6話 血戦、深紅の瞳
何かを引きずった跡を辿り、相変わらず生き物のいない森を進んでいく。そして進んだ先には、
「案の定というか何というかって感じね」
件の洞窟があった。跡は洞窟の内部に続いている。中を覗いてみれば、真っ暗な闇が広がっていた。
「──闇をかき消す月明かり、求めに応じ降り来たれ」
システィアの詠唱。俺やナターシャが使う簡易魔法の光とはまるで違う、強烈な光源が魔法陣から生み出された。
魔法の光を頼りに洞窟を進んでいくと、動物の──シカの死体が転がっていた。
「さてさて、奥には何がいるやら」
「開けた場所に出るぞ」
先頭を歩くアルバートの報告通り、広間のような場所に出る。そこには異様な光景が広がっていた。
「これは……驚いたな。死体だらけだ」
レニーの言葉通り、動物の、無数の死体が山のように積み重ねられている。
「死因は何かしら。大きな欠損や出血は見られないけど」
「ちょいと見てみるか」
死体の山に近づくアルバート。
不意に、それの一部がもぞりと動いた気がした。
「アルバート離れろッ!」
直感がそう叫ばせる。はっと顔色を変えるアルバートに対し、残骸の中から何かが跳ね上がった。アルバートは後退し、間一髪でそれを躱す。
光に照らされぬらぬらと光るそれは、真っ赤に染まった人間の手に見えた。
「あっぶねぇ……。ライカが叫ばなかったら今のでやられてたかも」
次第に、手から先も這い出してくる。現れたのは、やはり人間のように見える。服はところどころ擦り切れているが、その下の白い肌に傷はない。
そいつがこちらを見た。深紅の鋭い瞳。その瞳は憔悴しており、手負いの獣を思わせた。何より目を引いたのは、赤く染まった口元と、人間にはない発達した長い牙だった。今まで感じたことのない威圧感に背筋が凍る。
「────────吸血鬼……⁉」
そう呟いたのは誰であったか。
アルバートの引きつった笑みで、これがどれほどまずい相手なのか察する。
不意に、固まっていたシスティアが弾かれたように叫んだ。
「撤退するわよ! こいつの相手は荷が重い──!」
「アア、ア、アアア、逃がさぬ……」
呻きとともに吸血鬼が手をかざすと、視界のかなり前方に赤い壁が形成されたのが見えた。魔法。こちらを閉じ込めるためだろう。
「クソ、結界か。解除にどれくらいかかる⁉」
「……三時間あればできるかしら。その間に全滅するだろうけど」
レニーの問いに、覚悟の表情でシスティアが答える。その意味は。
「んじゃ、方法は一つかね」
どうやらそういうことらしかった。アルバートが斧槍を構えると、レニーも諦めたようにため息をつき、剣を構える。覚悟を決めたようだ。
「パーティ結成した初っ端から吸血鬼とはね。ライカにもきっちり働いてもらうよ」
「了解……じゃないと生きて帰れなそうだし。ちなみにどんな敵なんだよ」
「素手で鋼鉄引き裂くようなバケモンだぞ」
「人外過ぎる……」
俺もまた、剣を構え敵を見据える。敵は吸血鬼。今の話や、三人の反応、俺が知っているおとぎ話から鑑みて、厄介な相手であることは明白だった。
次の瞬間、敵が馳せた。
「血を……よこせぇええええええええ!」
「──ッ!」
狙いは俺だった。爪による一撃。剣で受け止めるも、話は聞いていたものの、想定をはるかに上回る膂力にガードをこじ開けられる。
「ざっけんな!」
先の先。
追撃しようと構える吸血鬼。そのわずかな隙に無理やり一撃を叩きこむ。
「やるねぇライカ!」
俺を称賛しつつ駆け込んできたのはレニーだった。態勢が崩れ無防備だった俺のカバーをしてくれる。
