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攻略対象〈アドルフ〉の視点

流行に乗ってみた。一話完結の予定が長くなった・・・。

 魔術による技術進歩著しいパルトゥーシェ王国。

 封建制度をうたうこの国には平民と貴族の二種類の人間がおり、特に政略結婚を繰り返して魔力の強い血統を築き上げた貴族たちは、十三歳になる年度に、親元を離れて学園都市レティスに六年間移住するのは当然の慣習であった。

 そこで貴族の子弟たちは一流の教育を受け、また同じ貴族、さらには先祖返り・突然変異的な要因で現れこの学園に入学を許された平民たちと交流を重ね、将来に続くコネクションを紡いでいく。

 とある春。

 新学期が始まるのと時を同じくして、ひとりの平民の娘がレティスにやってきた。



 艶やかな濡れ羽色の髪、強い光を湛えた金褐色の瞳。よく日に焼けた顔と肢体は引き締まって俊敏なネコ科動物を思わせる野性的な魅力。それに加えて爽やかで愛嬌のある態度から誰にでも好かれる兄貴肌――、というのが俺の学校内での、ひいては貴族社会での評価だ。


 どうも。アドルフ・ラギエです。今年で十八です。つまり最高学年。実家は武勲の目覚ましいことで有名なラギエ伯爵家です。家を継ぐために剣を習い、卒業後には騎士団に在籍してラギエの跡継ぎにふさわしい武人になって、それから故郷に帰るつもりだ。


 さっきのは別にナルシスト野郎の自己評価ではない。れっきとした客観的評価だ。あしからず。

 まあそれはいいとしてだ。


 俺はぶっちゃけ困っている。


 身から出た錆。因果応報。自業自得。馬鹿の所業。


 そんなことはわかっている。

 いやさー、まさかさー、ここまでなるとはさぁ、思わなかったんだよいやまじで!

 男が言い訳とは情けない。・・・それも承知の上で、とにかく最初から――このアホな事態の元凶のことから話していこう、と、思う。


 俺には婚約者がいる。貴族社会ではその位もそうだが、魔力の高さも重視されている。貧乏男爵家にある日突然それはそれは素晴らしく高い魔力持ちの娘が誕生し、熾烈な争いの末すさまじい玉の輿に乗る、なんて話も実際にあるほどだ。まあつまり、政略結婚ってこと。


 別に俺は彼女――リュシーが嫌いなわけでは無い。

 リュシー・シュヴァリエ。

 きらきらと輝く新雪のような白銀のロングヘア。潤んだような光沢を持つ大きな瞳は瑠璃石のような輝き。夜空で瞬く星に喩えたくなるような繊細な美少女。

 このコはおれより四歳下で今は二年生。いまでこそはっとするような「美少女」だが、ちょっと前まではかわいい「幼女」だったわけで。

 四歳差はでかい。十代後半、二十代になれば些細なものだろう。しかし今現在においてはでかい。

 ちょっと前まで――それこそ一桁のときはいわずもがなだ。


 俺は軽く絶望した。


 こんなちっこいやつが婚約者!

 どんだけ待てっつーんだよ!!


 世の女性なら最低と思うかもしれない。けれど俺はお年頃だ。加えて男ばっか――、それも女には事欠かない色男の家系に生まれて、そういう知識だの成長だのもわりかし早かった。

 自慢ではない。事実だ。


 まあそんなわけで。俺としては目の前に同じ年頃の綺麗どころがうようよいるのに指をくわえてみているだけっつーのは男の沽券(これもまた世の女性が聞いたらどう思うだろうか)に関わるわけで。

