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しあわせのロッド(キンタマつき)

作者: ポンカス

 同僚がニタニタといやらしい笑みを浮かべながら、一枚の紙片を寄越してくるので、訝しがりながらも受け取る。目を通すと、どうやら会社が商品に付けているアンケート葉書らしかった。弊社ホームページにも同様のフォーマットがあるため、葉書で送りつけて来る客は減少したという話だが、だからといって、ゼロになったわけでもない。これがどうしたの? と目線で問うと、彼は一段と笑みを濃くした。あんまり良い感じがしない。

「客の名前んとこ見てみろよ」

 言われるまま、氏名欄を見てみる。男性の名前だった。

「いやあ、居るんだな本当に。子供向けの玩具を買うおっさんってのは」

 それでさっきから、彼はニヤニヤと笑っていたのかと得心した。

 実際は名前以外は記されていないので、年齢まではわからないのだが、字が達筆で、とても子供が書いたものには見えなかった。そこらへんで判断したのだろうと思う。

「うーん。でもわからないよ。子供に頼まれて代筆したのかもしれない」

「そうかな? でもおっさんが買ってるって思ったほうが面白くないか?」

 僕は肩を竦めるだけで、意見せず突っ返す。その時ちらりと見た自由記載欄には、グリップ部を滑りにくくして欲しいという、よくわからない要望が書かれていた。

 プリティー・ブリリアント・ファイナルファイト・エターナル・ロッドというのが正式名称である、弊社製品は、朝早くにやっている少女向けアニメに出てくる登場人物のだいたいが持っているロッドを模して作られたものだ。長いので会社の人間は、「P棒」と略称を使う。そこはかとなく淫猥な響きがあるので、多分中堅の男性社員が呼び始めたものじゃないかと推測する。

 馬鹿にしたような呼び方ではあるが、これでどうしてウチの売れ筋商品の一つなのだから馬鹿に出来ない。たとえ購買層が、本来のターゲットであろう少女だけでなく、成人男性を含んでいたとして、僕には関係がないし、もっと言えば、会社も関心が無いだろう。売れるなら誰が買ってくれてもいいと思う。

 その日の一件はそんなワケで、僕の記憶には特に留まらなかった。


 そのはずだったのだが。

 目の前の光景が中々に衝撃的で、僕はその先日の記憶を揺り戻されていた。人間の記憶とは本来なくなることはなく、単に忘れているだけで、関連性の強い衝撃的な出来事に喚起されると、思い出されることとなる。そんな話をどこかで聞いたことがある。本当のことだった。

 夜の公園、コンビニの帰り、通りがかっただけ、空気を切る音、暗闇の中で動く影。目を凝らす。街灯から伸びる薄ぼんやりとした光の中、その姿が見えた。息を呑む。全然わけがわからなかった。バッティングの構えで、プリティー・ブリリアント・ファイナルファイト・エターナル・ロッドを振る男性。片足を上げ、十分にタメを作って、しっかりと仮想投手に向けて壁を作りながら、ゆっくりとフォームを確かめるように振られるロッド。かのロッドは平凡な少女が、魔法少女へと変化を遂げ、人類を脅かす敵を討ち果たさんがために開発された人類の英知と技術の粋が集められた希望のロッド。

 呆然としていると、男性は素振りをやめて、公園内の街灯の下へ歩んでいった。それで男性の姿がはっきりと見えるようになった。年の頃は四十絡みか。髪の中に白いものが幾らか混じっている。半袖のシャツの下にハーフジャージという出で立ちを見るに、どうやら今回が初犯ではなさそうだ。街灯の傍にはバッグが置かれていて、男性はそこからスポーツドリンクを取り出して、喉を潤し始めた。

 早く立ち去ろう。そうは思うものの、ついに好奇心を抑えることが出来ず、街灯に照らされた男性の様子まじまじ観察してしまっていた。少女向け玩具をバットの代用にして振り回すという奇行に走る人間とはどういった種類のものか。

 そして、それが良くなかった。ふと振り向いた彼と正面から目が合ってしまった。


 内藤と名乗るその男性は、予想に反して「普通」の人だった。カバンを探してもライターが見つからず、僕に火を持っていないかと訊ねてきたのだが、運悪く僕がコンビニに行ったのはタバコが切れたためだった。仕方なく貸してやることにして、近づいたのだが挙動におかしな所もなかった。勿論それまでしていた行動は警察沙汰にしても良さそうなものだったが、それ以外は普通だったという意味である。少なくともロッドを置いた彼は、気の良いおっさんだった。

