#番外編5 とある事務員の独白 中編
「誘拐犯に間違えられたとか社員旅行で子供に集団で殴られたとかの面白エピソードはよく聞かせてもらいましたけど、クレーム対応もすごかったのですか?」
あの人はむしろそういう対応力が半端なかった。
少し何言っているのかわからないクレーマーから強面の借金取りの対応までできたんだから。
「そうなんです?」
そうよ、凄かったんだから。
いろいろあるけど一例としては、事務所に『あんたのところのドライバーが助けてくれなかった』って言うクレームの電話があったのよ。
「助けるって何をです?」
高速道路のパーキングエリアでウチのドライバーが喫煙スペースでタバコ吸って休憩していたんだって。
そのそばを同じく立ち寄った50代くらいの女性がトイレに行こうと歩いていたんだけど、車にずっと座ってたから急に動くと体が硬くなっていて段差でこけたんだって。
「はあ」
それなのにあんたのところのドライバーは助けてくれなかったって言うのよ。
「え? なんでです? その人勝手にこけたんですよね? 別にウチのドライバーが何かしたわけではなく」
そうよ。
「そりゃあ手を貸してあげてもいいですけど、義務ではないですよね?」
うん。
「私だったら人前でこけて恥ずかしいからすぐ逃げますけど?」
あたしは何事もないようにするかなぁ。
「それなのにウチに電話かけてきたんですか? わざわざ電話番号調べて?」
あとから聞いた話だと一緒にいた他社のドライバーの会社にもかけてたらしいわよ。
「何でです?」
あたしも教えてほしい。
助けてくれなかったから腹が立ったみたいで。
とにかく主張が支離滅裂でさっぱりだったのよ。
「でもそれってこけたのは段差のせいだから高速道路の管理会社に電話すべき案件なんじゃ?」
そっちにもしたらしいわよ。
でその後、そのパーキングはその場所に足元注意の張り紙をして対応としたらしいわ。
「おざなりですね。……で、ウチはどうしたんです?」
あたしじゃあお手上げだったからカベさんに頼んだの。
カベさんは長い時間辛抱強く相手の話を聞いた後に、
「お話のほうはよくわかりました。まずはあなた様がお怪我をなされたということで、そちらのほうは大丈夫でしょうか? ああ、出血しただけで骨折やねん挫ではないと。そうですかそれは不幸中の幸いです。お気の毒です、お大事になさってください。……弊社のドライバーの対応といたしましては不徳の致すところではありますが、完全に間違いかと言われればそうではないと判断いたします。……はい、おっしゃることはもっともです。ですが弊社のドライバーが男性であり、あなた様が女性であることが原因であったと思うのです。はい、昨今セクハラが問題となっております。倒れた女性を助けること、それは昔は当たり前のことですが、いまですと助けようと手を出しただけで痴漢だと訴えられる危険性があります。もちろんあなた様は聡明な方なのでそんな誤解はされないと思いますが、ウチのドライバーは人生経験が浅く、判断がつかず、セクハラと訴えられるよりはと判断したのでしょう。昨今の風潮ゆえの自衛ということでご理解いただければ幸いに思います」
と言って話をまとめたのよ。
「ああ、あったわねぇ、そんなの。怒りを全部吐き出させた後に、こちらもやむを得ない事情があったと申し訳なさそうに言うのがコツとか言ってたっけ。でも当のドライバーはセクハラとかそんなこと思ってもなかったっていう話だけどね」
「そんなんでうまくいくんです?」
実際にこれで収まったのよ。
「じゃあ、借金取りの話は?」
……あれはあたしのミスから始まった。
事務所に鳴った電話をとると、
「そこで働いているAの親戚だが、連絡が取れない。倒れていたら心配だから住所を教えてくれ」
たまたま朝そのAさんと挨拶したのを覚えていたので、元気に働いていますよ、と伝えたら、
「そこにいるのか! じゃあすぐに行く!」
と電話を切られた。
不審に思い、本人に確認すると青い顔でそれは借金取りだと告白された。
