第19章
――“数の王”の庭で舌を正した翌朝。
王城・会計院の地図卓に、わたくしは三枚の板図を並べた。
「本日の“公開整備”は三点。
一、『白印勘定』――国庫と商会の“科目”を揃えます。
二、『白印相場板』――両替率の“公示”と“裁定帯”。
三、『公開仕訳台』――現場で“借”と“貸”を左右に並べる“左右一致表”。」
ヴォルフラム公爵は短く頷き、いつものように、白手袋の付け根を結び直した。
指先が一瞬、温い。
「前を見ろ。背中は、私が見る」
「ええ。第四条――“笑うこと”。守りますわ」
扇子の骨が“とん”。基準の音。
* * *
王都・両替会所。
広間の正面に“白印相場板”が立ち、二色封の封蝋で周縁を止める。
“白印銀⇄外銀”“白印銀⇄銅貨”“白印銀⇄手形”。
相場は王印蝋と監査蝋の二重封で押され、脇に“裁定帯”の白線――上下に“二分”の幅だけ、揺れを許す。
「“噂書”で揺れるのはここまで。――帯を越えれば“公開裁定”ですわ」
わたくしは“公開仕訳台”の引き出しを開け、左右二列の板を滑らせる。
左に“借”、右に“貸”。
白印勘定の科目札――“白基金”“物資”“印蝋”“寄付”“罰金”“為替差”。
札の角には、香水紋と二色の小印。
「“珠”は列に。――左右が合えば“音”が鳴りますの」
治具で板の端を押すと、内部の小鈴が“ちりん”。
左右一致の印。
民衆がどよめき、商人たちの眉が上がる。
「本日の試行は、“白基金→孤児院食糧”の流れと、“白印銀→外銀”の両替です。――仕訳を、公開で」
王妃庁侍女が受領札を提出し、監査官が相場板を指差す。
“ぎゅ、こと”。
仕訳台に基準の音が走る。
――その時。
相場板の陰で紙束がばさっと舞った。
『公定相場は“偽の二色封”』『白印銀は“軽い銀”』。
鼻を刺す蘭の香。押圧が軽い。青は絵具。
「規程外掲示。――撤去」
わたくしは紙の端を摘み、二色封の試験台に載せる。
押せば“ぱり”。端が欠ける。
近衛が紙撒きの若い書記を押え、その袖に松脂の粉。
会場の端から、控えめな「……ざまぁ」。
* * *
公開両替の第一手――“白印銀→外銀”。
両替商ギルドの古株が前へ出、そろばんを引き寄せた。
指の走りは早い。珠が“こつこつ”鳴る。
わたくしは耳を傾け、わずかな違和感に眉を寄せる。
(音が……軽い)
珠の列を指で弾く。
“こつ、ころ”。
一本だけ、音が中空。
わたくしは袖から小さな秤を出し、桁ごとに珠の重さを量った。
「この桁だけ“軽い珠”――中身が抜いてありますわね」
両替商が蒼白になり、「も、持ち物です」と笑う。
わたくしは“藻ヨード液”を桁棒に薄く塗り、珠を滑らせる。
澱粉糊が反応し、藍が“筋”になって咲いた。
「“遅延膠”。――珠の滑りを遅らせ、暗算の“癖”を誘導する細工。
“珠”は列へ。――左右一致を壊す細工は、“公開”で外します」
珠を正規の“白印珠”と交換。
白印珠は均一の重さで、打つと“ぎゅ、こと”と短く鳴る。
仕訳台の左右が揃い、小鈴が澄む。
王妃が扇を伏せる。「続けて」
相場板の“裁定帯”内で、白印銀と外銀の交換が滑るように進む。
“帯”を越えそうになるたび、監査官が“公開裁定”を告げ、差額を“為替差”へ仕訳。
左右が合うたび“ちりん”。
音が場の熱を冷やし、秩序が速度を生む。
* * *
昼下がり。
会所の周りに“白の同志”を名乗る肩掛け集団が現れ、低く鈴を鳴らした。
先頭の男が叫ぶ。「“白”は神の銀! 相場など――」
「“白”は顔へ。相場は“速度”へ」
わたくしは鈴を受け取り、礼礼局式の音階を鳴らす。
“ちりん、りん、りり”。
会所の梁に吊った“房鈴”が同調して鳴り、入口の近衛が流れを塞ぐ。
肩掛けは意気を削がれ、散った。
ざまぁは鳴らない。ただ、鈴が秩序の側で鳴る。
――そこへ、蒼縁の外套。
対岸“蒼印商会”のサミュエル卿が、わざとらしく大袈裟な礼をして入ってきた。
