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05 モテモテだね、お兄ちゃん!


 満月が夜空に浮かんでいた。森の中は月明かりに満ちていた。彼女は眠りから目覚め瞼を開いた。


「…ハル?」


 そしてフェイグは驚いた。隣に座っている同級生の顔から胸にかけて、鋭利なツメで引き裂かれたような生傷があったからだ。


「どうしたんだ!?ケガしてるじゃ無いか!?」


 ハルは安堵したような顔でため息をついた。


「やっと起きたか…」


「…あれ?私は…なにを…?」


 彼女は刺すような頭痛と突然湧いた強烈な違和感に顔を顰めた。


「覚えてないか?俺たちはフィールドワークの途中で熊に襲われたんだ。逃げようとしたんだがお前は転んでしまって、そのまま気絶してしまったんだ。お前を置いて逃げるわけにもいかないから、俺はなんとか熊を追い払った…これはその時負った傷だ」


 彼はゆっくり言い聞かせるように語った。そして服の襟を引っ張り、生々しい傷跡をフェイグに見せた。真っ赤な肉が露出し盛り上がり、白い腱すら奥に見えるほど深い3本の傷だった。流れ出た血が彼の服を赤く染めていた。


「なっ…!大怪我じゃないか!今すぐ診てもらわないと!」


 大慌てするフェイグを見て、ハルは内心ほくそ笑んだ。

 もちろん、熊に襲われたというのは嘘だし、ハルの傷も彼の自作自演である。木の枝を使い自らつけた傷だ。

 ハルは、フェイグの記憶消去が定着しきっていないこのタイミングを懸念していた。少しでも疑問に思われたら真の記憶が蘇るかもしれない。

 だからなるべくインパクトのある偽の記憶を定着させたかったのだ。


「大丈夫か?一人で立てるか?」


 顔を寄せながら懸命に心配してくるフェイグを見て、ハルは笑いを堪えるのに必死だった。


(大成功だ…!このバカは少しも疑問に思ってない!…おっといけない、俺は大怪我してるんだからもっと青白い顔をしなきゃな…)


「あ、あぁ…かなり痛むがなんとか歩ける…」


「強がるな!肩を貸してやるから一緒に歩くぞ!」


 実際、自作自演といえハルが大怪我してるのは事実だし、相当痛みを感じていた。しかし彼の中の目的意識は苦痛さえ凌駕していた。

 彼は目的のためなら手段を選ばないし、自らの感情さえ殺せるのだ。


(成功して本当によかったぜ。心的外傷が足りないかとも思ってたんだが)


 ハルがガマガエルに最後までフェイグを襲わせなかった理由は、同情、憐憫…などでは無い。

 強姦は膣内に裂傷が残りやすく、記憶消去に成功したとしてもその傷を怪しまれるからだ。それだけである。


「ハルは…私を守ってくれたんだな」


 夜の森の中、2人は肩を寄せ合い歩いていた。


「そうだな」


「いや、その、ありがとうな!ハルなら私を守るって信じてるし、納得もしてるんだが…覚えてないからかな?なんか変な感じというか、違和感?というか──「なに言ってやがる…!俺がお前を守るのは当然の事だろうが!」


 ハルは立ち止まり、フェイグと目を合わせてそう言った。二人の顔は互いの息を感じ取れるほど近い距離にあった。フェイグは思わず赤面し顔を逸らした。


「…なんで?なんで当然なんだ?」


 フェイグは囁くようにぽつりと呟いた。彼女は密着しているハルの体温を生々しく感じていた。


(…私はなんでこんなこと聞いているんだ!?変に思われるだろうが!)


 フェイグはハルの顔をまともに見れず、ただ俯いていた。(私がドキドキしてるの、ハルも気づいているんだろうな…こんなにくっついているんだから)みたいに思っていた。彼女が質問した理由はおそらく甘酸っぱい恋心に起因するものだろう。美しい青春である。

 しかしハルはそう思っていなかった。フェイグが顔を逸らしたのは彼にとって幸運だった。彼の顔はかなり引き攣っていた。


(まさかコイツ、思い出したのか?やっぱり殺…いや、記憶消去は成功してる筈だ!)


 ハルはフェイグを抱きしめた。


「ふえっ!?」


「俺がお前を怖がらせるわけ…ないだろう…!」


 フェイグの耳元で囁かれたその言葉は、まさに迫真の響きを持っていた。心にも思っていないことをよくもまあここまで堂々と言えるものだ。

 その言葉は質問の答えにすらなっていなかったが、フェイグは彼女なりに納得したようだ。


「…うん」


 真っ赤な顔を綻ばせながら彼女は囁き返した。

 そして2人は再び歩き始めた。先程までと同じように肩を寄せ合い歩いていたが、フェイグはその距離がどこか縮まったように感じていた。




「本当に医務室に行かなくて大丈夫なのか?」


「まあな。俺の部屋に包帯あるし、それ巻いて寝ときゃ治るだろ」


 学園本館の古城よりほど近くにある尖塔、そこがハルの生活する男子寮だった。2人はその前に立っていた。


「でも、その傷じゃ自分で包帯を巻くのすら難儀じゃ無いか…?もしよかったら、私も一緒に、その…お前の部屋に行って…」


「アリム!」


 ハルが急に駆け出した。門扉のそばにぽつんと座っている妹を見つけたのだ。


「あ!やっと来た!も〜、こんな遅くまでどこにいたの?ずっと待ってたんだから!」


「ごめん!でもお兄ちゃんは今日授業を受けてきたんだぞ!」


「…当たり前のことだからね?って、なにそのケガ!大丈夫なの!?医務室に行かなきゃ!」


「え…?でも俺、医務室嫌いだから…」


「言ってる場合じゃ無いでしょ!…まったく、いつまでも子供なんだから…」


 こうしてハルは、愛する妹の小さな手に引かれ連れて行かれた。フェイグは遠くでその微笑ましい光景を見ながら笑っていた。


「アリムちゃんの言う通りだな…本当にあいつは、子供みたいな…」


 ハルの横顔を見ながらフェイグは呟いた。その時突然、彼女の背筋に悪寒が走った。しかしそれは宵闇の冷たさのせいだと、彼女は思った。




 それと同時刻、先程ハルが犯行を犯した現場での出来事だ。

 ハルはガマガエル男の死体を完全に処理したと思っていた。しかし彼はえぐったあと適当に地面にポイしたガマガエルの眼球のことをすっかり忘れていたのだ。

 血走った二つの眼球は夜空の月明かりを見つめていた。さながら無残に殺された怨みをつのらせているようでもあった。

 その光無き瞳が、一人の少女を映した。その少女の顔は擦り切れたフードに覆われ、背には、その身長ほどある無骨な大斧を背負っていた。

 

「ご主人さま…?」


 その少女は、涙を目に浮かべながら血に塗れた眼球を拾い上げた。


「ご主人さま…私が仇をうちますからね…ご主人さまを殺した悪魔に…!」


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