02. 再び
自主学習となった六限目、俺の元に山田が近寄ってきた。
三年間、一緒のクラスで帰宅部を満喫した悪友だ。運動神経も悪くないし、尖った顎は女子受けしそうな風貌である。
部活に入っていれば彼女も出来たろうに、オタク趣味では残念イケメンと言われても仕方ない。
「うるせえよ。これっていう子がいないだけだ」
声に出てたか。
オタクと言っても、人よりゲーム時間が長いくらい。特殊な趣味とは無縁の山田は、やはり似た生活を送るオレと気が合った。
山田悟、数学の得意な経済学部志望。俺は語学科を志望しており、英語の成績が他より良い。
お互いの苦手をカバー出来るということで、たまに勉強を教え合うこともあった。
山田が参考書を片手にやって来るのは、英語を聞きに来たということ。
机に広げられた問題に、左隣からも覗き込む視線が在る。
「それ、私も訳せなかった。聞いてていい?」
「どうぞ」
赤瀬ユミ、黒髪ロングの彼女とは、隣の席になって喋るようになった。
寡黙で大人しく、得意科目は国語。図書委員になるために生まれたのか、と言いたくなる女の子だ。
肉食丸出しの告白騒動を経て、積極的なアプローチはとことん嫌いになった。逆に赤瀬みたいなタイプには、つい惹かれてしまう。
もう高三、さすがに恋愛は不要だなんて主張しない。今まで相手に恵まれなかっただけだ。
大学に行けば、オレにも彼女が出来るだろうか。
昨夜読んだ本の内容を、ゆっくり二人で語り合う。いいじゃん。そうなったらゲームも控えて、読書くらいしてやる。
休み時間に文庫本を読んでいる赤瀬には、冬の日差しがよく似合う。
自覚は無かったけど、こういう詩的な女の子が好きだったみたいだ。
伏せ目がちで、ノートに垂らした髪も細く、艶やか。額に落書きなんて絶対にしない、そのたおやかさが好ましい。
「浅桐くん?」
「……あっ。ゴメン、三行目からの訳し方だったな。関係代名詞が受けてるのは、一つ前の――」
横顔を見つめていたのを、早口で誤魔化す。
バレちゃいない、と願いたい。みんな問題に注目していただろうし。
山田と赤瀬、そしてオレの三人とも、二月末に第一志望校の受験がある。もう一か月を切ったわけだ。
隣県へ進学希望なのは一緒だが、望む大学はバラバラ。結果がどうあれ、この組み合わせで喋るのは春までとなろう。
赤瀬には、もっと早くに話し掛けとけばよかったと、そこは少し後悔している。
自習のあと、短いホームルームを経て、皆はいそいそと帰っていく。
この時期、学校に残るのは先生と話したいヤツくらいで、かなり珍しい。
赤瀬はその担任に相談があるパターンで、独り進路指導室へと向かった。
彼女の後ろ姿を見送っていると、一緒に帰るつもりの山田が傍らへ来る。
「赤瀬は用事か?」
「ああ。万一の時は浪人するか、まだ迷ってるんだってさ」
「ふーん。アイツさ、超真面目そうなのに、同じゲームで遊んでるとは思わなかったよ」
「細かいネタでも通じるもんな」
さあ、オレたちは帰ろうと、カバンを肩に掛けた時、山田が神妙な顔でこちらへ振り向いた。
「あのさ、シュウは赤瀬のこと、どう思ってるんだ?」
「どうって何だよ。女にしては、話しやすいヤツかな」
「俺もそう思う。意外に冗談が面白いしさ……」
一瞬、考え込むような仕草を見せた山田は、すぐに頭を振って笑った。
何でも無い、それだけ言って、先に教室の扉へと歩き出す。
もう女子が数人、無駄話に精を出す以外は、オレたちしか残っていない。
山田のあとを追い、寒い廊下へと踏み出した時だった。
手袋にマフラーの女子が、俺をとうせんぼするように飛び出してくる。
「これっ、読んでください!」
「え、ちょ。ちょっと!」
速い。
オレが封筒を受け取るや否や、謎の女子は全力疾走で消えた。廊下を走るな。
横で目を瞠るしかなかった山田が、ぽつりと一言呟く。
「アズ・スーン・アズ……」
「用法は合ってるけどさ。復習してる場合かよ」
嫌な思い出とともに、冷たい汗が首元を湿らせた。
もう終わったと喜んでいたのに。
この高校に奇習を知ってる者は――いる。いるな。
高笑いする鈴原の姿を思い起こし、行き場の無い怒りに指が震える。
こんな手紙、握り潰してやろうか。
「おい、大丈夫か? 多分それ、ラブレターだぞ」
「分かってる」
「落ち着いて返事すればいい。どこで知り合った女子だ?」
「赤の他人」
「そんなわけないって。恥ずかしがってるのか? あー、一応さ」
「なに?」
「ん……、付き合うんなら教えてくれよ」
「付き合うわけない」
「そ、そうか」
手紙を早く読みたいだろうからと、山田は一人で帰ると言い出した。
気にするなと止めたのに、訳知り顔の悪友は下駄箱へ猛スピードで駆けていく。
だから、廊下を走るなって。
ハート型のシールで留めたピンクの封筒には、「浅桐秀さまへ」と可愛らしい筆跡の宛名があった。
誤配ではないらしい。
学校から駅まで徒歩十分。
三駅目で降り、タクシーが停まるロータリーを越え、小さな公園を横目に歩いて家まで十五分。
自室に行き着いた俺はシャツとジーンズに着替え、深呼吸してから、やっと封筒を開けた。
本物のラブレターかもしれないじゃないか。
家が近所とか、模試で隣だったとか。顔に見覚えは無かったけど、一目惚れってのもある。
あるとは思うんだが……。
“好きです。橘絵流”
こんな名前、知らん。
誰だよ。
電話番号まで添えてあり、なんなら連絡しろと言わんばかりだ。
放っておいたら、明日また教室へ押しかけてきそうな予感がする。
中学時代に学んだ教訓が、頭に甦った。
告白は、早めに断れ。
一度、鈴原の告白を断らずに放置したら、血相を変えて家まで来た。
チャイムは連打するわ、「返事、返事!」とうるさいわ、近所迷惑この上ない。
手紙がジンクス関連だと決め付けるのも早計か。なら、確かめるのみ。
書かれていた番号をスマホへ打ち込み、もう一回深く息を吐く。
まともな相手でありますように。
呼び出し音が鳴る数瞬は、死刑宣告を待つ身のようだった。