 しかし、黙ってこそこそやっていると後から問題になりかねない。

 リュシーの実家はウチと同じく伯爵家。跡継ぎは冷徹な切れ者と噂され、実際そのとおりな長男。

 あの人を敵に回すわけにはいかん。ラギエ伯爵家としても。俺個人としても。


 そこで俺は思いついた。


 こそこそやるのはいけない。

 なら堂々とすればいい、と。

 おかしいか?おかしいだろう。しかし不可能ではないのだ。いやむしろ婚約者がいても火遊び程度に異性交遊を楽しむ奴は、実際少なくないのだ。勿論結婚は結婚として貴族の義務だが、昔に比べて貴族の結婚観、というより恋愛観も大分フランクになってきた。

 政略結婚までの羽伸ばしなら、多少は構わないだろうという寛容さがここ最近の世代で受け入れられてきたのだ。ちなみにこの「羽伸ばし」期間に未来の愛妾を探す奴も男には結構いる。それ目当てでかなり積極的に自分を売り込むお嬢さん方も実は多い。婚約者もちでもお互い認めて――無断のやつもいるけど――羽を伸ばす令嬢もいる。

 俺も早速許可を取った。レティスに行く前の晩だ。ラギエ家とシュヴァリエ家、両方の家族が集まっての送別会。パーティーが終わり、ウチに泊まるリュシーを内密にバルコニーに引っ張っていった。許可と言っても相手の両親に求めるわけでは無い。あくまで当事者たちの了解のもとの約束である。

「リュシー」

「うん」

「俺は明日からレティスに行く」

「うん。知ってる」

「まあ聞け。それで、レティスにはいろんな人がいる。野郎どもも勿論だけど、きれいな娘さんたちもだ」

「うん」

「そんで俺は・・・、まあお年頃なわけだから、ちょっとそういうコたちに目移りすることもある」

「うん」

「でも、ちゃんとお前が十八歳になって、あの学校を卒業したら、ちゃんとお前と結婚するから。だから・・・、まあ、その、それまでの間は多少のことは大目に見てもらいたい」

 リュシーはちょっと黙った。そして子猫のようなかわいい仕草で首を傾げた。

「ちゃんと結婚する?」

「ああ」

「誰も困らない?」

「ああ」

「わかった」

 このころリュシーは九歳。それでも貴族の娘だ。周囲に与える影響力の大きさはきちんと教育されている。

 リュシーはそれが了承の返事だったのだろう、くるりと背を向けると、あくびをして自分にあてがわれた客室にてくてく向かった。


 こうして俺はレティスの王立学園に入学し、その後はまあ、いろいろな女の子と浮名を流した。爽やかとか愛嬌があるとか言われても所詮は男なわけで。でもまあ相手はちゃんと選んできたつもりだ。俺と同じで、窮屈な結婚までの羽伸ばし期間を楽しみたいコ。そうしたコにとって俺は格好の遊び相手だったわけだ。

 これは火遊びだ。刺激的で、享楽的。やけどしないように、――傷つかないように、互いに温度を調節して興じる、一種の遊戯。

 これまで何の問題もなかった。俺にとっても相手にとってもたくさんいる遊び相手の一人。中には俺をお気に入り認定しているコもいたが、俺に婚約者がいるのは分かっているのでそれ以上にでしゃばることはない。そういうコを選んできたし、貴族の義務に反するのは禁忌だ。ことと次第によっては一生表を歩けなくなるだろう。


 もうそろそろ予想もついてきたか?


 俺がひたすらアホだの自業自得だのと自分をののしっている理由が。


 事件・・・というとちょっと大げさかもしれんが、それは今年の春に起こった。

 四年生に途中入学の転入生が入ってきたのだ。

 普通こんなことはありえない。この学校は魔力の持つものは半ば強引にでも入学させる。そういう血統を作り上げた貴族は当然として、平民でも魔力持ちなら物心つくころにはその適性を示すはずだ。だから「途中から」とはまずありえない。

 しかしその転入生――、ルティア・ティリエは魔力がずば抜けて高かった。そのせいか、魔力が顕れるのが人より遅くなった・・・らしい。実際の所では、教職員にも詳しいことはわかっちゃいない。それでも過去にこうした例は、片手の指で事足りる程度ではあるがあったらしく、大きな混乱もなくその生徒はこの学園に迎えられた。


