第6話 施療院の白い部屋
施療院の白い壁は、清潔であるはずなのに、時々息苦しくなる。
医師ルーカスは、薬草棚の前で腕を組んだまま、目の前の数字とにらめっこしていた。
——残りの在庫は三日分。
しかも今月の寄付金は、例年の半分以下だ。干ばつと物価高の影響は、こんな場所にも確実に及んでいる。
「先生!」
扉の向こうから、看護師リーナの声が飛んできた。
「子どもの高熱、また来ました!」
ルーカスはすぐに診察室へ駆け込む。
そこには、ラースが連れてきたあの移民の母子がいた。
子どもは額に汗をびっしょりかき、呼吸は浅い。
母親は必死に体をさすっている。
「……体温、四十度近いな」
ルーカスは額に手を当て、すぐに棚の引き出しを開いた。
だが、高熱を下げる薬草の束は、残り一つだけだった。
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(俺は今、施療院の会計箱の中にいる)
昨日、パン屋の女主人が包丁代の一部として寄付した金のひとつだ。
金貨の俺は、この施療院に来てまだ一日も経っていないが、
すでに「足りない」という言葉を何度も耳にした。
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ルーカスは薬草の束を手に取り、奥歯を噛みしめた。
——この薬草は、老人棟の肺炎患者にも必要だ。
どちらかを救えば、どちらかは救えない。
医師としての経験が告げる。「全員に半分ずつ与えても、効果は薄い」。
ならば、どちらか一方に集中するしかない。
視界の端で、母親の震える手と、布団の中で苦しむ子どもの顔が交互に迫ってくる。
そのとき、扉が再び開いた。
「先生、こっちも高熱の患者です!」
今度は老人棟の看護師だった。
——選択の時が、無情に訪れた。
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(人は時に、金で解決できる問題よりも、金ではどうにもならない選択に直面する)
でも、この場では金すら足りない。
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ルーカスは深く息を吐き、子どもに薬草の半分を与えることにした。
残り半分は老人棟へ。
「効き目が弱まる」とわかっていながら、均等に分けるという、中途半端な選択。
それでも——何もしないよりはいい、と自分に言い聞かせた。
薬草を煎じる香りが、白い部屋に広がる。
母親は涙をこらえ、両手で茶碗を支えた。
子どもは少しずつ茶を飲み、荒い息を繰り返す。
夜。
施療院の廊下で、ルーカスはリーナと向き合った。
「……足りない。次の仕入れができなければ、冬は越せない」
「でも先生、寄付はもう……」
言葉はそこで途切れた。二人とも、解決策が見えないのをわかっていた。
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(俺は会計箱の中で静かに眠る。
俺一枚で買える薬草は、たった一束。
それでも、この一束が誰かの命をつなぐかもしれない)
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ルーカスは帳簿を閉じ、窓の外に目をやった。
夜空には雨雲が流れ、冷たい風が吹き込む。
明日はもっと多くの患者が訪れるだろう。
その時、自分はまた同じ選択を迫られる——そう確信していた。