存在だ。
あぁ……〇次元ポケット……。そうか。次元倉庫……。なるほどな。
俺が思うに、このシステムは……その作成者?であるセラニカ氏の「配慮」によって、その表記が「俺の元居た世界で俺が最も慣れ親しんだ文字」に直されていると思われる。さっきまで読んでいた彼からのメッセージ文は、一部が何やら伏字っぽくなっていたが全体的には普通に意味を理解出来たし、それ以外のインターフェイス部分の文字列も俺がちゃんと理解出来るように表記されている。
現に今、俺が選択を保留している「次元倉庫を利用しますか?」という文にしたって、「次元倉庫」という単語以外の部分は理解出来ている。「次元倉庫」はそんな配慮の下で……俺にもその「字面」で何となく直感的に想像理解がしやすいように表記されているのではないだろうか。つまり俺にとって「次元倉庫」という名称は、国民的アニメに出て来る「〇次元ポケット」を想起出来るものなのだ。
子供の頃……。俺はテレビ放送をそれ程自由に鑑賞出来るような境遇では無かったが、「あのアニメ」はそんな少ない機会でも何度か観た記憶があったし、マンガも読んだ。あの頃、「〇次元ポケット」は夢のようなアイテムであり、「そんな都合の良いものがあるわけないか」と実在を否定していたものでもあった。
そして俺は今、これが夢だか現実だか判らなくなっているような状況で、それを想起させるような施設(?)の利用希望を問われている。
「そんなの……使うに決まってるだろ……」
俺は思わず小さく声に出して呟きながら【利用する】ボタンを「押した」。
すると……「次元倉庫をインストール中・・・」と言う表記に変わり、暫くするとポップアップ画面は消え、メイン画面に「***次元倉庫のインストールが完了しました***」と表示された。それと同時に、先程から俺の視界全体の左半分を透過状態ながら占拠していた「画面」の他に変化が起きた事に気付いた。
(うん……アイコン……?)
これまで、この「画面」の表示は……そのきっかけになった「◀」を始めとして、そのメイン画面も全て「視界の左半分」に収まっていた。
ちなみに、「◀」は相変わらず「画面」の右枠線の更に外側……右側中央の辺りにチラチラと明滅して表示されており、試しに「◀」を「押して」みると画面は左側に片付いて、俺が最初に「この世界」で目覚めた時のようにスッキリとした視界に戻る。
この「◀」は、抽斗の取っ手のようなものなのだろう。「画面」を常に表示させておくと、例えそれが透過状態だったとしても俺の視界を塞いでしまう。「画面」が必要な時だけ引っ張り出せて、通常は視界外に仕舞われてくれるのは非常にありがたい。
そして……そんな視界の中の明らかな変化に気付いた。これまで一連の「画面」が占めていた左側ではなく、右上の隅の辺りに何やら小さな四角っぽいアイコンと言うか、マークが見えるようになった。形状と大きさで言えば先程の「◀」……「画面」を左視界外から引っ張り出す「取っ手」のような役割をしている、あの明滅する「◀」に類するような外見である。この「■」のアイコンは何なのか……?
