57 呪いの罠
「今度こそ、抜けた。」
大きく安堵の息を吐いて、アーサーは、光さす街道に足を踏み出した。
「どの辺りでしょう?」
周囲を見回し、そこが、本体と別れた真宵の森の南側で無い事にトリスタンが気付いた。
「森の西端だ。」
答えたのはいつの間に合流したのか、自分の身長ほどの魔剣カレドヴルフを背に負う妖精王。
「妖精王様。」
畏まるアーサーにぞんざいに手を振って、オーベロンは一歩踏み出した。
数百年ぶりの森の外は、初夏の熱気を帯びた空気がゆらゆらと揺れている。太陽は中天にかかろうとし、真宵の森から出た体は、瞬く間にひんやりとした冷気が熱に変わっていく。
真宵の森を迂回して遠く北に向かう街道の、固く踏みしめられた道に足を降ろした時、オーベロンは針で刺されたような痛みを全身に感じた。
「がっ!」
膝から崩れ落ちそうになるのを辛うじて耐える。
「オーベロン様?」
「何でも無い。それより、どちらに向かうのか、案内せよ。」
「ここが真宵の森の西端ならば、この街道を北へ向かいます。分かれ道を右手側に進めば、ネデル国王都に入ります。」
地図を見ながら、答えたアーサーにオーベロンは一つ頷いて、更に一歩踏み出した。
じくじくとした痛みは続いている。
『これは、森から出たからなのか?』
徐々に若返る呪い。それに付随して、移動を禁じられてしまったオーベロンは、この数百年、真宵の森から、外に出た事は無かった。
『これが呪いにあがらう、と言う事か。』
『オーベロン様、大丈夫ですか?』
背に負う魔剣から愛しいモルガナの声が届く。
『其方が耐えた痛みなら、我が耐えずしてどうする。』オーベロンは笑って見せた。
「・・・様子がおかしい。」
前を行く妖精王にアーサーは違和感を覚える。
「何か、ふらふらしていらっしゃいますね。」とトリスタン。
そんな二人の前、オーベロンとの間に、いきなり、ざっとオキナが割って入った。
見る間にオーベロンの足元から何かが街道のレンガを割って立ち上がって来る。
「「「!?」」」
そして、瞬く間に、緑と茶色に囲まれた。
「何なの!どうしたの?」
後方からカグヤが叫ぶ。
「木が生えた。」
呆然としたアーサーの声。「オーベロン様の周囲に木が生えてくる。」
彼らを取り囲むように地面からものすごい勢いで木が伸びてくる。オキナとテイが薙ぎ払って安全地帯を確保しているが、あっという間に成長した木々に世界が埋め尽くされる。
「新手の攻撃か?」「走れ!」
アーサーの命令は速やかに実行された。
新たに生えて来た木々の間を、駆け抜ける。幸い、直ぐに木のカーテンを抜ける事が出来た。
振り返ると、街道は森側の半分以上が、木々に飲み込まれていた。
油断なく武器を構える。
このいきなり木を成長させた現象は何か魔法によるものなのだろうか。マリ・スクルドが手に持っていたトネリコの枝を、マリ・ウルズがあっという間に巨木に変えた様に。
この中で、そんな力を持った者はたった一人。
「オーベロン様?」
目の前で成長を続ける若木の影から、幼児の姿の妖精王は姿を現す。
「我のせいだ。
我を森から出さないように、森の方が拡がっている。」
出て行こうとするなら、そして、それが止められないなら。ならば、留め置くための檻、即ち森、を広げればよい、と呪いが働いた、らしい。
「何それ、滅茶苦茶。」
カグヤの呟きに、アーサーも同意せざるを得ない。
「ですが、それでは・・・。」
「そうだ、こんな状態では、我は其方たちと共に行く事は叶わぬ。」
そして、アーサーの手に魔剣カレドヴルフが残された。
結局、オーベロンは真宵の森から出る事は出来なかった。
妖精王が一歩、森から離れるたびに、彼の足元から草木が伸び、森の版図を拡げていく。流石に森を引き連れて移動する訳にはいかない。少なくとも、人々の目につくところでは。
オーベロンは真宵の森に帰って行った。
何故か、愛しのモルガナの宿る魔剣を残して。
『持ってけよ。』
思わず、声に出しそうになり、アーサーは慌てて唇を噛んだ。
正直、妖精王と同行しなくて良くなって、ほっとしていたのだ。
神話の時代の存在など、関わり合いになって良い事など、一つも無い。
自称大魔法使い、と言う名乗りを信じた訳では無いが、それでも、出会った時のモーガン・フェイは、封印が解けたとは言え、鳶の姿であったし、その後、割とすぐに別れた為、アーサーには強大な人外の存在との認識は無かった。
それ故、かなり、気安く接していた自覚はある。叩き折ろうとした程度には不敬も企てた。
湖の貴婦人の妹と知っていたら、決して取らなかった行動だ。あの時の態度を持ち出されれば、殺されても、それこそ、呪われても、文句を言えない、と思う。
そんな存在とまた、行動を共にするなど・・・。
幸い、マリ・ベルザンディの力で、意思の疎通は出来ないようにされてはいる。
けれど、
オーベロンが何度も念を押していった、”毎日、剣に実る実を、巾着に入れる”約束が、自分たちに何をもたらすのか。
想像の外にあって、恐怖しかない。
それでも、妖精王に託された魔剣をその辺に捨てて行く事は出来ない。
「はあぁ。」