 問題は、そのあとの彼女の行動だった。


 ルティア・ティリエは複数の――、それも顔よし、家柄よし、成績よしなハイスペック令息たちと親密な関係を持ち始めたのだ。この場合の「親密な」は友情じゃない。おててつないでみんな仲良く、なんてもんじゃない。手なんざ握ったらそのまま抱擁までいって睦言のひとつやふたつやみっつ囁く。そのたぐいのもんだ。いくら寛容になったとはいえ、ルティアは火遊びとしては度を越していたし、何より令息たちの婚約者を蔑ろにすらしたのだ。

 婚約者と約束していれば、やれ、私と一緒にいるのがいやなの、だの。私は○○が一番なのに!だの。果てにはそんな人どうだっていいじゃないだの。

 アホか。

 誰だってそう思う。しかしルティアの取り巻きと化してしまったヤツらには、そんなもんはきかない。

 理由は二つ。一つはその容姿だ。

 ふわりと波打つベビーピンクの髪は背中に届く程度の長さ。長い睫に縁どられた大きな双眸はとろりと甘い蜂蜜色。纏う色は人それぞれだが、それでも一見の価値ありの可憐な取り合わせだ。加えて顔立ちも砂糖菓子のように愛らしく、妖精のような美少女だった。

 もう一つだが、これは実に奇妙だ。

 ルティアは令息たちの心を癒して、そして虜にしているのである。

 大貴族ともなれば気苦労の一つや二つ、あるだろう。ルティアはそれらすべてをあらかじめ「知っていた」としか思えない手腕で取り去ったのである。

 容色が美しいだけなら、そのうち冷めたかもしれない。しかし――心は違う。

 自分を理解し、愛してくれるひと。そんなもんを見つけちまったらもうどうにもならない。その甘く優しい至福の時を、是が非でも味わいたくなるに決まってる。

 まさしく花に群がる蝶。この場合、花がルティアで蝶が令息たちなのだが。


 で。


 実を言うと、俺もまた、少し前までその「蝶たち」の一匹だったわけで。

 いや、俺は蝶なんざ演じているつもりはさらさらなかった。

 俺がルティアと会ったのは彼女が転入してきた最初のころ。

「わぁっ!アドルフせんぱぁい!やっぱ本物もかっこよすぎぃ~」

 そんな感じで剣の鍛錬が終わった後、声をかけられた。

 俺はそのときちょうどフリーだった。

 連絡を取れば遊べるコもいただろうけど、とくにこのコが今のお気に入りという感じのコが丁度いなかった。それでちょっとばかし関心がわいた。

「きみ、あの噂の美少女転入生?」

「やだぁ、美少女なんて!」

 言いつつ、まんざらでもなさそうなルティア。

 俺の彼女の第一印象は、軽そうなコだった。あんまり長く一緒にはいたいと思わないかもしれない。けどかわいいし、媚を売る仕草やあざとい言動は面白いぐらいにわかりやすくて、ちょっとの間の遊び相手ぐらいならいいかもしれないと思った。


 幸いだったのは、俺には心の闇なんてのは存在しなかったこと。

 俺にとってルティアは頭のカルそうな、見た目はかわいい、それだけのコだったこと。


 ルティアとはそれなりに話したりデートをしたりしたが、結局手をつなぐ以上のことは何もなかった。俺の好みではなかったのだろう。見た目もちょっとあれだけど、多分に中身が。

 ルティアはそのうちほかの男どもの開拓に乗り出し、俺もそんならそろそろ潮時かなと思って彼女のそばを離れた。離れようとした。


「センパイ!?私のことを置いてどこに行こうっていうのぉ!!」


 無理だった。

 この独占欲の強さと言ったらない。俺は自分が遊んでいたのは可憐な花、もしくは蝶などではなく、捉えた獲物は逃がさない女郎蜘蛛だったとわかった。わかったところですでに時おそし。