俺は「■」に注意を引かれつつも、再びメイン「画面」に目を戻した。次元倉庫のインストールが完了した旨のメッセージの、その下に出現していた【次へ】のボタンを押す。すると何やら「画面」の中の様子がこれまでとは一気に違う雰囲気になった。
「***メインメニュー***」と、これまたシンプルに書かれた画面タイトルと思しき表記の下に【1】から【5】までのメニュー項目(?)が上下箇条書きで並んでいる。順に上から
【1】ライブラリ検索
【2】地図
【3】魔法
【4】次元術
【5】ヘルプ
という内容だ。項目左側の番号に視線を合わせるとハイライトするので、この部分はやはりボタンになっているのだろう。
この中で俺の目に付いたのは5番の「ヘルプ」だ。何しろ、漸く辿り着いたメインメニューだが……見慣れない項目が多い。俺はまず、この「システム」の取っ掛かりを掴む為に迷わず【5】のボタンを押した。「ボタンを押す」動作もすっかり慣れたようだ。
「ヘルプ」項目を選ぶと、メニューが消えて「画面」が切り替わった。新たに表示されたのは、この「システム」について様々な説明や注意点が無機質な文章で書かれている。そしてこのヘルプ画面にはメインメニューの項目についても説明が記されていた。やはりこの項目を真っ先に読んでおいて正解だったように思える。
俺自身も、つい数時間前まで「説明書」を作っていた人間だ。家電を購入した際にも製品に触る前に、必ず先に取扱説明書を読む。まぁ、実際は「同業者の仕事を確認する」という目的もあったのだが……。
メインメニューに対するヘルプ項目を一通り目を通した後、俺の目に留ったのは「次元倉庫」についての説明だ。さっきはその概要が判らないままに「利用する」としてしまったが、その結果として視界の右上に「■」のアイコンらしきものが現れただけで、その具体的な機能や使い方すら不明のままにメインメニューに進んでしまった。
メニューの中にも「魔法」やら「次元術」やら非常に気になるワードが含まれているのだが、どうやら「次元術」に含まれる「次元倉庫」は、他の「次元術」とは別に視界の中にある専用のアイコンがあるだけに……今後の俺にとって使用頻度も高くなる便利機能なのかもしれない。
「次元倉庫は別の次元に物体を転送させる事により、安全且つ安定した状態で保管する事が出来ます」
という丁寧な概要説明で始まり、具体的な使用方法も解説されていた。一通り読み終えた感想は……
「こんなん……便利過ぎないか?何のリスクも無いのか……?」
余りにも現実離れした機能の説明に、却ってその使用上のリスクを心配した。使う度に寿命が縮むとか……そういう何かしらの代償を払わないといけないんじゃないか……?
しかし、そう言った「負」の条件や代償のような記述は全く無く……これ程の機能をノーリスクで、しかも回数や使用間隔的に制限が加えられないのかと、読めば読む程逆に不安になるような内容だ。
怖くなった俺は、「画面」を仕舞って……先程の「使用解説」に従って、試しにこの「次元倉庫」を利用してみる事にした。まずは可能な限り最小限の対象物で試す事にしよう。
辺りを見回すと、ここは生憎と山中の森の外れである。足元に広がるのは細かい草や小石程度しか見当たらない。俺は仕方なく直径3センチ程の小石を拾って右の掌に乗せた。
その状態で視界の中の右上に残っている四角いアイコンに視線を合わせて押してみる。すると……視界に映る目の前の風景の明るさが少し落ちて全体的に薄暗い印象を受けるようになった。
(何か……変な感じだな……)
そう思いながら掌の上を見つめると、先程拾った小石が「明るい緑色」……つまりあの「システム画面」を構成している枠線や文字と同様の緑色でハイライトしているではないか。
緑色の光で照らされているかのようにハイライトしている小石に視点を合わせると突然視界の中にいつもの大きさのポップアップ画面が出現した。
「次元倉庫に転送しますか?」
という表記と、文字列の下に並ぶ【転送する】と【戻る】という2つのボタン。試しに【転送する】を押してみる。すると掌の上にあった小石がフッと消えた。
(うおっ!消えた……。本当に倉庫に入ったのか?)