しかし驚くべきは吸血鬼の再生能力だった。肩口から胴にかけて袈裟懸けに斬られたにも関わらず普通に動いている。それどころか、先ほどの傷はすでに塞がっているようだった。
「こりゃマジの化け物だな」
そう呆れつつ、レニーの隙を消すように立ち回るアルバートを見て、これがそういう戦いであることを理解する。であれば自分のやることもまた、そうなのだろう。
三人でそれぞれを上手くカバーしながら戦っていると、不意にアルバートがこちらに視線を寄こした。恐らくは、一度下がれという合図。
レニーを残しその場から飛びのく。当然吸血鬼の攻撃はレニーに集中することになるが、彼はうっすらと笑みを浮かべた。
「そうはいかないよっとね」
そう言いながら彼はしゃがむ。どんぴしゃのタイミングで光弾が彼の背後から飛んできていた。レニーがしゃがんだことによって、それらは吸血鬼に被弾する。システィアの魔法だった。
「ァアアアアアアアアア!」
敵の、獣のような悲鳴。だがそれを気にする素振りもなく細身の剣士は次の手を打つ。
「──封魔を成すは明けの明星、織り重なりて戒めとなれ」
先ほどの光弾が鎖状に伸び、敵を縛り上げる。どうやらレニーは魔法も使えるようだった。
「この程度で……!」
「あら、まだ終わりじゃないわよ?」
呻く敵を少女は嘲笑い、その艶やかな唇で魔性の呪文を紡ぎだす。
「──至高の霊剣、折り砕くこと叶うべからず」
吸血鬼の頭上に現れたのは無数の銀剣だった。それらが降り注ぎ、避けようもなく突き立っていく。
「うっわ、魔法って怖ぇ」
全身に剣が刺さったまま動かなくなった敵を見て素直な感想を漏らす。レニーが、うちの魔法使いは容赦ないからな、と苦笑い。
「気ィ抜くなよお前ら。今に……」
アルバートがそう言ったところで、突如赤い影が鎖を切り裂き、剣を弾き飛ばす。軽鎧の戦士は顔をしかめた。
「ほらきた。奴さん本気になったぞ」
「なんだよあれ」
「自分の血だ。吸血鬼はああやって、血を武器にする個体がいんだよ」
血走った目でこちらを睨む怪物。その手首からは赤い帯のようなものが生えていた。
「……人間如きがァ……。殺す。殺してやる。殺す殺す殺す殺す殺す殺す──────!」
呪詛のように繰り返す吸血鬼が、疾走。
「狙いはシスティアか!」
まっすぐにシスティアへ駆ける敵を止めようとするも、自在に動く赤い帯に邪魔され、上手く近づけない。
「ああもう、近接戦はダメなんだけど……!」
吸血鬼の猛攻を展開した障壁でしのぐ少女。その表情は先ほどとは違い強い焦りが見える。
近づけないならとレニーが魔法を放つが、全て奴の鮮血に打ち払われてしまう。
どうすればいい。必死に思考を巡らせ、一つの考えに至る。馬鹿みたいだが、やるしかない。
「アルバート! 俺をぶっ飛ばせ!」
「正気かお前⁉」
アルバートの得物に飛び乗りそう叫ぶと、彼は驚愕に目を丸くする。が、この案に賭けてみようと思ってくれたのだろう。力を込めて斧槍を握りなおしている。
「舌噛むなよ! うぉおおおおおおおおおおりゃあああああああああああッ!」
凄まじい圧力とともに打ち出され、血を飛び越えることに成功する。上手くいったようだ。
空中で態勢を立て直し、障壁を破壊しシスティアを仕留めようとしている吸血鬼に不意打ちの一太刀を浴びせる。
「なに……⁉」
「はぁああっ!」
そのまま連続で剣を振るう。相手に隙を見せればその瞬間に首を取られる、その確信があった。
「ふざけるなァァァァ……!」
「っ!」