 俺のいく先々で現れ、俺の女友達につっかかり、持ち前の可憐さとあざとさで迫ってくる。

 やばい。これはやばい。火遊びなんかじゃない。捕まったら最後、俺はこのルティアという女の欲望の火にくべられる、哀れな薪の一本と化すのだ。冗談ではない。

 死にもの狂いで逃げ、煙幕とばかりに不特定多数の美人と戯れ、とにかく距離を取った。

 ルティアは、可憐な擬態の女郎蜘蛛は驚異的な執拗さで俺を追い掛け回したが、次第に落ち着いた。なびかない俺よりもほかの男に媚を売ることにしたらしい。


 なんとか安心・・・して、いいのだろうか。


 最近視線を感じる。ふと、顔を上げると、あの・・・ベビーピンクのふわふわした髪が視界をよぎる。

 あれは間違いない。

 ルティアだ。

 いつ、どこであの女がどんなアクションを起こすか。

 考えただけで末恐ろしい。ほとんどホラーだ。

 つか、ほかにもハーレム野郎はいくらでもいるだろ!!なんで俺なんだよ!小耳にはさんだだけでも公爵、侯爵、伯爵、子爵、優秀な平民、果てには教師や王太子なんて大物までいるらしいぞ!?本気でこの国は大丈夫なのか!!

 最近では必死に学園都市外に、つまりは父兄らにこのことに関する嘆願状を送りつけているやつもいるとか、いないとか。多分いる。こんな女によって蔑ろにされ、半ば空気(令息たちの心境として)扱いの婚約者たちとか。


 リュシーはどう思っているだろうか。

 俺はほかの女友達と遊びつつも、彼女に会う時間もわりと頻繁に作っていた。

 男三人兄弟の長男で、そりゃあもう弟たちには手を焼かされて、それにくらべて大人しく自己主張の少ないリュシーは俺にとっては新鮮で・・・かわいい妹みたいな存在だった。

 リュシーは基本的にマイペースで、しかもそのペースが人よりワンテンポずれた感じだったから心配だというのもある。けどそれを抜きにしても、彼女との時間は楽しかった。


 そろそろ年貢の納め時、てか?

 意味は違う気もするが、つまり潮時だ。俺の火遊び。最後の最後で大やけどさせられた。全部俺の始末が悪かったせいだ。まあこんがり丸焼きになるのを避けられただけマシだが。


 とにかく、俺の身を守るためにも――彼女のためにも、そろそろ、きっちりせにゃならん。


 国内で最高の教育を提供するといっても過言ではない、王立学園を擁する学園都市レティス。

 校舎のある一区、クラブ棟・楽団も使用するホール・運動施設なんでもござれな二区、寮のある三区、国内最大規模の図書館と本屋がある四区、見事に歓楽街な五区で構成されている。

 俺は休日に学友たちとつるんで五区へ出向き、今月の舞踏会に備えて礼服を仕立てに行った。

 女子は同じものを何回も着るわけにはいかないと頻繁に仕立てるようだが、男はそんなことはない。だから別にいいかとも思ったが、気持ちを新たにすべきだろうと判断し、新しいダークスーツを仕立てた。成長期で一年にめきめき身長が伸びるからという切実な問題もある。

 王立学園は貴族の子女で大部分が構成されているし、少数の平民も魔力持ちで成績もよければ王宮に仕官するのも夢ではない。そのために貴族の作法を勉強する機会がいたるところで与えられる。

