第15章
――夜の港倉で“二色封”の基準音を撒いた翌朝。
王城・政庁会議室は、白い地図に新しい線を待っていた。
「本日の“布達”は三点――一、白基金の“国庫勘定”編入。二、地方“白箱”の設置標準。三、対外商会との“規格すり合わせ”。順に“開示”いたしますわ」
わたくしは扇子の骨で地図に三角を描く。王都から港町ブライデル、そして北方の関所都市ラント。
宰相が頷き、王妃が扇を伏せる。
「白基金は“国庫内特別勘定”。三署名・月例公開、入出の明細は“現物台帳”と突合。地方“白箱”は各領都に設置、標準札・規格枡・治具を“印監局”より交付」
「対外商会は?」
ヴォルフラム公爵の声に、わたくしは薄い紙片を掲げた。
「“基準受諾国”には関税減免。“偽装”には掲示と差止。――“白は白へ”の国境版、ですわ」
王は肘掛けを二度叩き、「採る」と短く告げた。
基準は決まった。あとは運ぶだけ。
* * *
半日後。港町ブライデル。
潮と染料の匂いが交じる埠頭に、白い幕屋が立ち、“規格すり合わせ会”の札が風に鳴る。
列席は王国側――印監局、監査局、法務院、王妃庁侍女、そして公爵。対するは“百合同盟”を含む対岸商会の使節団。
先頭の男は青縁の外套、指には大粒の水色石。「蒼印商会」のサミュエル卿と名乗る。
彼は笑みを広げ、軽く口上を述べたのち、灰色がかった蝋の壺を差し出した。
「王都で流行りの“二色封”――我らもひとつ、研究した。香りも青も“似せ”てある。これで“白基金の札”に押せば、即座に……」
わたくしは壺の口縁に鼻先を寄せ、軽く首を傾げる。
――甘さが重い。青はガラスの粉。桂皮の軽さが、ない。
「“似せ”は似せ、ですわ。――“基準”ではございません」
持参の治具で規定量を垂らし、押圧・角度・冷ましを標準どおりに。
“ぎゅ、こと”。
印影の青は濁り、線は太く鈍い。会場の空気がざわつく。
「基準を満たす蝋は、印監局の“式”(レシピ)に従ってくださいませ。採用すれば関税は二分軽減。――“白は白へ”の利益は、あなた方にも」
サミュエルが肩を竦める。「関税二分は魅力だが、式は“企業秘密”だろう?」
「式は“公開”。――秤は国境も選びませんの」
背後で公爵が短く告げる。「受け入れるか。受け入れねば、港掲示に“偽装蝋”の名が並ぶ」
商人の目が一斉に細くなり、やがて数名が互いに頷き合う。
サミュエルは大仰に手を広げた。「“白”に誓って、受諾しよう」
「誓いは蝋で。――“二色封”の初号印、どうぞ」
印の音が幕屋に増えていく。秩序は、音から広がる。
* * *
その頃、港の内陸側――白基金の物資を積んだ馬車列が関所都市ラントへ向かっていた。
わたくしは“巡回監査車”の窓から、白い札をつけた樽の列を確認し、台帳にひと線引く。
沿道に新造の“秤橋”。――橋脚に吊るされた大秤で、渡る荷の“前重・後重”を記録する装置。数字は橋にも宿るのだ。
「前重――七百八十。後重――七百二十……?」
記録吏の声が揺れた。
十刻も経たぬうちに“六十”が消えたというのだ。
「途中で“白”が抜かれておりますわね」
公爵が手綱を巻く。「合流路で換荷だ。――房鈴の張り込み、行く」
樹影の濃い分岐に小さな房鈴を三つ、風の向きに合わせて垂らす。
鈴が鳴らねば安全、鳴れば侵入。
やがて、遠くで“ちりん”。
先行の荷車から、無印の小箱が二つ、脇道へ滑る影。
「――止まれ」
公爵の号令。近衛が回り込み、鎖が地面を走る。
捕えたのは、関所の徴税吏と地元領主の小姓。蓋を開ければ、白粉の壺に偽の札、そして松脂臭い灰蝋。
「“白箱”は皆の箱。――『白基金横領・偽装蝋使用』、即日掲示ですわ」
徴税吏が青ざめ、「冗談だ、領主が――」と言いかけて、舌を噛む。
公爵の硝子の黒が冷たく光る。「領主名は“掲示”で出る。……橋の数字は嘘をつかない」
秤橋の“前重・後重”、巡回車の“軸重”、台帳の“積付図”。
三つの数字が一列に並んだ瞬間、男は膝から崩れた。
「ざまぁ、ですわ」
わたくしは扇子を畳み、白基金の札を貼り直す。
白は白へ戻る。橋が証人だ。
* * *
ラント城門前。
