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大統領の戦争  作者: 明日乃
9/30

取り巻き

 グリム宮殿、大統領専用会議室……。イワンが座る20メートルのテーブルの向こう端に、首相ピエール、国防大臣ミカエル、内務大臣ビクトリア、外務大臣アンドレ、法務大臣エフゲニー、運輸大臣アレクセイ、財務大臣コンスタンチン、保健大臣アーロン、公安局長ドルニトリー、中央銀行総裁エリーナといったいつものメンバーがそろっていた。イワンを恐れて伏し目がちなのもいつものことだ。


 普段と異なるのは、イワンと大臣たちの間にある広い空席に、男性がふたり座っていたことだった。ひとりは石油採掘企業の会長で石油王と呼ばれるボリス、もうひとりは鉄鋼王と呼ばれるアリシェフだ。2人ともイワンの有力な資金援助者で、ラコニアの邸宅を提供したのがボリスだ。アリシェフはイージス艦並みの性能を持つ巨大なクルーザー、〝大フチン号〟を提供していた。その船もまた、イワンの隠れ家のひとつだ。


「大臣諸君、今日は、経済界から意見があるということで、石油王ボリスと鉄鋼王アリシェフが代表として参加している。話を聞いてくれるかな」


 イワンは、身体を逸らすように背もたれに身体を預け、腹の前で両手を軽く握っていた。そんな他人を見下した態度に、……実際、見下しているのだが、イワンに話があると申し出てやってきたふたりの王の額には脂汗が浮いていた。一方、彼らがいることで、いつもなら蛇ににらまれた蛙のような大臣たちには、わずかながら余裕が見えた。


 静寂があった。


 ボリスとアリシェフは、お前が話せ、いや、お前が、とでもいうように、視線を交えていた。


「どうした? 話があると言ってきたのは、君たちだ。時間がもったいない。話したまえ」


 イワンはいら立っていた。ボリスたちが口を開かないことではない。ユウケイ民主国に侵攻してからすでに2週間、未だに彼の国が降伏していないことに……。軍事、外交、内政と、自分の目論見が、ことごとく外れていることに……。


 ユウケイ政府という明確な敵を示し、我々が正義だと主張を展開したことで内閣支持率だけは期待通りに動いた。しかし、そんなものは水ものだ。いつ何時、流れが変わらないともかぎらない。流れを変えないためには、明らかな実利が必要だ。ユウケイの国土が……。それがたとえ、猫の額のような面積であれ。


 誰も何も語らない。しかたなく、イワンは口を開いた。「ボリス……」


「は、ハイ……」


 ボリスが額の汗を拭い、イワンの顔をちらりと見た。


 イワンは顎で話すように促すと、経済人と閣僚たちがどんな話をするのか、黙って耳を傾けることにして目を閉じた。


 ボリスがその瞳に失望の色を浮かべ、大臣たちの方に顔を向けた。


「……ここ2週間で、我が国の輸出入が半減しています。国内で売る商品がなく、製品を組み立てるための部品も届きません。海外の企業の多くが撤退、あるいは撤退を表明して活動を停止し、商店街もオフィス街も空き室ばかりです。失業者が増え、物は売れなくなりました。おまけに……」


 彼はそこまで一気に話し、大きく息を吸った。


「……おまけに、我が国の貨幣価値は30%……、ダウンしたのではありません。30%の価値しかなくなりました。おかげで、輸入品の高騰でインフレが加速、外貨だての債券を発行していた企業の多く、いや、ほとんどは支払いが行い難く、倒産の危機にひんしています。もはや各企業、経済界の力では何とも致し方なく、政府に動いていただきたいのです」


 ボリスの視線が首相を中心に、大臣たちの中を彷徨さまよった。


「そんなことは言われるまでもなく……」


 コンスタンチンがそこまで答え、シマッタ、とでもいうようにエリーナに眼をやる。彼女が言葉を引き取った。


「我が国は、10日も前から世界の決済システムから除外されているのです。貨幣価値が下がるのは当然でしょう。高騰した商品は輸入品が主です。流通商品が国内生産のものにシフトすれば落ち着くでしょう。ボリスさんには、それを前提に商売をしてもらわなければ困ります」


