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第二話:孤独の旅路

 

 月が砂の大地を白く照らしていた。風は静かで、星々がまるで吐息のように空へ淡くまたたいている。


 少女――ラビは、その中を歩いていた。裸足に近い足は傷つき、布切れのような衣の裾には砂が絡みついていた。息は荒く、視界は滲んでいる。けれども、彼女は歩みを止めなかった。


「……姉ちゃん……」


 誰に向けたわけでもなく、擦れた声が漏れた。今も耳に残る、姉の叫び。あの時、自分の手を突き放し、笑って見送った、あの最期。ラビはその記憶を胸に、唇を噛みしめる。


「なんで、なんで置いてったんだよ……」


 そうして砂の上に崩れ落ちる。後悔と自責の念が押し寄せる。

 姉は最初から、自分を逃がす攻撃を仕掛けていた。もしそのことを知っていたなら、共に反抗し、共に死ぬ覚悟は出来ていたというのに。


 砂を握りしめても、指の隙間からすり抜けていく。


『今はまだ辛いことだらけだけど、乗り越えたら今とは違う場所にいる。そして自由になったら、あんたと旅をするんだ。おいしいものを食べて好きなとこで寝て、行きたい場所に行って――』


『幻想ばっか言わないでよ姉ちゃん。そんなこと言っている場合じゃないでしょ。私たち明日死ぬかもしれないんだよ!』


 姉はどこまでも気楽で、優しく、聡明だった。ラビは姉の眼が大好きだった。まるで一寸先の未来を見るかのようにいつも空を見上げ、天の青をめいっぱいに焼き付けていたあの瞳が。

 ラビの視線が、ふと空を仰ぐ。


 そこには、ひときわ強く輝く一つの星があった。


 ――アルデバラン。


 かつて、姉が語っていた星。砂の民にとって、迷った時に進むべき道を示す「導きの星」。


 『迷ったときは、あの星の下を目指して歩きなさい。必ず、あんたの道になるから』


「……ほんとに、そうかな」


 ぽつりと呟いたラビの目に、遠く、灯りが見えた。地平線に小さく瞬く、明かりの群れ。宿だ。馬宿がある。


 ラビは、再び立ち上がった。足元がふらつき、膝が悲鳴を上げる。それでも、一歩、一歩と、星の下へ進み出す。


 * * *


「……アルデラ、ですかい?」


 馬宿の受付にいたのは、布を巻いた屈強な男と、その向かいに座る女――カルバンだった。彼女は無造作に椅子にもたれ、湯気の立つ茶碗を手にしている。大きな笠、砂まみれの長衣と旅具、そしてその静かな目が、旅人としての年月を物語っていた。


 ふと、背後で音がした。カルバンが目を細めて振り向く。


 ――そこには、疲労と痛みに満ちた顔で、よろよろと歩くラビの姿があった。


「……来たか。君、やるじゃないか」


 カルバンが立ち上がる。その瞬間、ラビはがくりと膝をつき、その場に倒れこむ。カルバンは慌てず、ゆっくりと彼女を抱き留めた。


「よしよし。長い旅だったね。ゆっくり休みな」


抱かれた腕の中で、その温もりに身をゆだねる。お日様の匂いのようなどこか懐かしい匂いがした。


 * * *


 夜が明けた頃、ラビは干し草の上で目を覚ました。ぼんやりと天井を見上げ、体を起こそうとすると――ぐぅ、と腹が鳴った。あたりを見渡し、干し草の匂いに思わず毛伸びをすると、伸ばした腕に違和感を感じた。


 自由を縛り付けていた鎖はもう、きれいになくなっていた。その手首に赤い痕だけを残して。

 その日、少女は自由になった。



「……む」


「目が覚めたかい、``招かれざる客(ゲスト)‘さん」


 声がする方へ行く。扉の向こうの旅人カルバンは、大量の食事に囲まれていた。


「体の調子はどうだい?」


「……たぶん、大丈夫……」


 再び、腹が鳴った。カルバンはくすっと笑い、食事を差し出した。ラビは最初、少し警戒しながら匂いを嗅ぐ。

 だが我慢できずに、ぱくりと一口。


「……んぅ~~~!」


 まるで何かがはじけたように、ラビはがっついた。カルバンと宿の主人が、目を合わせて笑った。


「それは豆スープ、でそっちのはサンドフィッシュの塩焼き。まて、肉は野菜に包んで食べるんだ」


 ラビの喰いっぷりに、ははっと楽し気なカルバン。


「奴隷なら、飯も十分に与えられなかっただろう」


 頬を膨らませながらうなづく。


「なら、まずは腹いっぱい食べな。食えるときにたらふく食うってのが旅人の教訓だ」


 奴隷の時はよくパンを一切れにして、姉と分けていた。ラビがまともな食事をしたのは本当に久しぶりだった。


「さて、アルデラのことだけどさ……」


 カルバンがそう口にしたとき、聞きなれた単語があった。ラビは顔を上げた。


「アルデラ……?」


「そう。ザラル砂漠に伝わる伝承で、砂に隠された幻の王国のことだ。あたしはちょうどそこを目指していてね。何か知っているかい」


「……似たような言葉が、私たちの伝承にもあるんだ」


 途端、カルバンは目を見開く。周囲の雰囲気がラビの言葉に集約していく。


「話してくれるかい」


「私たち、‘‘砂の民‘‘に伝わる伝承……」


 ラビの声が、静かに始まった。


 『三なる賢者、星神と契りて神秘を得たり。

 その地にたかどのを築きて楽園と成す。

 導きの星は語る――神秘に至るは、真理を得る者のみ』


「――その星神の名が……『アルデバラン』」


 ラビが頷く。


「姉ちゃんはいつも、私たち砂の民はみんな、その星の子どもなんだって言ってた。だから特別な力があって、砂に魔法をかけることができるんだって」


「楽園、神秘、真理を得る者……。そして、砂の魔法を操る星神の子ども。形は違えど、物語の根幹は楽園とそこにある神秘に共通しているな。その言伝をたどるには、ザラル砂漠に点在する村や商人から情報を得ることが一歩目か……」


 カルバンはしばし黙り込んでから、ふっと口元をゆるめた。


「あたしは、君を弟子にしようと思うんだ」


 ラビが目を見開く。奴隷だった少女にとっては聞きなじみのない言葉だった。


「なに。特別弟子といっても、その実旅のお供になってくれればいいだけさ。本来弟子というものに興味はなかったが……はっきり言って、この旅の風向きが大きく変わるような、そのくらいの何かを君に感じる」


 ラビは、目を伏せ、「わかった」と頷いた。自由になったとはいえ、元より少女には行く当てもなかった。


「改めて、私は流浪の旅人カルバン。君の名前は――」


 砂の風が、静かに宿の壁を揺らす。その日、奴隷は『自由』を知り、旅人となった。

ご覧いただきありがとうございます。

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