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私の人生は幸福だったように思う。
19年の短い年月だったが、私は満たされていた。もっと生きていたいという気持ちだってあるが、アダムがそばにいてくれたから私は幸せだった。
「ごめん、イヴ。今回もできなかった」
「気にしないで。あなたが頑張ってくれているだけで私嬉しいの」
そう言って私は微笑んだ。肉の薄くなった頬が引き攣る。みっともない笑顔になっているに違いない。けれど、この人は私の笑顔が好きと言ってくれたから最後まで笑っていようと思う。
「ごめん、ごめんな、イヴ。俺がもっともっと魔法が上手ければ」
「あなたは充分上手よ。運命には逆らえないだけ。大丈夫、私辛くないもの」
「でも……」
「本当よ?私、あなたがいればそれでいいの」
枯れ枝のようになった手を必死に伸ばす。涙が伝う彼の頬を拭った。
「きっと私はもう限界よ。だから、これからは私のためじゃなくてあなたのために生きて」
「そんな、まだ助かる道が!諦めるな、イヴ!!」
「……ふふ、そうね。でも、私にはわかるの」
だってさっきからすごく眠いの。瞼を開いているのも限界なくらい。彼の頬を触れていた手と腕の力が抜けていく。ずるりと下がる手を彼が握ってくれた。
「来世、なんてものがあるならば、私、またあな…たと……」
「っ!ああ、もちろんだ!来世だって一緒だ!これまでも、この先も……!」
アダムの手のひらから優しい魔力が溢れる。とても心地のいい魔法。あなたの魔力で満たされながらいけるならこんなうれしいことはないわ。
「ありがとう、わた、し、あなたがいてくれて、ほん、と……に…………」
「ああ、愛してる、イヴ」
最後の言葉は届いたかしら。どうか、これから先の未来で彼が幸せを掴み取る事ができますように。ぼやける視界は彼の魔力で溢れていた。
×××
目を開くと見慣れた天井だった。
また死ぬ夢か、と思いながら体を起こす。するとなぜか手のひらに冷たい雫が落ちた。
「……?」
思わず頬に手を当てると、指の先が水に触れた。目から溢れるそれは止まることなくベッドの上にシミを作っている。
初めてだった。物心ついてから泣いたことなど1度もなかった。
先程の夢が原因なのだろうか。誰かに看取られながら死んでいく、優しい夢。最後までまるで木漏れ日のような暖かい何かに包まれていた。きっとあれが幸福と言うのだと思う。
拭っても拭っても涙は止まらない。早く泣き止まなければマリーが来てしまう。彼女はとても心配性なのだ。ただでさえ普段の生活で心配かけているというのに、これ以上彼女の心の負担にはなりたくない。
けれど、どうやっても涙はとまることなく、起こしに来たマリーにとても心配されてしまったのだった。
×××
「ね、ジーゼルド殿下が妾腹の子って本当?」
「しっ。もう、誰かに聞かれたらどうするの」
「ええ〜でもみんな噂してるよ?」
それはジーゼルドに王宮内の図書館へと案内してもらう途中の出来事だった。
急に足を止めたジーゼルドの背中に突っ込みそうになりつつどうにか足を止める。私の耳にも王宮の侍女が話している声が聞こえてきた。
「全く…。そうだね、確かにジーゼルド殿下は王妃様のお子様じゃないよ」
「やっぱり!だから王妃様が嫌っているんだ」
「まあ思うところはあるんでしょうね。なんたって妾腹の子が第一王子なんだから」
ジーゼルドが王妃様に嫌われている……?妾腹の子?初めて聞いた。でも、あんま聞かない方がいいかも。
ここから離れたほうがと思い、ジーゼルドの服の裾を引っ張る。けれど、ジーゼルドは前を向いたまま動こうとしなかった。
「それで、実際のお母様ってどなたなの?」
