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第14章

 ――翌日、正午。

 王立商会所・広場側搬入口は、白い布と新しい掲示板で整えられ、“二色封”の標本と“印影台帳”が壇上に並んでいた。

 百合同盟の荷馬車が列を成し、壺と袋と木箱に番号札が躍る。王妃、宰相、監査官、法務院、公爵。そして――聖女アンジェリカ。


「返還第二便、開始します」

 わたくしは白手袋をはめ直し、『返還台帳』の今日の頁を開いた。

 項目は三つ。――白粉百二十壺、香油三十五瓶、銀袋四十五。用途指定は“椀と匙・食材・寝具”。

 王妃庁侍女が受領印を押し、監査官が立会い印を添える。二色封の蝋が陽にきらめき、基準音が“ぎゅ、こと”と短く鳴った。


「ついで――“基準”も、二つ」

 扇子の骨で台をとん、と叩く。

「一、物資は“公開入札”で買い付け。“品名・規格・単価”の三点セットで掲示。

 二、孤児院会計は“月例・公開”。椀・匙・鍋・寝具・献立――“実体の白”の台帳を作る」


 ざわ、と広場の空気が緩む。

 百合同盟代表が苦笑し、「規格があるなら文句を言う筋もはっきりする」と肩を竦めた。


「……ありがとうございますわ。――では、本日の“告白”に移ります」


 わたくしが一歩退くと、白紗の裾が陽を受け、聖女アンジェリカが壇へ進み出た。

 彼女は合掌しない。ただ、広場をまっすぐに見た。

 息を一つ、置く。


「わたくしは――“数”を、祈りで塗りました」

 ざわめきが、低く広がる。

「三百十二。記された“白”のうち、数多くは“顔”を持たず、椀も匙も持ちませんでした。

 礼拝の“光”を二度分、演出と封印に使い、白粉を“顔”のために。……そして、寄付の“白”を、王子の“白”へと混ぜました」


 王太子レオンハルト殿下が、わずかに顔を伏せる。

 聖女は続けた。


「言い訳は、できます。“善意”という名の。

 けれど、椀の数は、祈りで増えない。――それを、悪役令嬢レティシア様と、監査の皆様に教わりました」


 静寂。

 子どものすすり泣きが、どこかで小さく鳴った。

 聖女はそれを探さず、広場の中央を見据える。


「“返還”を続けます。わたくしの“白”は、台帳の“白”へ。

 どうか――涙は、椀と匙を数えた“あとで”見てください」


 わたくしは頷き、合図を送る。

 王妃庁侍女が子どもたちの前で“椀を配る台”を開き、受け取り列の先頭に“返還番号”を書いた札を掲げた。

 “白”が“顔”へ帰る導線が、目に見える“線”になって流れだす。


 そのとき、掲示板の陰で紙束がばさりと舞った。

 “噂書リーフレット”――『印監令は商い殺し』『悪役令嬢は国賊』。

 配っていたのは、昨日“鍵台帳”で藍花を咲かせた内務審の末吏二名。

 公爵の視線がすべり、近衛が音もなく回り込む。


「――“二色封”の無い紙は、紙に非ず」

 わたくしは穏やかに告げ、噂書の端を摘むと、台の“試験印台”へ。

 王印蝋の青、監査蝋の深線――どちらも、無い。

 代わりに鼻を刺す松脂の匂い。

「規程外掲示。――撤去」


 民衆の端で、くすっと笑い。「ざまぁ」。

 音は控えめで、だが確かな重みを持って落ちた。


 * * *


 返還列が半ばを過ぎたころ、王妃が扇を閉じ、壇上に並べられた新しい札を指した。

白基金ホワイト・トラスト設置告示――返還物資・寄付・罰金の“白箱”一本化。三署名・月例公開』


「“白”は散らすとすぐ濁る。――一つの箱に流し、皆の目の前で使いなさい」

 王妃の声は平らで、強い。

 宰相が続ける。「供給は“公開入札”。品質は“現物検査”。違反は即日“掲示”」


 私は台の端に“現物検査”の簡易具を置いた。

 米の粒を数える枡、塩の湿りを測る紙、布の糸目を数える小さな櫛。

「祈りの白は、美しい。――けれど、秤は“目”のためにありますの」


 聖女が隣で短く息を吐き、わずかに微笑んだ。

 涙がほろり、と落ちかけて――彼女は扇でそっと押さえた。


「“あとで”……でしたわね」


「はい。あとで」


 * * *


 式が終わりに向かう頃、遠巻きの群衆がざわめいた。

 白布の肩掛け集団――“白の同志”を名乗る元信徒たちが十名ほど、鈴を掲げて前へ出る。

 先頭の男が叫んだ。


「“秩序”は冷たい! “白”は神の――」


「鈴は神のもの。――だが、ここは“基準”の場ですわ」

 わたくしは彼らの手から鈴をひとつ受け取り、音階を鳴らす。

 “ちりん、りん、りり”――礼礼局の七つ鈴。

 机の陰に吊した“小さな房鈴”が、それに同調して鳴った。

 近衛が柱影から出る。

「“侵入合図”は貴殿らの鈴でも鳴る。――昨日から変更済みだ」


 男の顔から血の気が引いた。

 王妃庁侍女が一歩前へ出、柔らかく、しかし動かせぬ声で告げる。


