8話 新たなスタート
朝。カーテンの隙間から日光が差し込み、窓の外で小鳥が囀る。なんて清々しい朝なんだろう。散歩とかしたら気持ち良いんだろうな。まあ俺はそれどころじゃないんだが。
「結局寝れねえし……」
原因はまあ簡単なことで、俺の右手をしっかりと両手で握りしめて眠るナターシャだった。俺は健全な男子なわけで、女の子に、それもこんな可愛い子に手を握られて嫌なはずはない。というか嬉しい。でも俺は童貞なので、そういうことに耐性がなかった。
しかも、昨晩システィアから聞いた話によれば、ナターシャは俺の怪我を治すために随分苦労したという。起こすわけにもいかず、頭を抱えていた次第だ。
……いやでももう朝だし起こしても良いんじゃないか?
「ナターシャさーん……朝ですよー……」
「ん……」
空いている左手で彼女の肩をゆする。すると顔を上げたナターシャと目が合った。夕べもここまではきた。その後彼女はすぐに寝てしまったが。
「……」
「……」
視線が絡み、沈黙が続く。静寂が辛くなってきたころ、青みがかった大きな瞳がはっと見開かれる。
「わぁぁああああっ⁉」
「うおおおっ⁉」
突如大声をあげて飛びのくナターシャに驚き、こちらも大声を出してしまった。見れば彼女の顔は赤くなっていた。照れている、のだろうか。
「わわわわたしなにを⁉ え、もしかしてずっと手握ってたの⁉」
「まあ、そうだな……」
「あわわわ……なんて、なんてことを……」
顔を赤くさせたり青くさせたりするナターシャを見て、さきほどまでの気恥ずかしさはどこへやら。一転して面白くなってしまった。
「しかも俺の手が冷やっこくて気持ちいいつって、頬擦りまでしてたからな」
「えっ」
少しばかり意地悪したくなってそんなことを言ってしまう。俺自身あれにはどきっとしたが、まあそれはそれ。言わなきゃバレない話だ。さて反応はと言えば。
「──────」
真っ赤になって固まってしまった。
その後意識を取り戻したナターシャと一階に降りる。すると、食堂で皆が朝食を囲んでいた。皆というのは、アルバート、レニー、システィア、それにキャスパーさんだ。
「あぁ、おはようライカくん。よく眠れたかい?」
「えぇ、おかげさまで」
「それは良かった。町で話題になっていたよ」
話題? はて、なんのことだろうか。
不思議に思ってることが伝わったのだろう、システィアが説明してくれた。
「そりゃ吸血鬼を──それも貴族を倒したからでしょ。相手が手負いだったからって、勝てたのは奇跡よ奇跡」
「ノーブル?」
「魔族の中でも特に大きな力と権力を持つ個体はそう呼ばれるの。吸血鬼自体上位の魔族なわけで、その貴族といったらもう凄いんだから」
つまり昨日のアレは、吸血鬼のボス格ということか。そんなものと戦わされていたとは思わなかった。
「そんなのがなんであんな洞窟なんかに?」
「他の吸血鬼にやられて命からがら逃げてきたってとこじゃないかな。あの種族は派閥争いが激しいらしいんだ。で、再起を図るために動物たちの血を吸ってた」
「そこに俺たちが来たってわけね……」
レニーの補足説明に納得。こういう説明を丁寧にしてくれるのはこの二人の良いところだ。そんなことを考えていると、キャスパーさんが立ち上がってこちらに近づいてきた。
「ナターシャ。一つ聞きたいんだけど……冒険者に、なりたいのかい?」
「っ」
キャスパーさんの問いに、黒髪の少女は目を見開く。思っていたことを見透かされた、そういう反応だった。