俺は半信半疑で「メイン画面」を引っ張り出し、メインメニューから「【4】次元術」を選ぶ。次に現れた画面には再び箇条書き表示で「次元術」らしき項目が幾つか並んでおり、俺はその中からヘルプに書かれていた説明に従って最上段にある「次元倉庫」という項目名称の右端にある【見る】を押す。
再び画面が切り替わる……が、画面に表示されているのは1行の文字列だけ。その内容は「小石」という表記と、少し離れて「1」という数字、その右隣に【取り出し】と書かれたボタンが置かれていた。これはどうやら「小石」の数量が「1」と事言うで、現在の「次元倉庫」には先程俺の掌の上から転送した「小石」が1個だけ入った状態なのだろう。
つまり「次元倉庫」とは異次元だか別次元だかに確保されている「見えない倉庫」の事で、マスターである俺が触れているものを「転送」する事で自由に出し入れ出来る……というものらしい。倉庫に入れる時は、まずその対象物に俺が身体の一部を接触させている必要がある。そしてヘルプにあった説明書きによると、倉庫に転送可能なものにはいくつかの条件がある。
1.俺の身体の一部が触れていなければならない。例えば対象物が物凄く熱くて触れない場合は、条件を満たせないので転送不可となる。
2.対象物の全体像が俺の視野に納まっていないといけない。つまり……俺自身がそれに触れながら、全体像の大きさが視界の中で把握出来ない程巨大な物体は転送不可となる。
3.対象物が地面を含む大きな物体に接着されている物体は転送不可となる。
4.対象物が生物である場合は転送不可となる。
5.物体全体が移動エネルギーを持っている場合は転送不可となる。例えば風に靡いている植物類でも、自分の手で一部分を固定出来ていれば転送可能となる。
このようなルールが定義されているようだ。上記のルールに抵触して「転送不可」となっているものは、どうやらアイコンを押して「転送対象選択」視点になった際に、俺の身体が接触していてもハイライトしない……つまり転送出来ない状態になる。逆にハイライトしなかった場合は上記のルールの中から転送不可の理由を探せばいいのだろう。
但し、ルールによって体積に制限が掛かるようだが……重量や数量についてはヘルプにも制限らしい事項は記載されていなかった。つまり……上記の条件に合致していれさえすれば無制限に「ものが詰め込める」という事になる。
試しに【取り出し】を押してみると、入れた時とは逆にその物体(今回は小石)の実物大シルエットが目の前に出現し、それを任意の場所に置いて視線でクリック動作をすると小石がその位置に出現した。何度か入れたり出したりしながら練習した結果、「空中」に出現させると当然ながら地面に落下する。衝撃に弱い物体を取り出す際にはこの点に注意しなければならないだろう。
俺はひとまず「次元倉庫」の使い方を一通りマスターしたようなのでメインメニューに戻ろうとしたのだが、そこで開かれたままの「次元術」というページの内容を改めて眺めた。
その「次元術」は、ヘルプの説明によれば俺にこの「システム」を譲渡してくれたセラニカ氏が、「同胞からの救援を待つ1000年」の間に、この世界を観察する目的で編み出した……別項にある「魔術」とは違う「技能」のようなものらしい。
この項に表記されているのは、一番上の〈倉庫〉と書かれていて、多分これが「次元倉庫」の事だろう。そしてその下にもう一つ……技能が表示されている。
〈倉庫〉 【使用】
〈集中〉 【習得】
という具合で、〈倉庫〉の右側に【使用】と言うボタン、〈集中〉の右側には【習得】と言うボタンが置かれている。〈倉庫〉はもちろん「次元倉庫」の事であり、その右側の【使用】ボタンは、先程も試した次元倉庫を使用する為のボタンだと思われる。
とりあえず「次元術」と言うのは、この2つだけなのだろうか?
俺は〈集中〉表記の右側にある【習得】ボタンを押してみた。すると【習得】ボタンは【使用】と言うボタンに変わった。これはつまり……〈集中〉の「習得」に成功したから「使用」出来るようになったという事だろうか……?
試しに〈集中〉の【使用】ボタンを押してみた。途端に周囲の雰囲気に何か変化を感じる。何か「スッ」というような耳鳴りにも似た音が僅かに聞こえ、明らかに目の前に広がる景色がおかしい。俺は山の下り斜面側を向いていたが、咄嗟に振り返って背後……森の様子を眺めた。やはり何か違和感を感じる……。
(何だろう……)
森の様子を視野に捕えたまま、暫くその違和感の正体を探っていると……やがて今度は「フッ」と言うような耳からの感覚と共に視界の違和感が消えて先程までの感覚に戻った。
俺は今体感した違和感……と言うよりも「気持ち悪い」という感覚の正体が掴めない。この「気持ち悪い」という感覚は先程の違和感そのものよりは寧ろ「この違和感の正体が判らない」という事に対して湧き上がっている事を意識しながら、俺は再び〈集中〉の【使う】ボタンを押した。
〈集中〉というラベルの付いた技能……。何に対しての集中なのか。「集中」という現象が発生しているから、俺はこの何とも言えない違和感を覚えているのか。俺は必死になって前後左右、あらゆる方向に目を向け「何が起きているのか」を観察する。視線が水平方向を一撫でした後、下方向……地面の様子を目に納め、そして上方向に視線を移した瞬間に、おれは何となく「この違和感」の正体に手を掛けたような気がした。
(ゆっくりだ……ゆっくり動いている。木々の枝葉が……風に吹かれて……ゆっくりと揺れているんだ……)
そう……まるでスローモーションのように。そして視界の右側端の上……今では常に表示されている「次元倉庫」の四角いアイコンの下に何か別の表記が現れている事に気付く。俺がそれに対して視線を移し、その詳細を目から認識しようとした瞬間……丁度タイミングが重なったのか、「違和感の世界」がフッと解けて、森の姿は元通りの柔らかな風で枝葉の靡く鬱蒼とした様子に戻った。
(もう少し早く気付いていれば……)
俺は舌打ちしながら、もう一度〈集中〉のボタンを押そうとしたが寸前で思い止まった。
(いやいや、まてまて。これはそんなに連打して大丈夫なのか?)
