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ノルクト内の戦える者の数は三百程度と、数では明らかに劣っていた。
白兵戦は双方が同数でようやく対等に戦える。
もちろん装備や武器によって形勢も変わるが、一般的には数が少なければそのまま情勢は不利となるものだ。
ノルクトから出せる馬も敵と同じ程度だった。せめて馬の数だけでも上回っていれば多少は違ったかもしれないが。
男達が馬に跨って集落を出た視線の遥か先。
丘の稜線上に数頭の騎馬が現れた。そこで脚を止めると、倣ったように次々と丘を登って来た馬が歩を止めて稜線を埋めていった。
しばし見下ろすかのように留まっていたが、先導していた一頭の合図でゆっくりと丘を下ってくる。
迎えるノルクトの騎馬群団の先頭にはウタラ達三兄弟がいた。彼らが陣頭指揮を執って一団を進めた。
お互いの顔が見える距離になると、どちらからともなく馬の足を止めた。次々とその場に馬が止まって砂埃が流れる。
ウタラ達ノルクト族はみな白の衣装に柄の入った帯を着けていたが、対してニルケの男達は一様に紫紺の衣装を着て、金の帯を締めていた。
一時だけ悪くなった視界が晴れると、ノルクトの一団からウタラの馬が一頭進み出た。
そして馬上から敵の一団に向かって声を張り上げた。
「武器を引っ提げてどういうつもりだ。ニルケはどこぞの部族にでもたぶらかされたか。長年協力し合った相手に侵略など愚かな行為に走るとは」
応えるように進み出てそれに返事をしたのは、敵の一団で先頭にいた男だった。
「黙れ! おのれが行った行為を棚に上げてよくぞそんな事が言えたものだな。裏切り者共が。我々の恨みをその身をもって思い知れ!」
男の率いる一団は全員が頭巾をして目以外をすっぽりと覆い隠していたが、ウタラは声を聞いてすぐにそれが誰か思い至った。
ニルケの族長の息子であるトルサだ。毎年共に冬越しをしたのだから分からないはずが無かった。
「ガナの事か」
ウタラが聞くと、トルサが嘲るように笑った。
「そうだ。アストワに娘をやるのにガナが邪魔になって殺したな」
「話は知っている。ガナを襲ったのは我々ではない。なぜ訳も聞かず我々だと決めつけたのだ」
「戯言を。我々以外にこの金色の髪を持つ者がいるものか」
ウタラはロゼが来た夜の会話を思い出した。魔具を使えば容姿は変えられるという話を。
「姿などいくらでも偽ることが出来る。それは我々では無い。我々がそんなことをする理由がないだろう!」
「それを実際に見たという者がいる。どうしてアストワの犬の言葉を信じなければいけないのだ?」
ニルケは偽りの情報を未だ信じている。
それを覆せるだけの情報をウタラ達は持たない。
「レンシアはどうした」
ウタラが聞くと、トルサは鼻で笑った。
「レンシア? お前の妹か。それがどうした」
トルサがとぼけて笑みを浮かべた。
その態度にウタラが険のある目を向けた。
「お前達のした事は知っている。レンシアを逃して直接報復する事にしたのか?」
「何を言っているのか分からんな。確かレンシアはアストワに嫁入りするって話だったな。まさか行方が知れんのか? それは可哀想に。折角の話も破談になってしまうなぁ」
声を上げて笑うトルサに、ウタラは手綱を握り締めた。
この様子だとトルサは何を言っても聞かないだろう。
ーーイレマの奴らめ。
この段階になっても、ウタラの憎しみはイレマに向いていた。
裏で煽っているのは、間違いなく奴らだろう。
この一群の中にイレマはいないのではないかと思う。双方がつぶし合うのをどこかで眺めているのではないだろうか。
ーーやれるだろうか。
ウタラが手元の槍を握りしめた。
ニルケは騙されているのだ。それを分かっていて相手を討ち取る事が出来るだろうか。その迷いが吹っ切れないうちにここまで来てしまった。
だが、既に話し合う余地は無かった。
「行け、ノルクトを殲滅しろ!」
トルサが叫ぶと、一斉にニルケの騎馬が荒れ地を蹴った。
砂埃が舞い、波のように馬がノルクトに向かって押し寄せた。
「ここから一歩も進ませるな! 守れ!」
腕を振り上げウタラが叫ぶと、ノルクトの騎馬も一斉に駆け出した。
砂塵の中で両部族が衝突すると、武器同士が激しくぶつかった。見通しの悪い中で人と馬が入り乱れて、早くも落馬する影も現れ始めた。
自分を狙って近づく馬の首にウタラが槍を突き出す。貫かれた馬が転倒する前に、返す槍で別の馬に跨る男を石突で突き落とした。
彼が辺りを見回すと、視界の端に仲間の男が剣で斬られるのが映った。
最も屈強だった男達を事故で失ったノルクトは、この場に集まった敵の体格にも劣って見えた。
既にノルクトの男達はニルケの群勢に押され始めていた。