思わず、深い溜息をつくアーサーだったが、いつまでも現状を憂いていても仕方ないのも、又、事実。
「取り敢えず、今どこにいるかの確認と、本隊との連絡だな。」
そう言うと、アーサーはカレドヴルフをカグヤに預け、胸元から、銀色の細長い笛を取り出して、吹いた。
特に、何の音もならないそれは、彼の伝書鳥フギンとムギンを呼び出すためのものだ。
「届きますか?」
流石に本隊と別れて二日近くは経っている。馬車移動の本隊はもうネデル国の王都近くにいるだろう。ここが、真宵の森の西側としても、南寄りか北寄りかで、随分とその距離は変わって来る。鳥笛が届く範囲を超えているだろう、と言うのが、トリスタンの正直な気持ちだ。
「うーん、聞こえてるんじゃないかな。フギンとムギンのどちらかは、常に、俺の笛の届く範囲にいる筈。」
真宵の森の不可思議な力のせいで、森の中からの呼びかけは聞こえなかったようだけど、森の近くにはいる筈だ、とアーサーは言う。
「それは、また・・・。王子は鳥使いにでもなるつもりですか?」
呆れたような顔をするトリスタンに、アーサーは楽しげに返す。
「俺は才能があるらしいぞ。ガウェインがそう言っていた。」
ゲッショウ王国で伝書鳥事業の要である鳥たちの飼育の為に、ブリターニ王国から派遣されているガレス・ショウ、ガウェイン・ショウ親子とのやり取りを思い出す。
そんな会話をしているうちに、北の空から、白い点が近づいてきた。
「フギン!」
大きく上空で一回りし、アーサーの伸ばした腕に一羽の梟が舞い降りる。
「意外と早かったな。」
干し肉を取り出して与えながら、フギンの頭を撫でる。
一枚食べ終わった所で、世話をテイに任せ、アーサーは、その足に括り付けられている筒に入れる暗号化した手紙を用意する。蓋の色は黄色。通常連絡では無いが、後回しされては困る、緊急連絡未満の案件、とアーサーは判断した。
「赤ではなくて良いのですか?」
緊急案件だろう、とテイは思う。
「個人的な連絡だからね。ところで、イジーに馬車で迎えに来てもらおうと思うけど、何か持って来てもらう物とかある?」
「あー、そうですねぇ・・・。」
元の超ふくよかな体格に戻ってしまったカグヤ姫に関するあらゆる物が不足している。とても、伝書鳥に運ばせる文書だけでは書ききれない。それに、自分の目で確認していないものをカグヤ姫に身に付けさせるなど、専属侍女としてのテイの矜持が許せるはずが無かった。
「イゾルテ様と入れ違いにお傍を離れるお許しが頂ければ、全て、完璧に手配して見せますよ。」
正直、こんな街道の真ん中に大切な主を置いて行く事に抵抗がないわけではない。
しかし、状況が状況なだけに、誰かがネデル国王に説明に行き、受け入れ態勢を整えなければならない。口のきけないオキナは元より論外だが、ブリターニ王国民であるトリスタン卿では、ネデル国王に信用してもらえるかも疑問だ。テイは身分の問題はあるが、カグヤ姫の専属侍女として、これまでも、ネデル国の使節と面識がある。こちらに何かトラブルがあった事を了解してもらえるぐらいの関係を確立しているとは自負している。
「取り敢えず、ネデル国王陛下に、殿下との秘密の会合のお約束を頂き、お二人の滞在する場所の変更と、お衣装の手配をしてまいります。婚約式の手順の変更もございましょうから、ネデル国内にあらかじめ潜伏させておいた”忍び”とも、連絡を取ってまいります。」
「そう?じゃあ、任せた。ネデル国王陛下には、また、面倒事、押し付けるなぁ。ちゃんと、お礼しなきゃな。」
そう言うと、アーサーは、念のために、とテイに早馬用の緋色のマントを渡す。
「カグヤ姫用の留め具もちゃんと付けていくように。」と念を押した。
伝書鳥事業の拡大と共に、ゲッショウ王国と友好国の間の主街道にも早馬専用のレーンは着々と敷設されている。愛娘が女王となる予定のネデル国との間の街道は一番に整備されていた。
その専用レーンを緋色のマントにカグヤ姫の紋章を付けて駆ければ、実質、邪魔される事は無い。
「時間が惜しいな。テイ、先行してくれる?」
イゾルテと馬車を待っていると夜になってしまうかもしれない。そうなると、テイの出発は翌日にずれ込む。
「私は夜駆けは気にしませんよ。むしろ、殿下の護衛が減る事の方が不安です。」
きっぱり言い切った専属侍女に、アーサーは、少し考えた素振りを見せたが、やはり、首を振った。
「ネデル国にも計画の変更をお願いしなくてはいけないから、連絡は少しでも早い方が良いだろう。真宵の森の中にいれば、滅多な者は、入ってこない筈だ。オキナにトリスタン、キャスまでいれば、人間相手なら後れを取る事は無いから、こちらは大丈夫だ。俺はカグヤに張り付いて、森の中にいる事にするよ。」
そうして、フギンとテイが同じ方向に消えたのを見送って、アーサーとカグヤは真宵の森の辺縁に戻った。トリスタンが街道とアーサー達の両方が見える位置で、見張りに立ち、オキナはカグヤ姫の傍で控える。
「疲れたか?」
「・・・大丈夫。」
「無理するなよ。」
「わかってるわ。」
会話が続かない。
「あー、何か食べるか?」
「!いらないわっ!」
「わ、悪い。」
気まずい。




