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一瞬だけレンシアかと期待したが、それにしては髪が短いことにすぐに気付いた。
警戒した様子でその人物は奥に下がるが、ロゼが囁くように引き止めた。
「あんた、捕まっているのか」
髪以外は暗くてよく見えないが、若い男のようだった。
よく見ると窓に鉄格子が嵌っているのかと思っていたそれは、小屋の中に設置された鉄の檻の一部だった。
檻の中の男は答えるべきか迷ったふうだったが、言葉を選んでいる様子で返事をした。
「君は誰だ。何をするつもりだ」
明るい黄金色の髪の若い男、それが誰を指しているのか。ロゼの中に答えは一つしかなかった。
「ーーまさか、あんたはガナか」
それを聞いた途端、中の人物が急に檻を掴んで声を上げた。
「何で僕の名を知ってるんだ。君は誰なんだ」
「静かにしろ。人に見つかると面倒だ」
しまったという顔でガナと呼ばれた男は口を押えた。
「とっくに殺されたと思っていた。まだ生きていたのか」
「どうして……君は誰なんだ。今ここを壊していたよな……魔術士か?」
「レンシアを知っているな。俺はレンシアを探してここに来た。あんたを見つけたのはたまたまだ」
「レンシアが……? 今、外で何が起こってるんだ? 頼む、ここから出してくれないか。春からずっとこの中に入れられたままだったんだ」
一度会話を切って周囲を警戒してから、ロゼが外を指で示した。
「詳しく話す気があるなら出してやる。外は厄介な事になっていると思え。あんたの事で話はこじれているからな。それより、あんたは確か魔術士と聞いた気がするが」
大人しく捕まっていたのかと言外に問われると、ガナは手を上げて見せる。手首には魔術を封じ込めるための厚い腕輪がはまっていた。
それを見たロゼが辟易して鼻で笑った。
「またそれか。そんなもの壊してやればいいのに」
「また? 壊す? そんな事、出来るわけがないだろ」
焦れたようにガナが言う。
普通は魔術封じの腕輪をはめられて自力で壊せる魔術士などいないのだ。
散々だったロゼの事情など知らず、ガナは呆れた様子だった。
一度離れて建物の壁を見渡して目星を付けると、反対側の石壁を先ほどと同様の手口で破壊する。
ひびが入ったので軽く蹴ると、土塊のように崩れ落ちて、人が軽く屈んで通れるだけの穴が開いた。
室内に踏み込みながらロゼが壁に手を触れた。その手の中には既に呼び出した黒い鋸が握られていた。
「そっちの端に寄っていろ」
手で払いのけられてガナが檻の隅に寄る。
それから細い鉄柵を切り落とすのは容易かった。
すぐに人が通れるだけの幅が開いて、恐る恐るガナが外に出てきた。
「やっぱり君は魔術士だったんだな」
しみじみと言いながらガナは久しぶりの外界を見渡して、ロゼに向き直った。
人の好さそうな、懐っこい笑みを浮かべた。
「ありがとう。この先どうなるか分からなかったんだ。イレマの奴らがーー」
ガナが言いかけた所で人の声がして、二人はそちらに意識を向けると口を閉じた。
近付いて来る足音がするので、二人は近くに建つ小さな小屋の陰に身を隠した。
集落に住む男達が異変を感じて見に来たらしかった。
「何か音を聞いたんだよ。こっちの方で……あっ!」
「何だ。……おい、これ。中はどうなってるんだ」
「いないぞ。逃げやがった!」
空っぽになった家屋を覗き込みながら男の一人が腹立たしげに壁を蹴飛ばした。
「逃げられるはずがないだろ。どうやって逃げたんだ」
「こっちの壁が壊れてる。内側に向かって崩れてるから、外から誰かが逃がしやがったんだ」
「檻も壊されてやがる。くそ……こんな時に」
男二人が悪態をつきながら舌打ちした。
「どうする。人を集めて探しに行くか」
「そんな人手があるか。よりによって今日かよ……もうじきニルケの奴らがノルクトに攻め入るところだぞ。うちの奴らもみんなそっちに行っちまったよ」
陰で聞いていたロゼとガナが視線を交わした。
「先日女探しに人手を出したのがまだ戻ってきてないんだろ。さっさと始末しなかったせいで逃げられたんだと。馬鹿な連中だ」
「ああ、あれな。ニルケも低能な奴ばっかりだ。今日の襲撃でもへまをしなければいいけどな」
「とにかく報告しないとまずいな」
男達は慌てて集落へと戻って行った。
それを聞いてロゼが目を細めた。情報をわざわざ落としに来てくれたので手間が省けたようだ。
どこに集まっていたかは聞けなかったが、ニルケを始めとする集団がノルクトの集落に向かって発つまでにそう時間は無さそうだという事だけは分かった。
