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第三話:呪いの泥人形(前)

 馬宿での束の間の休息を終え、カルバンとラビは再び旅路へと足を踏み出した。


「でも、何でまた……私と旅を?」


「理由は一つじゃない。小説の続きを書くため。夢のアルデラを見るため。そして残るは……

 やめておこう。まだまだ旅は長い」


 ラビは小説を閉じた。カルバンの横顔に宿る静けさと決意に、言葉を探しかけてやめた。

 辺りを見渡す。広大な砂漠の海が広がっている。


「マーナ村って、遠いの?」


 馬車の中で、ラビが問いかける。カタカタと揺れる車輪の音が、単調に耳に届く。


「ザラル砂漠の岩地帯にある、ちょいとした僻村さ。だが地図の少ないこの地じゃ、地理に詳しい商人がいるってのは貴重な情報でね。そこに向かう価値はある」


 カルバンは涼やかな目で砂の地平を眺めながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。腰を下ろす姿勢に無駄がなく、旅慣れた者の落ち着きが滲んでいた。


「それに、あたしの小説の読者でもあるかもしれんしな。交渉ってのは案外、物語で動くもんだ」


「ほんとに……小説書いてるんだね」


「信じられんか?」


「ちょっとだけ」


 ラビがぽつりと返すと、カルバンは微笑を浮かべた。


「信じぬ者にこそ、語る甲斐がある。……“キャラバン”の旅も、そろそろ佳境に入る頃だ」


 カルバンが腰のポーチから取り出したのは、擦り切れた手帳と数本のペン。彼女は砂漠を旅する理由を「小説の取材」と語っていた。けれど、それがすべてとは思えなかった。ラビは口にはしなかったが、彼女の目の奥に沈んだ決意の色が、どうしても気になった。



 * * *


 ラビが黙ったまま空を仰ぐと、馬車の外では風が赤く乾いた砂を巻き上げていた。


「…だめだ」


 ガラス瓶に入った砂に手をかざす。砂は何も動かない。姉は昔、同じように瓶に入った砂を、触れずに動かしていた。同じ砂の民といえども、ラビは今まで一度も動かすことができなかった。


