↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/18

第5話『未来を見据えて』

しばらく主人公ではなく別の人視点で進みます。

 ――私立日向ヶ丘高等学校


 日向市に新設されてから僅か十年。生徒の自主性を極限まで重んじる自由な校則と、一風変わった理念を掲げ、市内有数の進学校へと成り上がった高校だ。


 学科は『普通科』と『特別進学科』の二つに分かれ、それぞれが目覚ましい実績を叩き出している。


 ――賢者は未来を見据え、愚者は今を生きる。


 それが、日向ヶ丘高校が掲げる最大の校風であった。生徒はこの門をくぐる時、どちらの生き方を選択するかを突きつけられる。


 そして――入学して間もないこの春、圧倒的な『賢者』として己の未来を設計しようとする一人の生徒がいた。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 ――勉強は、人生の貯金である。



 日向ヶ丘の校舎を堂々と歩く、1人の男子生徒。七三に分けられた黒髪はワックスにより整えられている。ブレザーに身を包んでいる身体の線は細く、身長は170cmに届かない。

 淡い桃色のブレザーには、襟や袖口を縁取るように細い青のラインが入っている。胸元ある濃紺のネクタイは、引き締まった印象を与える。鋭い目つきをしたその男の名は――一ノ瀬東(いちのせ あずま)。


 東の信条は「賢く生きる」こと、ただそれだけだった。学生の本分である勉学に全力を注ぎ、超難関大学へと進学する。大手企業に就職し、確固たる安定と高い収入を得る。そうして十分な資産を築いた後に、悠々自適で優雅な人生を送る。それこそが、東の完璧な人生設計だった。


「……青春か、くだらない」


 東の視線の先、掲示板に一枚のポスターが貼られていた。


 ――青春、しませんか?


 使い古された、ありふれた謳い文句。東が最も忌み嫌う言葉、それが『青春』だ。青春など、目先の快楽に逃げる愚か者が、己の怠惰を誤魔化すための都合の良い言い訳に過ぎない。


 遊ぶ。騒ぐ。恋をする。


 どれも「今しかできないから」という浅はかな理由だけで美化されている。だが、東に言わせれば単なる時間とリソースの浪費だ。今を楽しむために、未来の可能性を犠牲にする。そんな『愚者』の生き方を、東は心底見下していた。

 東はポスターの前で足を止め、軽蔑の籠もった鋭い眼光でその文字を睨みつける。


「青春なんてものは……」


 青春の2文字を軽蔑の籠った目で睨みつける。


「未来を捨てた愚か者の戯言だ」


 その時だった。


「ねぇねぇ! そこの君!」


 耳を突くような、やけに明るく透き通った声が廊下に響いた。振り返った東の視界に飛び込んできたのは、あまりにも異質な存在だった。金髪の髪に赤いメッシュ。髪の隙間から覗く耳にはピアスが付いている。琥珀色の大きな瞳は太陽の光を集めたかのように美しい。肉付きがよく、魅力的な身体つきをしている。誰が見ても美少女と答えるであろう彼女は、屈託のない満面の笑みで、東が睨んでいたポスターをバッと指差した。