憤怒の表情を浮かべた吸血鬼が、展開していた血を収束させる。刃となった赤が迫る。直前でシスティアを範囲外で押し出したものの、自分はどうやっても逃げ切れない。
細切れにされておしまいだ。多分、システィアの魔法も間に合わない。それはまあ、仕方ないと思った。心配なのは、残った三人がこいつに勝てるかどうか──
「──永久に砕けず千年城壁、虚構の果てより真実となせ──!」
聞き覚えのある声が聴こえた。瞬間、光の壁が俺を守るように現れる。それは甲走った音を立て、深紅の刃を止めてみせた。渾身の一撃だったのであろう。それを止められた吸血鬼は面を食らい、一旦距離を開ける。
この魔法は誰のものか。僅かに上擦った詠唱はシスティアのものではなく、レニーのものでなく。自分はこの声を知っている。
それはこの場にいないはずの少女の声だった。周囲を見渡してみれば、岩陰から身を乗り出している少女が一人。
ナターシャだった。
「まさか、ついてきてたのか!?」
大声にびくりと震える少女。
「あぶないからだめだって言っただろ……!」
「でも、ライカさんを助けられたよ……!」
彼女はおずおずとそう言う。しかし、その瞳には力強さが宿っていると感じた。
彼女に助けられたのも事実であり、何も言えなくなってしまう。
そこに三人が合流してきた。
「状況はよくわからないけど、助っ人は素直にありがたいわ。ここにいる以上、あなたにも頑張ってもらう。あなた名前は? どんな魔法を使える?」
「ナ、ナターシャです。わたし、今の初めて成功して……他に何ができるかなんて」
「初めてであの強度? まったく頼もしいわね」
システィアからの問いに、申し訳なさそうにナターシャが答える。質問した本人はあまり気にしていないようだが。
「まあ今のができるなら大抵のことはできるでしょ。それを前提に作戦を──」
システィアの言葉が途切れる。理由は簡単だった。
「この魔力……!」
様子見していた吸血鬼が凄まじいまでの魔力を放ちはじめた。何か強大な魔法を行使するつもりなのだろう。
「これ、召喚魔法───⁉」
「もう、いい。血が必要だったが、やめだ。お前たちは跡形も残らず殺す。──────────序列二十三位、『アイム』の召喚を実行する」
システィアの驚愕と、その小さな呟きは同時だった。
奴の血が魔法陣を描き出す。それは光輝を増していき──。
「なんなのよこの魔力量、何を呼び出すつもり⁉」
魔法について豊富な知識を持つであろうシスティアでもわからないらしい。だが、自分には一つ思い当たるものがあった。
『アイム』とは、悪魔の名前ではなかったか。そして、序列という言葉。合わせて思い浮かぶものは。
──古代イスラエルの王ソロモンが使役したとされる七十二柱の悪魔。
あの吸血鬼は、その一柱を召喚しようとしているのではないか。
『アイム』といえば、炎を扱う悪魔であったと記憶している。であれば。
「システィア、水の障壁とか使えるか⁉」
「出来るけど、何が呼ばれるかわかるの⁉」
そう叫びつつも、彼女の判断は早い。即座に魔法を組み上げ、青く光り輝く水の障壁を作り上げた。
やにわに、吸血鬼の魔法陣が赤い輝きを放つ。目が潰れるんじゃないかと思うほどの光量、そして業火と熱。
やはり、奴が召喚したのは──。そう思うも、奴の傍らには魔法陣が存在するだけで何かが現れた様子はなかった。
「多分、呼び出す対象が強力すぎてこちら側に出てこられないんだ。陣を通して力を飛ばすことはできるみたいだけど」
「人間が、疾く消え去れ──!」
第二波。炎が障壁を叩く。障壁にヒビが入るも、システィアは歯を食いしばり耐える。表情を見る限り相当な負荷がかかっているのだろう。
