第17章
――法が骨になった翌朝。
王城・政庁の作戦室で、わたくしは新しい図面を三枚、卓へ並べた。
「本日の“数の王”――三点、順に“公開”いたしますわ。
一、“貨幣規格”――銀貨と銅貨の目方・縁・刻印の基準。
二、“試金と鑑定”――公開試金会の手順。
三、“度量衡”――白印分銅と秤柱の常設」
ヴォルフラム公爵は短く頷き、わたくしの手袋の付け根を結び直した。
いつもの動作。緊張の糸を、ひと結びで解く人。
「前を見ろ。背中は、私が見る」
「ええ。第四条――笑うこと、忘れませんわ」
扇子の骨が“とん”。基準の音。
* * *
王都・王立造幣所。
溶融炉の唸り、金槌の打音、冷やされた銀盤の白い光。
正門には“公開試金会”の札が掲げられ、王妃、宰相、重臣、商会、民衆が見守る。
私は壇に三つの箱を置いた。試金石、骨灰皿、比重桶。
「順に三手。
一、“耳”――銀の音。
二、“骨”――骨灰皿で火に返して純度を見る。
三、“水”――比重で誤魔化しを洗いますの」
造幣長グレゴール卿が無表情のまま腕を組む。
その背後――副長ミハイルの指先に、松脂の粉。蘭の香が薄い。
(……灰冠の“友”は、ここにも)
「まず“耳”」
私は旧銀貨と新鋳の標準銀板を同じ高さから落とした。
――“ちん”。
旧銀貨の音は鈍く、新板は細く伸びる。会場がざわつく。
「次、“骨”」
骨灰皿に小片をのせ、火を受ける。
不純物は灰に吸われ、銀は丸く“白い涙”になる。
涙の大きさが、純度の声。
「最後に“水”」
比重桶に糸を垂らし、銀片を沈める。目盛りが静かに下がる。
“目方の割に軽い”銀は、銅か鉛を多く飲んでいる。
「結論。“旧銀貨”の一部――規格外。
原因は“縁なし”による削り(クリッピング)と、“汗取り(スウェッティング)”用の粉。――松脂の香」
視線が副長ミハイルに集まる。
彼は肩をすくめ、笑みを作る。「旧銀貨はどこにでもある。責任は――」
「造幣所内で見つかった“削り粉”の麻袋。――札の角に〈□二本線〉。内務審の仕分け印。
さらに、この“偽・二色封”の封緘紙。――蘭の香、青は絵具、押圧軽すぎ」
王妃が扇を伏せる。「公開で続けて」
私は“新規格案”を掲げた。
「“白印銀”――白基金と国庫用の標準貨。
一、縁は“波縁”。
二、刻印は“二重刻”――王印と監査印。
三、目方は“白印分銅”で現場検査。……基準音は“ぎゅ、こと”」
“ざまぁ”が、群衆のどこかで小さく転がる。
その瞬間――炉の奥で“ぼうっ”。
白い炎。粉を投げ込んだ――閃光粉。
「伏せて!」
公爵の外套が肩を覆い、熱と光を切る。
兵が水霧袋を放ち、私は湿布を炉口へ投げる。
白は薄まり、鉄が息を吐く。
炉端の影から、黒外套が一人、裏門へ走る。
房鈴――昨日から吊っておいた小鈴が“ちりん”。
近衛が回り込み、黒外套は足をとられる。
副長ミハイル。手には“灰蝋”、指に松脂、袖に蘭の香。
彼はなお叫ぶ。「“白は王の意志で白”!」
「王の意志は“基準”で守られますの」
私は二色封の治具を示し、押しながら言った。
「秩序は“音”で残りますわ」
王の肘掛けが二度鳴る。
宰相が短く告げる。「副長ミハイル、拘束」
造幣長グレゴール卿は蒼白になり、額の汗を拭った。「……知らなかった。私は――」
「“知らない印”は、印ではございませんの」
私は穏やかに頭を垂れた。「ゆえに“公開”。今から“造幣所・公開点検”を」
* * *
公開点検――秤室。
壁には古い分銅が並び、角は磨耗して丸い。
わたくしは新品の“白印分銅”を置き、二色の刻印を打つ。
“ぎゅ、こと”。
基準の線が、音で刻まれる。
「分銅は“白印局”が配給、年一回“再刻”を。破損・磨耗は“掲示”」
書記が走り書きし、監査官が台帳に線を引く。
秤柱の模型を立て、街道と港の図へ紐で結ぶ。
造幣所の出荷――港の白印区画――白印駅――秤橋。
“目方”は、線で繋ぐと嘘がつけない。
「“度量衡”は“国の会話”。――方言は残しても、発音は揃えますの」
軽い笑い。すぐ静まり、頷きが広がる。
* * *
午後。王都・大広場“公開試金会”第二部。
市中の両替商ギルドが持ち込んだ銀・銅の山。
私は順番に“耳・骨・水”を通し、規格外は即“掲示”へ。
掲示板に貼られた“規格外”の札の端で、誰かがぽつり。
「……ざまぁ」
音は控えめ。けれど、両替商の肩がはっきり落ちる。
彼らの数人はすぐに態度を変え、白印分銅と治具を買い求めた。
秩序は、商いを“速く”する――彼らは知っている。
その折、王妃庁侍女が駆け寄り、耳打ちする。「造幣所の地下、隠し棚から“灰冠”の札が」
札の角に、あの合図――〈□二本線〉。
文は短い。
『数は冠の庭。――“衡の舌”を動かせ』
(衡の舌――秤の“舌”。“針”に細工を?)
