プロローグ
触らぬ神に祟りなし、という言葉がある。
厄介事に首を突っ込むと大抵ろくな事にはならない。それならば、いっそ関わりを持たなければいい。だいたいそんな意味だ。
実にもっともな事だと思う。
思うが、しかし。
人間、生きていく為には外に出なければならないし、外に出れば図らずも厄介事に首を突っ込んでしまう事だってある。
そんなのはゴメンだ、とばかりに、親のスネに噛り付いてニートや引き籠りなんぞになろうものなら、もうソレ自体が厄介事だ。疫病神と言ってもいい。
スネをしゃぶりつくした後は死ぬしかない。
そういった修羅道を進む勇気がないのであれば、やはり大人しく外に出て生きるしかないのだ。
とはいえ、一度外に出てしまえばどんなに慎重に生きているつもりでも、ふとした拍子に道端の石コロの一つや二つは蹴っ飛ばしてしまうもの。
普通であればとるに足らない出来事だ。明日には忘れている事だろう。
しかし時として、そのとるに足らない出来事が大事になってしまう事がある。
例えば、飛んだ石コロがヤーサンの頭にブチ当たる、とか。
……想像するだに恐ろしいが、そうそう当たる物でもない。しかし、油断してはならない。
蹴った石が人に当たらずとも、罰が当たる事はある。
なぜ、と思う。
思わずにはいられない。
事の発端は、文字通り石を蹴飛ばしたのが原因だ。
今にして思えば、実に不用意だった。
今更ながら、たかがその程度の事とたかをくくっていたのも悪かったと思う。
今度ばかりは己を改める必要があるかもしれない。こんな面倒事は二度とゴメンだ。
今頃一つ思い出した事がある。いま、いま、と続いて忌々しい事この上無いが。
八百万の神。
この世――日本には文字通り、実に大勢の神様がいるらしい。
額面通りに受け取るならば、足の踏み場もないほどに。
それならば、気付かぬ内に神様を蹴っ飛ばしてしまう人間が一人くらいいたとしても仕方のない事だろう。
詰まる所、これはそういう話だ。