“公開点検”の掲示板に、徴税吏と領主家小姓の名、偽装蝋の写真版、秤橋の記録票が貼られる。
民が群がり、誰かが小さく「ざまぁ」。
領主は面目を失い、王妃庁の監督官が“白箱”の鍵を預かる。
「制度は“骨”ですわ。――折らせないために、音を増やします」
その足で、ラントの公会堂へ。
地方“白箱”の設置式。
わたくしは白い木箱の蓋に“二色封”を押し、“基準音”を響かせた。
“ぎゅ、こと”――人々が静かに息を飲む。
「鍵は三本。町・教会・監査。――三署名。
台帳は“椀と匙・寝具・献立”。月末に掲示。
涙は“あとで”。――“涙前置禁止の条”を添えますわ」
笑いが起き、すぐに拍手。
公爵の口元が、すこしだけ弧を描いた。
「いい規程名だ」
「冗談ではありませんのに」
「分かっている」
第四条。
わたくしの胸が、軽くなる。
* * *
夕刻、港へ戻ると、幕屋の前に見慣れた青縁の外套。
サミュエルが新しい蝋壺を掲げて笑う。
「式どおりに練った。“基準”を呑む代わりに、取引提案だ。
――“白基金向け・規格白粉”、定量・定価で継続供給。関税二分のかわりに、港倉の一角を“白印区画”として保証してほしい」
公爵が視線を寄越す。
わたくしは頷き、紙を一枚差し出す。
「“白印区画”――二色封以外の搬出入禁止、掲示義務、現物検査いつでも。
破れば“区画剥奪”。守れば“常備仕入”」
商人の瞳が一斉に光った。
サミュエルは大笑し、「秩序は商いを速くする」と言って朱を引いた。
秤は、国境の先にも置けるのだ。
交渉がまとまりかけた、その時。
港の先、堤防の上に白い紙片がふわりと舞った。
近衛が拾い、公爵の手からわたくしの前へ。
『――“白を海に返せ”。
灰冠の“友”より』
海風が甘く、どこか金属の匂いを運ぶ。
公爵が低く言う。「“冠”の残り火だ」
「水は“基準”を嫌いませんわ。――波にも“音”を」
わたくしは港図に二つ印を打つ。
“白印区画”と、“秤桟橋”。
桟橋にも秤。――前重・後重・潮位補正。
数字は、波にも宿る。
* * *
夜。ブライデル外港の灯台。
風が白い旗を鳴らし、遠くで“白印区画”の二色封が点のように瞬く。
灯台の影で外套が肩に掛けられ、手袋の付け根がまた、結び直される。
「解けていた」
「……わたくし、よく解けますわね」
「何度でも、結び直す」
言葉は少なく、風は強い。
けれど、温度は確かだ。
「レティシア」
名を呼ぶ声に、振り向く。
硝子の黒が、灯の光でわずかにやわらぐ。
「港は“基準”で動く。――君が並べた数字が、海まで届いた」
「背中を守ってくださる方がいるから、前を見られますの」
「前を見ろ。背中は、私が見る」
「はい」
第四条。
口角が、風の中でも上がる。
そのとき、灯台の足元で“ちりん”。
新しく吊った房鈴――潮風に鳴るはずのない“合図”がひとつ。
公爵が素早く身を翻し、わたくしも扇子を握る。
灯の陰から、黒外套が一人。
顔を覆い、手には灰色の蝋と、偽の青片。
海へ投げれば、白は“見えない”。――そういう算段。
「――止まれ」
公爵の声。近衛が左右から締め、男は桟に押し付けられた。
わたくしは蝋の壺を奪い、鼻先で笑う。
「松脂。――海風でよく香りますわね。掲示に最適」
男は舌打ちをし、「“白は王の意志で白”」と吐き捨てる。
わたくしは首を振る。
「王の意志は“基準”で守られますの。――二色封で」
灯台の庇の下、臨時の小机。
わたくしは二色の蝋を落とし、押し、台帳に“港・灯台頁”の初号印を刻んだ。
“ぎゅ、こと”。
灯の下に、秩序の音。
男の肩が落ち、近衛が連れて行く。
公爵が再び外套を整え、息を吐く。
「風が冷える。戻るぞ」
「ええ」
歩き出す前に、わたくしは海に向かって一度だけ礼をした。
白は白へ――海でも、陸でも。
涙は、あとで。
今は、音を増やすだけ。
(次――“王国全域・白基金布達”の公布。
“白印区画”の拡張、“秤桟橋”の常設。
そして、王都へ戻って“制度の骨”を法に)
前を見ろ。
背中は、彼が見る。
悪役令嬢の指先は、次の頁に印を付け、秤の輪郭を、国の端まで細く延ばした。
――ざまぁは派手でなくていい。
“基準音”が、海風の中で静かに増え続ければ。