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今まで通ってきた道は街道として使われており、こういった道沿いには兵士が使うための小屋があるものだった。
それを見つけるとロゼがようやく馬の脚を止めさせた。
「ここで休む」
「なんだよ、疲れたのかよ。俺はまだ平気なのに」
「そう言ってこの先でへたられたら困る。それに馬が潰れたらもっと困るからな。いいからそこに馬を繋いで来い」
有無を言わさぬ口調に、渋々とバナウが従った。
ここでロゼに機嫌を損ねて帰ってしまわれると困るので、仕方なく馬を小屋の脇の厩に繋いだ。
「そこをどけ」
言われてバナウが一歩飛び退くと、ロゼは馬の前に水の入った桶を降ろした。それに喜ぶ馬たちを見て、ようやくバナウは随分急がせてしまった事に気付いた。
ロゼが壁を軽く叩くと、ちゃりと音を立てて鍵が手の中に納まった。兵士が移動や待機に使う小屋の鍵はどこも共通で、中位以上の魔術士もみなこの鍵を支給されている。
その様子を見て、自分も鍵を貰っていた事をバナウは思い出していた。
中に入ると狭い小屋ながらも机と暖炉があった。小型の竈も設置されていて、簡単な料理くらいなら出来そうだった。
扉の無い壁で仕切られた奥の部屋には仮眠が取れるように、両脇の壁に一台ずつ二段式の寝台が設置されていた。
「少し眠っておけ」
井戸水を口にしながらロゼが奥を示した。
奥とロゼを見比べて、バナウがぼやいた。
「眠れるかな。それより小腹が減ってないか? 俺、少しだけど食い物を持ってきてるんだ」
「まずお前が食って見せろ」
「毒なんか入ってないって。なんて、信用するはずもないか」
苦笑しつつ、バナウは腰に着けた鞄から乾燥させた果肉を取り出すと口に放り込んだ。
ロゼは構うことも無く、さっさと奥に入って寝台に体を投げ出した。
息を吐いてバナウも反対側の壁の寝台に倒れ込む。
「どのくらい休んで行くんだ?」
バナウが問うと、ロゼからは俺が声を掛ける、とだけ返事があった。
相変わらずバナウの気は急いていたが、横になるとすぐさま、気付かなかった疲れが身体にのしかかった。
静かな室内で、ロゼのほうから何かを問いかけてくることはない。
それが逆にバナウの不安を煽った。
ロゼが自分を不審に思っていないはずがない。
聞きたいこともあるはずだ。
なのに何を考えているか窺わせることもしなかった。
「なあ、ロゼ」
バナウが躊躇いがちに声を掛けた。
「ロゼは魔術士を目指して田舎から出てきた口なのか?」
暗闇の中でそう問いかけた。
「故郷の期待を背負って出てきたってやつか?」
回答はなく沈黙が落ちる。
それでもバナウは返事を待った。
ロゼが寝ている気はしなかった。そう思っていた時ロゼの方から体を微動させる音が聞こえた。
「違う」
闇の中から一言だけ返事があったが、それ以上話してくることは無かった。
「もっと話せよ。そういうのが人を寄せ付けないんだよ。もうちょっと愛想よくしてみれば?」
はあ、とロゼが息をついた。
「余計なお世話だ」
「まあロゼらしいけどさ」
バナウが笑った。
「俺も別に期待なんかされてなかったけど、周りを振り切ってマンドリーグに来たんだ」
独白したバナウの笑みは、苦い笑みへと変わっていた。
「集落の中では少しは魔術に長けていた方でさ。周りには物凄く反対されたけど、結局そういうのを全部押し切って出てきたんだ。母さんと二人きりだったのに、その母さんも置いてさ。集落に残って他の部族と争ったり、アストワを糾弾したり、そういう生活を続けないといけないのかって割と絶望しててさ。俺達の部族は特に反王政が強かったから国との争いも絶えなかったんだ。なんて言って、まあ個人的にマンドリーグみたいな大きな国を見てみたかったっていうのもあったけど」
影しか見えないロゼからの反応は無かったが、ただ話を聞いている事だけは気配で分かった。
「でも魔術士団に入団したまではいいけど、そんなに魔術の才能があったわけでもなくてさ。同期はみんな中位まで昇格して、俺だけがいつまでも下位に留まってた。ロゼが一年でやった事を、俺は四年もかかったんだ」
バナウの語調はどこか自嘲めいていた。
「食っていくのもやっとでさ。そしたら面倒を見てやるって言ってくれた高位魔術士の人がいて、俺を自分の部下に指名してくれたんだ。自宅の部屋まで貸してくれて、今も指導を受けてるんだ。その人の家は他にも二人同じような奴がいてさ。はっきり言って家も小さくて質素だけど、いい人なんだ」
「そうか」
ロゼは短く呟いた。そして、そのまま言葉を継いだ。
「第二団にガナなんて奴はいないらしいな」
それを聞いてバナウが勢いよく体を起こした。
暗がりでがつん、と大きな音が響いた。
「……いって……」
ぶつけた頭を抑えながら、ロゼがいるはずの方向を見た。
「調べたの?」
バナウに聞かれてロゼが肯定の沈黙を返した。
