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「はい。もしもし、**です」
私はほっとした。電話に出たのは霧生ではなく、おばさんだったから。
「もしもし。**ですけど」
「ああ、夏希ちゃん? 今日はどうしたの? 霧生に代わる?」
「……」
私は迷った。
「夏希ちゃん?」
――人の気持ちや思いがどんなものか、知らない。早苗の言った言葉が私の胸を刺す。
「……はい。代わって、下さい」
「そう? じゃあちょっと待ってね。霧生! 夏希ちゃんよ! 霧生! 早く来なさい!」
おばさんの張り上げる声が何か雑音のように聴こえる。しばらくして受話器の向こうから霧生の足音が聴こえてきた。
「……もしもし」
不機嫌そうな霧生の声。
「……久しぶり」
「要件は?」
「……あ、その、お母さんが明日、魚を届けて欲しいって……」
「何時?」
「二時頃に」
「分かった」
「あ、き……」
霧生と言おうとした瞬間に電話は切れてしまった。私は少しためらって、仕方なく受話器を置いた。
*
――休日。私は十一時に家を出て砂浜へ向かった。デイビッドはもうそこで待っていた。夏らしい、水色のストライプシャツにジーパンを着ている。
「デイビッド」
名前を呼んで、何だか急にすごく恥ずかしくなった。
「ナツキ。自転車を降りて」
「どうして?」
「どうしてって、ナツキが僕を乗せて運転するの?」
「あ……」
私は反射的に自転車を降りた。代わるように彼は自転車に跨がり、ハンドルを握る。私が後ろに座ったのを確かめるとデイビッドはペダルをこぎだした。彼から微かに漂うオー・デ・コロンか香水の匂い。潮の香りがする霧生とは違う……大人びた、匂い。
「この道をまっすぐでいいの?」
「そう。とても大きな岩だからすぐに分かるわ」
「オーケー」
私は土手の向こうに見える海を見た。ちらほらと、そこに座り、漁に使う網を繕う漁師の姿が見える。
「ああ、あれだね」
「そうよ」
私は風になびく髪を押さえながら言った。