「そこのポスター、見てたよね!! 君も『人生満喫部』に入らないッ!!」


 まるで太陽そのものが歩いてきたかのような眩しさ。普通の男子なら、その笑顔に呑まれて二つ返事で頷いてしまうかもしれない。

 しかし――。


「……断る」


 東は即答した。


「えぇー!? なんで!?」


「決まっているだろう」


 東はポスターへ視線を戻す。


「青春なんて、時間の無駄だからだ」


「時間の無駄?」


「ああ」


 東は、彼女の目を見て答える。


「俺は遊ぶために、この高校へ来たわけじゃない」


 少女は目を丸くした。


「じゃあ、何しに来たの?」


「勉強だ」


「……え?」


「極限まで勉強して、一流の大学に入る。そして一流企業に就職する」


 東はそれが世界で唯一の正解であるかのように言い切った。


「今努力し、今を我慢すれば、未来の自分がいくらでも楽になる」


「ふーん……」


 少女は首を少し傾げ、東の顔をまじまじと観察するように見つめた。


「じゃあさ」


「何だ?」


「未来の自分って、いつから?」


「……?」


「いつから人生楽しむの?」


 東は答えなかった。


「大学に入ってから?」


「……」


「就職してから?」


「……」


「お金いっぱい稼いでから?」


「……そうだ」


 間を置いて、東は当然のように頷いた。


「その時になれば、積み立てた時間とお金で好きなだけ人生を楽しめばいい」


「そっかぁ」


 少女は少しだけ視線を上に向けて考え――。


「じゃあ、アタシは今楽しむね!」


「……は?」


 弾けるような満面の笑み。


「だって、今のアタシは『今』にしかいないじゃん?」


 東は不快そうに眉をひそめた。


「……理解不能だな」


「えー? めっちゃ簡単じゃん!」


 少女はケラケラと笑いながら言う。


「人生なんてさ、楽しんだモン勝ちっしょ!」


 東の耳には、その言葉が浅薄で幼稚な戯言にしか聞こえなかった。理解できるはずがない。彼女はこの日向ヶ丘で、自ら『愚者』としての道を選んだのだ。未来の資産をドブに捨てる愚かな選択。そんな刹那主義者が、こうも近くに存在すること自体が不快だった。


「……つまり、君は『愚者に生きる』方が正しいと言いたいわけか」


 困惑と冷めきった軽蔑を込めて絞り出した言葉。しかし、少女は喋るたびにくるくると表情を変え、大袈裟に手を振った。


「ぐしゃ…? あぁ! 愚者か! ってか失礼な! アタシは『賢(・)者(・)』を選んだんですけどぉー!!」


 予期せぬ返答に、東の思考がフリーズした。賢者。自分と同じく、未来を見据える者の選択肢。だが、目の前でへらへらと笑うこの金髪の少女のどこに『賢者』の要素があるというのか。


「はぁ!? お前が賢者!?」


「何よ!! アタシが賢者を選んで、何か悪いんですかぁ!?」


 突っかかってくる少女。だが、その瞳には嘘をついているような陰りはない。真顔で本気を主張しているのだ。


「だったらなんで――人生満喫部とかいう意味わからんものに入ってんだよ!!」


 東の怒鳴り声が静かな廊下に大きく反響した。通りかかった生徒たちが驚いて足を止める。


「――未来を見据えてるからこそ、だよ」


 少女の口から出たのは、思いがけず静かで、即座の答えだった。東は思わず息を飲んだ。意味が分からなかった。未来を見据えるならば、今を我慢して備えるべきだ。それが『賢者』の定義のはずだ。

 なのに、目の前の少女は平然と言ってのけた。未来を見据えているからこそ、今を楽しむのだと。


「……どういう意味だ?」


 東が問いかける。少女は少しだけ笑った。


「そのまんまだよ」


 そして、東の目を真っ直ぐ見つめる。


「未来のことばっか考えて、今を全部我慢して殺してたらさ」


 一瞬――ほんの一瞬だけ。彼女の太陽のような笑顔の奥に、胸を刺すような切なさと儚さが透けて見えた。


「その『未来』に……本当に行き着けるかなんて、誰にも分かんないじゃん?」


「……」


「だからアタシは、今を大事にするの」


 東は言葉を失った。バカにしていたはずの少女の言葉に、反論を許さないほどの凄まじい「重み」が宿っていたからだ。


「勉強もするよ? 進学だってする。将来のこともちゃんと考えながら生きる」


 少女は細い指を一本ずつ立てながら言った。


「でもね、それと同じくらい遊ぶ。友達と笑う。行きたい場所に行く。やりたいことを、全部やる」


 そして、再びいつもの眩しい太陽のような笑みを咲かせた。


「だって――」


 一拍の静寂。


「今のアタシは、今しかいないじゃん?」


「……」


「未来のために今をドブに捨てるなんて、アタシには絶対にできないよ」


 そう言い残すと、少女はくるりと軽やかに踵を返した。鮮やかな金髪と赤メッシュが春の光を浴びて揺れる。


「――未来を見据えてるからこそ、アタシは今を全力で楽しむって決めたの!」


 廊下の先へと走り去っていく少女の背中を、一人残された東はただ呆然と見送ることしかできなかった。


「…………」


 静まり返った廊下で、東はしばらく指一本動かせなかった。理解できない。理解できるはずがないのだ。なのに――彼女の残していった言葉だけが、まるで刺さった針のように胸の奥で重く痺れ続けていた。


 ――未来を見据えてるからこそ、今を楽しむ。


「……そんな考え方が、あるわけないだろ……」


 東は絞り出すように小さく潰やいた。いつもなら、鼻で笑って切り捨てていたはずの言葉。ただ勉強し、今を耐え忍べばいい。それだけが正解のはずだった。


 なのに――今日だけは、その言葉が妙に引っかかった。

ここからは投稿頻度が落ちるかもしれません

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。