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02 お兄ちゃんカッコいい!

 

 

 人里離れた森の奥深くに悠然と聳える古城。ここが世界で最も権威を持つ王立魔法学園の本館である。魔法のことから羽虫のことまでこの世の全てが学べると言われるこの学園は、最短8年で卒業できる。

 しかし当然のことながら学校といえば留年は付き物で、留年確定している学生はミジメな生き物として扱われる。

 

「お兄ちゃん!今日はちゃんと授業受けなきゃだめだよ」

 

「分かってるよ…出来るだけ頑張る」

 

 食堂の中では朝の日差しが古臭いテーブルや貧相な朝食、覇気のない学生を照らしていた。その中で最もやる気の無さそうなパジャマ姿の学生が妹に説教されていた。

 

「お兄ちゃんは6年生なのにもう8留が確定してるんだから…逆にすごいよ。8年で卒業できるはずなのに8留って。これまでのお兄ちゃんの学生生活はマイナスってことだよ」

 

「ほんと、なんでこんな目にあうんだろうな?俺なにもしてないのに」

 

「なにもしてないからじゃないの?」

 

 アリムはすでに食べ終わり、頬杖をつきながら兄を見ていた。ハルは目を擦りながらのそのそとスープを口に運んでいた。

 

「…お兄ちゃん、顔洗った?」

 

「いや?顔洗う時間ありゃ寝るだろ普通。ただでさえ昨日寝るの遅かったし」

 

「きたないよ…」

 

 食堂に人が増えてきたあたりで、ハルは食事もそこそこに立ち上がった。

 

「じゃあ俺着替えてくるから。アリム、今日も一日頑張れよ。愛してるぞ」

 

「っ…別にいいから、そういうの」

 

 アリムは顔を赤くして去っていった。

 

(反抗期だなぁ…めちゃくちゃ可愛い)

 

 しばらく余韻に浸ったあと、ハルは人混みを縫って歩き出した。

 飛べない鳥がいるように、人に害さない魔族もいる。アリムがまさにそれだ。彼女は種としてはサキュバスであるが、むしろ下ネタが嫌いな方だった。

 

「…ねぇ聞いた?歴史のラリー先生…」

 

「…誰だっけそれ…」

 

「…あのキモいデブだよ…昨日首吊ったらしい…」

 

 噂好きの学生たちの話をそれと無く盗み聞きしながら、ハルは学内掲示板の前まできた。

 

(清掃のバイト募集…単眼同好会から二連鎖トカゲが脱走…ポイ捨て注意…食用バッタ配布中…どうでもいいお知らせばっかだな。変態教師の自殺はまだ大々的にはなってないのか)

 

「おい…そこのパジャマ!君のことだ、ハル!」

 

 呼びかけたのは、背が高い…というよりスタイルがいい女子だった。腰のあたりまで伸びた煌く金髪に、透き通るような肌。通りかかる男子学生は全員彼女に見惚れていた。

 

「やっと見つけたと思ったら、君は本当になにをやっているんだ?こんな往来で、ボサボサ頭にパジャマ姿!間抜け顔で掲示板なんか眺めて…みんな君のこと笑ってたぞ!」

 

「おぉ、久しぶりだなフェイグ。見ろよ、乞食速報だ。食えるバッタが貰えるらしいぞ」

 

 フェイグという少女は頬を膨らませた。

 

「話を逸らすな!全くもう…同胞として恥ずかしい!早く着替えに行くぞ!」

 

 余談だが、フェイグは落第をかけた試験で何回もハルと顔を合わせていた。その中で親近感を感じ打ち解けていった。それだけで彼女の中でハルは同胞なのだ。まとめると彼女はアホである。

 しかし同時にかなりの美少女でもあった。そんなフェイグに引っ張られている気取ったやれやれ系のハルを見て、暇な男子生徒が募らせた怨嗟は計り知れない。

 

「それでなハル、今日の地質包魔力学だけどな、君もとっているだろう?絶対来いよ!」

 

 男子寮内の自室の前まで、ハルは運ばれていた。

 

「なんで?てかなにそれ?俺そんなの取ってたっけ」

 

「君、初回の授業来てただろ!…今日はペアでやるフィールドワークだからな」

 

「答えになってないぞ」

 

「…ペアになってくれる人がいないからだ!ふん!私を辱めて満足か?別に恥ずかしくはないけど!いいか、本当に来てくれよ!3限目だからな!」

 