さっきも、これを考えたが……ヘルプにあった「次元術」の項目に「使用の対価」について何も記載が無い。それが却って怖いのだ。
今、思わず2回使ってしまった〈集中〉だが、違和感と言うか……「ゆっくり動いている世界」の中で、感覚的には俺だけ通常の速度で動けていた。いや、まだ「他の生物」もこの「ゆっくり流れる時間」に影響を受けるのかまでは検証出来ていないが、仮にそうだとすると……このような考え方が成り立つ。
「〈集中〉使用中は、俺だけが時間を早く消費している」
そんな考え方に及んでしまうのだ。この〈集中〉によって「時間の流れ」がゆっくりとなる世界の中で……俺だけが変わらず動いている。つまり俺だけ時間が早く経過している。なんかこれって……あまり宜しくない状況ではないのか?
そう思いながらも、バカな俺は新しく出現するようになった右側のアイコンの正体が知りたくなり、何も考えず再び〈集中〉を使用してみる。
明かに「ゆっくりと」時間が流れるようになる。そして視界の右側に視線だけを向けてみると……アイコンの形は「正六角形のような」形をしていた。その上に常に表示されている「次元倉庫」のアイコンは「■」なのだが、それと同じ大きさで新たに「⬢」のようなアイコンが出現し、更にその中に数字が記載されていた。
数字は「50」と表記されていた。そしておれが何故「⬢のような」と表現したのは、恐らくは元々「⬢」だったアイコンが、時間の経過と共に見えないアナログ時計の秒針が回っていくが如く消えていっているからだ。
直感的におれはそれを「カウントダウン」であると理解した。そしてアナログ時計の「12」の位置から文字通り「時計回り」に「⬢」が消えていき、一周して「12」の位置まで来ると、「⬢」のアイコンは消滅する。そしてその瞬間……あの「スッ」っという気配がして世界は再び俺と同じ早さで動き出すのだ。
(時間制限があるのか。そしてあのアイコンの消え具合で残り時間が目で見えるようになっているんだな……)
随分と解り易く親切な仕組みだ。「作動時間」が目視出来るのは相当に便利だろう。しかし今度はあの「50」というアイコンの中に表記されていた数字の意味が判らない。
〈集中〉の効果とアイコンの概要が知れたが、まだまだ不明な点が多いので……俺は改めてヘルプを参照した。しかしこのヘルプでは「システム」の使い方に対する記述は豊富なのだが、「魔法」だの「次元術」に対する個々の説明はされていないようだ。
(あ、そうか……。こういうのを「検索」するのか)
ヘルプ画面の最初の方で解説されている機能である「ライブラリ検索」。この「ライブラリ」こそが本来、去り行く宇宙人、セラニカ氏が俺に譲渡した「知識と情報」の「本体」である。この世界のあらゆる事象を1000年かけて調べ尽くしたセラニカ氏は、その情報を「ライブラリ」に蓄積させていたようだ。
その具体像は「***」という伏字によってはっきりと言及されていないのだが、その成果を譲渡された俺はこのライブラリに「検索」という形でアクセス出来る権限を「与えられた」という事なのだろう。
メインメニューに戻って「【1】ライブラリ検索」の【1】ボタンを押す。すると画面が切り替わる。新しく現れた画面にはもうお馴染みのPC草創期にありがちなシンプルな表記で
「***検索方法を選択して下さい***」
と表示され、その下に項目が2つ。
【1】ワード検索
【2】視界検索
これらの内容についてもヘルプに記述があった。俺は「ワード検索」がしたいので【1】のボタンを押した。すると再び画面が切り替わった。
「***文字列を入力して検索ボタンを押して下さい***」