「無理もないさ。自然の力を使うには、その核心を得ていなきゃならない。そのためにはまず、物事の風情を感じ取り、ありのままを受け入れることさ。」


「でも、どうしても早く使えるようになりたい、姉ちゃんは簡単にできてたし」」


 カルバンは少しだけ目を細め、ラビの肩に手を置いた。


「焦ることはない。力が暴れる時ほど、心の砂を整えな。砂は心に似ている。荒れている時ほど、何も形を保てなくなるもんさ」


 ラビは小さく頷いた。


 数刻後、馬車は岩肌が荒れた道を通り抜け、地平線の先に小さな村が姿を現した。土壁の建物が並び、風に晒された祠がぽつりと立つ。


 村は静まり返り、人の気配は乏しかった。


「しかしずいぶんと……寂れた村だ」


「この辺りは、昔から呪物の伝承が多くてね。住人も徐々に他所へ移ったって話さ」


 と、そこで軽やかな足音と共に、一人の若い女性が二人に近づいてきた。


「カルバン先生! ですよね? やっぱり!」


「おお、お前さんは……ノアか。助手の嬢ちゃんじゃないか」


「はいっ。私、今は考古学者トーマス先生の助手として、この辺りの調査をしてるんです!」


 後ろで結んだ茶髪を揺らしながら、大げさな手振りで続けた。


「聞きましたよ、村の宿の主人から! カルバン先生がいらしてるって。それで、もし遺跡に用事があるなら……所有者の商人さんに会わないとダメなんです」


「その話は宿でも聞いたよ。今から行ってみようと思ってたとこさ」


「それなら私、案内します! 先生たちの小説、本当に大好きなんです。あの旅の描写、特に炎の谷で……!」


「そいつは光栄だねぇ。宣伝効果もあったってことかい?」


「もちろんですよっ!」


 ところで……とそのお視線が馬車の奥のラビに向けられる。


「見ない方ですがあなたは!?身長体重血液型は!?カルバン先生とはどのような関係で!?」


 グイッと顔を寄せてくる。答える暇もないほどの質問量にあっけにとられていると、


「踏み込みすぎだ阿保。名前と関係性ぐらいにしとけ」


 とカルバンが制止する。改めて自己紹介や経緯を説明する。


「なるほど!元奴隷さんで、追っ手に追われて大ピンチ!なところを我らがカルバン先生が颯爽と登場!悪役たちを涼しく撃退して、そこからお弟子さんに……」


「続きは後にして、直談判と洒落込もうじゃないか」


 明るく行動的なエミリアに導かれ、二人はマーナ村の奥まった場所に建つ、やや古びたが立派な屋敷に入った。


 * * *



「……やけに重そうな門だね」


 ラビがぽつりとつぶやく。


「ああ、金の匂いがする」


 カルバンは扉をノックする。しばらくして、ひげを整えた召使いが現れた。ふたりが用件を伝えると、商人はすぐに応対すると言って、奥の応接間へと案内した。


 しんと静まり返った室内。高価そうな絨毯に、磨き込まれた木製の机と椅子。壁際には古びた骨董や陶器が並び、それらを誇るように照明が落とされていた。


「……物好きそうだな」


 カルバンが小声で言う。


 やがて、ずんぐりとした体格の男が現れた。黒のチュニックに金のチェーン、指には宝石の嵌め込まれた指輪。皮肉げな笑みを湛えながら、男はゆっくりと椅子に腰かけた。


「さて、何用かな?」


「私たちは旅の者です。マーナ遺跡の調査と記録のため、あなたの許可を得に来ました」


 カルバンは丁寧に腰を折り、目を見て語った。


 商人は鼻を鳴らした。


「ふん。遺跡の調査なら、学会を通すのが筋というものだ。私有地ゆえ、無断での立ち入りは許可していない。……それとも君たちは学者か?」


「いいえ。正式な考古調査団ではありません」


「ならば却下だ。あそこは危険なのだよ。封印された区画には、呪物と呼ばれる遺物まである。素人が入れば、命の保証はできん」


 カルバンは微かに頷いた。


「承知の上です。……ですが、あたしには記すべき物語がある。それに、あの遺跡には重要な手がかりがあると見ています」


「物語?」


 商人の眉がわずかに動く。


「……それが職業か? 作家か何か?」


「ええ。多少は筆を執っております。旅と、風と、歴史を記すために。砂を越えて生きる者たちの、ささやかな記録を」


 商人はあごに手を添えた。何かが引っかかったような顔をしている。


「その言い回し……」


 彼は立ち上がり、本棚の前に向かう。そして、一冊の本を引き抜いた。革装の表紙に、金のインクで筆記体が踊る。


『キャラバン 第五章 “沈黙の神殿”』


 商人は表紙をしげしげと見つめた。


「……大きな笠に、透き通る白髪……まさかな。」


「その小説に、私と似た人物が出てくるでしょう。作者は遊び心で、登場人物のうちどれかが作者本人だと書いている。そして噂ではその人物が……」


 その言葉に、商人は息を呑んだ。


「……信じられん。君が、あの“キャラバン”の作者……?」


 カルバンは肩をすくめた。


「それほどの名ではないさ。だが、この旅はその続きを記すための道でもある」


「私は……この物語に救われたんだ」


 商人は手の中の本を強く抱いた。


「父の跡を継ぐことに疲れ果てていたとき、黙って入り込んだ父の書斎で深夜に読んだこの本が……私に進む道を思い出させてくれた。“どんなに砂が吹いても、風の先には新しい景色がある”……あの言葉が、私の道しるべだった」


 しばしの沈黙。


 やがて、商人は席に戻り、目を閉じて言った。


「……いいだろう。あなたにだけ、遺跡への通行を許可する。ただし、危険な区域には学会の関係者の同行が必要だ」


 カルバンは静かに頭を下げた。


「感謝します」


 商人の顔に、ようやく柔らかな笑みが浮かんだ。


「ぜひ、今回の旅も作品にしてほしい。“キャラバン”の続きが読めるのなら、私の名などいくらでも出してくれて構わん」


「ふふ、それは困ったな。今度の章では、またずいぶんと強欲な商人が出てくる予定でしてね」


「ほう、楽しみだ」


 ラビはそのやり取りを、じっと見ていた。


 砂の民の少女として、物語など知らぬまま育った彼女にとって、たった一冊の本が人の心を変えるという現実は、新鮮な驚きだった。


 言葉が、誰かの生を支える。


 それが、カルバンの旅のもう一つの意味なのかもしれない。


 * * *


 石の階段を下り、灯りを頼りに進んでいくと、徐々に空気が変わっていく。地上の熱は遠のき、代わりに地下の冷気が肌を撫でた。マーナ遺跡。かつてこの地に暮らしていた古代ザラル民族が残した神殿の跡とされる場だ。


「……風がないのに、どこかひやっとするな」ラビがぼそりと呟く。


「遺跡ってのは、得てしてそういうものさ。千年眠った石の空気は、生きてる人間には馴染まない」


 カルバンが落ち着いた声で答える。


 道案内を務めるのは若き助手のノア。明るく、背の小さな女性だが、足取りはしっかりしている。彼女の隣を歩くのは考古学者のトーマス。痩せた体躯に眼鏡を掛けた中年の男性で、歩きながらもノートを取り出しては時折記録していた。