「よく練習されているんですか?」

「うん。まあね。運動するのが好きだったりするんだ」

 運動するならタバコはやめればいいのに、とは思ったがそう簡単にやめられないのは僕も十分に知っている。

「草野球やってるんだ。すごく楽しい。仕事の八倍くらい」

 その言葉を聞いて内心ほっとする。彼は趣味も仕事もあるようだ。やはり普通の人なのか。だからこそ、そんな普通の人をあのような凶行に駆り立てたものが余計に気になった。

「あの…… どうして、あんなロッドを使ってたんですか?」

 思い切って聞いてみることにした。彼は顔を顰めた。機嫌を損ねてしまったかとヒヤリとしかけたとき、彼は白髪まじりの前髪をかきあげて。

「……コレは元々は娘に買ってやったものなんだけど」

 そう答えてくれた。そしてロッドを手にとって、小さく振ってみせる。

「試しに振ってみたんだ。今みたいに」

「ええ」

「そうしたら、思いの外、手に馴染んだ」

「ええ」

「だから取り上げることにした」

「ええ。え?」

「ずっと重たいバットを使っていたんだけど、最近目が衰えてきたんだろうな。変化球についていけない自分が居る」

「はあ」

「それで、最近は軽いバットを使うようにしているんだけど、コレがどうしてミートが難しい」

 そこで内藤さんは苦々しい顔をして、顎を揉む。

「芯に当たらないんだ。根本的に、軽いものを振るのに慣れていないんだろうね。それからは、色々試したよ。マスコットバットやら、フライパン。もちろん木製の軽いのも試した。だけど、しっくりこなかった」

 声に熱がこもりはじめる。

「で、コイツに出会ったわけだ」

「でも、それを使って当てれるようになったって、しょうがないでしょう? まさか試合でまでそれで打つんですか?」

「まあ最初は言っても気晴らしみたいなもんだったんだけどね。でも、使ってるうち、マジになっちゃって。コイツで何か掴めそうな気がしてきたんだ。木製の軽量バットにも通じる何か根源的なコツみたいなのが」

「そうですか」

 一応、供述に一貫性はあるように感じた。

 一通り話が終わり、二人の間に沈黙が流れた。おいとまを切り出すタイミングかなと、立ち上がろうとしたとき。

「君さ、もし時間があるなら、ちょっとバッティングピッチャーやってくれないかな?」

 内藤氏は全く違うことを黙考していたらしかった。


 ファイナルプリティオーブというものが、ロッドの先にはついている。アニメの原作では、主人公の女の子がコレを体内に取り込むことによって飛躍的な魔力向上を現出するという都合の良いアイテム、という設定だそうだ。しかし、こういったアニメにお約束な、インフレバトルの風潮に乗っかって、最初は主人公固有のオーブだったのが、あれよあれよと言う間に皆ちゃっかり手に入れて、今では敵キャラの魔法少女すら持っている始末。ともあれ、このオーブを忠実(?)に再現したものも弊社は取り扱っている。あこぎにも別売りである。最初から付いている完成版は通常版より高い。内藤氏が持っているのは完全版のようで、ロッドの先に、金色のオーブがしっかりと装着されていた。お買い上げありがとうございます。

 さて。どうしてオーブの話になったかというと、もちろん内藤氏がボールを所持していなかったため。石でも構わないだろうと言っていたが、万一にも当たって、ピッチャーライナー、ゲームセットという流れになっては僕が構う。そこで僕は自分がそれの製造に関わる会社の人間であることを明かし、オーブが着脱式であることを教えた。

 内藤氏がロッドの先からオーブを外す。パカッと間抜けな音がする。街灯にかざして、くるくる掌で回してみる。安い光沢を放つそれは、金色と言えば聞こえは良いが、明るい黄色と言われた方が実際はしっくりくる。

