第11話 夜の運び屋
夜の港は、昼の喧噪を忘れたように静まり返っていた。
ただ、波打ち際に係留された船のマストが風に鳴り、遠くで犬が吠える声がするだけだ。
そんな闇の中、甲板に積まれた木箱がひとつずつ下ろされていく。
俺はその中のひとつ、小さな麻袋の奥に潜り込んでいた。
袋の口は固く縛られていて、外の景色は見えない。
見えないが、音は聞こえるし、振動も感じる。
——この動きは港の荷下ろしじゃない。もっと、こそこそした感じだ。
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足音が近づく。
「フェン、急げ。夜明けまでに城下を抜けるぞ」
「わかってるって」
低い声で答えたのは、この荷の持ち主らしい若い男。
名はフェン。港で日雇いの荷運びをしていたが、最近は夜の仕事ばかりだと噂されている。
麻袋ごと肩に担がれ、俺は夜の港から運び出された。
潮の匂いが遠ざかり、代わりに石畳の硬い響きが足に伝わる。
頭の上で麻袋がわずかに揺れ、何か硬いもの同士が当たる音がした。——金だ。俺の仲間たちだ。
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(俺は金だ。金は動いてこそ価値がある——そう教えられた)
(だが、この動きは、何かを巡らせるためではなく、何かを奪うための流れだ)
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道の途中、フェンは小さな路地に入り、屋台の脇で立ち止まった。
「おう、ガルシアの屋台はまだやってるな」
彼は懐から銅貨を出し、湯気の立つスープを受け取る。
その手つきは慣れていた。港仕事の稼ぎではない硬さが指にある。
ガルシアは何も言わずにスープを渡したが、視線が一瞬だけ袋の中を探るように動いた。
もしかしたら、この荷の中身を知っているのかもしれない。
再び歩き出すと、街の外れに差しかかった。
そこには大きな倉庫が並び、灯りは最小限。
扉がひとつだけ静かに開き、影の中から誰かが現れる。
「遅かったな」
「港で検問があってな」
フェンは袋を降ろし、扉の奥へ押し込んだ。
倉庫の中はひんやりとして、乾いた穀物の匂いが漂う。
だが、その奥には油と鉄の匂いも混ざっていた。
俺はその匂いを知っている。武器の匂いだ。
穀物袋に紛れて、剣や弩まで運ばれているらしい。
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(これが、ヴォルク商会の「流れ」か)
(港で集めた物資を倉庫にため込み、足りないように見せかけて値を吊り上げる。余った分は闇市や戦場に流す)
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作業を終えたフェンは、端の机に向かった。
そこには小さな秤と帳簿が置かれ、帳簿の横に数枚の金貨が並んでいる。
「これが手間賃だ」
帳簿係の男が金貨を渡す。
その中に、俺も混ざった。
フェンの手の中は温かく、指は少し震えていた。
それが寒さのせいか、金貨を手にした興奮のせいかはわからない。
ただ、その震えを俺ははっきり感じた。
「……これで妹に靴を買ってやれる」
フェンが小さく呟いた。
闇の仕事で得た金が、血のつながった家族のために使われる。
——正しいのか、間違っているのか。俺には判断できない。
けれど、その妹の足が少しでも温かくなるなら、それは金としての役割を果たしているのかもしれない。
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(価値は、使われた先で決まる)
(だが、その価値の出所を問う者は少ない)
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倉庫を出ると、夜明け前の冷気が肌を刺すようだった。
フェンは袋を空にした背中を丸め、港とは逆の方向へ歩いていく。
遠くで鐘が鳴り、夜の仕事の終わりを告げる。
俺は彼の懐の中で揺れながら、次に渡る先を想像していた。
次は市場か、酒場か、それとも——もっと深い闇の中か。
その行き先で、また別の物語が始まるのだろう。