54 不信
久しぶりに体を動かすのが辛い。
あまりにも肥大した体は、いっそ面白い程に動かなかった。
アーサー王子の体なら、少し、お腹に力を入れただけで、上半身が持ち上がった。腹筋だけで起き上がる事が出来たのだ。けれど、昔のカグヤ姫の体は、到底、そんなことでは持ち上がらない。
「ベッドから一人で降りられない。・・・忘れていたわ、わたくし、そう言えば、そうだったわ。」
子供の時の様に、ゴロゴロとベッドを転がる。
王女宮ならベッドの柱に鈴が括り付けてあった。目が覚めたらそれを鳴らせば、召使たちがやってきて、後は、カグヤは、それこそ、二度寝していても、着替えも洗顔も済んで、目の前に朝食が並んでいた。
けれど、ここは王女宮では無い。カグヤ姫専属侍女のテイは、本来なら、今ここに控えていても良い筈だ。だけれど、彼女の忠誠は、カグヤでは無く、カグヤ姫、つまりアーサーに捧げられている。当然、朝の支度はカグヤ姫が優先されるだろう。
溜息を吐いて、カグヤは最後の一回を足から先にぐるん、と回した。
ベッドからはみ出した巨大な足は、重力に従い、ずん、と下に落ちる。
かつての自分のベッドサイドと違い、床にふわふわのクッションを敷き詰めている訳では無いから、転げ落ちたら、多少は痛い思いをするだろう。しかし、ちゃんと足から降りれば、きちんと座る事が出来る、筈。
そんな思惑でゴロンと寝返りを打ってみたが、下肢の重さが抜け落ちていた。勢いよく投げ出された太い両足を支点に上半身が勢いよく起き上がったまでは良かったが、勢いがつき過ぎてそのまま、前のめりになる。幸い、腰かけていた状態だったため、お尻が滑って尻餅をついたのと、咄嗟に手が出た(アーサー王子としての鍛錬の成果!)ので、無様に、倒れる事は避けられた。
と、安心した途端、体を支えていた筈の両椀は、太さはあっても筋肉では無く、重量級の上半身を支えること能わず、べちゃりと崩れ落ちた。
ぼふっ。
ものの見事に顔を床に打ち付ける筈が、何故かふわふわなクッションに顔を埋めていた。
「間に合いましたね。」
そこには、やり切った表情を浮かべたテイが立っていた。
「その体格のカグヤ姫様のやらかしそうな事は、大体、把握しています。」
胸を張られた。
「えっとぉ。」
「大体、起き上がれなくて、転がり降りようとされたんでしょう。全く、お呼び下さればすぐに参りますのに。」
そう言って、洗顔の用意を整える。
「でも、テイにはアーサーのお世話があるでしょう?」
「もう、とっくに終わってますよ。殿下は、今、外で鍛錬中です。」
テキパキと準備を整えたテイに促されて、三年ぶりに、身支度を侍女に整えてもらう。
アーサー王子になってからは、男性と言う事、ブリターニ王家がゲッショウ王家の様に、多くの召使を雇っていなかったこともあり、自分で出来る事はなるべく自分でするようになっていた。
そのせいもあって、何から何まで、人の手を借りなければ、下着一つ着る事の出来ない、今のこの体に嫌気がさす。
『やっぱり、好きになるなんて無理。』
心の中で溜息をつく。
「鍛錬、見に行きますか?」
カグヤ姫が持ち込んだドレスを何枚かほどいて、カグヤが着れるようにリメイクしていたテイの、目の下にはクマが出来ている。今、カグヤが着せられているのは、その出来上がったばかりのドレスだ。
胴体部分を継ぎはぎで広げ、首周りは大きくカット。袖は取り払い、ショールを纏う。
「暑い季節で良かったです~。流石に袖の継ぎはぎは無理がありますからね~。」
そうして、取り敢えず、人に見られても恥ずかしくない格好になって、外へ出る。テイはカグヤを昨日のガゼボに案内した。
「アーサー王子だわ。」
カグヤがカグヤ姫になってしまった以上、アーサーがアーサー王子をするしかない。
昨日、アーサーがテイに”よろしく”と頼んでいた事を、この短時間に優秀な専属侍女は成し遂げたらしい。今、常に薄暗い、昼が終わりを告げ、夜が始まろうとする、”宵”の時間が支配する森の奥、広大な湖が広がるその傍で、日課のトレーニングをこなしているアーサーは、今までの姫騎士の姿では無かった。今日のアーサーはアーサー王子のワードローブから衣装を選んでいる。カグヤ姫の訓練用の衣装とは異なり、しっかりとした男性用の衣装だ。サイズはやや大きかったのか、袖や裾を折り返している。腰に下げているのはいつもの細剣サーベルでは無く、アーサー王子の使っていたブロードソードだ。
そして、輝く金髪。
「どうです?まんま、アーサー王子でしょ。」
どや顔で、カグヤに紅茶をサーブするテイ。
「姫様のドレスを優先したので、カツラを整えるのが精一杯でしたから、殿下のお衣装の手直しはこれからなんですけど、元がホンモノですから、変装するにしても無理が無いですよね。」
ブロードソードはサーベルに比べ、重くて長い。サーベル程、一閃の速度は出せないけれど、重量が増した分、一撃のダメージは上がる。後は、どれだけ、まともに振れるか。時間が長くなると、どうしても握りが甘くなる。だから、素振りを繰り返し、体に馴染ませる。