 フェイグは顔を真っ赤にして去っていった。ハルはどうでも良さそうにあくびをしながらそれを見届けたあと、気怠げに自室に入り、着替え始めた。

 

 

 

 

「…おい、ゴーヤきたぜ」

 

「本当だ。ゴーヤのハルだ。アイツこの授業取ってたんだ」

 

 その声で、フェイグは周りを見渡した。すると城の方向から情けない男子学生がトボトボ歩いてくるのが見えた。5年生時に8留が確定した男、通称58(ゴーヤ)のハルだ。

 

「ハル!来てくれたか!」

 

 そう言ってフェイグはハルに駆け寄り抱きついた。それがどれだけ地質包魔力学を履修している男子学生を驚かせたことか。履修生の中で唯一の女子、しかもかなりの美人、しかもいつも一人でいるフェイグを、男子学生たちは「ワンチャンあるかも」と狙っていた。しかしその思いは不真面目なゴーヤ野郎に砕かれてしまった。

 

「えーとね、ではね、今日は、フィールドワークだからね。ここら辺のね、地層を観察して、レポートで纏めといてね。私はもう城に帰るから、勝手にやっといてね。今日中に私の研究室まで提出だからね。あと、アオカシの群落からは出ないようにね!生物相が変わると地質包魔の条件も変わっちゃうからね」

 

 妙に掠れた早口で一気に言うと、年寄りの教授はおぼつかない足取りで帰っていった。

 

「来たと思ったらすぐ帰ったなあの人」

 

「…まぁ、さっさと終わらせようか」

 

 2人は森の中に入っていった。日差しが強く、暑い日だった。

 

「…んで、なにやればいいの?てか地質包魔力学ってなに?」

 

「ハルは大馬鹿だな!取ってる授業の内容も知らないなんて!まず、そうだな…生き物には魔力があるだろ?普通は死ぬとその魔力は外界に発散されるけど、魔族だけは死体の中に魔力が留まるんだ。微生物に分解されて土になってもだ。だから…その、魔族の死体の定義とか…地質が有する魔力を調べれば昔の色んなことが分かるとか…そもそもあらゆる土地から微量に魔力が検知される時点で大地そのものすら魔族と言えるとか…まぁいろいろ?教授が話してた」

 

「ふーん…で、結局俺たちはなにをレポートにまとめるの?」

 

「分からん」

 

「ダメじゃん」

 

 ハルはため息をつきながら木の根っこに腰掛けた。

 

「これさぁ、律儀にペアワークする必要無かったよな?全員で協力してさっさと終わらせようぜ」

 

「そんなこと言っても、みんなどこかへ行っちゃったぞ!」

 

「森の奥に行ってるのかもな?とりあえず俺らも向かってみるか」

 

 こうして2人はノコノコと森の奥へと歩き出した。実際、彼らが会いたかった学生たちは彼らより手前の地点にいた。つまり間抜けなことに自分達から遠ざかっていったのだ。

 そして30分ほど歩いた辺りで、どちらからともなく(なんか違くね?)と気づき始めた。

 

「なんか疲れたな。もう帰ろうぜ」

 

「そうだな…汗でベトベトして気持ちが悪いな。喉も乾いた。城まで帰ってシャワーを浴びよう」

 

「俺はもう寝たい。なにかスカッとするもん飲み干してからベッドに入りたい」

 

「…君は風呂に入ることを習慣づけるべきだ」

 

 彼らはなにもやってない、強いて言えば森をただ散歩しただけなのだが、なんとなくやり遂げたムードになっていた。お疲れ様、さぁと帰ろうと引き返した、その時だった。

 

「ん?どうしたハル?急に立ち止まって」

 

「なんか…なんか変だ」

 

 ハルは立ち止まり、辺りをしきりに見渡していた。

 その時、彼のそばに木の葉がひらひらと舞い落ちていた。しかしその木の葉はハルタの顔の横で突然自由落下をやめ、軌道を変えて彼の両目に勢いよく突き刺さった。

 

「痛ぇ!なんだ!?」

 

「え?どうしたハル?」

 

 うずくまり目を抑えるハルに駆け寄るフェイグ。同時に、頭上の木の上から1人の男が降りてきた。そいつはフェイグを殴りつけた後、ハルの顔面を思い切り蹴り上げた。

 

「会いたかったぜ〜ハル〜!」

 

