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第12章

――明けの冷気が、王都の屋根を薄く洗うとき


 王城・内務審ないむしん庁舎前。

 扉は地味だが、王家の日常――部屋の鍵、倉の鍵、印蝋庫の鍵――がここで回る。

 わたくしは白手袋をはめ直し、携行箱の蓋を開けた。中には、昨夜こさえた“鍵台帳”と、粉末、布、薄瓶。


「今日の順番は三点。――一、鍵の“所在どこ”。二、鍵の“履歴(いつ誰)”。三、蝋の“調合なに”。順に“公開”いたしますわ」


 ヴォルフラム公爵が短く頷く。「二重封にじゅうふうは私が見る。君は数字(履歴)を」


「承知」


 扉が開き、内務審の執務長と鍵番が出迎える。

 壁一面に鍵板。輪に刻まれた番号札、札の角には――〈□に二本線〉、あの仕分け印。


(やはり、ここで“特別使途”が整理されている)


「まず“所在”を」

 わたくしは鍵板の前に立ち、番号札を“鍵台帳”の一覧に照合していく。

 ――『王室印蝋庫・主鍵』『王妃御寝所・副鍵』『王太子書斎・主鍵』。

 三十七、三十八、三十九……「四十が空白、ですわね」


 鍵番が汗をにじませる。「四十は、予備の……昨夜の点検で――」


「空白は“所在”ではありません。“不在”ですの」

 扇子の骨で空白を軽く叩き、兵に“封鎖”の札を示す。

 公爵が静かに言う。「鍵板の前で言い訳は無効だ。――次、“履歴”」


 わたくしは台帳の次頁――“出納簿(鍵)”を広げる。

 借方“持出”、貸方“返納”。時刻と当番、押印角。

 そこに、ひときわ不自然な並び――“丑二刻”“卯一刻”の“狭間はざま”での持出しが続いている。


「交替の隙間、ですわね。――書記局と同じ」


 鍵番の喉が鳴る。

 わたくしは携行箱から小瓶を取り出す。薄褐色の液体。


「“藻ヨード液”。――海藻から作る薬品で、澱粉に色を与えますの。鍵に薄く澱粉粉をはたき、直後に触れた指跡は、ここで色が変わる」


 鍵番が慌てる。「そ、そんな玩具で――」


「玩具には、数字が宿りますわ」

 薄粉をはたき、鍵輪のつなぎ目、歯の付け根に一滴。

 ――端から、藍が咲く。

 咲いたのは“四十の枠”の隣、表向き“在庫”のままの“王室印蝋庫・副鍵”。


「“昨日の夜明け前に触れた”印。――どなたが?」


 沈黙の刹那。

 内務審執務長が硬い声で言う。「侍従副長カリスト。昨夜、礼礼局との受け渡しで出入りした。……だが、正規の用だ」


「“正規”なら、印監令どおり“二重封”の記録があるはず。――監査印蝋は?」

 公爵の言葉に、執務長は言葉を詰まらせた。


「二重封が無い“印”は、印に非ず」

 公爵が低く断つ。「鍵番、印蝋庫へ」


 * * *


 印蝋庫は冷ややかな石室で、棚に蝋の壺が並む。白蜜蝋、赤蝋、王妃庁用の青縁蝋、そして――“灰色の壺”が一つ。


「灰蝋の壺に“王印”の札。――誰の筆だ?」

 わたくしは札の端を指先で撫で、拡大鏡を当てる。

 数字の“4”の尻が丸い、“7”の横棒が長い。

(会計局の“回し”、礼礼局副官、書記官グイード。――同じ“癖文字”の系統)