 エリーナが突き放すように言うと、アリシェフが腰を浮かせた。怒ったのだろう。顔が赤い。


「総裁は簡単に言うが、輸入に頼る電子部品も多い。企業努力にも限界があるのです。だからこうして、大統領にお願いにやって来たのです。軍事行動の件です。それが転換しない限り、フチンの企業は世界から締め出されてしまう」


「簡単? 誰が簡単だと言いました。企業が世界経済から締め出されているように、フチン共和国自体が世界から排除されているのです。その舵取りに、我々も苦慮している。自分ばかりが苦労しているなどと思わないでいただきたい。ましてや、富裕層には国外に逃げ出しているものも多い。そんな連中が出ないよう、お二方は努めなければならないのではないか!」


 彼女が机をたたきそうな勢いで言い返すと、ピエールが仲裁するように口を開いた。


「今は特殊な事態なのです。国も企業も、国民だって苦労している。一丸とならずにどうします。……心配いりませんよ。我が国の地下資源……、石油に天然ガス、ボーキサイト、レアメタルなどがなければ現代社会は衰退します。今は制裁などと言ってつっぱっている国々も、早晩、態度を変えてくる。それまでの辛抱です」


 ピエールの楽観的な意見に対し、ボリスとアリシェフは、諦め気味に首を振った。それから「それならば……」と、軍事作戦が終了し、フチン経済が持ち直すまでの間、政府が国内消費の拡大策とインフレ抑制策を実施すべきだ、と要求をした。


「経済界の重鎮が……」コンスタンチンがため息をこぼし、イワンをちらりと見やった。「……消費拡大とインフレは表裏一体。現在のインフレは為替だけが原因ではない。国民が我先にと輸入品を買いあさっているからでもある。引力に逆らって飛ぶような難しい要求をしていると理解しているのでしょうな?」


「もちろんです……」ボリスが鼻息を荒げていた。「……近い将来、いや、すぐに反動がやって来るでしょう。国民は物を買わなくなる。いや、買えなくなる。そんなことにならないように……」


 経済人と閣僚のやり取りは、イワンにはとても腹立たしいものだった。……もとはと言えば、とイワンは思う。戦いが長引いていることが問題なのだ。このまま春を迎えれば大地はぬかるみ、補給が難しくなる自軍が圧倒的に不利な状況に置かれることになる。


 瞼を持ち上げたイワンは、掌で机をたたいた。


 ――バン――


 音が大きければ大きいほど、怒りをストレートにぶつければぶつけるほど、当然、掌が痛む。そうしてしまってから、いつもイワンは後悔する。


 中断する議論。蒼ざめた顔、顔、顔……。その場のすべての視線がイワンに集まった。


 彼は、自分を見つめる怯えた人間を睥睨へいげいする。


「愚かだ……」


 ため息がこぼれた。


「なんとも愚かだ。責任を擦り付け合い、他者に打開策を求めるなど……」


 会議室の面々の背筋は曲り、顔がうなだれていく。そんな彼らに、イワンは同情を覚える。それから、愚かな彼らを、導いてやらなければなるまい。そう決心した。


「身内で争うものではない。すべてはユウケイの若造、ドミトリーの責任だ」


 そう述べると、会議室の空気がみるみる軽くなる。そのことに、イワンは得意になり、少しだけいら立ちをおさめた。


 あえて慈悲の表情を作る。


「西部同盟諸国、あるいはライスとその周辺諸国が我々に物を売らないというなら、我々から買わないというなら、自動車もテレビもパソコンも、東亜大公国から買えばいい。石油も天然ガスも東亜に売ればいい。ワントゥ総統もキュウ首相も喜んで対応してくれるだろう。そして国内では、官民こぞって戦車を、ミサイルを、弾薬を作るのだ。そうやって経済を活性化させればよい。そしてユウケイの大地を我がフチンの戦車で埋め、ミサイルの雨を降らせる。ユウケイの街々を砂漠に変えてしまえば、問題は万事、解決するだろう」


