7 婚約の対価
ある程度、三人で今回の婚約にまつわる諸事情の口裏を合わせ、ドアの外で待つトリスタンを呼び戻す。
自分が目を離さなければ、アーサー王子はパーティを抜け出す事なく、白豚王女と遺跡に落ちることもなかった、と、トリスタンは王子が軟禁されている間中、無表情の仮面の下で自分を責めていた。そして、そのせいでアーサー王子が目の前の白豚王女との婚約を戦争と引き換えに飲まされたた事で、トリスタンは完全にカグヤ姫を敵認定していた。
いつもなら、全く動じる事なく、空元気でも嘯く少年の、不安に揺れる眼差しに、これから逆風に晒されるであろう彼を自分こそが守らなければならない、と強く誓う。
そんなトリスタンに、カグヤ姫は初対面の他国人に向けるには、親密な色を浮かべた視線を向けながら、話しかける。
「トリスタン卿、改めて、紹介する。アーサー王子付の侍女モーガン・フェイ。」
モーガンは無言で頭を下げた。席を外していた間にどう説得されたものか、アーサー王子は視線を合わせないまま、トリスタンにむかって頷いた。
「彼女は、王子にゲッショウ王国の習慣に慣れてもらう為に同行してもらう。そんなに嫌そうな顔をしないで欲しい。」
苦笑気味に言われ、トリスタンの肩が微かに揺れた。『嫌そうな?』そんな感情を見せている筈は無いのだが、と護衛騎士は思う。
「モーガン、騎士殿にあれを。」
そう言って渡されたのは、一抱えあるチェスト。
「中を見せて頂いても?」「勿論」
そう笑顔で頷かれたものの、トリスタンはそれがミミックであるかのように、緊張を孕んで、慎重に開けた。
中身は満杯のドレス。
「これは?」と首を傾げるトリスタン。
その反応にカグヤ姫はにっこり笑う。瞼の肉に隠れた目が益々細くなり、たっぷりした頬肉がプルンと揺れた。アーサー王子の視線が揺れる。
「もう、着れなくなったから。古着で悪いけど、超高級な生地だから、仕立て直しても良いし、ばらして売ってもかなりの金額になると思う。色はあれだけど。それと」
と、カグヤ姫は小さな小箱を取り出す。「ブリターニ王国の冬は厳しい。薪でも、毛皮でも、食料でも、幾らかの足しにして欲しい。」
その中にはぎっしり金貨が詰まっていた。
受け取ることなく、無言で金貨を睨み続けるトリスタンに、アーサー王子が不思議そうに尋ねる。
「何してるの?くれるって言うのだから、もらったら良いじゃない。」
「殿下はよろしいのですか?」
「?服もお金もカグヤの持ち物だし、何の問題も無いでしょ。」
「そう言う話ではありません。これは、どういう意味のお金ですか?」
ぴしゃりと言われたきつい言葉に、カグヤは即座に反論する事が出来なかった。
元々、お金を渡すことはカグヤの案だった。これから貧乏な国に行くなら、お金があって困る事は無い筈。こんな宝石箱一つに入る程度なら、パパに頼むまでも無く、自分の小遣いから用意できる。そう言ったカグヤにアーサーは複雑な思いを抱く。
『やっぱりそう思うよなぁ。』
カグヤ本人には、全く悪気はない。困っているならあげる。どうせ使うのはアーサー王子の姿をしたカグヤ本人なのだから、自分のお小遣いを預かってもらっている、程度の認識だろう。
けれど、長年、貧困にあえいできた王国に仕える騎士であるトリスタンは、年長者から他国に頭を下げ援助を乞う王族の話を聞いていた。今回のゲッショウ王国訪問も、表向きは第一王女の婚約者を選ぶパーティへの参加であっても、本当の使命は、援助交渉でもある。だから、アーサー王子の婚約と同時にお金を受け取ってしまえば、それは、”援助を対価にアーサー王子を売った”と、見る者によっては、そうとられかねない。そんなトリスタンの考えは、アーサーには手に取るようにわかる。
だから、カグヤ姫は思い切り高慢にこう言う。
「施し。」
「施し?ですか。」
ぐっと低くなったトリスタンの声に、びくり、とアーサー王子の全身が緊張する。
「何を言って、」
言いかけた言葉の続きが出せない。カグヤ姫の膝の上でまどろんでいた白猫も護衛騎士の放つ殺気に、飛び起きて、全身の毛を逆立てた。