そこでボーナス時期に借金取りが身内のふりして押し掛ける事案が数年に1度あるので、不審な問い合わせには「確認して、本人に折り返させる」と言い張れと教えられていたことを思いだした。
あたしはすぐに総務部長に報告すると、総務部長は支社長の元に走る。
「そんなのお前が対応しろ! わしは知らん!」
そういってさっさと副支社長を連れて応接室に逃げていった。
「最低~」
本当に最低だった。
そして総務部長はというとオロオロとどうすればよいのかと頭を抱える。
あたしが原因とはいえ上司は本当に役に立たない。
そこにカベさんが外回りから帰って来たのでコトの顛末を伝えると、
「しかたない。了解。やっとく」
そういつもの口調でいい、Aをとりあえず避難させた。
「Aはどこだ!」
強面でガタイのよい男が威勢よく大声を張り上げるがカベさんは冷静に、
「現在、出張に出ております」
「朝はいたと聞いたぞ!」
「はい、朝礼までは。その後に出発しましたもので」
「どこにいった!」
「業務上のことですので社外秘となります、ご容赦ください」
「いつ帰ってくる!」
「業務上のことですので社外秘となります、ご容赦ください」
「お前、ふざけてるのか!」
借金取りは大声で威嚇するが、カベさんの表情は変わらず、
「規則です。ご容赦ください」
恫喝で簡単に折れそうもないと思ったのか切り口を変える。
「俺は親戚だぞ! あいつの親も連絡が取れないと心配している」
「朝は元気でいましたので大丈夫と思いますが、当人のほうにのちほどその旨をメールしておきます。彼のほうから連絡をとらせます」
「こっちは何日も連絡が取れていない。心配な親心がわからないのか!」
「成人した社会人ですので過保護もどうかと」
「うるさい! いいから呼び出せ! もしくは連絡先を寄越せ!」
「と、申されましても、昨今個人情報保護法というものがあり、会社としては社員の情報を守る義務があります」
「俺は親戚だぞ!」
「申し訳ございません。世の中なりすましというものがございます。たとえご両親を名乗る方が来られても対応いたしかねます」
「じゃあもしも親が子供が心配できても門前払いするのか!」
「本人確認できない以上そうなります。まずはこちらでお子様の無事を確認した後本人から親御様に連絡を取ってもらうことになります」
「じゃあ早く連絡を取るように言え!」
「すでにご両親のほうには一報しているはずです。確認なさったらどうでしょうか?」
カベさんの言葉に借金取りは手近の机を蹴飛ばし、叫ぶ。
「お前、いい加減にしろ! 痛い目みたいのか、こら!」
その形相を見てもカベさんは怯むことなく、むしろ笑う。
「何がおかしい!」
「いえ、ようやく脅迫をいただきましたもので」
「ああ!」
「現在監視カメラにて録画させていただいております。もちろん録音もです。あなたの乗ってきた車のほうもナンバーを控えさせていただいています。どうします? 警察を呼んでもよろしいですか?」
「あった、あった。それですごすご帰っていったのよねぇ。でも監視カメラも録音もしてないのに」
と同僚が思い出して笑うと新入社員がびっくりした顔で、
「嘘なんですか?」
カベさんに言わせるとハッタリと言う。
そこまで準備する時間がなかったので、余裕綽々の顔で対応していたら相手が勘違いして引き下がってくれた。
「それって詐欺って言いませんか?」
言うと思う。
あの人、そういうところがクレーム対応に向いてたんだと思うのよ。
日下部「詐欺じゃないって! 誠心誠意対応したんだよ!」
クレームやトラブルというのは突然予想外のことが来るものです。
今思い返してもいったい何が原因だったのかとか首をかしげたり、腹立つ思いをしたことが多々あります。
ネタとして放出したいところですが身バレの危険とコンプライアンスの壁があります。
しかし会社はコンプライアンス(労働基準法)違反を平気でしているくせに、従業員にはコンプライアンス(守秘義務)を守れといいます。
ブラック企業ほど都合のいい時(もしくは悪い時)にコンプライアンスを盾にするもんですw