 月に一度の舞踏会もその一つ。王宮ほど堅苦しくもないが、なかなか格式高いマナーを学べると父兄の評判もいい、生徒にとっても楽しいイベントだ。

 俺はもちろん、他の奴らも舞踏会の入場と最初の一曲は婚約者と共にする。そのあとは自由に行動する奴らも多いわけだが。

 今回の舞踏会では――、俺は、できる限りすべての時間をリュシーと共にしたい。

 そうすれば対外的にも俺の火遊びの終了を伝えられる。最高学年ともなれば年度末の卒業試験もある。剣闘大会でせいぜい良い成績を取って騎士団への推薦状もゲットせねばなるまい。

 これで大丈夫・・・なハズ。


 来たる吉日。


 空が薄青と藍色の境目にある、夕刻をそろそろ終える時間。

 俺は二区の大ホール前で我が婚約者殿をエスコートしつつ、開始を告げる王太子殿下のお声掛けを待っていた。赤茶色の石畳は魔法のシャンデリアで華やかにライトアップされ、王宮に出入りしていたこともあると噂される庭師が整えた庭園はため息をつくほど見事。

 白を基調とし、金と銀の上品な装飾を施した大理石のホールも、現れた月の光に淡く輝く。

 ドレスとタキシード、もしくはスーツの姿があふれ、舞踏会は活気に満ちていた。


 この日、月に一度の舞踏会のために正装した彼女は綺麗だった。かわいかった。

 月並みな表現しか出てこないのは勘弁してほしい。とにかく見惚れるぐらい美しいというのがわかってくれればいい。

 淡い水色の、ひざ丈のサテンのドレス。胸のすぐ下で切り替えし、ハイウエストの位置に細く長い絹の白いリボンが巻かれている。きらきらと輝く白銀の髪は小粒の真珠を幾つも絡めて緩やかに巻いていた。首には銀鎖に等間隔に真珠を散りばめたネックレス。耳にも小粒の真珠を房状に垂らしたイヤリング。

 幼いころから雪の精のようにかわいらしい娘だった。今はいっそ氷の姫君というのが順当な、きらめく薄氷のような儚さと魂まで惹きつけられるような神秘的な美しさが、彼女にはあった。

 王宮で開かれる正式な社交界デビューは十五歳から。現在十四歳の彼女は来年、あの華やかな場所で俺と共に踊ることになる。今から実に楽しみだ。


「おお見違えたな」

「そう?」

「ああ。かわいいよ」

「綺麗じゃなくて?」

「失敬。綺麗ですよ。お美しい。お嬢様」

 そんな会話をしながら、俺たちはホールの隅、様々なご馳走が並べられた卓のそばにいた。

 たっぷりの具を詰めて揚げたパン、身の詰まったエビ、酒蒸した貝、鳥の冷肉、子豚の丸焼き、赤カブのスープ、汁気たっぷりのパイ、チーズ、パスタ各種、さらに色とりどりの酒類。

 すでに飲酒を許される十六歳以上の俺は果実酒を傾け、リュシーはカラフルな色の各種ジュースから好きなものを選んで飲んでいた。

「ねえアドルフ。」

 リュシーは透き通った色のジュースを飲み干すと、俺を見上げてきた。そうした仕草は品のある血統書付の小動物のようでついつい目が和む。

「うん?」

「今日は遊ばないの?」

 これはほかの子は呼ばないの、という意味だ。リュシーをエスコートするのは当然の義務として、俺は舞踏会中の彼女といる時には自分の友人を頻繁に呼び寄せて彼女に紹介していた。

 そのなかには「女友達」もいたことはあるが、基本的には俺が紡いだ新たな人間関係、つまりコネクションを持つ相手だ。将来妻になる彼女には知っていてほしかった。

「ああ・・・、今日はいいんだ」

「いいの?」

「ああ。いいんだよ」

 今日はできるだけ二人でいたかった。


 俺は決してリュシーを嫌っているわけでは無い。

 むしろ好きだ。今でも妹のようにかわいいと思うことはある。けれど、そうしたことはこの先絶対に減るだろう。リュシーはますます美しくなる。体も、心も。「妹のような」というのはいわば期間限定のかわいさだ。せいぜい惜しんで、愛でておくとしよう。