「我が国が貧しいから?」「そう。」「施しをしてやろう、と」「気に入らない?」
そんな中、トリスタンとカグヤ姫の会話は続く。
「好きに使って良い、と言うんだ。恩を感じる必要もない。それとも、トリスタンは、綺麗なお金じゃ無ければ、いけない、とでも?例え、盗まれたお金だとしても、金は金だ。例え、人を殺して得た金だと、使わなければ、民が死ぬぞ。ブリターニ王国傭兵団の得る外貨は、そうやって得た物だろう?今更、乱暴者の第二王子を大国の白豚王女に売りつけて得た金に遠慮する必要は無い。」
「・・・そのお考えは、王族として相応しいとは思われません。どうか、他言なさいませんよう・・・。」
そう言うと、漸く、トリスタンは、宝石箱に手を伸ばした。
「ご婚約の支度金、確かにお預かりしました。」
「はっ、そう来たか。」
アーサーは破顔する。全身のぜい肉が震え、笑い声も幼い少女のものとは思われない野太さだ。それを目の当たりにしてアーサー王子の顔色が悪くなるが、アーサーにとっては今更だ。『漸く、自覚した、ってか?』
「なら、手付け金として受け取って欲しい。ゲッショウ王国第一王女の支度金が、それっぽっち、なんてことは無いからな。」
「報告書を出します。」
決意を滲ませて、トリスタンは言った。
「は?」
「頂いたドレスもお金も、どのように使わせて頂いたか、必ず、報告いたします。貴女のご期待に応えてみせます!」
「はぁ。」『ちょっと、トリスタン?何、一人で盛り上がってるんだ?』
「アーサー王子を一国を治めるに相応しい王たる人物に育てて見せます!」
ぎょっとしたアーサー王子とカグヤ姫だったが、深々と頭を下げているトリスタンには、全く見えていない。
「あー、とにかく、アーサー様はモーガンの言うことを良く聞くように。」
疲れたと言うようにカグヤ姫は車椅子に沈み込み、三人に退室を促した。
「うなー。」
お疲れ様、と言うように一声鳴いて、白猫はアーサーの膝の上に飛び乗った。
「キャス、お前だけだよ、俺の癒しは。」
抱き上げた小さな頭にすりすりと頬を寄せて、アーサーはつぶやいた。
その夜に開かれたブリターニ王国使節団の送別会にカグヤ姫は最初の挨拶のみ参加し、自室に引っ込んだ。一方、使節団の方も翌朝の出発を考慮し、早々に引き上げた為、ゲッショウ王国の貴族達のみが残り、今回のかぐや姫の誕生パーティから婚約申込までの噂話で盛り上がっていた。
『全く目障りだこと。』
にこやかに会話に相槌を打ちながら第二王妃は扇の影で、キリキリと奥歯を噛んだ。
今回のカグヤ姫の怪我のせいで、彼女の王室予算を横領していたことが宰相にバレてしまった。公にはならなかったものの、裁量権は失われ、使用人達も総入れ替えになった為、今後はこれまでのように、勝手に王女宮の品を持ち出すことも出来なくなる。おまけにあの白豚王女は小国とはいえ、一国の王妃となる事が約束されてしまった。
これで自分の息子が王位につくことが、ほぼ確定した、とは言え、娘達も王妃にしなければ、あの女に負けたような気がする。
不愉快な気分のまま、王妃宮に戻ってきた彼女に二人の娘たちが左右から飛びついた。
「ねえ、お母様。あの白豚が飼っている猫が欲しいの。」
「侍女達が言っていたわ、とっても白くてふわふわで可愛いのですって。豚には勿体ないわ。」
遺跡から救出された時、カグヤ姫が抱いていた小汚い毛玉は、洗ってみると真っ白な毛並みの美しい緑の瞳をした愛くるしい子猫であった。小さな体で丸まって眠る姿や、はむはむとミルクを飲む姿が、実に可愛らしく、短い足でとてとて王女宮を探検する姿に、使用人達が心を撃ち抜かれて、用も無いのにわざわざ王女宮に行く者すら現れていた。
生まれた時から、カグヤ姫の持ち物は自分達が好き勝手して良い、と教わってきた二人の姉妹は、当然、その白猫も自分達の物、と思っている。
「そうね、では、明日、行きましょうか。お見舞いに。」
第二王妃の瞳が昏い光を宿した。