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第13章 迫り来る影——逃がしたものと、背負うもの

国境付近の林は、風に揺れる枝葉の音だけがかすかに響いていた。


「……状況は、かなり厳しいと?」


低く問いかけると、向かいに立つ男が短く頷く。


年上の密偵は周囲へ視線を巡らせながら、声を落とした。


「玄武国は、すでにこの一帯に兵を集め始めている。数も、想定より多い」


やはり、という感覚が胸の奥に沈む。


「思ったより、動きが速いな」


自身に言い聞かせるように呟いてから、凌越は小さく息を吐いた。


「ああ。ここ数日の変化だ。……時間は、そう残っていない」


その言葉の意味は明白だった。


戦は、もう避けられない流れに入っている。


わずかな沈黙が落ちる。


そのとき、ほんのわずかな違和感が空気をかすめた。


凌越の視線が鋭く動き、同時に密偵も息を呑む。


「来ます」


声が落ちた直後、林の奥から黒い影が滑り出た。


五人。


全員が黒装束に身を包み、顔を覆っている。足音も気配も、極限まで殺されていた。


——玄武国の刺客。


互いに確認するまでもなかった。


刃が閃く。


「行ってください」


凌越は短く言い放つ。


「ここは俺が引き受けます」


密偵が一瞬だけ迷いを見せたが、すぐに状況を理解したのだろう。


「……すまない」


踏み込んできた刺客の刀を弾き、そのまま間合いを外して林の奥へと駆け出す。


一人が追おうとした。


それを見逃さず、凌越は懐から小刀を抜いて投げる。


ためらいのない一閃が正確に軌道を描き、刺客の進路を遮った。わずかに動きを止めた隙に、密偵の姿はすでに視界から消えている。


これでいい。


凌越は静かに刀を構えた。


踏み込みと同時に刃がぶつかる。


——手練れだ。


重さも速さも粗がない。少数で確実に仕留めるための精鋭だ。


間合いを詰め、最短で一人の体勢を崩す。


次の一撃で動きを奪い、さらに一人。


数は減るが包囲は崩れず、残る三人が間を詰めてくる。


呼吸を整える余裕はない。


だが動きは鈍らない。


受け、流し、返す。


刃を交わすたびに間合いを制し、さらに一人、確実に動きを奪う。


残るは二人。


そのとき、肩に鋭い衝撃が走る。


遅れて熱が広がった。


「……っ」


視線を走らせると、木陰に伏せていた影が見える。


(もう一人いたのか)


(吹き矢か。毒……まずいな)


瞬時に判断する。


体の奥がじわりと重くなり、指先の感覚がわずかに鈍る。


今は完全に動けなくなるほどではない。


だが、確実に体が蝕まれている。


二人の刺客が間合いを詰める。


ここで仕留められるか。


——いや、無理に長引かせれば、先に体が動かなくなる。


一瞬で結論を出す。


踏み込まず、距離を取る。


刃を弾き、牽制しながら後方へ抜ける。


追撃は来るが、深追いはしてこない。


——毒で十分だと判断したか。


どちらにせよ、長引けば不利なのは変わらない。


そう判断した瞬間、さらに距離を取った。


林を抜け、開けた場所へ出る。


息が重く、視界の端が揺れる。


(……やはり長くは持ちそうにない)


馬を繋いでいた場所が見えた。


手綱を掴み、そのまま跳び乗る。


「行くぞ」


かすれた声でそう言うと、馬はすぐに駆け出した。


背後の気配は遠ざかる。


だが、体の奥を侵す感覚は消えない。


完全に無効化できるほど甘い毒ではない。


(宮廷までは……持たないか)


冷静に結論を出す。


ならば、最も近い場所。


迷うまでもなかった。


明蘭の店。


処置ができ、信頼できる人間がいる場所。


そのとき、ふと、遠慮深げな顔が脳裏をよぎる。


——戦争が嫌だと言っていた、不安げな表情。


(……こんな姿は、見せるべきではないが)


だが、すぐに思考を切り捨てる。


そんなことを言っていられる状況ではない。


視界がかすみ、呼吸が浅くなる。


「……っ」


小さく息を吐き、手綱を握る力を強めた。


倒れるわけにはいかない。


少なくとも、辿り着くまでは。


―――――――――――――――――


夜半過ぎ、凌越は遠のく意識をなんとかつなぎ止めたまま、明蘭の店へとたどり着いた。


馬からは、ほとんど転げ落ちるように降りる。


踏ん張りもきかず、体を引きずるようにして戸口まで辿り着き、震える手で呼び鈴を鳴らした。


(……頼む、気づいてくれ)


今にも崩れそうなところで、扉が開く。


そこに立っていたのは、姫香だった。


「越さん?!!」


その顔を見た瞬間、張り詰めていたものが一気にほどける。


かろうじて保っていた意識が、静かに崩れ始めた。


「えっ、越さん?! どうしたんですか、大丈夫? しっかりしてください!」


声が遠い。


視界の端で、姫香の顔がみるみる青ざめていくのだけが、かすかに分かる。


支えようとしているのだろう。


だが、力の抜けた体は思うように止まらない。


――このまま倒れるわけにはいかない。


倒れ込む瞬間、最後の力でわずかに体勢をずらす。


姫香を押し倒さないように、ぎりぎりのところで踏みとどまり——


そのまま、意識が途切れた。


——本当は、巻き込みたくはなかった。

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