4
どさりと音を立てて白い塊が地面にぶつかった。
それは何もない空間から急に現れたかのように見えた。
丸まって蠢くその塊は、よくよく見ると痛みに耐えてうずくまった体だった。
見下ろしたロゼが無表情で呟いた。
「……お嬢様が木登りか」
動かないこと数秒、いきなり地面から起き上がった人物が勢いよく振り向いた。
「いった……。何するのよ、危ないじゃない! 女性に向かってよくこんな事ができるわね!」
怒りも露わに噛みついて来たのは華奢な少女だった。
はだけた衣装から出ている腕も肩も細い。瞳は大きくて、活発そうな顔つきをしている。
歳は若干下だろうか。
乱れたローブを掴んで立ち上がると、せわしなく土を払った。
少女の反応に多少面食らったが、顔に出るほどでは無かった。少し間を置いてロゼが目を細めた。
「女かどうかなんて知るか。隠れてこっちを見ていれば不審者と同じだ。自業自得だろう」
言いながら少女の姿を検分するように見渡す。
夕闇に落ちる光の乏しい緑地内でも、肩に掛かる長い髪が明るい色なのが分かった。
これが城で大々的に捜索されている女性だというのは確認するまでもない。
「何で私があそこにいるって分かったの? 誰にもばれなかったのに」
「だろうな。まさか主要人物の貴人とやらが木に登って隠れているとは誰も思わないだろう」
皮肉めいたロゼの台詞に、少女は心外だと言うように反論した。
「私達の暮らしでは普通のことよ。登らないと木の実が採れないじゃない。こんな細い木は女性じゃないと、幹がしなって折れちゃうでしょ」
少女が登っていた木は彼女自身の胴ほどの太さしかない。森で育ったロゼですら登ろうとは思わないだろう。だがこの女の言い分だと、住んでいる地域ではこういった行為は当たり前の範疇らしい。
「それは術具か」
ロゼは女性が纏っている白いローブを顎で指した。
乳白色の薄い素材でできており向こう側がうっすら透けて見える。肌寒いときに羽織るくらいの普通のローブに見えるが、ただの布で作られているわけではないようだ。これでどうやってか姿を隠すことができるらしい。
「術具じゃないわ。魔具よ。私は魔術士じゃないもの」
「どっちでもいい。さすがはノルクト族長の娘だな。こんな物が手に入るとはな」
魔具は術具と同じく魔製器具と呼ばれる、自然界の魔力を利用した道具だった。
魔術の補助に使うものは術具、一般人でも使える物は単に魔具と呼ばれて区別されている。
だが、術具同様に魔具は基本的に高価であり、明かりを灯すだけの物でも一般人には簡単に手が出せる代物では無かった。ましてや姿を隠すような特殊な魔具は相当に値が張るし、そもそもその辺りの店では売っていないだろう。
指摘された少女がローブを抱き込みながら三歩下がった。
「どうして私がノルクト族だと知ってるのよ」
声に初めて焦りが混じった。
言った当人であるロゼも片眉をあげた。どうやらバナウの話は本当だったようだ。
「名前も知っている。レンシアだろう」
聞かれて少女は返事のかわりに苦い顔をした。
「やっぱりあなたも私を探してたのね。見つかったら終わりだとは思っていたけど」
「分かっているなら話は早い。城に戻る時間だ、お嬢様」
「ーー待って、お願い。一つだけ聞いて欲しいの。少しだけでいいから時間が欲しいの。どうしても、やりたいことがあるの」
「そんな暇はない」
「どうしても会いたい人がいるの。ちょっとでいいから。お願い」
「面倒事は」ごめんだ、と機械的に言いかけた所で、レンシアがロゼの腕に縋り付いた。
「お願い。用事が終わったら一緒に行くから、力を貸してよ。私に懸賞金がかかってるんでしょう?」
半ばぎょっとしたロゼに、レンシアがうるんだ目でじっと見上げてきた。
「お願い」
「冗談じゃない」
弱そうな見た目に反して、振りほどこうとしてもがっちりとしがみついて離れない。
「……離せ」
口からうんざりした心境が口調となってそのまま出た。
どうしてこう力づくで押し通そうとする奴らばかりなんだろう、と荒い息を吐いた。あのバナウといい。
考えながらロゼは目を細めて女性を見下ろした。
探し人を匿えば、逆に自分の立場が危うくなる。それで手を貸す馬鹿がどこにいるというのだろう。
もう会話もせず引きずってでも連れ戻って、さっさと突き出してしまうのが一番手っ取り早い。
そう思った時、公園の近くで数人の男達の話声がして、反射的に二人が身をこわばらせた。
レンシアがロゼの背後に隠れるように回り込むと、ローブを頭から被った。すると、再びその姿は消えて見えなくなった。
