03. キノコと一緒だ
『はい、橘です』
「浅桐だけど」
ヒュッと息を吸い込む音がして一拍、相手の返事を待たされる。
繰り出されたセリフは、ひどく吃った「ごめんなさい」。
こりゃ、アウトかなあ。
「んーとね。付き合ってもいいよ」
『え!? ええっ?』
「――って言ったら、困るの?」
『そんな、えっ、ごめんなさい!』
ダメだわ。
いい加減、無理やり告白しているのは、雰囲気で察せられる。
とすると、問い質したいのは、今になってジンクスが復活した理由だ。
とりあえず、この子の“おまじない”は成立させといてやるか。我ながら、人がいい男だと思う。
「付き合えません。これでいいか?」
『ありがとうっ!』
「で、誰から聞いた?」
『それは……絶対に言うなって』
「付き合おっかなあ。好みのタイプだったしなあ」
『そんなっ、意地悪言わないで!』
犯人は明快、鈴原の名前を出すと、彼女も素直にそれを認めた。
卒業間近は、告白シーズンなんだとか。
鮭が川を遡るように、タンホポが綿毛を飛ばすように、卒業を前にして高校生たちは愛を訴える。
自然の摂理だ。けっ。
友人に悩みを打ち明ける女子も急増し、如何にして勝率を上げるかに頭を悩ませる。一世一代の賭けだからな。
そこで登場したのが、お節介焼きでは並ぶ者がいない鈴原だった。
あんの馬鹿女……。クラスに住所、挙げ句にオレの画像まで添えて、橘をけしかけたそうだ。
橘には首尾を教えてくれるように約束させ、スマホの電源を落とす。
ジンクスが未だに有効なのか、オレも気になるところ。彼女に恋人が出来なければ、後に続く者も現れないだろう。
夕食を済ませ、さっさと風呂に入ったオレは、受験勉強に気持ちを切り替える。
くだらない瑣事に心を砕くより、単語の一つでも覚えた方がいい。
午後九時二十二分。
プロフェッションとオキュペイションの違いに目を通していると、スマホがブルブル振動した。
表示名は、ついさっき登録したばかりの橘だ。
早過ぎる連絡に、背筋を悪寒が走った。
「……浅桐です」
『成功した! 彼氏が出来たよ!』
何度も礼を繰り返す彼女へ、詳細を話すように促す。
オレが告白を断った直後、橘へ電話が掛かってきたそうだ。
意中のヨシくんはバスケ部で、彼女はマネージャー――そんな二人の関係はどうでもいい。
ヨシくんはド緊張しながらも、電話で橘への思いを告げた。
もちろんオーケーを出した彼女は、飯も食わずに、こんな時間まで長電話に勤しんだと言う。
ダダ甘い二人の会話まで報告しようとしたのを、聞きたくないと拒絶した。
ほんと、どうでもいい。
『半信半疑だったけど、浅桐くんに頼ってよかった!』
「頼られてません。最後まで疑えよ」
『まさにキューピッド。私たちのこれからも、応援してね』
「応援しません」
他人のノロケほど、不愉快なものは無い。
なんでこう皆、がっついてんだよ。恋人なんて、自然発生するもんじゃないのか?
縁と環境と適度な水分で出来るもんだろ?
キノコと一緒だ。
この一件は、決して口外しないように何度も釘を刺した。悪夢の再来だけは勘弁してほしい。
調子良く、うんうんと相槌を打つ橘だったが、果してちゃんと理解してくれたんだろか。
浮かれ女は、どうも言葉が軽くて信用しづらい。
頼むから、他人に言うなよ。オレの死活問題なんだから。
首をもたげる不安を英単語で懸命に拭い、この夜は午前一時まで参考書と向き合った。
翌朝は七時に起き、橘のことも意識から消して登校する。
古文の例文に集中していたのに、電車で一緒になった山田が邪魔をした。
「なあ、どうなった?」
「古文はどうもなあ。赤瀬は文ごと覚えろって、言ってたけど」
「違えよ。昨日の女の子だよ」
さて、どう説明したもんだ。
どこかで見掛けたらしく、文通を申し込まれたけども断った――そんな説明に、山田の眉が真ん中へ寄る。
「文通って。古臭い子だな」
「そうそう、さすがに手紙書くなんてイヤだし」
「でも、そういう古風なのも憧れたりしないか?」
「お前も変わってんなあ。オレは遠慮しとく」
ともかくも山田を納得させ、ゲームの新キャラ論議へ話題は移行した。
二人で校門をくぐり抜けた時、登校中の喧騒を上回る大声で名を呼ばれる。
「浅桐くん!」
初見の女子、上気した顔、差し出されるピンクの封筒。冷えた朝を切り裂く悪辣なデジャヴに、オレも山田も絶句した。
そういや、鈴原もピンクが好きだったっけ。勝手にルールを増やしてそうだな、アイツ。
封筒を押し付けた女子は、何も言わずに校舎へダッシュして消えた。
「シュウ、それってまた――」
「何も言うな。聞くな。忘れろ」
手紙を握り潰して、カバンの外ポケットに突っ込む。
オレの憤りが伝わったのか、山田も玄関までは口を閉じていた。
靴を履き替え、三階へと上る途中で、遂に我慢できなくなったらしい。
「なあ、文通って、どんなことを書くんだ?」
「書かねえよっ!」
二日連続とは――頭を抱えるには、まだ早かった。最悪の水曜日とでも名付けるべきか。
昼休みにまた二人、放課後に一人。
この日オレは、計四人からラブレターを頂戴し、全てを目撃した山田は心底から驚いていた。
四人目は赤瀬にまで見られてしまい、居心地の悪さに逃げたくなる。
昨日から合わせて五人だと、山田が余計なことを教えたせいで、泡を食って弁明に努めた。
「違うんだ。ふざけた話なんだ」
「モテるのは悪いことじゃないよ。びっくりしたけど」
「聞いてくれよ。性悪女が企んだことでさ、モテてるんじゃないって」
同学年に、鈴原って馬鹿がいる。恋人が欲しければオレに告白しろって、そいつが皆をけしかけた――。
こんな説明じゃ納得できないかもしれないけど、赤瀬に誤解されては堪らない。
気は進まないが、中学からの経緯を事細かに話した方がいいだろうか。
気恥ずかしさに躊躇っている間に、彼女はカバンを提げて立ち去ろうとする。
「よく分かんないけど、全員断るの?」
「ああ、もちろん――」
「しっかり考えてから返事してあげてね。告白って、勇気がいるんだから」
それは普通の恋愛だったらだろう。
オレのはそうじゃないって言ってるのに。
「親が待ってるから、先に帰るね。行こう、山田くん」
「おうっ」
二人で帰ろうとするのを見て、オレも横へ並ぼうと進み出る。
人差し指を立てた山田が、子供を叱るようにそれを制した。
「お前は呼び出されてるだろ。体育館の裏に」
「出向かなくても、電話で済む話じゃん。オレだって帰りてえよ」
「ちゃんと会っとけ。なあ、赤瀬もそう思うよな?」
寒いから待たせちゃダメだと、彼女も大きく頷く。
くそぅ、こういう時は仲いいな、こいつら。
なんだか見捨てられたようで、気温がまた下がったように感じる。
廊下の奥に二人が消えるまで、オレはその背をしょんぼりと見送った。