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第2話『始まりの決意』

 


 ――あれから、五年の年月が経った。



「鈴蘭ー! 起きなさーい!」


「……んー」


 聞き慣れた母の声が、扉の向こうから届く。


「もう朝ですよー!」


「……あと五分」


「五歳児が何言ってるの!」


 バンッ、と勢いよく扉が開かれた。差し込んできた眩しい朝日に目を細めながら、俺は布団の中で丸くなる。


「ほらほら、起きなさい」


「……ねむいー」


「昨日早く寝なさいって言ったでしょう?」


 容赦なく布団を剥がされる。寒い。必死にしがみつこうとするが、五歳児の身体では大人の力に勝てるはずもなかった。


「ほら、顔を洗ってきなさい」


「はーい……」


 眠たい目を擦りながらベッドから降り、階段を下りて洗面所へ向かう。台に乗り、鏡を覗き込んだ。そこに映っているのは、正真正銘の五歳の女の子。肩まで伸ばした艶やかな黒髪。子供ながらに整った顔立ち。まだまだぷにぷにとした可愛らしい体つき。


「うん! 今日もアタシは可愛い!」


 鏡の前でポーズを決めながら、内心で苦笑する。そう、自分には前世の記憶がある。大学を卒業し、大手企業に就職した前世。特別裕福な家庭で育ったわけでもなく、優秀だったわけでもない。恋人もおらず、友人も片手で数えるほど。周囲から見れば「普通」の一生だった。だからこそ、死ぬ間際になって溢れ出してきたのだ。


 ――もっと、やりたい事をやっておけばよかった。


 そんな胸を刺すような後悔を抱えたまま、俺は死んだ。そして――気がつけば、女の子として生まれ変わっていた。だからこそ、俺はこの小さな身体で一つの誓いを立てた。全部、楽しんでやる。前世で諦めてきたことを、この手で一つずつ叶えていくんだ。



 今度こそ――絶対に、人生を満喫してやる。




 ◇◆◇◆◇◆◇





 ――あれから、さらに七年。


 思い返せば、小学校生活は驚くほどあっという間に過ぎ去っていった。


「ねえねえ、一緒に遊ぼ!」


 入学式の翌日。アタシはさっそく、隣の席になった女の子に声をかけた。


「いいよ!」


「やったー!」


 前世の自分なら、自分から誰かに声をかけるなんて口が裂けてもできなかった。けれど、今のアタシは違う。やりたいなら、やる。話したいなら、話しかける。そんな単純極まりないルールを、胸の中に一つ決めていただけだ。


 それからの日々は、まさに怒涛だった。


「鈴蘭ちゃん、今日遊べる?」


「遊べるー!」


「じゃあ公園行こ!」


「行こ行こ!」


 瞬く間に友達が増えた。休み時間はくだらない話で爆笑し、放課後は公園を走り回り、休日になれば友達とお出かけ。


 もちろん、いいことばかりじゃなかった。時には盛大に、喧嘩もした。


「――もう鈴蘭ちゃんなんて知らない!」


「こっちだって勝手にしろっての!」


 些細なすれ違いから始まった言い争いは、お互いに一歩も引かず、最悪の空気で終わった。その日の放課後から翌日にかけての気まずさといったら、地獄のようだった。同じ教室にいるのに、お互いに絶対に目を合わせない。友達が「仲直りしなよ」と間に入ってくれても、「……別に、あっちが謝るなら許してあげてもいいけど?」なんて、前世の記憶があるはずのくせに、小学生特有の変なプライドが全身を支配して素直になれない。


 ――ううっ、気まずい……! 向こうから話しかけてくれないかな……。


 心の中では冷や汗と後悔がダダ漏れだ。でも、前世で「意地を張って関係をこじらせ、そのまま後悔した数々」を思い出して、アタシはハッと頭を抱えたくなる。こんなプライドに何の意味がある?喧嘩したまま冷戦状態なんて、一緒に過ごせる貴重な時間がもったいない。そう思い直した二日目の放課後。げた箱の前で、私は震える足を必死に動かし、彼女の背中に声をかけた。


「あのさ……一昨日のは、アタシも言い過ぎた。ごめん」


 アタシの絞り出すような声に、彼女はびくりと肩を震わせて振り返った。赤くなった目でこちらを睨み、それから、すっと安心したような、泣き出しそうな顔をする。


「……私だって、言いすぎてごめんね……!」


 わっと泣きながら飛びついてきた友達の背中を、アタシはほっと胸を撫で下ろしながらポンポンと叩いた。ぶつかって、気まずくなって、意地を張って、それでも勇気を出して謝る。そういう不格好で泥臭いやり取りも含めて、全部が青春だと思えた。

 仲直りしたあとは、昨日の気まずさが嘘のようにケロッと元通り。


 勉強だって、出し惜しみせず全力でやった。


「鈴蘭ちゃん、テスト何点だった?」


「九十六点!」


「えっ、めっちゃ凄じゃん!」


「ふふん、でしょ~?」


 前世では「面倒な作業」でしかなかった勉強も、分かるようになると案外楽しい。だから勉強もちゃんとやる。遊ぶ時間も絶対に削らない。


 ――欲張りなくらいが、人生ちょうどいい。


 そしてアタシは、少しずつ変わっていった。髪型を変えてみた。服を選ぶのが楽しくなった。流行っているものを調べるようになった。


「鈴蘭ちゃん、それかわいー!」


「でしょ? 昨日買ったんだ~!」


「いいなー!」


「今度一緒に買いに行こ!」


 気づけば、アタシは友達の中心にいることが増えていた。もちろん、遊ぶだけじゃない。


 家族旅行にも行った。


 海にも行った。


 遊園地にも行った。


 初めての場所に行くたび、胸が躍った。


「やばっ! めっちゃ楽しい!」


 その瞬間、ふと思う。――前世のアタシは、こういうことを何度諦めただろう。


「また今度でいいや」「お金が貯まったら」「時間ができたら」「もう少し大人になってから」


 そうやって先延ばしにしているうちに、時間だけが過ぎていった。だから、今度は違う。


 やりたいことは、やれるうちにやる。遊べるなら遊ぶ。行きたい場所には行く。友達と馬鹿なことだってする。

 もちろん、失敗もした。恥ずかしい思いもした。後悔することだってあった。でも――。


「まあ、いっか!」


 最後には、そう笑えるようになった。そうして六年間。アタシは、思いっきり小学校生活を楽しんだ。

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