それにまだレンシア達は生きていると思って良いようだ。捕まっていないという事は最悪の状況は回避できたらしい。どこに潜んでいるのかは知らないが、バナウのへたれもそれなりに頑張っているということか。
他に誰もいないのを確認するとすぐにロゼ達は場を離れた。
「歩けないのか?」
足を引き摺っているロゼに気付いてガナが気遣う様子を見せた。
お前の仲間にやられたんだと苛立ったロゼだったが、口に出すのも面倒で、うるさそうに睨む。
理由の分からないガナは困惑してただ首を捻っただけだった。
そのまま二人で馬へと戻ると、集落を離れて丘の向こうの林地帯に入った。
一度足を止めてお互いに軽く情報交換をすると、ロゼが危険な人物ではないと理解したのかガナは自分の知り得る事を捲し立てた。
「イレマがノルクトの集落を奪い取る気なんだ。今日これから攻め入るって話をしてるのを聞いたんだ」
ずっと溜め込んでいた物をぶつけるように、ガナは必死に言葉を継いだ。
「ノルクト族が持っているラビアの狩り場があるんだけれど、イレマの魔術士が地崩れを起こさせて狩りに来てた人達を殺したんだって。そうやってノルクト族を弱体化させたんだよ」
それを聞いてロゼは違和感なく納得した。
そこかしこに襲撃準備をしている形跡を見てきたからだ。
「お前はよく生きていたな」
ロゼに言われて、ガナはうんうんと頷いた。
「殺されるところだったんだ。ノルクトの集落に行った帰り道、仲間と森に立ち寄ったんだ。そしたらいきなり刺されて、何が起こったか分からなかった。先に森の入った仲間が襲われた僕達に気づいて戻ってきたんだよ。それでその襲ってきた奴らに担ぎ上げられた所までは覚えてるんだけど」
ガナが襟元を軽く引くと、その時の傷が見えた。月日は経っているはずだが妙に生々しい跡が残っていた。
「死ぬところだったよ。手当てもろくにしてもらえなかった。でも、生き残ったら生き残ったで、閉じ込められて脅されたんだ」
襲われた際に魔術で僅かな抵抗をしたガナは、イレマの連中に自分が魔術士である事を教えてしまった。
するとガナの母親を人質に取って、自分達に与するよう脅しをかけてきたのだと言った。
慌たように話し続ける口を制止して、抱いていた疑問をロゼが上らせた。
「ニルケ族はレンシアを殺そうと躍起になっていたが、ニルケとノルクトは上手くいっていたんじゃないのか」
問いながらロゼは隠れ郷でのニルケ族の様子を思い出した。
レンシアと名前を呼びながらも釜で煮殺そうとするなど、ニルケ族がノルクト族に対してとても仲間意識を持っているようには見えなかったのだ。
その一連の事件を知ったガナは衝撃を受けたようだが、目を反らすとまるで自白するかのように言った。
「ニルケもノルクトを手に入れたかったんだよ。僕とレンシアは婚約してたんだけど、それもその一端だった。だから、レンシアがアストワに輿入れするなんて知った時は、ニルケのみんなの恨みは相当なものだったと思うよ」
なるほどと呟いたロゼが再び手の中に鋸を呼んだ。
それに気づいたガナが驚いて怯んだ。
「ちょっとまって。それをどうするんだ」
「腕輪を切ってやるから腕を出せ。魔術が使えるんだろ」
ロゼが強引に手首を引っ張ると、腕輪の隙間に黒い刃を差し込み力を込めて引いた。すると黒い刃は金属の輪に食い込んだ。
「魔術……確かに使えるけど、君ほど自在に壊したりできるわけじゃないよ。僕は正式に魔術を教わったことが無いんだ」
魔術を使えるだけの魔力を秘めていたとしても、誰もがすぐに魔術という形で力を具現化させる事が出来るわけではない。それには訓練が必要だったし、より多くの奇跡を起こすためには知識も不可欠だった。
同じ量の魔力を持っていたとしても、城で腕を磨き続ける魔術士と、野にいる独学の魔術士とでは扱える魔術に天と地の差があるものだった。
「ロゼはどこの国から来たんだ? レンシアを助けるように命令されたって……誰にされたんだ?」
ガナが聞くと、鋸を引く手を止めずにロゼが答えた。
「俺はマンドリーグの魔術士だ。国からレンシアを探し出して保護しろと命令を受けている。レンシアはマンドリーグ方面に逃げているはずだが敵に追われて辿り着けないらしい。だから俺もこのまま国境に向かう」
「何でアストワの命令じゃなくてマンドリーグなの?」
ガナの疑問はもっともで、ロゼは面倒臭そうに答えた。
「アストワとお前らがいつまでも下らない小競り合いをしているからだろう。俺はお前らのとばっちりを食らったんだ。分かったら後は自力で何とかしろ」
カツンと音を立てて腕輪が断ち切られた。
キアゾ達兄弟のやり方を真似してもう一カ所に切れ目を入れる。
その手を、ガナが掴んだ。