アーサーが、無心に剣を振る様子を、オキナは静かに眺めている。トリスタンは感無量だ。カグヤ姫と婚約をしてからのアーサー王子は、騎士団と共に鍛錬をする事が殆ど無くなった。王族としての立ち場を理解した、と良い様に解釈していたが、心の中では、何故、とずっと思っていた。別人だったのだから、当然だ。
今、目の前で、剣を振るアーサーは、顔立ちはカグヤ姫そのままだが、金色のカツラを被っただけで、あの頃のアーサー王子そのものだ。それ程、その動作が、自分の見知ったものだった。むしろ、今まで剣を振るうカグヤ姫の動きを見て、アーサー王子と思わなかった事に、驚いてしまう。
ふっと、正面に気配を感じ、アーサーは顔を上げた。静かに立つオキナがゆっくりと剣に手を伸ばした。
「殿下ー、朝食のお時間ですよー。」
テイの声がする。
集中しすぎていたようだ。はっ、と一度、大きく息を吐き、全身の集中を解く。どっと汗が流れた。
鍛錬を終えたアーサーに、冷たいタオルを差し出したテイが、ガゼボに視線を移す。
「どんな様子?」
タオルの下からこっそり尋ねる。
白豚王女だった頃の体に強制的に変換されて、かなりのダメージを負ったようだったカグヤの昨日の様子を思い出す。
「なかなか寝付かれなかったようでしたので、起床が遅くなりましたが、体調は問題なさそうです。」
テイの返事にアーサーの肩の力が抜ける。「そうか。良かった。」
「それよりいかがですか?お胸は苦しくありませんか?カツラは?」
「あ?あぁ、問題ない。カツラは蒸れるが、これだけ動いてもずれたりしないし、ただ、靴が、な。流石に大きかった。」
言われた瞬間、テイはアーサーの足元に膝をついて、その足を持ち上げた。
「うわーっ、待った待った。流石に合わない靴で鍛錬はしないから。」
アーサーは、可愛らしいデザインのカグヤ姫のブーツをはいていた。
「見えないから、いいだろう?」
真っ赤になってそっぽを向くアーサーだった。
暫く、トレーニングを見ていたが、やはり、カグヤには何が楽しくて、あんなことをしているのか、理解が出来ない。
「あれが、自分とは思えないわ。この体が三年後にはあの体になる?ううん、きっと無理。だって、あのカグヤは、わたくしじゃなくてアーサーが作り上げたのですもの。」
その呟きに答える声があった。
『彼、呆れるほど、真面目だよね~。』
カグヤがその声に振り返ると、隣の椅子に、魔剣カレドヴルフが立てかけられていた。
『おはよう、カグヤ様。よく眠れた?』
モーガン・フェイの悪びれない態度に、カグヤの表情が強張る。
「・・・そうね、よく眠れたわ。」
『鍛錬が終わったら朝ご飯だよね。その後、姉さまが、返事が聞きたいってさ。』
妖精王オーベロンと魔剣カレドヴルフを連れて、この真宵の森を出る。
それが、オーベロンの、強いては自分たちの入れ替わりの解消につながる、そう、説明された。
けれど、もう、カグヤにはモーガン・フェイの言葉を信じる事は出来なかった。
そんなカグヤを、魔剣に封じられたモルガナは、じっと観察していた。
昨日、アーサー達と別れた後、モーガン・フェイは、必死に姉ヴィヴィアンと恋人オーベロン、師匠マリ・ベルザンディに、アーサーとカグヤの入れ替わり解消に協力して欲しいと頼んでいた。
『本当に、ちょっとだけ、魔が差したんだ。大陸一番の王国に生まれた恵まれた王女なのに、何一つ努力することなく、好きな事だけして好きな物を食べ、醜い容姿になったにも拘わらず、自分が世界で一番不幸だ、なんて思っている女の子を、ちょっと脅かしてやろう、と・・・。それが、こんな事になるとは思わなかったんだ。』
「でも、ヒトの子の呪いの元は、我の呪いだ。我と其方、其方とヒトの子に呪いの道が出来てしまったのなら、彼らの呪いを一度解いたところで、また、其方と我から呪いが流れて行ってしまうであろう?」
「そうねぇ。」
恋人も姉も、モルガナの願いに静かに首を振る。
長い沈黙の後、気分を変えるように、マリ・ベルザンディが声を上げた。
「それにしても、魔描なんて、よく従える事が出来たわね。今、この世界で妖精の力を持った存在は数えるほどしかいないのよ。」
『魔描?あ、キャスの事?あれは、元々、普通の猫だよ。あの遺跡にアーサー様と一緒に落ちて来て、封印が解けた時に居合わせてああなっちゃたみたい。まあ、最終的な覚醒のきっかけは毒殺されたかららしいけど。』
「は?ちょっとモルガナ、その話は初耳よ。」
怖いくらい真剣な顔でマリ・ベルザンディに詰め寄られたが、モルガナとて、魔描と化したキャスと直接会ったのは、マーリンズの隠れ家から、ゲッショウ王国の離宮に戻って来てからの事で、バタバタと事態が動くために、よく観察した事は無い。
「ちょっと、遺跡を調べて来るわ。」
そう言って、瞬時に空間に扉を出し、その中に消えて行ったマリ・ベルザンディが、暫くの後、満面の笑みで帰って来た。
「モルガナのお願い、叶うかもしれないわ。」