ロゼはその場で耳を傾ける。
男達の中の一人は知った声で、すぐに会話は終わって複数の声が遠ざかった。
やがて一人の男が公園の中に入って来ると、暗い中にロゼの姿を認めて声を掛けた。
「いや、ごめんごめん。遅れて悪かったよ。この辺の兵士さん達にはお帰り頂いてきたんだ。レンシアを見つけてくれたんだね」
隠れていたレンシアがバナウを認めてすぐに姿を現していたが、ロゼにはどうでも良かった。
「今頃来たのか」
怒気をはらんだ低い声に、ようやくやって来たバナウが苦笑した。
何をしていたのか、バナウはわざわざ私服に着替えてきたらしかった。
「報酬は全部あげる約束だし許してよ。久しぶりだな、レンシア」
「バナウ」
レンシアの声音に安堵とも不安ともつかない響きが混じった。
二人の反応から知り合いだった事は良く分かったが、彼らの間にどういう訳か微妙な空気が流れている。
バナウが近づこうとすると、レンシアはさりげなくロゼの後ろに回り込んだ。
「まさかバナウも私を捕まえに来たの?」
「いや、そういう訳じゃないけど逃げ出したって聞いたからさ。この人相書き、どう見てもレンシアだったし。お供の人はどうしたのさ」
「兵隊さん達が一緒だったんだけど、この町に着いて宿に入って私一人になった時に、こっそり抜け出してきちゃったの。いくら言っても聞いてくれないんだもん」
「君の手配書が大量に出回って賞金まで付いてるよ。よく見つからなかったな」
そうなのよ、とレンシアが興奮した様子で捲し立てた。
「思った以上に騒ぎになっちゃったから、どうしようかと思ってたところだったの。酷いよね、手配書なんか作らなくていいじゃない。どうせあの人の仕業に決まってるわ。すごく嫌な奴なんでしょ、あいつ」
少しの間それを眺めていたが、あいつがどうとか、ロゼには話が読めない。詳しく聞こうという気にもなれず、止めるべく強引に割って入った。
「話し込んでる暇はない。その女を連れて行けば捜索は終わりだろう」
「私、まだ戻らないから」
そう言って踵を返したレンシアの腕を、ロゼが掴み上げた。
「逃げられると思うな」
凶悪なまでのロゼの見下しに、レンシアだけでなくバナウもどん引いた。
「この極悪な顔をした人はバナウの知り合いなの? まさか友達?」
「まあそんなところだよ。ロゼっていうんだ。レンシアを探すのに手を借りたんだよ。愛想が悪いけど気にするなよ。いつもこうなんだ」
ふうん、とレンシアはロゼを値踏みするように上から下まで眺めまわした。
当人は目線を断ち切る様に言い放った。
「これ以上付き合っている暇はない。さっさと出頭しろ」
「ちょっと。話の通じない人ね。私は犯罪者じゃないのよ。もう少し違う言い方ができないわけ」
「手配書が回った時点で似たようなものだ。この騒ぎを起こした責任を追及される前に、今から戻って土下座でもして許してもらうんだな」
若干馬鹿にした空気を感じ取ったレンシアがさらに噛みつこうとしたところで、バナウがそれを制した。
「レンシア、あんまり騒ぐと見つかるぞ。ロゼの挑発に乗るなよ」
でも、と言いかけたレンシアが目線を向けると、ロゼは鼻で笑った。
「嫌な奴。何でバナウもこんなのを連れてくるわけ」
「そう言うなよ。誰でもってわけにはいかなかったんだしさ。本当はロゼの言う通り、俺もレンシアを連れ帰らないといけない立場なんだよ」
それを聞いたレンシアが表情を硬くした。
「嫌よ。まだ行かないって言ったでしょう。私にはやりたいことがあるの」
「ガナに会いたいんだろ?」
「ガナ?」とロゼがオウム返しに聞いたので、バナウが振り返った。
「俺達と同じ中位の魔術士だよ。そうだろ、レンシア」
「……そうよ」
相変わらずロゼには一人だけ話が見えてこなかった。
「だってガナが突然マンドリーグに行ったって聞いたから。今がガナに会う最後の機会なの。どうしても会いたいの。バナウなら分かってくれるよね?」
「うーん……その……うん」
レンシアに押されてバナウが躊躇いがちに頷いた。
どうもバナウは相当レンシアの事情を知っているらしい。
それは分かるが話の雲行きが怪しい。ややこしい方向に進みそうで、嫌な予感を抱えながらロゼはそれならと話を振った。
「さっさとガナという奴に会わせるといい。もうこいつを見つけるまでの約束は果たした。俺は帰る」
見切りをつけて踵を返そうとするが。
「あ、ちょっと待って」
バナウがロゼを掴み止めた。
「まだ何かあるのか」
予感が形になりそうで、ロゼが露骨に嫌そうな顔をした。