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ロゼが去ったあと、壇上にはレクサールと共にディグナが残っていた。
「ディグナ殿。ロゼは確か貴方がこの国へ連れて来たと聞いていますが」
「そうだ。レブ島で見つけてな。隠れるように暮らしていたが、国元に見つかって殺されそうになったところを連れ出してきた」
「クオールですか」
西の大陸のさらに北方にある大陸。デラグスト大陸という凍れる大地に唯一存在する国、クオール。
魔術大国であるこの国は、住民の全てが大きな魔力を持つという。
その国民の血を半分持つロゼは、純血人のような青い目ではなく緑の目をしている。だが、見た目が異なるだけで内包している魔力は間違いなく通常の人間が持ち得る量を遥かに超えていた。
「あの国はグレダを問答無用で切り捨てる。例え純血人であっても身分証明を持たなければ同様にな。全くもって融通の利かない国だ。あの国に殺させる前にうちで引き取った」
レクサールが溜息をもらした。
「クオールに知れていたのですか。危険な事をなされましたね」
混血のクオール人は全て緑の目を持って生まれる。それを純血のクオール人達は侮蔑の意を持って、古代の言葉で「汚れた血」という意味の「グレダ」と呼んだ。
「国外に逃げたグレダは純血人と違ってクオールの目も比較的緩い。ほとんど野放し状態だからな。ロゼが狙われたのは奴らがレブ島に来た時にたまたま居合わせたからだ。本来なら奴らは一国を揺るがすような事件が起こっても見向きもしないだろう?」
ディグナが毒のある物言いをした。
まだディグナが近衛騎士団長に就任していなかった頃、マンドリーグでは内戦が起こった。
それはグレダの集団が誘引したものだったが、戦争によって当時マンドリーグにいた二千人以上の魔術士の三分の一が命を失ったのだ。
まだその時の傷跡はそこかしこに残っていて、内戦を知るものはグレダを恐れ、憎しみを抱いていた。
そしてそれは、ロゼの上官であるルフトも例外では無かった。
「あなた達騎士団が普段から頻繁に彼に関わっているのは知っていますが。今回の件は魔術士団の管轄ですから、一切の関わりを絶っていただきたい」
「分かってるさ」
淡々としたレクサールの口調に、ディグナがふと笑んだ。
「ディグナ殿は彼に何かを期待しているのですか?」
レクサールか問う。
魔術士達は不思議なくらいいつも感情を見せない。
「あいつに? ……どうだかな」
ディグナは言葉を濁すように口元に笑みを残した。
グランケシュでのレンシア捜索命令はいまだに維持されていたが、最初の頃のような熱気はすでに収まっていた。
夜でも捜索の兵が動き回っていた街中も、今は普段の落ち着きを取り戻している。
どうやら街中にはもういないのではないかという憶測が飛び交っているらしかった。
魔術士達が躍起になって探しても見つからない事がそう思わせる根拠になったようだ。
時を告げる街の鐘が、一日の終わりをとうに告げ終えて人々が眠りについた頃。
ロゼは渡された衣装に身を包んで宿舎を出た。
石畳の通路を通らず、小さな明りの灯る庭園を突っ切って城の正門に向かった。
誰にも会わないで済む時間帯にしたのだが、黒い装束はロゼを完全に闇夜と同化させた。
初めて着たこの魔術儀は、いつも羽織っている緑のものと同じく重さを感じた。術装関連は魔力の伝導を良くするために金属糸が編み込まれているものだったが、これにも使われているのだろう。
魔術儀は下位から上位に向かって順に水色、緑、えんじ、濃紺色があったが、基本となる造りは共通していた。
軍服に似ているが裾は膝丈と長く、襟がついてベルトを締められるようになっている。
金属糸のおかげで魔術に強く、刃物をもある程度は防げるくらいには丈夫に出来ていた。
恐らくこの黒い兵服も同じ機能があるとみて良いのだろう。兵士の中でも傭兵が好んで着るような外見をしている。
形は緑のものより動きやすそうに思えた。
それにレクサールの言う通り、これであれば仮にどこかの兵士だと疑われる事があっても魔術士だとは思われないだろう。
庭園を抜けると静まりかえった建物内の通路に入った。
まずは城内の厩に用意されているはずの神馬を受け取りに行くつもりだった。
レンシアの足取りは分からないが、とにかく一度マイカイへと戻るしかない。
そう思って厩の建物に通じる角を曲がったところで、背後に足音を聞いて立ち止まった。
こんな時間にまた誰かが追ってきたのだろうか。そう思って振り返って目を見開いた。
そこにはバナウが立っていたのだ。
「……本当に戻って来てるなんてな」
バナウがこぼす。複雑な表情に、ロゼが小さく笑みを浮かべた。
「お前はこんな所にいていいのか」
「ロゼを探してたんだよ」
「女は助けられたのか」
皮肉めいた問いにバナウが苦い顔をした。