 王太子殿下が上座に入場する。侍従が先導し、上座の中央に君臨した王太子殿下は今宵もほれぼれするほどの男ぶりだった。

 レオナール・ド・パルトゥーシュ王太子殿下。俺と同じく御年十八歳。

 襟足の部分で跳ねた、やや長めの髪は極上の金髪。真夏の海のような紺碧の瞳は炎のように輝く。漆黒を基調とした礼装は金糸で炎を象ったような優美かつ壮麗な刺繍がびっしりと施され、背中には内が深紅、表は漆黒のビロードのマント。留め具に使われた黄金のブローチは火炎を纏った獅子。

 彫刻的な、芸術品めいた造形美と若き獅子の威厳をおおせ持った美丈夫。それが我が国の王太子だ。


 俺は婚約者と共に膝を曲げて恭順の姿勢をとりながら、例の、ルティアの虜の一人に王太子殿下がいるという噂を思い出していた。

 そのご尊顔をひさびさに拝して俺は思った。

 ありえない。

 このお方が――、あの王太子殿下が、あんな女の毒牙にあっさりかかる、なんて。

 それともあの方も一人の男なのか?いや、しかし・・・。

 俺は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。どうなんだ、いったい。


「顔を上げよ」

 麗麗とした、滑らかかつ低い美声。その命じるとおりに俺たちは顔を上げた。

「今年はめでたくも隣国、ルプティ王国との同盟成立から半世紀の節目の年だ。そこで今宵はルプティの王女にして我が婚約者、セレスティーヌ・フォン・ルプティを皆に紹介したい」

 そうだ。今学期初めに伝達されていた。王女殿下が出席なさり、一か月この学園に滞在され、来月の舞踏会の後母国へ帰られると。そしてその方は王太子殿下の婚約者であると。

 遠目から見た隣国の姫は美しかった。ホールのあちこちからため息が漏れた。

 セレスティーヌ・フォン・ルプティ王女殿下。奇しくもルティアと同じく御年十六歳。

 ゆるく波打ちながら腰まで流れる艶やかな銀髪。月光を纏ったように淡く輝く白肌。アメジストをはめ込んだような、美しい紫の瞳。月の精霊のような清雅さと匂い立つ白百合のような優艶さをおおせ持った、神話の姫君のような麗容だった。

 セレスティーヌ姫は冬の冷気のような、凛と澄んだ清声で今回の滞在にあたっての準備についての礼を言い、これからの滞在期間が楽しみだといい、さらにこれからも両国のいっそうの繁栄を祈る旨を優雅な装飾言葉で述べた。そして王太子殿下の舞踏会開始のお声掛けがなされた。