「このキンタマ外れたのか。知らなかったな」

 片手に持って、もう片方の拳で軽く叩いてみる。カンカンと少し高い音が出た。

「大丈夫なの、これ。打っても」

「大丈夫なんじゃないですか。プラスティックとかだと思いますよ、多分」

 そう答えて、オーブを受け取り、内藤氏から距離を取っていく。十メートル程はなれた所で、もういいだろうとオッケーが出る。

 オーブを両手でこねながら、内心、僕は何をやっているんだろうという気持ちが湧く。適当に用事があることにしておいて、さっさと立ち去れば良かったものを。だのに、こうして律儀に付き合っているのはどうしてだろうか。自分の会社の商品がファンタスティックな使われ方をしていて興味が湧いたから。本当に暇だから。ちょっと面白そうだから。まあいいか、どうでも。

 いざ。

 振りかぶって、尻を高く持ち上げる。体を捻ると、自分の背中側にあった景色が一瞬だけ見えた。そのまま体を正面へ戻していくと、必然、力が乗っている。そのまま勢いを殺さずに、腕を振る。オーブは腕が高い位置でリリース。思い描くは、頭部付近のブラッシュボール。事実、その軌道どおりにオーブはぐんぐん伸びていった。

 だが、内藤氏は動いた。大根切りに近い軌道でバットを振り下ろし……

 パーンという大きな破砕音がした。

 一瞬間、何が起きたのかわからなくなっていた。ロッドを放り出し、うずくまる内藤氏。その周辺はことごとく、街灯の光を受けてキラキラと輝いていた。夜の公園で輝く燐粉を纏ったおっさん。だけど、すぐに破片の正体を見破り、僕は理解した。慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「いたた。痛い。全然プラスティックじゃないじゃないか」

「すいません」

「目にもちょっと入ったかも」

 背中を向けて丸まる内藤氏は、小さかった。しきりに目を擦っているようで、もぞもぞと動いていた。

「大丈夫ですか?」

「痛いよー。何か変な汁出てきたかもしれない」

「それ涙なんじゃないですか? 普通に」

 それから内藤氏は、五分くらい動かなかった。その間に、僕の方で大きな破片は公園のゴミ箱にまとめて捨てた。細かくなってしまったものは、箒とチリトリでも持ってこないと駄目だろう。

 掃除を終えて、内藤氏の下へ戻ってくると、彼は膝を抱えて座っていた。隣に腰掛けようかと思ったが、今日は新品のジーンズだったことを思い出してやめた。

「なんか…… すいません。こんなことになっちゃって」

「いやいいんだよ」

 顔を上げた内藤氏の目は赤くなっていた。両目がそうだったので、少し吃驚した。

「もしかして、泣いていたんですか?」

「ああ」

「どうして」

 どうしてそこまで、と言い掛けて、

「人は悲しいことがあったら、泣く。普通のことだろう?」

 と遮られた。

 結局、その日はそのまま、もう帰ると言う内藤氏の背中を見送ってから僕も帰宅した。


 それから休日を挟んで、月曜日。以前、縁あって話したことのある開発部の人間と、会社のエレベータの中で一緒になった。軽い挨拶と世間話でもと思って、ふと話題が浮かんだ。

「ああ、キンタマですか。プラスティックじゃないですよ、あれ」

「そうなんですか。でも子供向けの玩具で、割れる素材ってまずくないですか?」

「いや、でも結構丈夫なガラスですよ。故意に割ろうとしなければ、そう割れるものじゃないですよ」

 むう、と僕は唸ってしまう。故意に割ろうとする行為の中に、ロッドでオーブを打つ行為も該当するのだろうか。するのだろうな。

「でも、プラスティックとかの方がもっと安全じゃないですか?」

「いやいや。それだと壊れないじゃないですか。壊れて、また新たに買っていただくという」

 僕が言えた義理ではないのだが、この会社腐ってるなと思う。

 仕事中も、時折考えていた。微妙に罪悪感があるのだろうと思う。不惑のおっさんが涙を流す様は、はっきり言って惑いまくりだった。捨てられたシバイヌみたいな顔をしていた。

 あのとき。外角に投げても、リーチの短いロッドでは届かないだろうという判断はあったのだが、それにしても顔付近に投げ込む必要もなかったように思う。それでもあそこへ投げたのは、まあ一球ギャグみたいな。内藤氏が避けて、危ないだろうこの野郎みたいな。それを打つんだもんな。昔、母親にカンチョーして、違う穴の方に入ってしまったことを思い出した。いや、そういうつもりじゃなかったのさ、と弁明したくなるバツの悪さ。それに、開発の人間でもないくせに適当にプラスティックとか言ってしまったのも良くなかったのだろう。