「俺はヘタレだから助けられないって言っただろ。場所は分かったんだけど……捕まったまま閉じ込められててさ」
ロゼが鼻を鳴らした。
「捕まっている? 誰に捕まっているんだ。あの宿で襲って来た奴らは誰だ」
「分からないよ。俺も襲われてたから……」
この期に及んでしらばっくれるバナウにつかつかと歩み寄ったロゼは、突然手を伸ばした。
何かされる。そう怯んで逃れようとしたバナウよりも早く、手が黒い髪についた赤い石の髪飾りをもぎ取った。
「……なんで」
その途端に、呟いたバナウの容姿に変化が起きた。
黒髪は明るい金に、灰色だった瞳は濃い水色へと。それはレンシアと同じ民族であることを示していた。
「何で分かったんだよ」
隠してたのに、と気まずそうにバナウが呟いた。
「変装するならもう少し一般的な姿を選ぶんだな」
「そうしたいのはやまやまだけど。みんなみたいな自然な髪の色を出すには高くつくんだよ」
見た目を変える魔具はそこら辺でも売っている。ただ、簡易なものであっても高いものは高い。
ぶら下げて少し眺めてから、ロゼは髪飾りを投げ返した。
「もうお前との交渉は決裂したはずだ。何を企んでるのかは知らないが、まだ俺を利用したいのか」
徐にバナウの顔の真ん前に手を突きつけた。これは忠告だった。
「逃げるなら追わない。命を捨てるか選択しろ」
剣呑とした雰囲気に、バナウは二歩ほど下がりながらも必死にかぶりを振った。
「利用しようと思ったわけじゃない。本当だ。この姿だって騙したつもりは無かったんだ。俺達の集落ではアストワの城下町で買い物する時だって普通にこれで変装するんだよ。城下町に住む人の髪は、金でももっと茶色いんだよ。これだと目立つだろ。この国に来た時だって最初からずっと着けてたんだ。マンドリーグで魔術士になりたくても、俺達部族は国を相手に争い続けてるから、身なりを隠すのは当然なんだよ」
目を細めたロゼに急き立てられたように、バナウは早口で説明を続けた。
「レンシアを助けたいのは本当なんだ。あいつとは小さい頃からずっと一緒だったんだ。俺は集落を出てこの国に来たけどさ、連絡は欠かさなかった。……言ってみれば家族みたいなもんなんだよ」
「ならさっさと自分で助けたらどうだ」
「それが出来るならとっくにそうしてる。でもさ、俺は下位から中位に上がったばっかりだしさ。前にも言ったけど魔術も冷やす事しか能が無いんだ。力を貸してくれる奴が必要なんだよ。レンシアを死なせたくないんだ。頼む、手を貸してくれ。頼む!」
手を合わせて懇願するバナウをしばらくロゼが無言で見下ろしていた。
「嘘じゃないんだ。信じてくれ。一緒にレンシアを助けてくれよ」
拝み倒して頭を上げようとしないバナウ。
それを冷ややかに見下ろしていたロゼだが。
やがてわざとらしく溜息をついてみせた。
「……いいだろう」
口から出たのは承諾の言葉だった。
「……えっ?」
思いもよらない答えに、バナウが間の抜けた顔でロゼを見上げた。
「本当に?」
「捕まっている場所が分かってると言ったな。それが本当なら一度だけ手を貸してやる。行くならさっさとそこに案内しろ」
「いいのか? 本当に? 何か裏があるんじゃなくて?」
「裏? そんなものはあっても隠すものだろう」
ロゼのそれを軽口と受け取ったバナウが笑みを浮かべた。
「本当に貸してくれるんだな。やった……。ありがとう、恩に着る!」
「裏か。まあ強いて言うならマイカイの宿の責任を全てお前に押し付けたくらいか」
「え? 何だって?」
「別に何だっていい。決めたんならさっさとしろ」
素直に喜んでいる様子のバナウをロゼは剣呑な目つきで見た。
こいつが何を企んでいるのかは相変わらず見えてこない。
だが、レンシアを助けたいと思っている事に関しては嘘のようにも見えなかった。
今までの話だって全て真実に近い。確かに何か思惑があるのは分かるのだが。
一旦別れて開かせた街門脇の小さな扉から外へと出ると、街の外に神馬を待たせていたバナウと合流した。
そのまま、月のない林道を二頭の馬が駆けてゆく。
再び髪飾りを付けたバナウの髪は闇に紛れて見えなかった。
どのような経過で戻って来たのか、バナウの顔には疲労の色が濃かったが、それでも馬を必死に操っている様子だった。
かくいうロゼもグランケシュに戻ってから、ろくに休息を取っていない。
林道はやがて木々が密集して森となり、馬の脇に提げられたカンテラはぼんやりと進む先を照らしていた。道が広いから魔獣が出ればすぐに気づけるだろうが、光の届かない奥は闇が深い。
どこか適当な場所で休んでいかないと、肝心な時に動けなくなっても困る。そうは思うが、せめてこの森を抜けてしまった方がいい。
断続的に走らせること三時間ほどで、急に森を抜けて視界が開けた丘に出た。
空を見ると夜明けを告げる藍が射していた。