今度はこのような表記と共に、何やら文字列を入力出来そうな細長い枠線スペース……前の世界で言うところの「テキストボックス」的なものと、その下に【検索】というボタンが現れる。テキストボックスの左端にはカーソルらしき「_」(アンダースコア)に見える記号が点滅している。どうやら既に検索ワードの入力待ちになっているようだが、【検索】ボタンから少し間を開けた画面の下の方にちゃんと【戻る】ボタンも置かれている。レトロ感溢れる表示ではあるが入力装置としては一応抜かり無く作られているようだ。
俺はテキストボックスに視線を向けながら
次元術。(少し間を空けて)集中。
と、口から声を出す事無くこの2つの単語を時間を空けて頭の中で唱えてみた。すると、システムが俺の意を汲み取ったのか……テキストボックスには見事に「次元術 集中」と言った具合に、単語間に空白が入った。これもヘルプに記載されていた「やり方」だ。元の世界でネット検索をやった際によく使っていた「アンド(and)検索」というやつだな。どうやら「オア(or)検索」も可能らしい。見た目が古臭いのにそこそこ性能は高いようだ。
【検索】ボタンを押すとほぼノータイムで大量の検索結果が箇条書きのように表示された。その一番上にあるのがシンプルに「集中(次元術)」という文字列だ。俺は右側の【閲覧】のボタンを押した。
―――《集中》(次元術):しゅうちゅう 【使用】
術者が指定した倍率で術者のみ時間の経過を早める。
使用回数に応じて熟練度が上昇し、持続時間と倍率が増加する。
効果持続時間:10秒(120秒)
設定可能倍率:1倍から50倍で1倍刻み(500倍)
再使用時間:10秒(1秒)
〈集中〉の説明自体はこんな感じである。概要の説明がやたらとシンプルだが、意味は理解出来る。やはり俺の思った通り……この「術」は、俺だけ時間の消費を早くする……つまり簡単に言えば
「俺だけが最高で50倍……世界よりも早く動けるようになり、俺から見ると世界が「50倍遅く見える」ようになる」と言う事だろう。どうやら先程の「⬢」アイコンの中に記されていた数字は倍率で、アイコンが消えて行くように見えたのは残り時間……初期だと10秒か。それを表現していたのだろう。
「アナログ式」では無く「デジタル式」で表示して貰えば残り時間が正確に把握出来るのだが……確かにアナログ式ならば「あと半分くらい残っているな」と言った感じで、一見しただけで感覚的に残り時間を把握出来る。まぁ、一長一短だな。
俺がそう思って改めて〈集中〉を使用し、アイコンに注目していると……視線が集中し過ぎてしまったのか「⬢」のアイコン自体を押してしまった。すると……なんと残り時間表記が「⬢」を時計回りで徐々に消して行くアナログ式から「⬢」アイコンの下に小数点1位まで数字で表示されるようになった。俺は思わず「おぉ!?」と声が出てしまう。俺が希望していた通りに「アナログとデジタルの切り替え」が実現したのだ。恐ろしい程に行き届いたシステムである。
何はともあれ……残り時間が「数字」で把握出来るようになったので、使い勝手が更に上がった。そして「倍率の変更」だが、【使用】ボタンを「5倍!」とか念じながら押すと「⬢」アイコンの中の数字も「5」に変わる。倍率の変更は意外にも簡単だった。
〈集中〉の技能の使い方を色々覚えた俺は、年甲斐も無く嬉しくなり、その場で何度も繰り返し〈集中〉を使ってみた。使っているうちに、不思議な事に……「次元術」ページの上から2番目にある〈集中〉の右側にある【使う】ボタンを押さずとも
「頭の中で直接〈集中〉の【使う】ボタンを想像し、それを押すようなイメージをするだけで〈集中〉が発動する」
という事実に気付いた。つまり〈集中〉を使う際には、わざわざ「次元術」のページを開かずとも、「【使う】ボタンを押す」とイメージするだけで技能が発動するのだ。これなら咄嗟の場合でも瞬間的に発動出来る。
(凄いな……。これは次元術だけじゃなくて魔法も同様なんだろうか……)