「大統領、そのためには戦費をねん出しなければなりません」


 エリーナが困惑の色を浮かべた。


「ならば、集めればいいだろう。国民や企業から、資金や金属、電子部品を挑発するのだ。フチンを逃げ出したおっちょこちょいの財産はすべて没収しろ。国籍を持つ富裕層であれ、多国籍企業であれ、逃亡の罪は重い。すぐさま、徴発のための大統領令を発布する。それからもうひとつ。我が国の地下資源の取引は、ドルでもユーロでも元でもなく、我が国の通貨ギルのみとする。資源の輸入にギルが必要となれば、暴落を阻止できるだろう」


 どうしてこの程度のことが思いつかないのだ。……イワンは呆れた思いでテーブルの向こう側に並ぶ小さな顔を見まわした。


「多国籍企業の資産没収や、取引通貨の変更は商取引の慣行に反します。我が国の信用を貶めることになりますが……」


 エリーナが顔を曇らせていた。普段なら、それでイワンは意見を撤回しただろう。しかし、今回は違った。


「私は、世界を変えようとしているのだ。商取引の慣行など、世界の価値観の転換の前には小事にすぎない」


 心底、そう信じていた。


「ハァ……」


 エリーナは困惑を顔に貼りつけ、口をつぐんだ。


「……財産の没収は、大規模な軍事行動を行っていることを、そのために戦費が不足していることを国民に知られることになりますが、よろしいのですか?」


 ビクトリアが、おずおずと尋ねた。


「国民は、私のやり方に不満を表明しているのかな?」


「いいえ……」ビクトリアが首を振る。「……支持率はここ2週間で10ポイント上がっております」


「そら、みなさい。国民はよくわかっている……」


 イワンは背筋を伸ばし、表情の薄い大臣たちの顔に視線を走らせた。


「……我々は、フチン人を差別し、我が国の資源を狙うユウケイ民主国とその背後にいる西部同盟、ライス民主共和国などから大規模な経済戦争を仕掛けられている。そのための国防作戦を実施中なのだ……」


 嘘をついている自覚はあった。が、戦争には大義がいる。自国民の保護と国益の保全。それは立派な大義であり、嘘もつきとおせば真実になる。嘘を貫き通す力、それこそが権力だ。そんな信念にもたれかかりながら、言葉を継いだ。


「……事態ことに冷徹に対処しながら、経済状況は国民にも知らしめなければなるまい。悪いのはすべてライスをはじめとした自由主義諸国だ。なあに、安心したまえ。国民は私を支持してくれるよ。……で、ミカエル君。戦況はどうなのだね? 作戦計画ではセントバーグが3日で落ち、ユウケイは2週間で平定できるはず。その2週間は既に過ぎたが、いまだにドミトリーは元気に発信し続けているようだ。軍は、私に何かを隠していないかね?」


「だ、大統領に隠し事など、あるはずがありません」


 立ち上がったミカエルの顔は灰色をしていた。


「ドミトリーは、停戦条件を少しでも良くしようと嘘八百……、あがいているのにすぎません」


 外務大臣のアンドレが助け舟を出した。


「左様で……、あと数日、お時間を下さい」


 懇願するミカエルに、イワンは冷たい視線を投げた。


「何か、策があるというのか?」


「東部の要衝地、エアルポリスを包囲しております。市民はすでに飢餓状態。食料を提供すれば地下壕から出てくるでしょう。それらからIDをはく奪し、人間は収容所に送ります。ユウケイはデジタルシステムが進んでいます。IDがあれば、本人になり代わって何でもできます」


 ミカエルが苦し紛れの策を述べた。彼の考えは、イワンには手に取るようにわかった。それは過去にも実行されたことだ。


「ふむ、それらのIDを国民投票に使用するのだな」


「さすが大統領、ご明察です。IDがあれば彼の国の国民投票は我が国の手の内に落ちたのも同然。独立、あるいは我が国への帰属が市民の意思となれば、西部同盟諸国もライス民主共和国も口出ししようにありません。エアルポリスが独立したら、ユウケイ国民の戦意はそがれ、エアルポリスに続く都市が出てくることでしょう」


「使い古された手だが、まあ、いいだろう。自由と民主主義を振りかざす連中には一番効果的な手段だ。やりたまえ。そのためには、多くを殺すな。人が多いほど、飢えるのも早い。多くのIDも手に入る。……で、我が軍の損害はどの程度だ?」


