前書き
この作品を読むに当たって、いくつか知ってほしいことがある。
まず、この話はファンタジー小説に見えるが実話であること。この話がエルベスと呼ばれる我々には行くことも存在を確認することも困難である世界の出来事であること。
そして…この作品は、偉大なる私の友人Sによって地球に伝えられ、彼によって翻訳されたものであること。この作品を出版するに当たって私が行ったことといえば、彼が翻訳した内容を日本語として文にしているだけである。元来私は、フリーターをしながら出版社等が主催するコンクールに小説を送っては、運が良くて入選にひっかかる程度の売れない小説家なのである。そんな私であるから、この作品を手にとって初めて私の名前を知るものが大半であるだろう。そんな時に彼と出会い、この作品を知ったのだ。前書きに変えて、私がこの作品を翻訳するにあたっての経緯を書き留めておく。
私は、小説のネタを探すために青春18切符を使って行き先のわからぬ電車に乗り、どこかわからぬ駅に降りた。そして、どこかわからぬ駅の周りを何の考えもなくブラブラと歩いていた。こうすることによってふとネタが閃くことがある。他の人はどうかはわからぬが、私はそうであった。…まあ売れない小説家がこんなことを言っても皆一様に疑うのであろうが。
そしてどこかわからぬ駅の周りをブラブラとしていると、そこに彼がいた。彼は、私がこれまでに出会ったどんな人よりも不思議な何かを感じさせる人であった。それは第六感によって感じたと言えるものであろうか。しかしその時はそんなことを微塵も考えず、ただ彼に興味を感じ、彼のことを見ていた。
彼はそれに気づいたのか私に気がつくと声をかけてきた。…いや、それは声とは言い難いものであった。なぜなら、その声は耳から聞こえてくるものではなく、頭の中に直接響いてきたからである。
「ここは、どこですか。あなたは、ここの人ですか。」
私は驚いて一瞬はっとした。しかし、すぐに平常心に戻り、気のせいだと感じて、こう返した。
「私は、ここの人ではありません。青春18切符を使って目的もなくフラフラと旅をしている者です。」
すると、彼は私にこう言った。また頭の中から直接響いてきた。
「青春18切符とはなんですか。」
「JRが発行するJR域内の特急を除く鉄道が一日乗り放題になる切符です。」
「鉄道とはなんですか?JRとはなんですか?あと切符とはなんですか?」
私ははっとした。彼はずいぶん浮世離れしているようである。日本という技術が進んだこの国にもこのような人がいるものだと驚いた。
「鉄道とはあそこに敷いてある線路の上を走る乗り物で、JRとはその乗り物を運営している大きな会社の一つで、切符とはその乗り物に乗るために必要なものです。」
「ああ。なるほど。…まだ聞きたいことはたくさんありますが、その前にこの世界の名前を教えてください。私はエルベスという世界から来たものです。」
名前…一体どういうことであろうか。そしてエルベスとはいったい…。
聞いたこともない固有名詞…そして世界の名前…。彼の言動の意図が私にはさっぱり理解できなかった。
「ここの世界の名前は何ですか。ここの世界にも名前はあるのでしょう。」
「…あまりよくわかりません。私が知っている世界は私が今いる地球という大きな星の日本という小さな国というくらいしかわかりません。」
「なるほど。地球…ですか。聞いたことないですね。しかし、あなたの言動から捉えるに、あなたはエルベスという所をご存じないようですね。エルベスには世界連合というものがあり、数ある様々な世界の中でもひときわ文明が発達しており、どこの世界でもかならずその存在を知っているといわれていましたが…。ここの世界は世界連合には加盟してないのでしょうか。世界連合には知的生物の住んでいないわずかな世界を除くほぼすべての世界が加盟していると聞いていますのでそのようなことは万が一にもありえないと思っておりますが。」
彼は、とても理解が早いようである。私が全く理解せずに答えたそれも彼は彼のおかれている環境をもとにすんなり理解したようである。
一方の私は全く持ってかれの言動の意図を理解できなかったが。
「世界連合ってなんですか。そもそも地球以外に人の住めるような星は発見されていないと聞いたのですが、発見していないだけで存在しているものなんですか。」