「詳しいことは知らないわ。当時侍女として働いていた娘だと言うけど……市井に落とされたって聞いたわよ」
「そうなんだ……」
殿下、ともう一度引っ張りながら小声で呼ぶ。ようやくこちらに気づいたように振り返り、回ろうかと小声で呟いて私の手をひき踵を返した。
噂をしていた侍女たちの声が聞こえなくなってもジーゼルドはそのまま歩いていく。私が余り喋らないかわりと言わんばかりにたくさん話をしてくれるいつものジーゼルドとは違って見えた。
「殿下」
何を話すかも決めていなかったが、無性に声をかけたくなって声を出してしまった。何もあとに続けることができない。私はただ腕をひかれて歩くことしかできなかった。
「僕が君と婚約したのはね、君が笑わないからなんだ」
「?」
「王妃様にね、よく言われるんだ。いつもヘラヘラ笑って気味悪い子ねって」
「……」
そんなことない、と思う。私は人とはどこかズレているから自信はないが、ジーゼルドの笑った顔は好きだった。たまにどうして笑っているのかわからなくなる時もあるけど、それでも彼が笑っているとそれだけで安心できた。
「でも、他の子だってそうだった。いつもニコニコ笑ってる。だけど、君は笑わないから知りたくなったんだ」
「……私が笑わないのはわからないから」
ジーゼルドが足を止めてこちらを振り向く。その顔は悲しげながらもも口元は弧を描いている。
私はあまり笑わない。というより、笑えない。楽しいとか嬉しいとかがわからないので他の令嬢たちがニコニコ笑っているのが不思議でならなかった。
「ジーゼルド様の笑った顔が好き。私はわからないし面白くないのに笑うのはどうしてって思うけど、あなたの笑顔は優しいから」
「優しい?」
「そう、優しい。あなたは誰かのために笑ってる。相手を不安にさせないため。誰かを悲しませないため。だから優しい」
「……そんなことないよ。僕はもうこの顔しかできないから。ただそれだけ」
「……確かに、笑った顔以外のジーゼルド様見たことないかも」
初めて会ってから今までを思い返してもジーゼルドはいつも微笑みを浮かべていた。すごいなぁと思うけど、ジーゼルドはそれが嫌なのだろうか。
「ジーゼルド様は笑うのやめたい?」
「どうだろ。やめたいというか、どんな顔でいればいいかわからないんだ」
「じゃあ、そのままでいいと思うよ」
ジーゼルドはいつもより大きく目を開いて驚いているようだ。驚くことなんてあっただろうか。
人がどんな表情したって自由だ。笑いたいなら笑えばいいし、笑う表情以外がわならないならそのままでいいのではないのか。
「だから、ジーゼルド様は私の分まで笑っていて」
「……え?」
「気味が悪いとか言われても、私の代わりに笑ってるんだって思って。ジーゼルド様が心からの表情をうかべるようになるまで」
悲しいも辛いも楽しいも嬉しいもわからない。そんな欠陥品みたいな私はジーゼルドの悩みだってちゃんとわからない。私が言ったことは無責任なのかもしれないけど、わからない私にはこれが精一杯だった。
ぽかん、としていた王子様だが次第に顔を俯けていき、肩をふるわせる。そんなに面白かったかな、と首を傾げた。
「……ふ、ふふ。そうか、そうだね。ルシアーナは全然笑わないもんね」
「うん」
「その代わり、」
「?」
ジーゼルドが私の頬を優しく右手で包む。何をしたいのかわからないためそのままジーゼルドの顔を見つめた。
「ルシアーナもいつか心から笑えるようになって欲しいな」
「努力します」
「うん。今はそれでいいよ。僕も君がたくさん笑顔になれるよう努力しよう」
「? はい」
なぜ私が笑えるようにとジーゼルドが努力するのかはイマイチ分からなかったが、素直に頷いておく。今は無理でもジーゼルドと一緒に笑い合える未来を作りたいと思ったのだった。