「“基準”は速い。……こちらも“白印相場板”に合わせた“定量手形”を用意した。香水紋、二色封、そして“期日”。」
「受けます。“白印勘定”の“手形科目”で」
わたくしは手形の“香水紋”を鼻先で確かめ、二色封を押し増す。
左右一致。――“ちりん”。
サミュエルの口元が楽しげに歪んだ。
「秩序は商いを速くする。……君の“音”は癖になる」
「秩序は“皆のもの”。――港でも街道でも」
公爵の硝子の黒が横で細く笑う。
第四条。
胸のひやりが、すぐ温度に変わった。
* * *
午後の終わり。
相場板の下に敷いた敷布が、ふと膨らみ、珠がころりと転がった。
布の裏――磁石仕掛け……ではない。
薄い板に“鉄粉膠”の線が描かれている。
白印珠の芯は真鍮。鉄では引かれない。
だが、“鉄粉膠”のざらつきで珠の滑りが鈍る。
「布の“下地”ですわね。――“基準布”に交換」
会所の布を、白印局支給の“滑度標準布”へ。
端に二色封の“布封”。
布を張り替えると、そろばんの音が澄み、仕訳の左右が速く合った。
その刹那、梁の上から白い押し花。
紙片が一枚、ひらりと舞う。
『帯を狭めよ。音を窒息させよ。
――灰冠の“友”』
わたくしは相場板の“裁定帯”に指を置き、首を振る。
「帯は“呼吸”。――狭めれば、速度が死ぬ。
“帯”は基準で。……“友”の息のままにはいたしませんわ」
公爵が低く告げる。「帯は“市場監”と“印監”の連判でのみ変更。――付則に」
「承知」
* * *
夕刻の締め――“白印勘定”の布達式。
わたくしは壇上で“科目表”を掲げ、左右一致の“入門”を示す。
「“白基金(借)/銀袋(貸)”――受領。
“物資(借)/白基金(貸)”――支出。
“為替差(借・貸)”――相場の揺れ。
“印蝋・現物台帳(補助)”――実体の裏打ち。
左右が合えば、小鈴が“ちりん”。――“ざまぁ”は小さく、秩序の音は大きく」
会場の端で、ぽつり。「……ざまぁ」
音は控えめ。でも、確かに落ちた。
聖女アンジェリカが列の端に立ち、静かな眼差しで“仕訳”を見つめている。
やがて小さくうなずき、わたくしのほうへ歩み寄った。
「“涙はあとで”。……両替の涙も、あとで拭きます」
「はい。まずは左右一致。――それから、布で」
聖女はほのかに笑い、王太子レオンハルトはその横で深く息を吐く。
「君の“珠”の音に、私は合わせる。……二度と、帯を乱さない」
謝罪は台帳には記載しない。けれど、秤の皿には乗る。
* * *
夜。会計院・記録室。
“白印勘定”の版木、相場板の写し、仕訳台の図。
扇子の骨で卓を“とん”。――基準音。
外套が肩に掛けられ、手袋の付け根が結び直される。
「解けていた」
「何度でも、結び直してくださるのね」
「何度でも」
硝子の黒がやわらぐ。第四条。
胸の熱が、程よい温度に落ちた。
「レティシア」
名を呼ぶ声に、自然と顔が上がる。
「“珠”は列に戻った。……だが、“声”はまだ野にある」
「“声”?」
「噂書、鐘、説教台――“言葉の秤”だ」
公爵の視線が窓の外、塔の先へ向く。
ちょうどその時、回廊の房鈴が“ちりん”。
近衛が駆け込み、巻紙を差し出す。二色封――正規。
封を割り、香りを嗅ぐ。桂皮、青、柑橘。
文は短い。
『“数は骨、声は皮”。
次は“報を白へ”。
――灰冠の“友”』
――“報”。
わたくしは“暫定報”の版木を思い出し、扇子で眉を軽く叩く。
「“公報”の基準化。――『白印公示法』。
印のない紙は“紙に非ず”。掲示は二色封、“事実三行”、差替は“履歴台帳”。」
公爵が短く笑う。「君は次の骨を、もう持っている」
「背中を守ってくださる方がいるから、前を見られますの」
「前を見ろ。背中は、私が見る」
「はい」
白は白へ。
珠は列へ。
相場は光へ。
“ざまぁ”は小さくていい。――基準音“ぎゅ、こと”と“小鈴”が、王国の底で確かに鳴り続けるなら。
(次――“白印公示法”。
“報”を白へ。噂を“基準”に溶かす)