表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/73

第15章

 ――夜の港倉で“二色封”の基準音を撒いた翌朝。

 王城・政庁会議室は、白い地図に新しい線を待っていた。


「本日の“布達ふたつ”は三点――一、白基金の“国庫勘定”編入。二、地方“白箱”の設置標準。三、対外商会との“規格すり合わせ”。順に“開示”いたしますわ」


 わたくしは扇子の骨で地図に三角を描く。王都から港町ブライデル、そして北方の関所都市ラント。

 宰相が頷き、王妃が扇を伏せる。


「白基金は“国庫内特別勘定”。三署名・月例公開、入出の明細は“現物台帳”と突合。地方“白箱”は各領都に設置、標準札・規格枡・治具を“印監局”より交付」

「対外商会は?」

 ヴォルフラム公爵の声に、わたくしは薄い紙片を掲げた。


「“基準受諾国”には関税減免。“偽装”には掲示と差止。――“白は白へ”の国境版、ですわ」


 王は肘掛けを二度叩き、「採る」と短く告げた。

 基準は決まった。あとは運ぶだけ。


 * * *


 半日後。港町ブライデル。

 潮と染料の匂いが交じる埠頭に、白い幕屋が立ち、“規格すり合わせ会”の札が風に鳴る。

 列席は王国側――印監局、監査局、法務院、王妃庁侍女、そして公爵。対するは“百合同盟ユリ・リーグ”を含む対岸商会の使節団。


 先頭の男は青縁の外套、指には大粒の水色石。「蒼印そういん商会」のサミュエル卿と名乗る。

 彼は笑みを広げ、軽く口上を述べたのち、灰色がかった蝋の壺を差し出した。


「王都で流行りの“二色封”――我らもひとつ、研究した。香りも青も“似せ”てある。これで“白基金の札”に押せば、即座に……」


 わたくしは壺の口縁に鼻先を寄せ、軽く首を傾げる。

 ――甘さが重い。青はガラスの粉。桂皮の軽さが、ない。


「“似せ”は似せ、ですわ。――“基準”ではございません」


 持参の治具で規定量を垂らし、押圧・角度・冷ましを標準どおりに。

 “ぎゅ、こと”。

 印影の青は濁り、線は太く鈍い。会場の空気がざわつく。


「基準を満たす蝋は、印監局の“式”(レシピ)に従ってくださいませ。採用すれば関税は二分にぶ軽減。――“白は白へ”の利益は、あなた方にも」


 サミュエルが肩を竦める。「関税二分は魅力だが、式は“企業秘密”だろう?」


「式は“公開”。――秤は国境も選びませんの」


 背後で公爵が短く告げる。「受け入れるか。受け入れねば、港掲示に“偽装蝋”の名が並ぶ」


 商人の目が一斉に細くなり、やがて数名が互いに頷き合う。

 サミュエルは大仰に手を広げた。「“白”に誓って、受諾しよう」


「誓いは蝋で。――“二色封”の初号印、どうぞ」


 印の音が幕屋に増えていく。秩序は、音から広がる。


 * * *


 その頃、港の内陸側――白基金の物資を積んだ馬車列が関所都市ラントへ向かっていた。

 わたくしは“巡回監査車”の窓から、白い札をつけた樽の列を確認し、台帳にひと線引く。

 沿道に新造の“秤橋はかりばし”。――橋脚に吊るされた大秤で、渡る荷の“前重・後重”を記録する装置。数字は橋にも宿るのだ。


「前重――七百八十。後重――七百二十……?」

 記録吏の声が揺れた。

 十刻も経たぬうちに“六十”が消えたというのだ。


「途中で“白”が抜かれておりますわね」


 公爵が手綱を巻く。「合流路で換荷だ。――房鈴の張り込み、行く」


 樹影の濃い分岐に小さな房鈴を三つ、風の向きに合わせて垂らす。

 鈴が鳴らねば安全、鳴れば侵入。

 やがて、遠くで“ちりん”。

 先行の荷車から、無印の小箱が二つ、脇道へ滑る影。


「――止まれ」

 公爵の号令。近衛が回り込み、鎖が地面を走る。

 捕えたのは、関所の徴税吏と地元領主の小姓。蓋を開ければ、白粉の壺に偽の札、そして松脂臭い灰蝋。


「“白箱”は皆の箱。――『白基金横領・偽装蝋使用』、即日掲示ですわ」


 徴税吏が青ざめ、「冗談だ、領主が――」と言いかけて、舌を噛む。

 公爵の硝子の黒が冷たく光る。「領主名は“掲示”で出る。……橋の数字は嘘をつかない」


 秤橋の“前重・後重”、巡回車の“軸重”、台帳の“積付図”。

 三つの数字が一列に並んだ瞬間、男は膝から崩れた。


「ざまぁ、ですわ」


 わたくしは扇子を畳み、白基金の札を貼り直す。

 白は白へ戻る。橋が証人だ。


 * * *


 ラント城門前。

 “公開点検”の掲示板に、徴税吏と領主家小姓の名、偽装蝋の写真版、秤橋の記録票が貼られる。

