二章 スリヨータイ・トーナメント開催 2
三時間後、ポックデンのテーブルには入れ替わった客とサクチャイがいた。
真ん中の席で頭を抱えているサクチャイ。
「どうして……」
「どうしますか」
最初から変わらないにこにことした笑顔で尋ねてくるディーラー、
サクチャイの手元のチップは、十五万まで減っていた。
初めは勝っていた。あとたった五十万で一〇〇〇万に届くはずだった。けれど途中から、まるで幸運に見放されたように負けが続いた。減った分を取り戻そうと、さらに高額をベットするがそれでも負ける。今日は諦めようとしたところで、勝ってわずかにリカバーするものの、その稼いだ金を賭けてまた勝負に挑む。
こうして少ない勝利と多くの敗北が積まれた結果が、十五万バーツだった。
一〇〇万だけでなく、残りの四〇〇万も使い切ってしまった。
(どうする? いっそのこと奪い返して逃げるか?)
もし成功しても、ガルーダから追っ手が出されて残り五〇〇万を稼ぐどころじゃなくなるだろう。それどころか逃げた犯人がサクチャイだと知れば、モンクットは怒ってもう取引に応じてくれないかもしれない。
(チャッマニーの両親が、あれほど頑張って集めてくれたお金がこんな簡単に……)
夜、みんなが寝静まった頃に村へ帰ってくるチャッマニーの両親の姿をたびたび見た。外に出かけたままの日もたびたびあった。戻ってくるときの姿はいつもボロボロだ。家のものも段々なくなっていって、最終的には自宅すらもどこかに売って、今は寺に住んでいる、
そんな彼らの努力をふいにしてしまったことを、今さらながらにサクチャイは後悔した。
(でも賭けを始めたのは、おれ自身だ。それなのにいざ自分が困ったら返してもらおうなんて、虫が良いにもほどがある。けどこれじゃチャッマニーが……)
葛藤するサクチャイ。
ディーラーは、これからするゲームのベットをするか尋ねてきた。
動くなら今だ。
無防備な腕を引っ張って、殴ってしまえばいい。
サクチャイが次の行動を決めようとしたところで、
「うわー! お、お願いします。どうか許してください!」
店内全体に聞こえるほどの大声が、一か所から発された。さすがにこれには気になって、どの客もゲームを中止して、声の発生源へ目を向ける。
警備を担当していた黒スーツの前で、日本人の男が土下座をしながら頭を下げていた。
「いくら謝っても駄目だ。金を払え」
「すいません。手持ちはもうなくて。後日に払うので、今日のところは帰してください」
「いつ出ていくか分からない外人に、そんなことできるはずないだろうが。さっさと金を寄越せ。さもなくば、それに値するものを渡せ」
ナイフを取り出す黒スーツ。凶刃から天井の光が反射されたのを見て、怯えた日本人は悲鳴をあげて黒スーツの足に縋りついた。
「ひぃ! 許してでござる! 拙者タイに来たのは初めてで、知らなかったのでござる!」
「だめだ……なに。たった十五万程度なんだから内臓のひとつやふたつ取り出すだけだ。外人のものは珍しいから、高値もつくしな」
「お願いしますでござる。なんでもするでござるからそれだけは!」
「なんでもするならやれ! じゃねえとぶっ殺すぞ!」
回したナイフの先を下に向ける。そのまま振り下ろすと、床に刺さった。絨毯の下は木材らしく、刃が半分ほどまで埋まった。
あまりの恐ろしさに絶叫する日本人。
黒スーツはナイフを引き抜くと、今度は頭めがけて下ろす。本気で殺すつもりだった。
「おれが払う!」
「あっ?」「えっ?」
横からの声に止まる黒スーツ。驚く日本人。
サクチャイは席を立つと、持ってきたチップを差し出した。
「ちょうどここに十五万ある。これでその男の借金を払おう」
「いいのか? 見ず知らずのあんたに、外国人のこいつが返す保証なんてないぞ」
「徳を積んでも何も返ってこないのは、もう重々承知だ」
だからといって、チャッマニーと似た境遇の彼を見捨てるわけにはいかなかった。
チップを渡すと、黒スーツは渋々ながら了承してくれた。
「あんたも物好きだね。これが女だったら、正義のヒーロー演じて向こうから股を開かさせたくなる気持ちも分かるけど……あれ? どこかで会ったかあんた?」
「さあ?」
サクチャイは気付かなかったが、この黒スーツは二年前にモンクットの傍にいた内のひ
とりだった。
黒スーツが訝しんでくるが、金も尽きたため、サクチャイは裏カジノから出ていく。
ゴーゴーバーから裏通りに戻ると、サクチャイはまた頭を抱えだした。
「そういえばどうしようこれから……」
ごたごたを解決した勢いで戻ってきたが、結局、五〇〇万バーツを失っただけだ。
今度は一〇〇〇万全てを自力で稼がなきゃいけないが、散々ギャンブルに負けた状態では方法すら思いつかなかった。
「あのー」
「あーあんたか」
サクチャイが後悔している最中に、助けた日本人が話しかけてきた。
表までの道を指さす。
「とりあえずここから離れたほうがいいよ。あいつらに絡まれなくても、危険だから」
「ありがとうでござる」
「なに。あんたもよく分からずに騙された口だろ? このくらいは助けてやるさ」
「ほんとうに、あなたみたいな心優しい人と異国の地で出会えてよかったでござる。拙者、ここまで感激したのは初めてでござる」
何度も深く頭を下げてくる。
助けてよかったと、少しだけ心が軽くなるサクチャイだった。
日本人は靴の裏をいじった後、そこから《《ペラペラの薄い紙》》を抜き取った。
「つきましては、これからお礼をするでござる」
「はあ?」
日本人が持っているのは、三万バーツ分の紙幣だった。