第5話 鍛冶場の火花
鍛冶場の空気は、朝から熱かった。
炉の中で赤く揺れる炎、鉄を叩くたびに散る火花、焼けた金属の匂い——ブルーノの一日はいつもこの匂いから始まる。
だが、この数か月で状況は変わった。
干ばつと戦の噂で鉄鉱石の価格は倍近くに跳ね上がり、炭も品薄になっている。
材料を買い込もうにも、支払いは重くのしかかる。
「ブルーノさん、今日も剣の注文が来てますよ」
弟子のカイが、額の汗を拭いながら注文書を差し出す。
そこには商会の印が押され、期限は一週間後と書かれていた。
「……これだけの量を、この値段で?」
ブルーノの眉間に皺が寄る。材料費だけで赤字だ。
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(俺は今、鍛冶場の作業台の端に置かれている)
昨日、街の商人が鉄を卸す代金としてブルーノに渡したものだ。
硬貨の肌に、細かい鉄粉が付着しているのがわかる。
——この男は、手に入れた金の使い道を迷っている。
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昼休み、ブルーノは炉を落とし、カイと簡単な昼食を取った。
固い黒パンに薄切りの干し肉。昔なら蜂蜜を垂らす余裕もあったが、今は贅沢だ。
「親方、材料の質を少し落とせば、赤字は避けられます」
「……質を落とせば、剣は持ち主を守れなくなる」
「でも、このままじゃ……」
カイは口を閉ざした。ブルーノの目には、職人としての揺るがぬ頑固さが宿っている。
しかし、ブルーノにもわかっていた。
誇りだけでは鍛冶場は回らない。
弟子の食事も、炉の火も、材料も、すべては金で動く。
その時、裏口から声がした。
「ブルーノさん、先週の包丁、やっぱりすごく切れるよ」
パン屋の女主人が笑顔で包丁を掲げていた。
「この金貨で、もう一本頼めるかい?」
彼女が差し出したのは、俺と同じ刻印の金貨だった。
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(俺は知っている。この金貨は、酒場の女マリナが妹の学費に使った別の一枚と同じ鋳造元だ)
硬貨には旅の記憶は残らない——はずだが、人間の行動がそれを繋いでいく。
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ブルーノはしばらく金貨を眺めた。
材料を買うには足りないが、包丁一本分の支払いには十分だ。
結局、彼は受け取り、材料の質は落とさずに仕事を続けることを決めた。
夕暮れ、カン、カン、と澄んだ音が鍛冶場に響く。
赤く焼けた鉄が叩かれ、形を変え、やがて包丁の姿になる。
ブルーノの額から汗が滴り、火花が舞う。
「親方、これじゃ利益が……」
「いいんだ。手を抜いたものを渡したら、それはもう俺の仕事じゃない」
カイは口を結び、黙って火ばさみを握り直した。
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(職人の誇りは、帳簿には載らない価値だ。
けれど、そうやって作られたものは、人の暮らしに長く残る)
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夜、包丁を受け取ったパン屋の女主人は嬉しそうに帰っていった。
ブルーノは炉の火を落とし、手のひらに残る鉄の匂いを嗅ぎながら、明日の注文書をめくる。
赤字は続く——だが、彼はまだ火を絶やす気はなかった。