俺はついでにメインメニューから「【3】魔法」という項目を開いてみた。ページが切り替わったが、ページの中央部、いつもなら本文的な記載がされているようなスペースには殆ど表記が無く……下の方に「イグニッション」という単語と、右側に【習得】のボタンが配置されているだけであった。そしてページの右上、所謂「ヘッダー」の部分には「1/27」という表記と、最下段には【戻る】、【→】というボタンが配置されている。パッと見て今表示されているのが全27ページのうちの1ページ目と言う事なのだろう。
本文表示スペースに一行だけの単語と、右上のページ番号、最下段のボタンだけが表示されている殺風景なページを何となく……【→】ボタンで切り替えてみる。右上の表記が「2/27」となったので2ページ目に移動したのだろう。本文スペースの真ん中辺りに今度は「ウィンド」という単語?が現れた。やはり文字列の右側には1ページの「イグニッション」と同様に【習得】というボタンが配置され、ページ最下段のボタン配置に【←】が追加された。前ページもそうだったが、【習得】というボタンはどうやら押す事が可能らしく、視線を合わせるときちんとハイライトする。
そのままページを進めてみると、次の3ページ目の上寄りの位置に「ウォーター」という表示が出て〈イグニッション〉や〈ウィンド〉と同様に右側に【習得】ボタンが置かれている。このボタンもハイライトするので、どうやら〈ウォーター〉も習得出来るようだ。
ひとまず27ページまで画面を送って行ったが、表示されていたのは〈イグニッション〉、〈ウィンド〉、〈ウォーター〉、〈ストーン〉、〈ヒール〉、〈ブラインド〉だけのようだ。俺はひとまず……この表示されていた全ての魔法を【習得】ボタンで習得し、【使う】状態にした。
ページを切り替えていきながら気付いたが、魔法は多分「五十音順」で表示されている。これも恐らくはセラニカ氏のメッセージの序文に記されていた「君の世界の君が最も慣れ親しんだ文字」である「日本語」に準拠した配慮がなされているのだろうか。
そして27ページの中で6つの魔法しか表示されていなかった件については、熟練度的な問題なのではないだろうか?これも前の世界でRPGをいくつかプレイしていたので、何となくだが理解出来るのだ。
俺は「ワード検索」で、今習得した魔法を1つずつ調べて、その概要や特性に目を通した。やはりどれも初歩的な魔法である印象を受ける。「次元術」が全て漢字表記の日本語であったのに対し、「魔法」は今のところカタカナ表記で外国語ベースのようだ。やはり両者は「違う技能」として分けて考えられているのだろうか。
そしてふと……気付くと、昼間の明るさが少し翳っているように思える。俺はいつのまにか地面に座り込んでおり、周囲に無警戒なままで検索画面と魔法の仕様説明の閲覧に没頭していたらしい。この世界にも当然だが元の世界における「太陽」に相当するものが存在しており、俺が森の中で起きてから今の場所に出て来た時はまだ太陽の位置はかなり高かった。「昼過ぎ」という印象だろうか。元の世界で俺がエレベーターに乗っていたのは正午前の時間帯だったので、偶然なのか……俺は全く時間経過に対して意識が向いていなかったようだ。
(おっと……色々と夢中になり過ぎたな。とりあえず移動した方がいいのかな……?この山を下りれば人里があるかもしれん)
最後にもう一度……というような気持ちで森の方を振り返った。相変わらず鬱蒼とした木立。何と言う名前の木なのか判らなかったが、使い方を覚えた「【2】視界検索」と言う検索方法によって視界の中に映っている物体を直接指定して検索が掛けられるという凄まじく便利な機能によってこの木が「ホダの木」という名称である事は判明している。温帯から亜寒帯に掛けて広く分布している広葉樹らしい。
(ふぅん……)
と、俺はホダの木の枝葉がある上方から視線を下げてギョっとした。
木立の中……森の一番外側に立つ木の向こう側から「女」がこちらの様子を窺っていたのだ。