 まず王太子殿下と王女殿下がホール中央で優雅に踊り、一般生徒はそのあとに許される。

 俺もリュシーの繊手を取り、ホールに繰り出す。まずセオリーの優雅な曲が流れ、そのうちやや速いテンポの曲が流れ始める。

 リュシーはダンスはやや苦手。しかしそこは俺の腕の見せ所。優雅かつ颯爽と踊る。

 彼女の指先と腰を支えて一回転。巻いた髪に散りばめた真珠が、シャンデリアの灯りを受けてほのかに虹の輝きを帯びる。

「わっ!あはは・・・」

 くるりくるり。

 俺は不作法でない程度に早いテンポで踊った。この方が楽しい。彼女の笑い声も光るように可憐で俺の耳と心に実に心地よく響いた。

「すごいすごい!楽しいね」

「お前が笑ってくれるのが、俺は一番楽しくて嬉しいよ」

 宝石のようなシャンデリア。華やかな男女たち。腕の中の婚約者。

 なぜだか妙に気分が高揚して、俺はかなり露骨に口説いた。

 リュシーが瑠璃の瞳を見開く。

 ああ俺は彼女にこんな手垢まみれの口説き文句の一つも囁いたことがないのだと今更ながら思い当たる。 かわいい妹のような存在。だけどもうそれも終わる。

 ダンスの動作の中で俺は彼女を引き寄せた。形の良い耳にわずかに唇で触れる。

 腕の中の彼女の体がほんの少し震えた。

 そのまま俺は彼女の、透き通るように美しい瞳と視線をあわせようとし―――、


 視線を感じた。


 今まで何度も感じた視線。獲物を見つめる、蜘蛛の視線。


 体温が一気に下降する。

 俺はこわごわと視線を上げた。そこにいたのは、・・・予想通り、ルティア・ティリエ。

 本日のじょろ・・・ルティアの装いは素晴らしかった。

 淡い上品な桃色の、光沢のある絹のドレス。全体的に体の線に沿う細身な形で、短い袖もふわりとした裾もバラの花びらを何枚も重ねたようにひらひらしている。耳にはアクアマリンだろうか。銀細工と水色の宝石の、大ぶりのイヤリング。ほっそりとした首には、金鎖に真珠とピンクダイヤモンドを散りばめたネックレス。ベビーピンクの髪は金粉を散らして華やかに結い上げ、金色の薔薇の髪飾りを付けている。


 見た目だけなら可憐でとろけるような美少女だったろう。


 が、その表情は恐ろしい。もう蜘蛛なんてかわいいもんじゃない。鬼だ。鬼の形相だ。

 歯をぎりりと食いしばり、蜜色の瞳を燃やし、細い柳眉をいからせ、百年の恋も冷めるのではないか、例の取り巻きどもに今すぐ見せてやりたいと思う、美しい素材も台無しな醜悪な形相。


 やばい。まじで。


 戦慄が電撃のように俺の体を駆け巡り、脳内で危険信号がけたたましく鳴り響いた。

 俺は踊りを切り上げ、リュシーを再び料理満載の卓に誘った。

 彼女は若干戸惑いつつも頷き、

「喉乾いたね」

 と言って飲み物を探した。

 しかし白いテーブルクロスの上には飲料のたぐいは見当たらなかった。

「取ってくる。待っててくれ」

 俺はそう言って、一旦彼女のそばを離れた。しつこく纏わりついてくるあの悪魔の視線をまかなければならない。彼女をエスコートしながらだと少々無理がある。とにかく俺はすばやくあの女から距離を取り、迅速に人の波に紛れ込んだ。

 にしても本当になんなんだよあいつは!?

 さっきだって一緒にいたの公爵家の嫡子だったぞ!!お前は婚約者どうしたよ!いただろ美人のが!!


 とにかく。

 俺は逃げねばなるまい。


 十分ほど経った。

 流石にあの気味の悪い蜘蛛の糸のようにくっついているとしか思えない視線から逃れた。冷たい汗をぬぐおうとして、今日は髪も整えていることを思い出してハンカチーフをそっと当てる。

 ああやばかった。生きた心地がしねえよ、ほんと・・・。

 そろそろ戻らねばリュシーも不審に思うだろう。いかにホールが広いといえども各所に設置された卓から飲み物を取ってくるのにそこまで時間はかからない。

 俺は彼女のジュースとついでに喉を焼くような味の酒を一杯、手に取って先程の場所に向かった。


 人の波をかき分け、声をかけてくる紳士淑女をあしらい、俺はさっきまで確かに婚約者を待たせていたはずの卓の前にたどり着いた。たどり着いたというのに。


 いない。


 確かにいたはずの、水色のドレス姿は跡形もなく消えていた。つやつやとした大理石の床をにらみながら、俺は今度こそ慄然とした。


 あの女だ!!


















悪役ポジがほんとになにもしとらん。

後半ではリュシーの目線にします。がんばっていいざまぁを書きたい。

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