42 マーリンズ三姉妹
壁に剣で縫い留められた一羽の鳥。
それが、モーガン・フェイだと言う。
アーサーもカグヤも、石柱から解放されたモーガン・フェイが、手違いで鳶の中に蘇った事は知っている。けれど、接した時間は人型の方が長く、あの鳶がそうだ、と言われても、直ぐに納得がいかなかった。
「あれが、フェイ?どうして鳶の姿に?まさか、この二年半、ずっと?」
「あははー、当たり。モーガンはね、逆切れしてリベンジにやってきたけど、弱っちいから、やっぱり、また、返り打ちにあったんだよ。でー、今度はちゃんと目の届くところに封じたんだけれど、」
幼女のマリ・スクルドのイメージが老女のマリ・ウルズに重なる。
「何故、王子たちはここへ来られたのかな?」
紛れもない強者の風格を持つ三人の女性。
それが、ブリターニ王国に伝わる伝説のドルイド、マリーンズ三姉妹だと、この場の全員が理解していた。祖母と孫娘程の年齢差に見えようと、人ならざる存在であるマリーンズには見かけの年齢は、意味がない。何しろ、コケルト神話に登場した時点で、神々と並び称されるドルイドの賢者だったのだから。
「ひょっとして、モーガン・フェイが呪詛したと言うのは・・・。」
「あははー、それも、当たり。私達マリーンズだよ。」
「そんな馬鹿な」とだれかが呟いた。それはそうだろう。神話に名を刻む存在に喧嘩を売るなど、普通の人間にはあり得ない。
「またまた、正解。モーガン・フェイは普通の人間じゃないからねー。私達マリーンズが取ったただ一人の弟子。それがモーガン・フェイだよ。」
オークの枝をタクトの様に振り振りマリ・スクルドが言う。その動きに合わせてハラハラと木の葉が舞った。
声に出してはいない思考を読まれ、トリスタンが息を呑む。それに妖艶に微笑み、マリ・ベルザンディが手にしていた本をパタンと閉じた。
「そちらの騎士様はお見かけした事があるわね。よろしく凛々しい騎士様。マリ・ベルザンディよ。」
差し出された手にふらふらと前にでるトリスタンをカグヤ姫が止める。
「トリス、控えよ!」
その声にはっと現実に引き戻される。
不思議な甘い、頭の芯を溶かすような香りが周囲を満たしていた。
「ほうほう、この婆の魔香が効かぬとは。」
先程まで、暖炉の鍋をかき混ぜていた老婆、マリ・ウルズが面白そうにひっひっと笑う。
カグヤ姫の姿のアーサーが、剣に手をかけながら、厳しい目でマーリンズの三姉妹を睨む。
アーサー王子姿のカグヤは、仔馬程のサイズに巨大化した白猫キャスに守られながら、壁に縫い留められたモーガン・フェイの元に向かっていた。気を失ったイゾルテがその背に乗っている。
オキナは、口から血を流している。舌を噛んだのだ。コケルト神話の伝説のドルイドも彼にとっては主を脅かす存在に過ぎない。オキナは既に剣を抜いた臨戦態勢だ。
我に返ったトリスタンも、剣を構える。二度と、惑わされないよう、彼は己の左手首に歯を立てた。
「「「武器を捨てよ!跪いて許しを乞え!」」」
三姉妹の言葉が空間に反響する。
ぐぐぐ、と体にかかる圧力が増す。それでも、誰も動かなかった。
三姉妹の眉が同じように持ち上がった。小首を傾げる動作も全く同時。年齢だけが異なる三人の完璧にシンクロした行動に、腹の底から恐怖がわき上がる。
「「「止まれ!それ以上、愚かな弟子に近づく事は許さぬ。ブリターニ王国アーサー・ペンドラゴンは、マーリンズと敵対を望むか?」」」
三姉妹の指が、磔の鳶の前に達したアーサー王子を指差す。
けれど、カグヤは止まらない。
「これ、ただの壁じゃない。木の幹みたい。でも、そんな、こんな巨大な・・・モーガン!フェイ?ねぇ、聞こえる?」
「「「!?やめろ、それに触れるな、アーサー・ペンドラゴン!」」」
三姉妹が同時に命じる。けれど、カグヤは構わず、縫い留められた鳶に手を伸ばした。
「温かい。まだ、生きてる?待ってて、今、助ける。」
そう言うと、カグヤは鳶に刺さっている剣を掴んだ。
「「「何故動ける!」」」
動揺する三姉妹を見てアーサーは、必死に考える。
