なごり雪
超有名な歌がありますが関係ありません。今回もタイトルだけお借りしました。
「電車、遅いね」
美優紀がポツリと言った。いつもは定刻どおりにやって来る電車が、今日に限ってやけに遅い。遅いといってもほんの数分のことだろうが、駅で別離をする男と女にとっては、途方もなく永く感じるものだ。美優紀はそう思った。
北陸の地方の小さな町。電車に乗る人も少なく、ローカル線の駅のホームには、美優紀と大輔の二人しかいなかった。
「忘れ物は無い?」
美優紀の言葉に、大輔は無いと言った。
「忘れ物があったら、あとで宅配で送ってあげるね」
三月の半ばを過ぎたある日曜日。もうすぐ春だというのに、どんよりとした曇り空は、まだ冬の名残りが消えていない。冬が別れを惜しんで駄々をこねているようだった。
大輔は、大きなバッグをホームのコンクリートの上に置き、腕時計を何度も見ては時間を気にしていた。なんだか早くこの場を去りたいような感じだった。
四月は転勤の季節。大輔がこの地方の支店にやって来たのが五年前。ここでいい成績を上げたので、それが東京の本社に認められ、さっそく栄転となった。美優紀はそこで派遣社員として働き、大輔と知り合ったのだ。
「なんだか早く東京に行きたいみたいだね」
美優紀が意地悪そうに大輔に言った。
大輔は、そんなことあるもんか、と否定していたが、心の中では美優紀の言葉がグサリと胸に突き刺さったに違いなかった。
大輔が、東京に行ってもたまには電話をすると言った。
「やめて、そんなこと。できない約束はしないほうがいいよ」
美優紀が苦笑いした。大輔は、もともと東京の人間だ。ここを離れれば、すぐに忘れてしまうだろう。
「アタシはここが好きだし、こっちを離れるつもりはないし、遠距離恋愛なんて今どき流行らないよ」
美優紀は知っていた。同じ社内に年上の女上司がいて、大輔がその女上司とひそかに付き合っていたことを。
大輔が美優紀と付き合い始めたのが三年前。女上司と自分と、どちらが先かわからないが、美優紀はうすうす気になってはいたが、あえて問い詰めるようなことはしなかった。
「あっちへ行っても、仕事、ガンバってね」と美優紀。
大輔は、当然さ、という感じで得意げに首を何度も縦に振った。
「佐川さん、本社で出世したの?」
美優紀が何気に言った。佐川というのは、去年の人事異動で一足先に東京本社に転勤していったその女上司だ。
「ああ、移動してすぐに営業部長だよ」
大輔が自分のことのように自慢げに言った。
「大輔もまた佐川さんの下で働くの?」美優紀が言った「同じ営業でしょ?」
「当然さ、あの人が俺を引っ張り上げてくれたんだからさ」
「『あの人』か‥‥ステキな人だもんね、仕事人としても女としても」
美優紀は、少々皮肉っぽく聞こえるように言った。
「仕事はスゴイ人だったよ。まさにヤリ手って感じ」
「女としてはどうだ;ったの?」
美優紀の言葉に、大輔は、さぁ~と小首をかしげて知らん顔をしていた。
「よく二人で遅くまで残業してたんじゃないの?」美優紀は笑った。
「してたけど‥‥ただそれだけだよ」
「飲みに行ったりはしなかったんだ? 二人で」
「そりゃ~、たまには誘われたけど‥‥」
「けど?」
「どうしたんだよ? 今日は」大輔が苦笑いをした。
「何でもないよ、ゴメンね、しつこく訊いて」
大輔の顔からは笑みが消えていた。美優紀は、別れの日なので、とことん突き詰めてやろうかと、胸の中で嫉妬の炎に火をつけようかとも思ったが、やめておいた。最後の日にそんなことをしてなんになるだろう。結局、男はそういう生き物なんだと自分に言い聞かせた。
大輔が、体の方は大丈夫かと真剣に訊いてきた。
美優紀は何ともないと笑った。一か月前、美優紀は産婦人科に行ったのだ。
ある日、美優紀が大輔に子供ができたことをそれとなく言った時、彼はラブホテルの床に土下座をし、鳴き声混じりに頼んできたのだった。
美優紀には、誰もいないこのホームでの時間が長く続けばいいのか、それとも早く過ぎ去ってほしいのか複雑な気持ちだった。
「ほら、電車来たみたい」
美優紀の言葉に、大輔が振り返った。二人の視線の先にはローカル線の電車が小さく見えた。
その電車は、美優紀にとっては死人を運ぶ霊柩車にもシンデレラのカボチャの馬車にも見えたが、大輔にとっては、女神に見えただろう。
電車がホームに滑り込んできて、扉が開き、大輔が吸い込まれるように車内に乗り込んだ。そして、別れの言葉を交わす間もなく扉は閉まり、電車は走り出した。長い時間停車しなくて良かったと美優紀は思った。大輔も同じ気持ちだったに違いない。
これでよかったのだ。二人のためには、これが一番いい別れ方なのだ。美優紀はそう思った。大輔には言ってないことがあったが、それを言わなくて良かったと思った。東京での前途洋洋な暮らし、それを邪魔することなんてできない。大輔は何も知らないほうがいい。
美優紀は、電車が小さくなるまでその場で見送った。
「行ったのかい、彼」
突然、後ろから声を掛けられ、美優紀はハッとして振り返った。
「いたの」美優紀は驚いたように言った。
立っていたのは中年の男だった。きれいにウェーブのかかった髪を長く伸ばし、白いセーターとジーンズ姿。
「行ったわ」
「俺とのこと彼に話したのかい?」
男は、美優紀の肩を抱いて引き寄せた。
「まさか、言うわけないわ」
「最後に二人で白状し合ったのかと思ったよ」
男は笑った。
「そんなことしてあの人の夢を壊したくないもの。こっちもいろいろ楽しかったしね」
「だろうな。でも、お互いが二股掛け合ってたなんて、笑い話みたいだな」
「まったくね」美優紀は笑った。
二人が肩を寄せ合って駅を出ると、雪がちらついていた。もうすぐ四月だというのに季節外れの贈り物だった。
男が、美優紀のお腹に手をやり、大丈夫かと心配した。美優紀は、順調だと答えた。
「赤ちゃんの名前、考えた?」美優紀が言った。
「『大輔』ってのはどうだい?」
「バーカ」
二人は笑った。
THE END
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。イルカの「なごり雪」を聞いていたら、こんなドラマが頭に浮かびました。こういうラストがあってもいいと思いますが、いかがでしょうか。