 民が群がり、誰かが小さく「ざまぁ」。

 領主は面目を失い、王妃庁の監督官が“白箱”の鍵を預かる。


「制度は“骨”ですわ。――折らせないために、音を増やします」


 その足で、ラントの公会堂へ。

 地方“白箱”の設置式。

 わたくしは白い木箱の蓋に“二色封”を押し、“基準音”を響かせた。

 “ぎゅ、こと”――人々が静かに息を飲む。


「鍵は三本。まち・教会・監査。――三署名。

 台帳は“椀と匙・寝具・献立”。月末に掲示。

 涙は“あとで”。――“涙前置禁止の条”を添えますわ」


 笑いが起き、すぐに拍手。

 公爵の口元が、すこしだけ弧を描いた。


「いい規程名だ」


「冗談ではありませんのに」


「分かっている」


 第四条。

 わたくしの胸が、軽くなる。


 * * *


 夕刻、港へ戻ると、幕屋の前に見慣れた青縁の外套。

 サミュエルが新しい蝋壺を掲げて笑う。


「式どおりに練った。“基準”を呑む代わりに、取引提案だ。

 ――“白基金向け・規格白粉”、定量・定価で継続供給。関税二分のかわりに、港倉の一角を“白印区画”として保証してほしい」


 公爵が視線を寄越す。

 わたくしは頷き、紙を一枚差し出す。


「“白印区画ホワイト・ドック”――二色封以外の搬出入禁止、掲示義務、現物検査いつでも。

 破れば“区画剥奪”。守れば“常備仕入”」


 商人の瞳が一斉に光った。

 サミュエルは大笑し、「秩序は商いを速くする」と言って朱を引いた。

 秤は、国境の先にも置けるのだ。


 交渉がまとまりかけた、その時。

 港の先、堤防の上に白い紙片がふわりと舞った。

 近衛が拾い、公爵の手からわたくしの前へ。


『――“白を海に返せ”。

 灰冠はいかんの“友”より』


 海風が甘く、どこか金属の匂いを運ぶ。

 公爵が低く言う。「“冠”の残り火だ」


「水は“基準”を嫌いませんわ。――波にも“音”を」


 わたくしは港図に二つ印を打つ。

 “白印区画ホワイト・ドック”と、“秤桟橋はかりさんばし”。

 桟橋にも秤。――前重・後重・潮位補正。

 数字は、波にも宿る。


 * * *


 夜。ブライデル外港の灯台。

 風が白い旗を鳴らし、遠くで“白印区画”の二色封が点のように瞬く。

 灯台の影で外套が肩に掛けられ、手袋の付け根がまた、結び直される。


「解けていた」


「……わたくし、よく解けますわね」


「何度でも、結び直す」


 言葉は少なく、風は強い。

 けれど、温度は確かだ。


「レティシア」

 名を呼ぶ声に、振り向く。

 硝子の黒が、灯の光でわずかにやわらぐ。


「港は“基準”で動く。――君が並べた数字が、海まで届いた」


「背中を守ってくださる方がいるから、前を見られますの」


「前を見ろ。背中は、私が見る」


「はい」


 第四条。

 口角が、風の中でも上がる。


 そのとき、灯台の足元で“ちりん”。

 新しく吊った房鈴――潮風に鳴るはずのない“合図”がひとつ。

 公爵が素早く身を翻し、わたくしも扇子を握る。


 灯の陰から、黒外套が一人。

 顔を覆い、手には灰色の蝋と、偽の青片。

 海へ投げれば、白は“見えない”。――そういう算段。


「――止まれ」

 公爵の声。近衛が左右から締め、男は桟に押し付けられた。

 わたくしは蝋の壺を奪い、鼻先で笑う。


「松脂。――海風でよく香りますわね。掲示に最適」


 男は舌打ちをし、「“白は王の意志で白”」と吐き捨てる。

 わたくしは首を振る。


「王の意志は“基準”で守られますの。――二色封で」


 灯台の庇の下、臨時の小机。

 わたくしは二色の蝋を落とし、押し、台帳に“港・灯台頁”の初号印を刻んだ。

 “ぎゅ、こと”。

 灯の下に、秩序の音。


 男の肩が落ち、近衛が連れて行く。

 公爵が再び外套を整え、息を吐く。


「風が冷える。戻るぞ」


「ええ」


 歩き出す前に、わたくしは海に向かって一度だけ礼をした。

 白は白へ――海でも、陸でも。

 涙は、あとで。

 今は、音を増やすだけ。


(次――“王国全域・白基金布達”の公布。

 “白印区画”の拡張、“秤桟橋”の常設。

 そして、王都へ戻って“制度の骨”を法に)


 前を見ろ。

 背中は、彼が見る。

 悪役令嬢の指先は、次の頁に印を付け、秤の輪郭を、国の端まで細く延ばした。

 ――ざまぁは派手でなくていい。

 “基準音”が、海風の中で静かに増え続ければ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