「け、計画と、大きな齟齬はありません」


 ミカエルの声音に、引っかかるものがあった。が、経済人を前に、彼を追及するのは得策ではないと思った。


「……なるほど……」2人の経済人に眼を向ける。「……そういうことだ。ボリス君、アリシェフ君、納得していただけたかな。経済界の諸君にも、引き続き国家のために尽力してもらわなければならない。ここにいない者たちにも、よろしく伝えてくれたまえ」


 2人は一瞬、互いに顔を見合わせたが、観念したように頭を垂れた。納得したようには見えなかった。が、大臣らの話に納得していないのはイワンも同じだった。


「今は忍耐の時だ。大フチン帝国、初代皇帝ヨシフが凍れる大地にツルハシを打ち込んだ時のように諦めず、世界を耕すしかあるまい」


 そう告げて、会議を解散した。イワンの胸に感慨深いものがジワリと広がった。


 普段なら真っ先に退出するイワンだったが、その日は大臣らが退出するのを見送り、秘書官のヨシフを呼んだ。彼は核兵器の発射ボタンの入ったスーツケースにチラッと目をやり、「御用ですか?」と直立不動の姿勢を取った。


「君は初代皇帝と同じ名前だったな。ご両親は君の誕生を喜び、大きな期待を抱いていたのに違いない」


「はい……」


 彼の顔に困惑が浮かぶ。


「いや、君を困らせるつもりはない。今の困難な状況にあって、大フチン帝国建国時の皇帝の苦労に思い至ったよ」


「そういうことでしたか。ご心中、察し申し上げます」


 彼は改めて同情の意志を示した。その目元が娘のレナを思い出させた。


「ヨシフ、君は軍事作戦の状況をどう見ている?」


「私などは……」


 彼が口ごもる。見解がないというのではなく、本音を語りたくないように見えた。


「とぼけるな。お前が軍と諜報部の報告書に目を通していることぐらい知っている。まさか、都合の悪い報告書をぬいたりしてはいないだろうな?」


「……とんでもございません」


「私をあざむくようなことがあったら、ミサイルにくくり付けて大気圏外に放り出すぞ……」――たとえレナの父親だとしてもだ。――そこの部分はのみこんだ。


「はい。私は忠誠を尽くしております。決して、大統領のミサイルを無駄にするようなことはございません」


 ヨシフが、陶器のようなのっぺりした顔を下げた。


「ふむ。……レナはどうしている?」


「娘、ですか? 大統領がご心配することでは……」


 彼の顔に笑みの陰が浮く。


 足元を見られている。……イワンはそんな気がした。


「インフレがすすんでいるだろう。そのことでレナがどんな感想を持っているのか、若者なりの率直な思いを知りたいだけだ」


「そうでしたか。輸入品はほぼ3倍になっております。というより、品切れ状態といえるでしょう……」


 ヨシフが自分で見聞きした首都トロイアの経済状況や、若者によるデモとその取り締まり状況を説明した。


 イワンは、彼の言葉からトロイアの街の様子を頭の中で描いた。そうした想像力には自信があった。街の様子は、軍事行動を開始する前に比べれば混乱しているといえたが、大フチン帝国が分裂した時の混乱に比べればはるかに安定しており、市民は豊かで安全に暮らしている、と思えた。


 にもかかわらず若者たちは、政府に、いや、私に不満があるらしい。……腹の底が熱くなるのを感じた。


「飢えることがない。着飾ることも出来れば、映画や遊園地で遊ぶこともできる。世の中は豊かになったと思うのだが、庶民は、それでは満足できないものらしい。国家の繁栄よりも己の欲望を優先する若者ばかりだ……」


 イワンは苦いものが胃袋から逆流してくるのを感じた。


「……非国民、そう呼ぶにふさわしい者が増えたようだ。そんなことだから我が国は弱体化し、軍もユウケイごときに手こずるのだ。一旦、敵に攻め込まれたなら、畑は荒らされ農民は散り散りになり、国民は木の根を食み、泥水をすすらねばならない事態に陥るというのに……」