「祈りは“礼拝堂”で。――ここは“返還”の場です」


 白布の肩掛けが一枚、二枚と下がり、やがて男たちは列の後ろへ退いた。

 広場の端で小さな拍手。

 ざまぁは鳴らない。ただ、秩序の音が静かに場を満たしていく。


 * * *


 夕刻。

 返還を終え、『返還台帳』の頁に最後の印影が乗る。

 わたくしは台帳を閉じ、“暫定報ガゼット第五号・号外”の版木を掲げた。


《聖女アンジェリカ“告白”全文/白基金設置/公開入札と現物検査の基準一覧》


 読み上げ役の子どもが、舌を噛みそうになりながらも笑って頑張る。

 聖女がその頭を撫で、王妃が“白基金”の箱に最初の銀貨を落とす。

 “ことん”。

 軽い音が、広場に染みた。


「――レティシア」


 袖を引かれ、振り向くと王太子が立っていた。

 彼は短く息を飲み、言葉を搾り出す。


「私のために、誰かの椀が減った。……その“数字”を、君は私に突き付けた。

 ――ありがとう。

 秩序に感情は要らないのだろう。だが、私は“二度と”君に“数字で”叱られたくない」


 わたくしは微笑み、扇子を畳む。

「では、叱られない数字を並べましょう。――“連署”も、“印影台帳”も、そのために」


 殿下は頷き、聖女の肩越しに王妃へ目で礼を送った。

 聖女は涙を拭き、“あとで”を守るように、笑う。


 * * *


 人波が退き始めた頃、公爵が外套を肩に掛けてくれる。

 第四条。

 胸のひやりが、すぐ温度に変わった。


「前を見ろ」


「ええ。――次は、“制度”の骨をもう少し太く。『印監局』の常設化、人員、手順。『白基金』の監査規程。“告発の作法”も、ですわね」


「作法?」


「涙が先か、数字が先か。――今日、私たちは“数字が先、涙はあと”と決めた。条文に」


 公爵の硝子の黒が、わずかに笑う。

「いい規程名だ」


「冗談ではありませんわ。――“涙前置禁止の条”」


「長い」


 二人で小さく笑って、歩き出す。

 ちょうどその時、王城の尖塔から一羽の伝書鳥が降り、近衛の腕に留まった。

 巻かれた薄紙――“印監局”より。


灰冠はいかん関係者、城外“北河港倉”にて“二色封”の偽造試行を確認。

 ――印監令・臨時演習を求む』


 公爵の目が細くなる。

「立ち上げの初週に、外縁を突いてきたか」


「なら、“基準”で叩き返すだけ」

 わたくしは扇子をぱちりと鳴らす。

「夜――“臨時演習”。“二色封”の“標準”を、港の倉にも」


 王妃庁侍女が駆け寄る。「白基金の“初決裁”は、どうなさいます?」


「今夜は“食”。――明朝の献立、『白パンは週二・黒パンは毎日、スープは具を増やす』。匙と椀は、不足分を“即日購入”。公開入札の一件目に」


「承知しました」


 風が白い掲示板を揺らし、“基準一覧”の角がきらりと光る。

 “白”は、もう“顔”のところへ流れている。

 涙は、あとで、布で拭う。

 秩序の皿は、今日、はっきり重くなった。


 * * *


 夜――北河港倉。

 川霧と潮のにおい、縄の軋み、油の冷たさ。

 “印監局・臨時演習”の布が張られ、二色封の小机がいくつも運び込まれる。

 職人、監査官、兵、そして――港の荷役たち。

 わたくしは袖をまくり、壺を二つ、台に置いた。


「“標準”は“道具”ですわ。――誰でも、同じ“音”で押せるように」


 蝋の量、温度、押圧、角度。

 役人の手でも、荷役の手でも、同じ印影が残る“治具じぐ”を配り、一人ずつ“基準音”を鳴らさせる。

 “ぎゅ、こと”。

 倉の中に、地味で、確かな音が増えていく。


 端で、黒外套の影が戸口から覗いた。

 “灰冠”の残り火か――鈴のこすれが、わずかに鳴る。

 公爵の視線が走り、近衛が静かに回り込む。

 逃げ道の前に“房鈴”。

 “ちりん”。――影は止まり、足をすくわれる。


「“鈴”は、もう“白”の音ですの」

 わたくしが告げると、荷役たちが短く笑った。


 演習の最後、印影台帳の“港倉頁”に初号印が並ぶ。

 王印蝋の青、監査蝋の深線、押印角の標準値。

 秩序の音が、川霧の中に残った。


 外へ出れば、星が少し滲んでいた。

 公爵が外套を肩に掛け、手袋の付け根をまた直す。


「解けていた」


「何度でも、結び直していただけるのね」


「何度でも」


 第四条。

 胸が軽くなる。

 明日の“白”は、今日よりも逃げにくい。

 ざまぁは派手に鳴らなくていい――秩序の音が増えればいい。


(次――“王国全域・白基金の布達”。

 そして、“海外商会”との規格すり合わせ。……商いの“白”を、国境まで)


 前を見ろ。

 背中は、彼が見る。

 悪役令嬢の指先は、次の頁に薄く印を付け、“基準”の線をさらに一本、王国に引いた。

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