第一話:始まりは砂遊び
──この世界にはまだ、誰も辿り着けていない場所がある。
炎のごとき日差しと、骨を軋ませる熱風が吹き荒ぶザラル砂漠。その荒野を、ひとつの貴族の馬車が横断していた。
ギィ……と軋む音。馬車の後ろには、二人の奴隷の少女が乗せられている。年若く、似た顔立ちの姉妹。皮膚は砂に焼かれ、痩せこけていたが、その瞳にはまだ、光が残っていた。
「……もうすぐだ。ここで止まるぞ」
馬車の中から、ふてぶてしい声が響いた。貴族ギャバン。太った男が、豪奢な布を巻いた顔を覗かせ、二人に命令を飛ばす。
「お前ら、外に出ろ」
言われるがまま、二人は馬車を降り、乾いた砂の地面に膝をついた。
「例の……あれを見せてみろ。さっさとだ」
姉がそっと砂に手を差し入れる。次の瞬間、彼女の掌の中で、砂が光を帯び始めた。
金色に、キラキラと輝きながら。
「おお……!こ、これだ!これが金の砂かッ!」
ギャバンが眼を見開き、砂にしゃがみ込む。
「もっと出せ!全部だ!この辺りの砂を全部金に変えろ!お前たちは錬金奴隷だろう!」
姉の肩を乱暴に掴み、揺さぶる。その手が強くなる。
妹──ラビは震えた。姉が軽く首を振る。
「……だめ……もう、これ以上は……」
「黙れッ!」
バシィッ!と音がして、姉が吹き飛ぶ。頬に真っ赤な痕が浮かんだ。そのまま姉の髪をつかみ引き寄せる。
「いいか?貴様ら『砂の民』にはこれっぽちの価値しかない奴隷なんだ。死ぬまで一生、ここで砂遊びする運命なんだ」
ラビの中で、何かが弾けた。
「──おい、やめろ!」
そのときだった。
姉が起き上がり、ラビを庇うように立った。そして、ゆっくりと右手を差し出し、砂をすくった。
ギャバンはニヤつく。
「そうだ……それでいい。見せてみろ、その力を……」
姉の掌から、再び金の光がきらめいた──ように見えた。
次の瞬間、ギャバンの顔に、砂がぶつけられた。
「グッ……が、あああああああッ!!」
目を押さえてのたうつ男。その隙に、姉は護衛に向けて砂を放つ。
が、銀の鎧を身にまとった護衛のひとりが素早く反応し、剣で砂を弾いた。
「くそ……!ギャバン様、どうなさいます!」
「殺せッ!その女、今すぐ殺せぇええ!!」
姉は抵抗むなしく簡単に組み伏せられた。
「ラビ……逃げな!」
その言葉に、ラビの身体がびくりと反応する。
「な、なに言って──姉ちゃん!」
「いいから……行きな!ラビ!!あんたはまだ──」
その眼には、強かな覚悟が感じとれた。恐怖など微塵も感じさせない決意めいた表情をラビに向ける。
背中を押されるようにラビは走り出した。
後ろから、姉の優しい眼差しが送られてくる。
(それでいい……あんたは自由になるんだ。砂と風がきっと、守ってくれる……)
「目がァ…!何をした貴様ッ!!」
再び鋭い眼差しをギャバンに向ける。まるで首につながれた猛獣のような殺意が迸る。
「……いいかい。その砂はお前の身体を徐々に蝕む呪いだ。医療や科学をもってしても消えやしない……私が死んでもその一つ一つが、確実にお前の心臓を刺す!」
「この……奴隷ごときがァ!!」
「奴隷に喰われる屈辱を味わえ!!ギャバン!!」
──ズブッ。
音がした。ラビは振り向かなかった。
だが、わかっていた。
姉の命が、今消えたことを。
「ひとり逃がすな!追えッ!」
追っ手が砂を蹴る。弓を引く者の鏃が。逃げる奴隷を捉える。
ラビの背中をめがけて、矢が飛ぶ──その時だった。
カァン──ッ!
風を裂く鋭い音と共に、黒い何かが矢を弾いた。
「やれやれ。盗賊かと思えば、えらく大層な輩だね」
ラビの前に、大きな笠を被った女性が立っていた。
「な、何が……だれ!?」
護衛たちが武器を構える。
「通りすがりの旅人さ。君たち、子ども相手に大人気ないと思わんかね?」
そう言って、カルバンは背中から一本の黒い棒を取り出す。
「見過ごせないね。殺生なら尚更」
黒い棒が、すうっと伸びた。
それはまるで、生きているかのようにしなやかに、空中を踊った。時に液体のように弾け、竿のように震え、蛇のように旅人にまとわりつく。
「名をツァイバンという。東の国で拾った秘宝の一本さ」
「黒い武器に大きな笠……貴様、人伝に聞いたことがあるが……『大物』だな」
銀鎧の護衛がじっくり距離を詰める。
「お互い様だね、『銀鎧』。というか、暑くないのかいそれ」
気の抜けた声から一瞬、護衛たちが一斉に斬りかかる──が、そのすべてをカルバンはほとんど動かず受け流していく。
「悪いね、殺すつもりはないけど──悪い子にはお灸を据えないといけない」
突き出した手から伸びたツァイバンの先が、ひとりの護衛の首元に当たる。力強い一撃で、護衛は意識を失い崩れ落ちた。
残りの者たちも、一瞬で地面に転がされた。
「さすがだ……ただの旅人ではないな」
銀鎧は低い声で唸る。全身を銀のプレートで包んだその姿は、暑さ知らずの不気味さを帯びていた。
「どうかな。『ただの』って言葉は嫌いじゃないが」
カルバンがニヤリと笑う。背に背負った《ツァイバン》が、彼女の手元でしなる。
「奴隷一匹のために命を張るような奇特な奴……興味はないが、邪魔は困る」
「命を張る? いやいや、ちょっと運動不足だったんでね。ちょうどいい砂遊びさ」
銀鎧が剣を抜く。白銀に輝く直剣。機械のように無機質な動きで、間合いを詰めてくる。
「来い」
バシュッ――!