「この遺跡は、もともと埋もれていたんです。十年前に偶然発見され、少しずつ調査が進んできました。ですが……発掘の途中で奇妙な噂が立ち始めまして」


「奇妙な噂?」ラビが振り返る。


「ええ。夜な夜な、石の奥から誰かの声が聞こえるとか、道具が勝手に動くとか……。それから、村の人口が減りはじめたんです。失踪者が出ているわけじゃない。誰も引き止めず、どこかへ行ってしまう」


 ノアの声には、明るさとは別の緊張が混じっていた。


「それから村の人たちは呪いと呼び、誰も近付かなくなった……もしかすると、この遺跡そのものが“神秘”を抱えてるのかもしれない。私たちは、それを確かめに来てるんです」


「神秘って……」ラビが呟くと、トーマスが口を開いた。


「――アポス神をご存知ですか?」


 二人が顔を見合わせると、トーマスは歩みを止め、少しだけ前に出た。


「古代ザラル民族が信仰していた神格のひとつです。アポスは、『太陽神』とされる存在で、母なる砂の大地に生を授けた神とも伝えられている。その分身として作られたのが“泥人形”です」


「泥人形って、どんな……?」ラビの問いに、トーマスは肩をすくめた。


「呪物、あるいは神具……どちらの意味も持ちます。人の願いを呑み込み、あるいは罰を与えるものだとされていて……この遺跡には、実際に複数の泥人形が祀られていた跡があるんです。特に、女神イーロスを象った人形は重要視されていました」


 彼が壁のレリーフを指さす。女神らしき姿が描かれ、その足元には人の形をした何かが刻まれている。だが、その部分は削り取られたように欠けていた。


「間違いなく秘宝だね」


 カルバンが発したそのとき、ラビが何かに気づいたように顔をしかめた。


「……足跡?」


 古びた石の床に、うっすらと砂混じりの靴跡があった。明らかに最近つけられたものだ。


「まさか、もう誰かが……?」


 トーマスが顔を引きつらせる。


 彼らは足跡を追い、さらに奥の部屋へと急いだ。やがてたどり着いた小部屋の中央には、かつて祭壇があったであろう跡だけがぽっかりと残されていた。


「……ない」


 ノアの声が震える。


 そこにあったはずの泥人形が、忽然と消えていた。


「おいおい……まさか」


 カルバンが天井を仰ぐ。


 場の空気が変わった。どこかで砂が崩れる音がした直後、入口とは反対の方向から、誰かの気配が迫る。


 現れたのは、砂色のフードを纏った男女二人。背の高い女と、焼けた肌にドレッドヘアの青年。フードを外すと、女の方はにやりと笑った。


「どうも。お先に“秘宝”をいただいてますよ、旅の諸君」


 ラビが一歩前へ出ようとすると、カルバンが手で制す。女が続けた。


「名乗っておこうか。あたしはザリカ、こっちはリース。あんたら、私らの領分に踏み込んじまったようだねぇ?」


「お前さんたち……まさか、マーナ村を――」


「さあ、どうでしょう? ただのお宝好きってだけかもね?」


「頼む……元の場所に返してくれ!それは触れてはいけない大事なものなんだ!さもないと災いが…」


「災い?そんなのが怖くて盗賊が出来ると思う?あら、頭まで下げちゃって。みっともない」


 ザリカが挑発するように唇を釣り上げる。


 ラビの拳が震える。その背に、カルバンが静かに手を置いた。


「ラビ。気にするな。盗賊とはあんなものだ」


 その内、リースと呼ばれた男がカルバンと目を合わせる。


「会いたかったぜ……〝キャラバン“」


 盗賊たちは背後の崩れた壁へと身を翻し、逃げようとした。


「待てっ!」


 ラビが駆けだし、カルバンもそれに続く。


「カルバン先生!後で詳細のほど、みっちり聞かせてもらいますからね!!」


「遺跡の謎は頼んだよ」


 沈黙するトーマスとノアを置いて、盗賊の跡を追う。


 かくして、遺跡の外、岩肌の間を風が吹き抜ける荒地で、二組は相まみえる。


「相変わらず、逃げるのが教訓のようだね、“バンデット”」


 ザリカが足を止め、振り返った。


「カルバン、あんたの墓場をこの砂漠に選んであげたまで――覚悟しな!“キャラバン”!」


 戦いの火蓋は、今、切って落とされようとしていた――。





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