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僕の人生は妥協でできていた。
夢を持ちえなかった僕は努力なんてできなくて、人生の行く先々でぶち当たる選択を全て妥協で選んできた。まあいいか、仕方ない、僕には無理だ。それが僕の口癖だった。
自分の意思で選びとることからずっと目を背けていた。
だから、なのだろうか。
「……ヴ、……!」
必死に何かを叫ぶ彼の声が雨音に紛れて聞こえる。けれど、その声は水の中にいるようにくぐもっていて聞き取れない。
「ぜっ……あき……い……な!」
これが、優柔不断に流れに任せて生きてきたツケなのか。まぶたに雨水があたりうっすら開くと案外近くにあった君の顔が苦しげに歪んでいるのが見えた。
「待ってろ!何度だって迎えに行く!!」
相変わらずくぐもっていて聞こえなかったが、口の動きで判別する。
……ああ、君ならきっと来るんだろうね。そういう人だから。
願わくば、彼が僕のところに来ませんように。足を引っ張ることしかできない僕はもう二度と君に合わせる顔がないんだから。
×××
「……夢、か」
しょぼしょぼする目を擦り上半身を起こす。ここは…屋敷の裏の丘か。空は青く晴れていて雨は全く降っていない。日向ぼっこしていたらいつの間にか寝てしまっていたようだ。先程までは真上にあった太陽が傾きかけているのがわかった。
また死ぬ夢をみた。昔から時々見る変わった夢。その夢は毎日ではなく忘れた頃にやってくる。
私ではない誰かが死んでいく夢。いつも同じなわけではなく、誰かに殺されたり餓死したり病気で死んだりと様々だった。
寝起きの重い頭で思案する。今回の夢はまだ優しい夢だった。別の誰かに看取ってもらえたのはよかったのではないだろうか。私でない誰かはとても後悔していたようだけれど。
何歳から見始めたのかはもう忘れたけれど、私ももう9歳だ。1年に数回見るくらいの夢だったが、いくつも死ぬ夢を見てきた。
死ぬくらいしか法則のないように思えていた夢だったが、一つだけ別の法則を見つけた。全部の夢の“私”がまだ若い、10、20代の人間だった。
そのため無念もひとしおだ。寝起きはいつも感情が揺さぶられてたまらない。まるで自分が自分でないような気持ちになる。染みが広がるかのようにモヤモヤが心の中に居座っていた。
私は立ち上がり伸びをする。そろそろ戻らないとマリーが心配してしまう。今も心配しているかもしれないけど。
すぐに戻るつもりだったんだけどな、なんて思いながら私は屋敷へと駆け出したのだった。
×××
「はじめまして、私は第一王子ジーゼルドと申します」
「ジーゼルド様、はじめまして。わたくしはキール侯爵家長女ルシアーナと申します」
教えられた通りの挨拶を交わす。まだ社交界デビューをしていない私は屋敷の人間ではない誰かに披露するのはこれが初めてだったが、失敗もなく切り抜けることができた。
今日は父と共に城へとやってきていた。後は父たちが勝手に話すだろう。私は黙ってお人形さんのようにしていればそれでいい。
「ジーゼルド様は利発そうな面持ちをしていらっしゃいますね。将来が楽しみですな」
「いやいや、こいつもやんちゃ盛りで困っているのだ。ルシアーナ嬢は美しい上に淑やかな御息女だな」
父は法衣貴族のため城によく行っているが、私が話の場に呼ばれたのは初めてだった。
そこから他愛もない話が続くようだったので、何も考えることなく静かにしている。ほとんど聞いてはいなかったが自分に話が振られても答えられるくらいには意識を向けておいた。
「さて、こんな話ばかりしていても2人にはつまらんだろう。ジーゼルド、ルシアーナ嬢に庭でも案内してあげなさい」
「はい、分かりました父上」
促されるままに起立しジーゼルドとともに部屋から退出する。そのまま庭へと向かった。
庭師が丁寧に整えた庭園は季節に合わせて様々な花が咲いている。その景観は見事、と言って差し支えない仕上がりである。とはいえ、私に花を愛でるという感性はあまりないためぼーっとしてしまうのが常なのだが。
「ルシアーナ嬢は不思議な子だね」
急に話しかけられるとは思っていなかった。花に見てていた私はゆっくりとジーゼルドへと目をうつす。すると興味深そうにこちらを見るジーゼルドと目が合った。
「……そうでしょうか。わかりません」
「そうだとも。だって君はここを見ていないし、そもそもここにいないんだ」
……何言ってるのかわからない。ジーゼルドの吐いた言葉をよくよく噛み砕いてもわからない。私は首を傾げることしか出来なかった。
「うーん、そうだなぁ。簡単に言っちゃえばすごくぼーっとしてるなぁって」
「なるほど」
そういう事かと頷く。私はよくボケっとしすぎだと言われるのだ。自覚がない訳では無いのだが、なんだかいつも疲れていてやる気がおきない。よく家庭教師のミラには顔を引きしめてくださいと言われるものだ。正直、無理な話だと思う。
「なるほどって……。それで納得しちゃうんだ」
「事実ですから」
……もしかして、怒るところだったのだろうか。認めてしまってから気づいた。ジーゼルドが不思議なものを見るような目でこちらを観察してくる。
「君の瞳はガラス玉みたい。面白いね」
「……そうですか」
ジーゼルドはニコニコ笑いながらうんうんとうなづいている。よく分からないが楽しそうなのでまあいいか、と私は再び花を見つめるのだった。