わたくしは即座に“秤検査の条”の付則を追加した。
“舌は白印局支給品とし、封印針を二色封で”
“針を替えた秤は、音が濁る”。――治具で音を測る規定を追記。
「音で嘘を洗いますわ」
公爵が頷く。「夜、両替商ギルド本館を“音検”だ」
* * *
夜。両替商ギルド本館・計量室。
静寂の中、“検音治具”を舌に当てる。
基準音は“ぎゅ、こと”。
細工された秤は“ぎゅ、こつ”。……濁る。
「“舌”の根元が入れ替えられておりますわね。――ここ、“針封”に二色封を」
王印蝋、監査蝋。青が散り、線が沈む。
ギルド長は観念し、机の鍵束を差し出した。
引き出しから、蘭の香、灰蝋、小袋の松脂、そして――“鈴”。
礼礼局と同型の腰飾り。
公爵の視線が冷たく落ちる。
「“鈴”で冠を呼ぶ線は、ここにも延びていたか」
ギルド長は唇を噛み、「注文主は“使い”だけ」と震えた。
私は“鈴の譜”を机に置く。
〈高・低・低・中・高〉――王太子書斎の机が応えた音。
〈中・高・中〉――礼礼局副官セウェリオの欠け鈴。
〈低・中・高・高〉――今、ここで鳴った腰飾り。
「鈴は、嘘をつけませんの」
房鈴が、窓辺の風で微かに鳴る。
“ちりん”。
廊下の彼方、逃げ足の早い影――だが、もう廊下の角にも房鈴。
音の網は、国の会話の上に張られている。
* * *
深夜。ヴァレンシュタイン邸・小広間。
地図の上に、白印区画・白印駅・秤橋・造幣所・ギルドを線で結ぶ。
線は、ひとつの“輪”になる。
その中心――“国庫”。
「“友”の次の狙いは“国庫の舌”か、あるいは“度量衡院”の標準棚……」
わたくしが呟くと、公爵は私の手袋の付け根を静かに直した。
「解けていた」
「何度でも、結び直してくださるのね」
「何度でも」
第四条。
胸に残っていた熱が、穏やかな温度に落ちる。
「レティシア」
硝子の黒が、蝋燭の光でやわらぐ。
「法は骨、造幣は血、度量衡は神経だ。……君は、今、神経を通した」
「背中を守ってくださる方がいるから、前を見られますの」
「前を見ろ。背中は、私が見る」
「はい」
そのとき、窓の外で一羽の伝書鳥が翼を震わせ、窓桟にとまった。
足の筒には、二色封。――正規。
封を割り、香りを嗅ぐ。桂皮、青、……わずかな柑橘。
紙には、短い文。
『“衡の舌”は鳴らぬ。――“盤の裏”を見よ。
灰冠の“友”』
盤の裏――秤皿の下。
私は図面をめくり、“国庫の大秤”の構造を示す頁を広げた。
「皿の裏に“磁”……いや、“鉛の舌”。――荷を置くと、遅れて傾く細工かもしれませんわ」
「明朝、国庫。――公開点検だ」
公爵の声は低く、確か。
私は扇子の骨を“とん”と鳴らし、口角を上げた。
「“数の王”の庭に、白の音を増やしましょう。
“ぎゅ、こと”。――ざまぁは、小さくて結構。秩序の音が、国じゅうに満ちればよろしいのですもの」
夜の王都は静かだった。
けれど、国の会話は、もう新しい発音で話し始めている。
白は白へ。
印は印へ。
秤は、正しく鳴る音で。