第4話 門の雨
朝から空は重く垂れ込め、街の石畳には湿った風がまとわりついていた。
東門の前に立つラースは、鉄の槍を肩に掛け、ひたすら往来を見張っている。
街の門衛としての日常——それは、決められた規則を守ることだ。
だが、今日の空模様は、どうも心を鈍らせる。
「入市税、銅貨三枚。身分証の提示を」
門をくぐる商人にそう告げ、手続きは淡々と進む。
決まりは単純だ。
この街は今、干ばつで食糧不足が続き、外からの流入者は慎重に選ばねばならない。
移民は原則、証明書か身元引受人がなければ入れない——それが規則。
昼近く、薄い雨が落ち始めた。
その時、列の後方から小さな咳が聞こえてきた。
布のフードをかぶった若い女が、小さな子どもを抱えて立っている。
女の顔色は青白く、子どもは痩せて頬がこけ、咳のたびに体が震えていた。
「次」
ラースが呼ぶと、女はおそるおそる前に出た。
「……身分証は?」
「持っていません。村が……焼かれて。逃げてきました」
声はか細く、雨粒がフードから滴り落ちる。
抱かれた子どもが、また咳をした。今度は喉の奥から苦しげな音を立てる。
ラースは無意識に視線を落とす。
規則は規則。証明がなければ——。
頭の中で、上官の声が響く。「例外を作れば、門の意味はなくなるぞ」
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(俺は今、門番の小机の上に置かれている)
昨日の夕方、移民審査を終えた行商人の支払いに混ざってここに来たらしい。
金貨の俺は、ただ雨音を聞きながら、このやり取りを見守っている。
硬貨は喋らない——けれど、この男の心の揺れははっきり感じる。
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「すまない。入市には証明か引受人が——」
言いかけた瞬間、子どもが咳き込み、女の肩に吐き戻した。
雨の冷たさと、幼い体温の熱が一瞬にして混ざり合う。
ラースは深く息を吐いた。
「……こっちへ」
女を門の脇に連れて行き、警備詰所の屋根の下に入れる。
周囲の視線を背中に感じながらも、もう止まれなかった。
「ここで少し休め。——施療院まで案内する」
女は驚いたように目を見開き、それから小さく頭を下げた。
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(規則を守るのは簡単だ。紙に書いてあるからだ。
でも、目の前の咳や熱は、紙には書けない)
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施療院に着くと、看護師のリーナがすぐに子どもを抱き取った。
「高熱だわ。すぐに寝かせて」
ラースは女に水を渡し、事情を簡単に説明した。
女は何度も礼を言い、涙で頬を濡らした。
門に戻る途中、雨脚は強まっていた。
鎧に落ちる雨の冷たさが、まだ胸の奥の熱を鎮めきれない。
——一度だけの例外だ、と自分に言い聞かせる。
けれど、その一度が、妙に重く胸に残っていた。
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(俺はまだ門番の机の上だ。きっとすぐ、別の誰かの手に渡るだろう。
だが、この雨の匂いと咳の音は、多分、この男の中から消えない)