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第9章 近づいたはずの距離——それでも踏み込めない理由

薬作りを行いながら、隣で作業している白雲さんに声をかけた。

「あの、白雲さん」

「何かしら?」

……いや、何かしらじゃないし。

「私、今日、遅くなるとか聞いてませんけど」

「そうだったかしら? 大丈夫よ、送りは越に頼んでおいたから」

「いやいや、ですから、遅くなるのはいいんですけど、越さんに頼むのは――」

「あら、困るの?」

少しだけ、顔が熱くなる。

「困るとかではなくて、越さんだって、迷惑かもしれないですし」

「越がそう言ったの?」

「言ってませんけど」

「じゃあ、いいじゃない」

さらっと言い切られて、言葉が詰まる。

「考えてもみなさい。あんな、いい男にただで送ってもらえるなんて、ついているくらいに思っていればいいのよ」

……雑。

めちゃくちゃ雑なんだけど、この人。

「はぁ……」

もう、反論する気も起きなくなる。

「それに、姫香の知り合いで頼めそうなのが越しかいないんだから、しょうがないでしょ。嫌なら、知り合いを増やしなさい」

「嫌とか、そういうわけじゃ……」

そう言いかけたところで、診療所の奥から声がかかった。

「悪いけど、姫香、少しこっち手伝ってくれないか」

「あ、はい」

ちょうど薬作りも区切りがついたところだったので、後を白雲さんに任せる。

そのまま、私は診療所の業務へと入った。

―――――――――――――――――

宮廷の食堂で夕食を終えたあと、診療所で白雲さんの薬草づくりを手伝いながら迎えを待っていた。

やがて、予定通り越さんが迎えに来る。

「悪いわね」

白雲さんがそう声をかけると、凌越は小さくため息をついた。

「……悪いと思ってないですよね。まあ、いいですけど」

「ねぇ、そういえば聞いたわよ。リュウ家の美玲メイリンお嬢様から、ずいぶん気に入られたらしいじゃない」

ニヤニヤしながら言われて、思わずドキッとする。

あの縁談相手のことかもしれない。

凌越はあからさまに嫌そうな顔をして、「俺には関係ないことですから」とだけ返した。

「あら、でも縁談はするんでしょ?」

「それは……まあ」

言葉を濁して黙り込む。

「もてる男は大変ね。まあ、いいんじゃない? 容姿端麗同士、お似合いよ。……まあ、私ほどじゃないけど」

ケラケラと笑う白雲さんに、「ですから、俺は――」と言いかけて、やり取りが面倒になったのだろう。

「では、帰ります」

そう話を切り上げると、私へと視線を向ける。

「あ、じゃあ、白雲さん、また来週来ますね」

私も挨拶をして、そのまま一緒に診療所を出た。

やっぱり、あの話は本当だったんだ。

縁談か……。

さすがに、まとまってからも送ってもらうのはまずい気がする。

これからは遅くならないようにしよう。

というか、ちゃんと白雲さんに言わないと。

……それにしても。

いつもより、越さんの歩くのが早い。

私は足早についていきながら、ほとんど小走りになる。

なんとなく苛立っているようにも見えたけれど、少し怖くて声をかける雰囲気ではなかった。

からかわれて、嫌だったのかもしれない。

馬小屋に着く頃には、すっかり息が上がっていた。

それに気づいたのか、凌越がふと足を止める。

「あ、悪い」

相変わらず律儀な人だな、と思う。

「……はぁ、大丈夫です。だめですね、完全に運動不足で」

苦笑しながらそう言うと、「いや」と短く返ってきて、少しだけ空気が緩んだ気がした。

私を馬に乗せてから、凌越も後ろに乗る。

ゆっくりとしたペースで、馬が動き出す。

「送ってくれて、ありがとうございます」

何か話さないと、と思って、とりあえずお礼を口にする。

「いや」

それだけで、会話は途切れる。

話題を探そうとしても、頭に浮かぶのはさっきの縁談のことばかりで、どうしてもそれ以外が出てこない。

結局、「仕事、忙しいですか」と、無難な話に落ち着いた。

「いや」

――また終わった。

これは、無理に話しかけない方がいいのかもしれない。

そのまま、しばらく沈黙が続く。

けれど不思議と、向こうに話す気がないせいか、少しずつ気まずさは薄れていった。

相変わらず体勢にはドキドキしているけれど、それでもどこか落ち着く。

……これが、最後になるかもしれない。

そう思うと、妙に意識してしまう。

いい思い出、なのかな。

いや、私にしては、なかなかの良いイベントだったかも。

それにしても、国一番の美女って、一度くらい見てみたい。

……まあ、越さんとは、すごくお似合いなんだろうな――

お師匠様の家が近づいた頃、不意に声がかかる。

「来週は、いつ出勤だ」

「え、あ、はい」

突然のことで少し動揺しながらも、「同じ曜日に」となんとか答える。

「それなら、送れる」

「えっ!!」

思わず声が大きくなってしまう。

「そんなに驚くことか」

怪訝そうに言われて、慌てて言葉を探す。

「いや、その、ありがたいんですけど……なんていうか」

うまく言葉にならない。

「また遠慮か」

呆れたような声が落ちる。

「いや、だからそうじゃなくて。その、縁談するんですよね? あまり送ってもらうの、良くないのかなって」

「何の関係がある」

はっきりと、不機嫌な声だった。

「いや、ですから……」

言葉に詰まる私に、凌越は深くため息をつく。

「縁談はするが、受けるつもりはない」

「えっ」

思わず聞き返す。

いや、国一番の美女だよね。

理想がもっと高いってこと……?

――同時に、ほっとしている自分にも気づいてしまう。

「そ……うなんですね」

なんとかそれだけ返す。

「で、どうするんだ」

一瞬意味が分からなかったけれど、すぐに気づく。

「あ、白雲さんに聞いてみて、遅くなりそうなら……」

「わかった。まあ、遅くなるだろうな」

ふっと、少しだけ笑う。

「ですね」

私もつられて苦笑する。

――さっきより、ほんの少しだけ距離が近くなった気がした。

だからこそ。

これ以上、踏み込んではいけないのだと思ってしまう。

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