「それは────────うん。わたし、冒険者になりたい。昨日、ライカさんたちと一緒に戦って、ライカさんの怪我を治して、思ったの。わたし、誰かを守ったり、救ったりしたいって」
「それは危ない道だ。誰かを救うなら魔法医って道もある」
「後ろで怪我人を待つより、わたしの方から行って救いたい。そのための力を磨きたい」
稚拙な言葉。しかしそこには揺らぎようがない力が込められている。それをキャスパーさんは感じ取ったのか、あるいはこうなると予測していたのか。彼はあっさりと白旗を上げた。
「ま、お前は言っても聞かないからね。いいよ、許可しよう」
一度言葉を区切り、システィアの方へ向き直った。
「システィアさん、娘をお願いできますか」
「え、えぇ。彼女は優秀ですし、こちらとしては大歓迎ですけど……良いのですか?」
面を食らったであろうシスティアが、戸惑いながらも確認をとる。対し、キャスパーさんはにっこりと笑って見せた。
「誰に似たのか、この子は頑固なんです。いつか勝手に出ていかれるより、吸血鬼の貴族を倒すような方々に任せる方が私は安心できる」
「なるほど。そういうことでしたら」
「ありがとうございます。──ライカくん、娘をよろしく頼むよ」
キャスパーさんは俺にそう微笑みかけると、食堂を後にしてしまう。どこか寂し気で、俺は頷くことしかできなかった。
「お父さん……」
一方のナターシャもまた、そんな父親の姿に思うところがあったのだろう。しかし、すぐに表情を切り替え、システィアたちの方へお辞儀。キャスパーさんが背中を押してくれた以上、自分も頑張ろうと、そんな気持ちが感じ取れた。
「改めまして、ナターシャ・エリスですっ。よろしくお願いしますっ」
皆が改めて自己紹介をしたところで、今後の方針を聞いてみた。
「とにかく、まずは冒険者にならないことには話が始まらないわ。西にある大きな町で登録申請できるから、そこに向かうつもりよ」
「西……もしかしてグルトラント?」
「正解。さすがこの国の人ね」
地名を当てたナターシャに対し、システィアは空中に丸を描く。
「グルトラントに行くには、乗合馬車を使うのが一番手っ取り早いみたいだからそうするつもりなんだけど……異論がある人はいる?」
システィアの質問に、ずっと黙っていたアルバートが手を挙げた。
「乗合馬車はケツが痛くなる」
「その異論は却下。パーティ全員があなたみたいな筋肉の塊だったら歩いてもいいけど、私やナターシャはそうじゃないの。それに、レイラント王国の街道はデクストーク王国と比べて整備されてるからマシなはずよ」
即却下され、若干残念そうにしているアルバート。なんとなく、叱られた大型犬を思わせた。ちなみにこの後レニーが教えてくれたことなのだが、アルバートはじっとしているのが好きじゃないため、長時間馬車に乗りたくらしい。子供か。
「あ、わたし旅するための道具とか持ってないかも」
「俺も持ってないわ」
思い出したようにそう言ったナターシャに、ここぞとばかりに便乗する俺。クソ神様にほっぽり出されたせいである。
「それに関しちゃ、俺らが買ってプレゼントってことでいいんじゃねえか? 吸血鬼退治で町長サンに報酬結構貰っちまったし、資金に余裕あるだろ。この町もちっちぇわけじゃねえからそれぐらい売ってるだろうし」
アルバートの発言に、システィアは表情を僅かに歪めた。なるほど、この少女がパーティの財政担当なのだろう。……いや、システィアの役割多くないか?