実際はガナについて調べたレクサールがその存在を否定したのだ。どこの団にもそんな名の者はいないと。
言葉を探すバナウにロゼは感情もなく言った。
「深くは聞かない。ただ俺を出し抜けると思うな。何かを仕掛けるつもりならそれ相応の覚悟を持ってこい。それだけは言っておく」
姿が見えなくてもロゼの声は明瞭だった。同時に自分が見られているのをはっきりと感じ取った。
バナウは困惑して言葉につまる。だがすぐに、ロゼにとっては意外なほどはっきりと答えた。
「……俺は確かに嘘をついたけど。ロゼを利用したいとか、貶めたいとか、そんな事は考えてない。それは本当だ。覚えておいてくれよ」
もう、ロゼからの反応は無かった。
そうして外気で冷え込む室内に再び静けさが戻ったが、眠れないのはバナウもロゼも、同じことだった。
数時間の仮眠を取って二人は再びマイカイ方面へと馬を走らせた。
もうそろそろ町が見えるという辺りで、街道を北に逸れた。
バナウの案内通りに丘を越えて大地の裂け目に出ると、森を脇に見ながら崖の縁に沿って斜面を下って行った。
崖下には川が流れており、それを眺め降ろしながら上流に向かって進んだ。
途中で急な斜面をどんどん下って行き、森に入るとごく川に近い場所に出た。そこからさらに木々の合間を縫って走って行くと、ようやく目的の小屋が隠れるように建っているのが見えた。
どうやらこの一帯の管理者が使用するための建物らしいが、今は使われている様子が無かった。
「あの小屋だ。レンシアと一緒に襲ってきた奴らも中にいると思う。魔術士っぽいのはいなかった。俺達二人でなら何とかなると思う。行こう」
森の中から様子を見ながら一回りしたが、小屋の周りには誰もいない。
建物の壁に軽く片手を当てる。僅かな時間でロゼが内部を探ると、八人の人間が居るのを読みとった。
建物の入り口に近づくと取っ手に手を掛けながらバナウが小声で囁いた。
「鍵が閉まってる。俺が一気に開けるから、そうしたらロゼが先に踏み込んでよ。ロゼが暴れてる隙に俺がレンシアを助け出すから」
鍵を壊すべく魔力を手元に集めたバナウを、ロゼが訝し気に見た。
建物の中からは何も音がしない。話声ぐらいしてもよさそうなものなのだが。
待て、とロゼが言いさした先でバナウが一気に扉を開く。
後ろに下がろうとしたロゼの腕を、バナウが掴んだ。
「……この……!」
魔術を発動させる前に、小屋の中から飛び出した男達がロゼの体を引き倒した。一人が倒れた体から腕を捻り上げると、その手首に冷たい金属をはめる。もがくロゼの腕を後ろ手に回したところで、もう片方の腕にもはめた。
見るまでもなく、それが金属製の手錠だと分かる。魔術を封じ込めるためによく使われる物だ。
これを着けられてしまうと体外に出た魔力は全て腕輪に奪われてしまう。そちらに引っ張られて拡散し、一カ所に収束させることが困難になるのだ。
現にロゼが手の内に力を集中させようとしても、まるで穴の開いた袋から空気が抜けるように力が霧散するのを感じた。
「遅いぞ。こんな事のために一体どれだけ待たせるんだ!」
ロゼが見上げると、体格の良い男達が立ち並んでいた。
顔は隠していて目元しか見えないが、夜襲の時よりも集団の特徴が分かりやすかった。
白いゆとりのある衣装はマンドリーグの物ではない。
服の輪郭に現れているその発達した筋肉は、あの夜に見た男達と同じものだった。
すぐ近くにバナウが立って無表情で見下ろしていた。
半身を起こしたロゼの視線が真っ直ぐバナウに突き刺さる。それに気づいて、バナウは男達の背後に下がった。
「おい、こいつは本当にマンドリーグの魔術士なのか」
男の一人が声を上げた。ロゼの格好は魔術士の出で立ちからは遠い。それで男達は疑いの眼差しをバナウに向けた。
この男の物言いからすると、どうも魔術士に用があるらしい。
他にも仲間達がぞろぞろと集ってロゼを取り巻くと、中の一人が「そうだ」と声を上げた。
「こいつだよ。俺の腕を折りやがったのは」
そう言った男の腕は応急処置をしたのか、添え木をして薄汚れた布が巻かれていた。
別の男からも間違いない、と声が上がった。顔を見ていないから判別出来ないが、夜に襲ってきた者達がこの中に混じっているようだ。
腕を折られた男が見下ろしながら憎々し気な笑みを浮かべた。
「やっと捕まえたぜ。お前、あの晩に何をしたか分かってんだろうな。同じ痛みってやつを味わって貰うぜ。泣いて詫びを入れるんだな」
「おい、殺すなよ。使えなくなったら困るんだからな」
「当たり前だ。そんな下手はするかよ」
身を起こしていたロゼを負傷していない方の手に持っていた棍棒で殴りつける。それを見た別の男も棍棒を振り上げた。
防ぎようの無い体勢で殴り付けられたロゼと、近くで自分を見るバナウの目が合った。
「上手くやったものだ」
薄い笑みと共にそう口が動いたのをバナウは見逃さなかった。
身動ぎした体を蹴り飛ばされ、殴り倒される。
さらに頭を棍棒で何度か殴打されたところで、ロゼは意識を手放した。