 藻ヨード液を綿棒に染ませ、壺の口縁を軽く拭う。

 黒ずみが滲み、桂皮の香はない。

「“王印”の棚に入れるため、灰蝋の札を――偽装」


 鍵番が蒼白になる。「わ、私は……」


「あなたの指は“細い粉”。――“触った者”はすぐに分かりますの」

 わたくしは彼の袖口を示し、藍の滲みを見せる。

 鍵番が崩れそうになったとき、石室の奥で微かな金属音。

 公爵が視線だけで兵を走らせ、――壁際の木箱がバン、と弾けた。


 飛び出した男が一人。内務審の詰襟、肩章は“副長”。

 右手に油壺、左手に――火打ち石。


「燃やすな!」

 公爵の声が落ちるより早く、わたくしは布包みの“湿布”を油壺に投げた。

 油は布に吸われ、火花は空を切る。

 男――侍従副長カリストが顔を歪め、扉へ走る。

 兵の鎖が足を絡め、床へ叩きつけた。


「……っ、灰冠は……“冠”は秩序だ! 王の名で“白”を塗る、それのどこが悪い!」

 彼はなおも叫ぶ。

 公爵のブーツが目の前で止まり、冷たい声が落ちた。


「秩序は印で守る。――灰で塗るのではない」


 静寂。

 わたくしは彼の腰帯を探り、鈴――礼礼局と同型――と、小瓶を二つ取り上げる。

 一つは“灰蝋”、もう一つは、桂皮を強く偽装した香油。


「“香り”で王印を誤魔化すつもりでしたのね。……けれど、桂皮だけでは“ラピス”は再現できませんわ」


 彼は歯を軋ませ、「殿下の御為だ」と呟く。

 わたくしは扇子を畳み、静かに言った。


「殿下の“ため”に、子どもの椀を減らすのですか。――それは“為”ではなく、ただの“都合”ですわ」


 公爵が兵に目配せする。「拘束。――内務審の“公開点検”を行う。鍵板・出納簿・印蝋庫、すべて広間へ」


 * * *


 王城・小広間。

 鍵板が壁ごと移され、“鍵台帳”が大机に開かれる。

 王妃、宰相、監査官、法務書記。

 王太子は険しい顔で腕を組み、聖女は扇の陰で目を伏せる。


「“公開点検”を始めます。――項目は三つ」

 わたくしは指で机を三度叩いた。

「一、所在の空白。二、履歴の狭間。三、蝋の偽装」


 まず、“四十の空白”を示し、鍵番を呼ぶ。

 藻ヨード液の藍花を見せると、鍵番は力なく頷き、「副長の指示で」と白状した。


「次に、履歴」

 “丑二刻”“卯一刻”に偏る持出を並べ、押印角の傾きを示す。

 監査官が低く告げる。「書記局と一致」


「最後に、蝋」

 “王印蝋”と“灰蝋”を試験板に落とし、温め、欠けを観客に見せる。

 王妃の鼻先で、桂皮の軽さと重さの違いを示す。

 宰相が短く言う。「偽」


 王太子が耐えかねたように声を荒げる。「しかし、俺は――私は、知らなかった!」


「知らない印は、印ではございませんの」

 わたくしは柔らかく返し、礼に則って頭を垂れる。

「ゆえに、“制度”で守ります。“印監令”第二項――印影台帳。今日より、鍵と蝋の“印影”と“押圧”を常時記録して頂きます」


 公爵が続ける。「内務審の鍵管理は臨時に監査局へ移管。侍従副長カリストは拘束。……王命は?」


 王は長く息を吐き、肘掛けを指で二度叩いた。「採る」


 小広間の隅で、かすかな「ざまぁ」。

 音は小さい。けれど、秤の針はまた一目盛り、戻った。


 ――その刹那。

 控えの間の扉が内側から叩かれる音。近衛が駆け込み、一通の封書を掲げる。

 二色封。“王印蝋”と、監査印蝋。

 宰相が封を検め、王へ渡し――王の視線が細くなった。


「“灰冠はいかん”より“辞”。――“冠は役目を終えた。秤を笑う役は神に返す。白は王の意で白”」


 薄笑いのような文。だが封は“正規”。

 広間がざわめく。

 わたくしは唇を噛み――すぐ、鼻先に瓶を寄せた。

 桂皮。ラピス。……そして、微かな“海藻のえぐみ”。


(監査印の蝋が、新調子……? “印監令”を布いた今、誰かが“二色封”を先に使った――挑発)


 公爵が一歩、前へ。

 声は静かで、硬い。


「“二色封”は偽れぬ。だが、運用初日――“人”は揺らぐ。……“灰冠”は、今、制度の“立ち上がり”を突いた」


「なら、“公開”で立ち上げますわ」

 わたくしは扇子を開き、台に“二色封の作法”を広げる。

「封蝋の量、圧、角、冷まし。――全部を“標準”に。今日ここで、王の前で、台帳に“初号印影”を記録する」


 王妃が頷く。「やりなさい」


 宰相が人を呼び、印監局の職人が小走りに現れる。

 前例が、その場で“基準”へ変わっていく。

 “灰冠”の挑発は、逆に“定義”を固める材料に変わる。


(秤は笑いませんの。“基準”を重ねるだけ)


 儀式のように静かな空気の中、最初の“二色封”の印影が台帳に刻まれた。

 青の細粒、桂皮の軽香、監査印の深い線。

 王が署し、王妃が副署し、監査官が押す。

 ――秩序の音。


 * * *


 散会後。

 内庭を渡る風が、白百合の列を小さく揺らす。

 わたくしは回廊の影で息を整え、“鍵台帳”の余白にメモを落とした。


『灰冠=王太子“側”の線。礼礼局・書記局・内務審を回す“鈴”。

 ――次、“冠の頭”はどこ』


 背後で足音。公爵だ。

 彼は無言で外套を肩に掛け、わたくしの手袋の付け根を整えた。


「解けていた」


「また、ありがとうございますわ」


「第四条」


「守れています」


 顔を上げると、硝子の黒がわずかにやわらぐ。

 彼は視線だけで庭の端を示した。

 聖女アンジェリカが白百合の前に立ち、祈るでもなく、ただ“返還台帳”を見つめている。


「――“告白”は、まだかしら」


「急がせるな。秩序は人の速さを待つこともある」


「ええ。……ですが、秤は用意しておきますわ」


 遠く、鐘が一度だけ鳴った。

 内務審の小庫から運び出された鍵板が、新しい“印影台帳”の前に掛けられる。

 “白”は白へ、蝋は蝋へ、鍵は鍵へ。

 数字は、逃げない。


 そして――“灰冠”は逃げ場を失いつつある。

 “冠”を掲げる手が、次にどこへ伸びるのか。

 わたくしは扇子を軽く鳴らし、前を見た。


(次は――“王太子書斎”。

 鍵はもう、こちらにある)


 ざまぁの音は、まだ控えめ。

 けれど、次の頁で――もっとはっきり、鳴らせる。

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