そんなことを考えたが、システィアの表情はすぐに緩んだ。
「まあ、スカウトしたのは私たちだしね。それくらいは必要経費かしら」
「え、でも申し訳ないよ。わたしお小遣いとか貯めてたし、それでどうにかなると思うんだけど……」
「いいのよ。どうせその分働いてもらうし」
そう言いながらノートを取り出し、何かを書き込み始めたシスティア。しばらく待つと、ページを切り取り俺たちに渡してきた。見れば、様々な物の名前が書かれている。
「それ、必要になりそうな物のリストね。お金渡すから買ってきなさい。あとレニー、ついていってあげて」
「はいはい、了解しましたよ」
立ち上がるレニー。今から行くということだろう。……しかし、同い年くらいのはずのシスティアが妙に母親染みて見えた。
「俺にはなんかねーの?」
「アルバートは勝手に違う物買うからダメ」
……彼女、ほんとにお袋か何かじゃなかろうか。そんなどうでもいいことを考えつつ、俺たちは買い物にでかけた。
「やー、しかしまさか二人も加入するとはねぇ。ありがたい話だけどさ」
買い物も終盤、レニーは感慨深げにそう呟いた。ちなみにナターシャは現在服を見ている。なんとなく女性服売り場には居辛かったので、こうしてレニーと外で待っているわけだ。
「そういやレニーたちって、もとは四人のパーティ組んでたんだろ? もう一人はどうしたんだ?」
「うん? なんでそんな……あぁ、ギルドの規定の話か」
一瞬、俺がなぜそう思ったのか理解できなかったようだが、すぐに察してくれた。
そう、アルバートの話では、パーティというのは四人以上でないといけないらしい。であれば、元々別の国でギルドに所属していたらしい彼らは四人のパーティを組んでいたはずなのだが。
「それはこの国──レイラントのギルドの規定なんだ。僕らの出身のデクストークはそういうのがなくてね。三人でやってたんだけど……事情があって除名処分を受けちゃって」
彼の話に驚く。除名とは一体何があったのか。
そう聞いてみると、レニーは苦笑いをした。
「なんというか、あっちのギルド長は結構なクズでさ。報酬の中抜きは酷いわ、立場を利用してセクハラを繰り返すわで……ある日お尻を触られてキレたシスティアが魔法をぶっ放しちゃってね」
「そりゃ……なんつーかなぁ」
「それで、まずシスティアが除名処分になったんだ。でも魔法を使った理由が理由じゃん。僕とアルバートはそれに抗議した。そしたらまとめて除名されたってわけ」
「マジのクソ野郎じゃんかそいつ」
俺の言葉を受けレニーが嘆息。当時の事を思い出したのだろう。空を見上げつつ、のんびりとした口調で語る。
「まあ最初は僕らも怒ってたんだけど、なんか途中からどうでも良くなっちゃってねぇ。せっかくだし新天地でやり直すかぁってなってさ。デクストークは比較的平和な国……というかレイラントと比べたらどこも平和なんだろうけど。とにかくもっと面白い仕事ができるとこが良いねってことで、こっちに来たのさ」
そしたら初っ端から吸血鬼と戦うことになったけど、と彼は再び苦笑を漏らす。
「面白い仕事?」
「面白いってよりは、やりがいのあるって言った方がいいかな。システィアは冒険者として名を上げることが目的だし、アルバートは強くなるための修行がしたいって冒険者になったし、より難易度の高い依頼を受けられるこっちの方が、僕らには合ってるかもってね」
あの二人はそういう理由で冒険者になったのか……では、目の前の青年の目的は何なのだろうか。そう聞くと、彼の表情は曇る。
「実をいうと、これといった目的はないんだよねぇ……。僕あの二人好きだからさ、こうやってついてきてるんだ。それに、冒険やらスリルやらってのは嫌いじゃないし」
「そういう人もいるんだな」
「どうかな、珍しい方かも。大体は何か目的を持ってるか、それか環境的に冒険者くらいしか仕事がないかが多いと思う」
この世界の人たちにも様々な事情がある。彼との会話でそれを垣間見た気がした。
「ま、なんにせよだよ。剣士が一人増えるってことは、僕ら前衛の負担がちょっと減るわけだ。いやあ助かるなあ」
「こちとら初心者なんだからあんま頼んないでくれよ」
「どこの世界に吸血鬼と打ち合える初心者がいるんだか。……あと個人的に言うとナターシャちゃんの加入。あれが大きいね。あの子可愛いし、場が華やいでいい。うちのパーティ、今までちょっとアレだったからなぁ」