押し留められなかったニルケの騎馬がウタラの脇を次々とすり抜けていく。
その手には先端に布を巻いた弓矢が見えた。油を染み込ませるように作られたそれは、集落に火を放つためのものだ。
「兄さん!」
火矢に気を取られたウタラにヤザが叫んだ。
危機を知らすその口調にすぐ反応したウタラが、斜め後ろから接近した騎馬の斬撃を短剣で防いだ。だがそこに別の槍が突きこまれて、躱したものの体勢を崩して落馬した。
「兄さん!」
駆け付けたキアゾが割って入ると、槍で敵の男を突いて落とす。もう一人の男をウタラが自身の槍で叩き伏せた。
「兄さん、集落が!」
「分かっている」
キアゾに急かされて、ウタラが周囲に向かって叫んだ。
「火矢を打たせるな! 奴らを叩け!」
言いながらウタラが馬上に戻ろうとしたところに、ニルケの小隊が槍を一斉に突きつけてきた。
「ウタラ。ここで集落が燃えるのを見ていろ。仲間をいぶり出して全員駆逐してやる」
「トルサ、お前……!」
突き出されたトルサの槍を打ち払った。
周りの男達が突き出した槍はキアゾとヤザが弾いてそのまま相手を突き通す。
二人に守られたウタラを一旦諦めて、トルサがその場を離れた。
ヤザに助け上げられて馬上に戻ったウタラの目には、無数の火矢が集落に向かって放たれるのが映った。
空に舞う炎から、幾筋もの黒煙が尾を引いていく。
そのまま集落に向かって雨のように降り注ぐと、集落を囲う壁の向こうから新たな黒煙が上がり始めた。
みるみる間に草木に火が燃え広がって、大気を熱で揺らした。
ーー集落が燃える。
集落の倉が頭を過った。
備蓄されている飼料や食料、それが今冬に備えた全てだ。農地をイレマに奪われたが、それでも何とか集めたものだ。あれでも足りないのに、燃えてしまったら冬越しは絶望的だった。
それよりも、集落に残った者達が。
集落には族長である父も残っている。戦う力のない子供や女、老人たちも。
彼らだけでは延焼を止められないだろう。
ウタラが急いで傍らの弟を見た。
「ヤザ、火を消しに戻れ。間に合わなければみんなを湖まで避難させろ!」
「分かった」
そう言ったウタラが集落に目を戻して、ふと動きを止めた。
ウタラの反応にヤザも同じ方向を見て、同様に動きを止めた。
突如、集落の湖のある場所から一斉に鳥が飛び立ったのだ。
何百という大群が空に広がっていく。
「何だ、あれは」
三兄弟が同じ事を呟いた。
初めて見る鳥だった。あんな鳥達が湖に来ているのを見たことが無かった。
彼らが見ている先で、鳥たちは宙で次々と破裂した。大粒と言うには余りにも大きな水の礫となって、激しく集落に叩きつける。
若干悲鳴は上がったが、集落から登っていた炎は一瞬の内に消え失せた。
「ーー今のは何だ?」
同じく見ていたトルサが思わず声を漏らす。
風に乗って舞う水滴が戦地の男達の頬を濡らした。
あれは魔術だ。
トルサの目が集落の方向に魔術士を探した。
ノルクトに魔術士がいたという話は聞いた事がない。
冬を共に過ごしたのだからそれは知っている。
だが、今のは紛れもなく集落を燃やす火を消すために放たれた魔術だ。
隣の仲間に問いかけようとトルサが顔の向きを変えると、どこか近くで風がぶつかるような衝撃音を聞いた。
周りの者達には、音と共に急に騎馬群団の一部が欠けるように吹き飛んで見えた。
トルサが目を凝らすが、盛大に砂煙が上がって何が起こったのかを知る事が出来ない。
続いて、異常に気づかずに剣を交えていた男達の中から、次々と砂煙と共に紫紺の衣装の者だけが吹き飛ばされていった。
「何だ」
誰がが異変に気付いて呟いた。そうしている間も奇怪な音は続いている。
「何だ、これは」
複数の男達が気付いた頃には、地面にニルケ側の男達ばかりが倒れているのが目に付くようになっていた。
さらに止むことなく、どこかで悲鳴が上がって馬が吹き飛んでいく。
その速さは戦地に立つ者達に事態を把握するだけの猶予を与えなかった。
困惑したような空気が敵味方関係なく徐々に広がっていき、お互いに間を取ると手を止めて辺りを窺った。
衝撃音がやんで砂煙が徐々に薄れてきた頃には、ほとんどの騎馬が武器を手にしたまま立ち竦んでいた。
まるで止まれと指示されたかのように制止したまま、男達はノルクトの集落の方角にある人物を見つけて凝視していた。
そこには馬に跨った黒衣の男がいた。
見るからに部外者の、それでいて不穏な気配を纏わせた男だった。
「ロゼ!」
ウタラが驚いて名を呼んだ。
ノルクトの集落に火矢を放った騎馬は、既に一騎も残っていなかった。
ロゼの魔術は正確に獲物だけを撃ち抜いていた。
「貴様!」
誰も動かない中、トルサが一人叫ぶ。
群衆を眺めていたロゼが、笑みを浮かべると軽く上げた手を握り締めて言い放った。
「ニルケには随分借りを作った。ここで返させて貰う」