「ふう」

 PCから目を離して、ぐっと伸びをする。今日もあのおっさん、居るだろうか。


 果たして、居た。性懲りもなく、真剣な面持ちでロッドを振っていた。日本の官憲は優秀だと言われているが、実際はたいしたことないのかもしれない。

「お、君か」

 内藤氏が、人好きしそうな懐っこい笑みで迎えてくれる。両目ともしっかりと開いていて、ほっと安堵する。既に練習を始めて随分経つのだろうか、無地の白Tシャツは汗を吸って少し暗い色に変わっていた。

 と、そこで僕が後ろ手に持つ物に気付いたらしい。目を丸くして、すぐにニッと少年のような笑顔になる。

「それ」

 僕が持っていたのは、ぷにぷにのカラーボールが一つ。新品のプリティー・ブリリアント・ファイナルファイト・エターナル・ロッドだった。

「こないだのお詫びってことで」

 僕も釣られて微笑しながら、ロッドを渡す。気にしなくて良いのに、と受けあいながらも内藤氏は満面の笑み。

「やっぱり棒には玉が付いてないと、しっくり来ないよな」

 内藤氏はそう言いながら、今まで振っていたロッドをカバンへ仕舞った。

 それから、また僕は彼の練習に付き合うことにした。前回と同じ轍は踏まない、とばかりにカラーボールまで持参したのだから、僕も大概だ。

 前回と同じように、十数メートル空けて、向かい合う。以前思ったような、理由探しは心の中で起こらなかった。たとえば、クラスの友達と掃除の時間に箒と丸めた雑巾でやった野球ごっこ。男という生き物はいくつになろうが、根源的に球技が好きなのかもしれない。ただノスタルジックな楽しさに身を任せたい。

 いざ。

 振りかぶらず、胸の前で抱えるように持ったままのボール。一つ強く握りこむと同時、体を沈ませる。足元にあった地面がぐんと近くなる。そのまま左足を擦るように打者側へ差し出し、その体重移動に伴って腕が遅れて付いてくる感覚。ムチのようにしなった右腕は、地面スレスレを通過していって、やがて一番低いところから浮き上がるタイミングに合わせてボールをリリース。思い描くはライジングボール。ストライクゾーンを下から上へ駆け抜ける。

 そして内藤氏も動いた。浮き上がるボールの下っつらを叩くように軌道を合わせ……

 チッという小さな摩擦音を微かに聞いたような気がする。

 一瞬間、何が起きたのかわからなかった。耳朶を打った音、それを裏付けるようなボールの軌道を目の端に捉えたと思ったのだ。簡単に言うとポップフライ。だが、何かがこちらへと向かってきたのだ。反射で顔の前で両手をクロスさせる。それとほぼ同時。

 パーンという、先日も聞いた破砕音が耳に届いた。遅れて踏み出したままの左足に小さな痛みが走る。痛み自体は大したことがなかったのだが、投球後の不安定な姿勢がたたり、完全にコントロールを失って尻餅をついてしまった。キチンとした尻餅なら大したことはなかったのだろうが、やや斜めに倒れてしまい、足を石畳に打ちつけてしまった。そして尚悪いことに、僕は今日は彼に付き合うつもりで来たので、半ズボンを履いていた。結論を言うと、生身のままふくらはぎの辺りを擦り剥いた。

 すぐに傷口を押さえて三角座りの姿勢になる。ひりつくような痛みに、背中に嫌な汗をかいているのを自覚する。傷口から手を離してみると、掌が赤くなっていた。ぬるりとした感触から想像はついていたのだが、いざ血を見ると、

「うわー」

 と口をついて言葉が出る。痛みを堪える頭の隅で、足を擦り剥くのも随分久しぶりだなんて呑気なことを思う。

「大丈夫かい」

 すぐに駆けつけてきた内藤氏はそのまま勢い込んでしゃがんで、僕と同じ高さの視線になる。

「痛いです、結構」

「ごめん。まさかあのキンタマが飛んでくなんて思わなかった」

 言われて、彼の体の向こう側を見やる。きらびやかな金世界が視界に映るのだから、なるほど前回と同じ轍を踏んだらしいといやがうえにも理解する。少しの間ぼんやりしていると、眉をハの字にした内藤氏が顔を近づけてくる。