銀鎧の踏み込み。砂が跳ね上がる。
その一太刀は、まっすぐにカルバンの首を狙った。
「おっと――」
カンッ!!
ツァイバンが伸び、しなるように銀の剣を逸らす。
「もうちょっと遊ばせてもらいたいね」
カルバンが指を鳴らすと、彼女の背後から黒い糸のような液体が伸び、地面を這って銀鎧の足元を絡め取る!
「なにッ!?」
銀鎧、刃を下ろして切断を試みる――が、黒い液体は動き、弾き、液体のように回避し絡みつく。
「これは……生きている……?」
「そう、これも東の国の秘物さ――名を《龍線》。そいつは、思ったとおりに動いてくれる良い相棒でね」
銀鎧の剣が閃く。ツァイバンとぶつかり合うたび、空気が震える。
刃と棒、剛と柔が交錯する。
カルバンは動かない。ツァイバンと龍線だけで戦う。
「動かずに戦うとは、守りに自信でも?」
「いやいや、攻撃は最大の防御っていうだろう?」
その瞬間――
カルバンの背後、空気の層が歪む。
《龍線》が空中に波打つように伸び、銀鎧の背後を刺すように襲う。
「っ!」
銀鎧、反射的に防御。その隙に、ツァイバンが地面を打ち、爆風のような砂が巻き上がる。
――視界を奪い、間合いを取る。
「本当に遊んでいるようだな……!」
銀鎧が叫ぶ。
「 その通り。これは――前座さ。君、まだ“剣の芯”を見せちゃいないだろ」
カルバンの表情は涼やか。目は、銀鎧の奥を見ていた。
「……興味深い」
銀鎧は構えを解く。後方から騎馬の影が近づいてきた。部下の伝令か。
「残念だが時間だ。貴様との砂遊びはやめて、ここは退くとしよう」
「……へえ、律儀な撤退だねぇ」
「次会うときは、“遊び”ではなく“排除”だ。名を名乗れ」
「旅人カルバンさ。続きを書くなら、また今度頼むよ――銀色の騎士さん」
銀鎧は何も言わず、馬に飛び乗り、砂の彼方へと消えていった。
「……ふぅ」
ツァイバンを肩に乗せ、カルバンが振り返る。
ラビは、ただ立ち尽くしていた。
「驚いたかい?でも安心していい。あたしは君の敵じゃない」
「……どうして、助けたの?」
ラビの問いに、カルバンは肩をすくめて笑った。
「この世界にはね、不思議な偶然があるものさ。私は物書きだが、風についてきて正解だった。──君という``招かれざる客‘‘のもとにたどり着けた」
ラビは、まだ震えていた。呆然として、地面に座り込んだまま動けない。
カルバンはそんなラビを、真っ直ぐに見た。
「……で、どうする?」
「え……?」
「自由の身になれる絶好の機会だ」
白髪の隙間から覗く深紫色の瞳からかすかな威厳を感じ取る。その視線が、姉の覚悟の眼を想起させる。
「戻らなきゃ……やっぱり私もギャバンに一矢報いて、それで……」
「それで?」
「それで……姉ちゃんみたいに攻撃して、約束……したから」
「君は逃げてきただろう……お姉さんを置いて一人で」
のどが詰まる。もはや言葉など出なかった。紡ごうにも、一連の記憶が言葉をさえぎっていく。
「……では、ちょっとした試練をやろう」
カルバンが遠方を指さしたその先には、蜃気楼に揺らめく建物の影があった。
「この先に、馬宿がある。もしきみがこの先、自由に生きたいのなら──自分の足で、そこまで来るんだ。それまで手錠は外さない。嫌なら君は、一生奴隷のままだ」
カルバンはラビに背を向け、歩き出す。
「いい旅を」
風が、カルバンの衣服をなびかせる。砂が、空に舞う。
残されたラビは、その場で膝を抱えながら、ぽつりと呟く。
「……姉ちゃん……」
──少女の孤独な旅が今、始まろうとしていた。
今週中に第2話を投稿できるかも…お楽しみに!