「…まさか、地球というところはそれほどまでに他世界と接触していないというわけですか。…道理で私も知らなかったわけですね。…ものすごく簡潔に説明いたしますね。宇宙には地球以外にも様々な世界がありまして、私はその世界のうちの一つから来たということです。」
地球以外に様々な世界があるなどという事実は、可能性としてはかなり議論されてきたが、その存在を知るのはこれが初めてであった。もしかすると他の世界は地球での研究が時代遅れといわれるほどに進んでいるのかもしれない。売れていないとはいえ、一介の小説家である私はそんな可能性を考えたのである。
「…しかし、それは地球人の誰もが思ってもみなかったことなので、発覚した途端に大ニュースになること間違いなしで、それはとてもまずいことになるのではと思いますけど。」
「まあそうでしょうね。実際そうなった世界をいくつか知っていますから。そしたら私も下手すれば監禁に近いような生活になるとは思いますね。私は特にこの世界で有名になりたいとかそういうよくはないので尚更ですね。しかし、それ以上に私はこの世界のことを知りたいのです。ここに来たのもその一環にすぎません。…本来はそういった専門家に聞くのが一番であることは知っています。しかし、私はあなたから聞いてみたいと思いました。あなたは、私がであったどの人間よりも面白いものをみせてくれそうな気がしたからです。もしよろしければ、あなたの家まで連れて行ってくださいませんか。」
あまりに展開が早すぎるので、普通は何を言われているのかさっぱりであろう。そういった小説を読みなれていなければ私自身も混乱していたであろうことは容易に予想ができる。そして、私は彼の話を聞いて、大きな知的好奇心を抱いた。私もなにかほかの世界についての面白い話を聞けるかもしれない。
私は快諾し、持っていた青春18きっぷを彼に渡し、二人で電車に乗った。
その後、電車の中で彼について聞かせてくれたので、ここで簡単に紹介することにする。
彼は黒髪のロングヘアーで紫眼で、基本的に頭の上からフードをかぶっており、それを脱いでいる姿は一度も見たことがない。彼はミステリアスな雰囲気をまといたかったのか名前を名乗りたがらなかった。不便ならそっちの言葉で適当に名前を付けてくれと頼まれた(そのような事情があるのでSは本名ではない)。ずいぶんとおちゃめなやつだと思った。まあそれが彼のめんどくさいところで、面白いと感じるところであるのだが。
エルベスでは冒険者の中の魔法使いという職業で、冒険者ギルドに所属しながら様々な依頼をこなして生計を立てていたという。ちなみに、彼曰くであるが、魔法使いの中でも使える魔法などが限定されており、使える魔法の種類の多さが実力を大きく左右する(もちろんそれがすべてなわけではないが)が、彼はその種類が多く、また魔力も多いことから天才と呼ばれているらしい(これらは全て自称のため、実際のところはわからない)。
ちなみに彼は私と会話するときにオーケンモと呼ばれる魔法(言葉が通じない相手の思考を読み取ったり、相手と会話することができる魔法。ちなみに読み取れるのは相手が伝えようとしていることだけで相手の心までは読み取れないらしい)を使っているが、これは基礎魔法と呼ばれる比較的簡単な魔法で、使える人も多い魔法だそう。実際は基礎魔法でありながら、世界連合を作れたのはこの魔法が最大の要因となっているようで、この魔法について研究している研究家も多いという。
なぜ地球に来たというと空間魔法を使って知らない世界へ旅をするのが楽しみらしく、それで入ったことのない謎の空間を発見し、好奇心で入ったら地球だったらしい。冒険者というのは伊達ではないらしい。彼のそういうところが、青春18きっぷを使ったあてのない旅を好む私の性とよくあっているのであるが。
基本情報はこれくらいであろうか。これ以上は聞いてもはぐらかされたのでわからない。ミステリアスな雰囲気をまといたいからか、またほかの理由があるのかはわからない。彼は、時に何を考えているのかよくわからないことがあるのである。