「ぐぅっ……なんて威力よこれ! こっちが水だからどうにか防げたけど、違ったら私たち今頃黒焦げね!」
「あとどれくらい耐えられる?」
「次が限界! だから次で〝崩す〟わ」
第三波。どうにか防ぎきるも、障壁は砕け散った。しかし、少女は不敵に笑う。
それは反撃の狼煙であると、自分にはそう見えた。
砕け散った障壁の破片が、空中で静止、その後弾丸の勢いで吸血鬼に飛んでいく。
「これは──⁉」
「はっ、リッツフォード式攻性障壁の味はどうかしら⁉」
水の弾丸に穿たれ、敵が怯む。この瞬間が勝負だと、全身が告げていた。
真っ先に飛び出したのは青髪の剣士だった。先ほどまでと違い、剣が何か輝くものを帯びていた──魔力だ。
「っ、死にに来たか!」
敵の迎撃。魔法陣が再び赤い光を灯す。──その前に、レニーの剣が疾風の速さで魔法陣を断ち切った。
「死んでやるわけないだろ? やれ、二人とも!」
「わかってる!」
アルバートと声が重なる。吸血鬼を挟み込むように剣と斧槍が走った。
「ぐ、がぁあ……!」
苛烈な挟撃に敵が呻く。しかし、これで終わるはずはなかった。こいつを滅するにはさらなる追撃が必要だ。
「気高き朱の焔槍、遍く咎を灰と化せ──!」
システィアの詠唱。先ほどの召喚魔法ほどではないが、かなり大きな魔力が渦巻く。魔法陣が構築され、その中心に炎の槍が生み出された。それが射出される、その刹那。
「ガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
喉の限界など無視する勢いで敵が吼えた。規格外の声量に加え、魔力を乗せることによって衝撃を伴ったそれは、俺たち前衛三人を軽々と吹き飛ばす。
狙いはあくまでシスティア。直撃自体はナターシャが障壁を展開し防いだものの、衝撃が足場を揺るがせる。
「まずっ……!」
それが致命的だった。炎槍の狙いが逸れる。彼女の顔色を見る限り、恐らく魔力に余裕がない。しかし、奴を倒しきるには物理攻撃では厳しいだろう。
故に、なんとしてもあの魔法は当てなければならない。
「クソッ!」
そう叫び、走る。射出された炎槍へと。走りながら、手に魔力を纏わせ、手袋のようにする。先ほどレニーが自らの剣にやっていたように。
追いつき、掴み取る。これは炎でできた槍だ。その対策の魔力手袋だったのだが、炎は容赦なく俺の手を焼き焦がした。
「いっっっっっっっっ、てぇんだよこのクソッタレがぁああああッ!」
痛みを気迫と根性と勢いと叫びで誤魔化し、炎槍を投げ放つ。狙いは寸分違わず敵の胸部へ。槍が奴を刺し貫いた。
瞬間、槍に込められた魔力が爆ぜ、熱と衝撃を撒き散らす。それにより吸血鬼は半身が消し飛んだ。
「ぁ、ァ、あァあ────」
未だ蠢くもう半身。これでも死なないというのか。なんてふざけた生命力だ。
「ナターシャ、合わせなさいッ!」
「は、はい!」
しかし、システィアはこれでも死なないことがわかっていたのだろう。二人の少女の唇が、同じ呪文を紡ぎ出す──。
「──久遠結びし聖なる威光──」
「外法を廃し、安寧を成せ──────!」
吸血鬼の周囲に幾重もの光の円環が現れた。それは穢れを洗い流す浄化の光。半身を失った吸血鬼は、声もなく悶え苦しみ。
そして、最後には灰となった。
「……か、勝った……」
本当にギリギリの戦いだった。皆、達成感より疲労感が強いのだろう。へなへなとその場に座り込む。しかし俺はと言えば。
「────────」
疲労と火傷の激痛ですっかり気絶していたのであった……。