 遠い昔、ナポレオンやヒトラーに蹂躙じゅうりんされた時代を脳裏に描いた。チンギスハンに攻め込まれた時には、フチン国そのものが消滅してしまっていた。そうならないためにも国家は強くなければならない、攻撃は最大の防御だ、と決意を新たにした。


「そういえば……」


 ヨシフがスマホを操作する。イワンは待った。


「……これです。昨日、ドミトリーがアップした動画です。ユウケイの英雄だとか……」


 画面に映っているのは薄暗い病室のようだった。彼は30歳前後の細身の女性兵士を紹介していた。大統領府を襲った特殊部隊の戦闘ヘリを撃墜し、機関銃陣地を奪還したジャンヌダルクだという。


「あの国には、こんな女がいるのか……」


 ドミトリーが得意げに話すのは面白くなかったが、その女性には何故か腹が立たなかった。――ユウケイ民主国に栄光あれ――最後の合唱には腹が立った。


 前日、ユーリイに会って酷評されたことを思い出した。ユウケイへの軍事作戦の良否はともかく、世界戦略、とりわけ情報戦略で、フチン共和国は失敗しているというのだ。「……ネットの世界を見るに、ユウケイが見せるものは若々しい美女の姿だが、フチンのそれはしみだらけの老人の顔だ。強面の老人が己の権益を守るために杖を振り回し、スケボーや日光浴を楽しむ若者を追い散らしている。そんな姿だ。とてもネット界隈の共感を得ることはできないだろう」


 その時、彼の言葉はイワンの心を打たなかった。しかし、今、ドミトリーが語るジャンヌダルクの物語を聞くと、ユーリイが伝えようとしていたことがわずかながら理解できた気がした。


「この動画、フチン国民も目にしているのか?」


「動画サイトは封鎖しましたが、メールなどで、一部の若者の間では広まっているようです」


 自国の戦闘ヘリを撃ち落とし、特殊部隊を殺した者を称賛する動画。それに興味を示す国民がいることに怒りを覚えた。


「いつか、このジャンヌダルクを私の前に連れてこい。死体でもかまわん」


 ヨシフに命じて、イワンは席を立った。


 翌日、戦闘機の譲渡や飛行禁止区域の設置を要求するドミトリーと彼を支援する西部同盟を牽制するために、改めて声明を出した。……ドミトリーの望みに応じることは第三次世界大戦のトリガーになるだろう、と。フチンの地下資源の購入にはギルによる支払いが条件だ、と付け加えることも忘れなかった。


 撮影時は、ドミトリーの動画を意識した。それで極力柔和に、かつ力強く話したつもりだが、確認した映像は相変わらずの仏頂面の自分だった。失望が心を過った。……今更どうしろというのだ。自分は自分だ。そう脳裏のユーリイに言葉を投げた。彼はこうも言った。「……インターネット上で多くの情報が飛び交う今、君が戦っているのは、ドミトリーではなく、世界中のネット市民だぞ」と……。


 映像の出来栄えはともかく、発信しただけの成果はあった。翌日、ギルの暴落は止り、上昇に転じた。フチン共和国に経済制裁をかける国家は世界の半分ほどにすぎず、残りの多くの国々にフチンの地下資源が必要とされていたからだ。


『大統領の手腕、お見それいたしました。すべて、大統領がおっしゃった通りになっています』


 エリーナからギル相場が回復した旨の電話があったのは、イワンがベッドに入ってからのことだった。


 受話器を置く。感情が言葉になってあふれるのを抑えられなかった。


「ネット市民がなんだというのだ。所詮、仮想空間でのたわごとではないか。リアルはもっと血生臭いものなのだ」


 自分は正しかった。ユーリイはネット市民などを恐れる臆病者だ。……高揚感の中で確信した。


「何かあったのですか?」


 ソフィアがイワンの腰に手を回し、寝ぼけ眼で見上げていた。


「何でもない」


 彼女の細い手首を握り、イワンはベッドにもぐりこんだ。柔らかく瑞々しいソフィア……。これこそが〝リアル〟だ。ネット市民などにわかるものか!……胸の内で笑った。


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