家まで連れて行くと彼は何やら呪文を唱え、急に倒れこんだかと思うと、数分で元に戻った。彼曰く、ここの空間座標を調べていたらしい。正確な位置に空間移動するためには必要らしい。どうやら旅人ではあるが、彼にもエルベスの統治にかかわる重要な仕事をしているらしく、地球にずっといるのは無理なようで、いつでも行けるようにとのことのようである。そして、そろそろ帰らなければいけないらしく、彼はまた会いましょうといったかと思うと、一瞬で私の家の中から消えた。刹那の出来事であったので私はしばらくあっけにとられた。
それから彼は2,3日に一度の周期で私の家に来た。私がバイトで出払っており、家に帰ると彼が家の中のものをいじくりまわし、本を読んでくれと図々しく頼まれたこともあった。人の家なのにとても自由なやつだとは思った。エルベスでは普通のことなのかと聞いたら、普通のことだと思ってやってるけどよく怒られてると言っていたのでエルベスでも人の家では多かれ少なかれ遠慮するものらしい。とはいっても私も彼ほどではないが、人の家なのに遠慮ないとよく言われるものである。冒険家気質というだけあって私もSも自由人なのである。
ある日のことだった。私がバイトを終えて家に帰ると、彼がいつものように自由にしていたわけであるが、近くに見慣れない本があった。その本のタイトルは見たこともない言語であり、彼に聞いてみたところ、エルベスから持ってきた本だといった。私の家にある本を見て地球にも本というものがあるのかと思い、持ってきたらしい。もちろんのことであるが、エルベスの言葉は全くわからなかったのでSに読み聞かせてもらうことにした。読み聞かせなど幼いことにしてもらったとき以来である。
その本は昔あった凶悪な力を持ち、世界を破壊しようとしたある集団を冒険者四人が倒して世界を守るという典型的な勧善懲悪ものである。が、しかしただの勧善懲悪ものではない。この世界では見たことも聞いたこともない話であり、現実に起きたことであったからよく聞く勧善懲悪のそれとは一線を画していた。また、それらは今現代社会の波にのまれたこの世界に何か一石を投じることができるのではないか。私はそう考えた。Sにそれを伝えると、この本の作者は死亡しているので、著作権は消失しており(世界連合条約の中に著作権についての法が定められているが、作者の死亡が確認された時点で著作権は消失するようだ)、翻訳する際に差し支えはないそうである。私は翻訳しようという発想はなかったし、それは手続きがめんどくさそうなので考えていなかったのであるが、私が翻訳したいとでも言わんとするような顔をしていたようで、彼はそれを察したようである。しかし、そのようなことを言われてしまうと心が掻き立てられてしまうのが人というものである。
私は彼に日本でこの本を出版したいといった。それが、この作品である。
それから、彼が私の家に来た時はいつも翻訳作業を行っていた。方法は、彼が本の内容を読んで、その内容を日本語に書き換えるというものである。この世界の常識と異なる文などはその都度解説をはさんでいったため、原文より長いものになってしまっているが。
そのような手法をとっており、お互いがそれぞれに仕事があることから翻訳作業はかなりの時間を要し、翻訳が終わるまでに実に三年の月日が経ってしまった。三年の間ただでさえローペースだった地球についての勉強がさらに遅れてしまったことは言うまでもなく私は彼に申し訳なさそうに謝ったが、彼はこれも勉強になるから大丈夫だと笑って許してくれた。
翻訳原稿を出版社に持っていき読んでもらうと、編集部の中でかなり評判だったようですぐさま出版が決まり、こうして本となったわけである。
彼はそれを聞いたとき喜んだが、翻訳者の名義はSでいいと言った。本名が聞けるチャンスかと思ったので残念である。その時も彼に笑ってごまかされたのであるが。
経緯は一通りこのような感じである。
最後になってしまうが、この作品はエルベスの世界で本当にあった話である。勧善懲悪ものに見えるが、そんなに小綺麗な話ではない。時には主人公でありながら、誰かに恨まれることもある。幸せになれないものも多い。しかし、この話は今世界中で起こっている様々なことに苦しんでいる人々に何か一石投じられるものがあると思う。だからこそ、私は三年の月日をかけて翻訳しようと思ったのである。
この本を手に取った読者の皆様の人生に少しでも何かいい影響を与えてくれるものであることを私は切に願い、前書きを終える。