 醜悪な中年男だった。分厚い唇に粉瘤だらけのイボイボな顔はガマガエルを思い起こさせた。何日も風呂に入っていないような悪臭がし、服や髪は垢じみて皮膚に張り付いていた。

 

「なんだ…?なんなんだ貴様!」

 

 フェイグが殴られた頬を抑えながら叫んだ。

 それがガマガエル男の逆鱗に触れたようで、彼は訳の分からぬことを叫びながらフェイグを蹴った。硬い靴が腹にめり込み、彼女は悶えた。

 

「お前もっ!どうせっ!売女!ハルの仲間!クソ淫乱のクソ淫魔!敬語っ!大人には敬語使えっ!」

 

「お前…マジで誰だよ。急に襲いやがって」

 

 ハルはよろよろと立ち上がりガマガエルに問いかけた。彼の目は血が滲んでほとんど見えていなかった。鼻血がどろりと顔を伝っていた。

 

「俺は!お前が殺してきた、幼女愛好会の生き残りだ!みんなの無念を晴らすために、お前を殺す!ハル!」

 

「あっ!お前愛好会のヤツかよ!皆殺しにしたと思ってたのに」

 

「そうだ…みんなを殺った犯人がお前だと特定し、そのお前が学園から離れ孤立するまで待っていたんだ…!ようやく、俺の復讐が…実を結ぶ!」

 

 まさに臥薪嘗胆である。学園本館の古城からほとんど出ない引きこもりのハルをガマガエルはどれだけ待ち侘びたことであろう。それも全て、今は亡き幼女愛好会の面々に報いるためだ。

 

「ハル、テメェにはこの世の地獄を見せた後で殺してやるぜ!まずはテメェの連れのこの金髪、コイツをグチャグチャに犯した後で殺してやる。そのあとはテメェのクソ淫乱の妹の番だ。テメェの大事なもの全部を壊した後でテメェを殺す!」

 

 ガマガエル男はツバを撒き散らしながら啖呵を切った。この男は人殺しでもある魔法使いのハルを前にしてなぜこんなにも余裕なのか?

 それはハルの視力を奪っているからだ。魔法は想像力により外界に影響を与えるので対象をしっかり視認していないと効力を発揮しない。

 そして、健全な女学生であるフェイグは、当然人を傷つける魔法など使えない。彼女はただ目の前の展開に怯え、震えていた。恐怖で息も苦しく、声も出せない程だった。

 この場の支配権は魔法による制圧力を持つガマガエルが完全に握っていた。

 

「さぁ〜て可愛こちゃん?まずは君からお楽しみタイムだよ!」

 

 ガマガエルは醜悪な笑みを浮かべながら膿だらけの顔をフェイグの白く綺麗な顔に近づけ、乱暴に衣服を脱がし始めた。

 

「ひっ!やめて…お願いだから、やめてください…」

 

 フェイグは涙を浮かべながら懇願したが、当然ガマガエルは手を止めなかった。

 

 ハルは鼻血を拭いながら自らの懐をまさぐっていた。そしてそれを取り出すと、聴覚情報を頼りにガマガエルに向けた。

 パンッ、と軽い破裂音がした。ガマガエルがハルを振り向いた。硝煙の臭いが辺りに漂った。

 呻き声と共にガマガエルは地面に倒れた。そしてハルはそれを再び懐にしまった。人類きっての対人武器、拳銃である。

 

「フェイグ!さっさとそいつの目を潰せ!」

 

「ふえっ?えっ?」

 

「あーもう!」

 

 倒れているガマガエルのもとへハルは覚束ない足取りで歩んだ。そして足でまさぐり頭の位置を確認すると、何度も思い切り踏みつけた。

 

「これくらいでいいか…おいフェイグ、水筒とってくれ」

 

「えっ?あ、はい」

 

 ハルは受け取ると、水を頭からかぶり、目を洗い流した。

 

「クソ痛いが…なんとか見えるようになってきたな。まったく…授業なんて出るもんじゃないな。ロクな目に合わない」

 

「…ハルっ!」

 

 フェイグはハルに抱きつき、顔を彼に胸にうずめた。

 

「こわ、怖かったあ!本当にこわかった…うぅ…」

 

(フェイグ…震えてるな。18の小娘には刺激が強かったか。まあ俺も同学年なんだが)

 

 彼は啜り泣くフェイグの綺麗な金髪を撫でた。彼女が泣き止むまで二人は身を寄せ合っていた。

 

 この時まではハルは確かに正義の味方だった。

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