「大丈夫かい、本当に」

「え、ええ。ちょっと変な汁が出てる気がしますけど」

「それ普通に血なんじゃないかな」

 それからは、前回とは真逆の形になった。僕がへたりこんで血が止まるのを待っている間、内藤氏がせっせと歩き回って破片を拾う。あれほど真剣に心配してくれるとは思わず、僕は今さら気恥ずかしかった。駆けつけてくる途中、打ち上げたカラーボールが彼の頭に当たってちょっと面白かったことは、胸の裡に秘めておこうと思った。

 やがて掃除を終えた内藤氏が僕の方へ戻ってきた。

「なんていうか…… すまない。こんなことになってしまって」

「いいですよ。内藤さんのせいじゃないですから」

「そう言ってくれると助かるよ。でも、なんで飛んでいったんだろうか。今まで素振りしていて、こんなことは一度もなかったのに」

「うーん」

 僕も同じようなことを考えていた。そして既に結論に至っていた。

「多分、不良品だったんじゃないでしょうかね」

「え?」

「帰りに近くの工場に寄って来たんですけど、端の方のダンボールに沢山詰まってて。その中の一本を失敬してきたんです」

「なるほど」

「でもよくよく考えたら、随分ぞんざいな扱いだったし、恐らく欠陥があったヤツを弾いて入れておいたダンボールだったんじゃないかと」

 オーブを嵌めておく部分がバカになっていたのだろう。

 それから、改めて新品を渡そうかと言う話になったのだが、もうあの玉はいいよ、とうんざりした顔で断られた。


 お礼とお詫びという名目で、そのまま夕食をご馳走することになった。さんざん遠慮したのだが、どうしてもというのでご厚意に甘えることにした。何が良いかと聞かれるので安上がりで済む牛丼屋の名を挙げた。血は止まっていたがまだ歩くと痛む。近場で済ませたかったというのも大きかった。

「僕はキムチ牛丼を並で」

「ネギタマ牛丼の大盛り。玉子ぬきで」

 注文を頼み、備え付けの紅ショウガをつまみ食いしていると、内藤氏が右手を開いたり握ったりしているのに気付いた。

「どうしたんですか?」

「いやさ……」

 一度言葉を区切り、最後にぐっと拳を握る。

「二回とも当てられたなって」

 視線だけで先を促す。

「正直、あんな短くて軽いものを振って、簡単に当てられるとは思わなかった」

「あー」

「素振りの成果はあったんだなって」

 ふっと笑って、僕を正面から見る。

「君にも感謝している。実際に打ってみるとやっぱり感触が違う。そんなことは百も承知だったんだけど、同僚やチームメイトに頼むわけにもいかないから、半ば諦めていたんだ」

「なんでですか?」

「なんでって君」

 何をわかりきったことを聞くんだと言わんばかりの表情になった。

「恥ずかしいじゃないか」

 僕は言葉を失った。あれほど堂々とロッドを振り回していたのだ。そういう次元は超越しているものとばかり思っていたのだが、彼にも羞恥という感覚はあったのか。内心で動揺する僕に構わず、内藤氏は続ける。

「だけどこれで自信もついた。何となくだが、何かを掴んだ気がする」

 言葉通り、また握りこぶしを作ってみせる。

「今度の日曜日、試合もあるんだ。そこに間に合ったのは君のおかげだ」

「いえ、そんな」

「もし良かったら、君も観に来てくれないか。娘には最近めっきり嫌われてしまってね」

 はははと笑い飛ばす内藤氏。おもちゃ取り上げたりとかしてるからだろう。

 試合会場は聞けば、少し遠いが行けないこともなかった。

 だけど、僕は行かないことにした。彼との関係は、こういった距離感が一番いいのだろうと勝手ながら思うのだ。ちょっとした知り合い。お互い細かいところは詮索しないしされない。そういう関係が良い。少し遠いし。


 そして次の月曜日。昼休み、やはり同僚が紙片を持っていた。だが今度はしきりに首をかしげている。どうしたのか訊ねると、

「いやさあ。確か前も送ってきた人だと思うんだけどさ。わけわかんないんだよね」

 そう言いながらこちらに寄越してくる。目を通す。

「貴社のプリティー・ブリリアント・ファイナルファイト・エターナル・ロッドで練習をしたところ、先日の試合で二回も盗塁に成功しました。ありがとうございました」

 簡潔な文章が、達筆な文字で綴られていた。


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