「ナターシャが可愛いってのには同感だけどさ。システィアも相当だと思うんだけど」
なんとなくそんな風に言ってしまったが、多分本人たちの前では言えないなと思う。無論恥ずかしいからだ。
一方のレニーといえば、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「……な、なんだよ」
「……やー、なんだろね。システィアは見た目可愛いし、家事も上手いし、頭も良いしで、割と女の子として完璧な気がするんだけど……」
「けど?」
「おっそろしく勝気だからなぁ。それにストイックが服を着て歩いてるような子だし、なんかそういう対象としては見辛いよね。僕の好みは守ってあげたくなるタイプの子なので」
「なるほどなぁ」
確かに彼女は守られるというタイプではなさそうだなと思う。彼女と結婚する男がいるなら、そいつは尻に敷かれることだろう。
「ちなみにライカの好みは?」
「え……」
思わぬ問いに思考が固まった。そんなこと、考えた記憶が一切なかった。転生前は他人に興味がなかった……というよりは何事にも一切の興味がなかった。こっちに来て以来、環境が変わったからか、色々なものに興味が出始めたのだが。
「や、こういう子が良いなーとかないの? 女の子ならなんでもいい感じ?」
「そういうわけじゃないと思うんだけど……答えは保留で頼む」
いやいやと、なおも掘り下げようとするレニー。そこへナターシャが戻ってきた。
「何の話してるの?」
「ライカはどんな女の子がタイプかなって話を──」
「しなくていいから!」
話を強引に打ち切り帰路についた。
「あら、お帰り。早かったわね」
「レニーさんが見繕ってくれたから。……はい、システィアちゃんこれ」
ナターシャが差し出したのは、先ほどシスティアから受け取った準備資金だった。システィアは明らかに困惑している。
「……買い物、したのよね? そこに荷物あるし」
「したんだけど、店員さんが親切でね。ナターシャちゃんの門出を祝うって、品物をタダでくれちゃってさ」
そうなのだ。事情を聞かれ、話すと、店のおじさんおばさん方は気前よく譲ってくれた。吸血鬼退治のお礼も兼ねて、と言っていたが、まあ大半はナターシャが理由だろう。明るく可愛らしい子だ、町の人たちから好かれていてもなんら不思議ではない。
「まあ、出費が抑えられるならそれに越したことはないか」
「ところでアルバートは? 姿が見えないけど」
「暇だから外走ってくるって飛び出してったわよ」
「体力お化けか……」
外に飛び出す彼の姿は想像に容易く、若干笑ってしまう。それはさておき、システィアがナターシャに向き直った。
「さっき聞き忘れてたんだけど、ナターシャは確か魔法教室に入ってるのよね?」
「あ、そうだった。先生にも言わないと……」
「というかあなたの技量からして、この町の魔法教室じゃどう考えてももう卒業よ。卒業証は役に立つことがあるから貰ってくるといいわ」
「わかった、そうするね!」
素直にそういうと、彼女も外へ飛び出していった。それを見て目を細めるシスティア。
「活発ねぇ……」
「なんかそんな風にしてると年寄りっぽいぞ」
「うるさい」
愉快そうにからかってくるレニーに、システィアはノートを投げつけた。……二本指であっさりキャッチされていたが。
その後は各自で準備を進めていたが、情報を聞きつけたナターシャの友達が町中から押し寄せたり、キャスパーさんの料理提供があり壮行会が行われたりと騒がしく一日が終わっていった。
そして翌朝。雲一つない晴天。それはまるで、空が俺たちの旅路を祝福しているかのように思えた。
「さぁ、まずは南下して街道に出るわよ」
システィアの号令の下、レニーが地図を片手に先頭を歩き始めた。
──この一歩が俺の冒険の始まりと思うと、心が躍った。この先にどんなことが待っているのだろうか。わからないが、こいつらと行動していればきっと楽しいのだろうなと、出会ってからの一日で思わされていた。
「ライカさん」
ナターシャが隣に寄り添ってくる。その表情は僅かに緊張が感じ取れるものだった。……が、彼女はすぐに笑顔になる。
「頑張ろうね!」
「──あぁ。そうだな!」
俺も笑顔で返すと、ナターシャとともに第一歩を踏み出した。