彼が知るマリ・ベルザンディは、スキンシップ過多ではあったが、賢者マーリンズの名にふさわしい叡智に溢れ、その知識を惜しまず人々に与え、眩く輝く太陽の様な人物だった。年に一度、夏のソルスティスにふらりと王都に現れ、そのついでに、王家にも顔を出す。何の目的があっての事かは、アーサーには分からなかったが、両親が酷く緊張しながらも、感謝の気持ちを抱いている相手であることは知っていた。
そんなマーリンズと敵対するのは、ブリターニ王国にとっても良い事では無い。モーガン・フェイの事とは別に、この場を何とか切り抜ける必要がある。
そして、恐らくそれが可能なのは、自分だけ。
「ドルイドの賢者マーリンズに希う希う。わたくし達は、賢者に敵対するつもりはありません。ここへ来たのは、偶然。わたくし達は婚約式の前に、二人の出会いとなった思い出の場所、王宮庭園の生垣の迷路を散策していただけでございます。それがこのような賢者のお膝元に繋がっているとは露知らず。誠に身勝手なお願いではございますが、どうか、わたくし達を元の場所に戻していただく訳には参りませんでしょうか?」
そうして深く、頭を下げたカグヤ姫に、注目が集まる。
「それを信じろ、と言うのかぇ?」
マリ・ウルズの問いにアーサーは無言で頭を下げ続ける。
「ブリターニ王国アーサー王子の婚約者は、ゲッショウ王国の第一王女様と聞いた。名は、何と言う?」
マリ・ベルザンディの問いにアーサーは、頭を下げたまま答える。
「これは失礼いたしました。わたくしはゲッショウ王国第一王女カグラと申します。」
にたぁ、とマリ・スクルドの顔が歪んだ。
「ふーん。じゃあさぁ、カグラ姫、敵対しない証拠を見せてよ。そうだなあ、今、ここでその綺麗な髪を切ってくれる?」
「承知しました。」
オキナたちが止める間もあればこそ。
アーサーは、ひとまとめにしていた艶やかな髪を無造作に掴むと、腰から下げた細剣で根元からバッサリと切り落とした。
そして、その髪を差し出し、地に膝と頭をついた。
真っ白な項がさらされている。
それは、首を差し出しているに等しい。
流石にここまでは予想していなかったのか、マリ・スクルドの幼い顔が困惑している。
「抜けない。誰か!手伝って!」
こちらで起こった出来事に全く気が付いていないカグヤが、助けを求める。
「ふむ。まあ、良い。アーサー王子を連れてお帰り。」
マリ・ベルザンディが、興味を失ったように、一度閉じた本を開いて読み始める。
「えー。」
文句を言いかけたマリ・スクルドだったが、「証拠は示されたのじゃ、仕方あるまい。」
そう、マリ・ウルズに言われて渋々、従う。
マリ・スクルドがオークの小枝を振ると、縫い留められた鳶の隣に扉が現れた。
「それはユグドラシル。世界を支える樹だよ。その扉は、元居た場所に戻る為の扉。」
「「「さぁ、私たちの気が変わらないうちに帰りなさい。」」」
カグヤ姫が立ち上がると、オキナとトリスタンが慌ててその両側に立った。二人に頷いて、カグヤ姫は扉に、アーサー王子の元に向かう。
オキナが扉を開く。
トリスタンが気を失ったままのイゾルテを抱き上げる。
キャスは悲しそうにその頭をカグヤ姫に押し付けた。
「帰ろう。」
そう言って、カグヤ姫は、鳶に刺さった剣を握るアーサー王子の手に触れた。
「帰るって、何言ってるの。何のためにここに来たの。フェイを、モーガン・フェイがいなくちゃ」
「アーサー!」
強い口調で止められ、カグヤはきっと振り返り、唖然とする。
「ちょっと、あなた、その髪・・・。」
思わず、剣を握っていた片腕をアーサーの方に伸ばす。その手に添えていたアーサーの手が、剣の柄に触れた瞬間、剣は突然、するりと抜けた。
「は?」
慌てて、アーサーは強く握り込む。支えを失った鳶の体はぼたり、とカグヤの腕の中に落ちて来た。
「「抜けた?」」
「「「まさか!?」」」
あり得ない出来事にマーリンズが驚愕に目を見開く。
「殿下!お早く!」
扉の向こうでトリスタンが手を伸ばす。
我に返ったアーサーがカグヤを突き飛ばすように扉に押し込んだ。
「「「待て!カグラ!!」」」
マーリンズの命令が空間を揺るがす。
しかし、アーサーは一瞬も躊躇することなく、扉に飛び込んだ。
扉が閉まる直前、アーサーの手から何かが放たれた。
それは、捧げられたまま、床にあった、カグヤ姫の黒髪に引火し、あっという間に燃え上がった。
「カグラは偽名か?」
「恐らく。してやられたのぅ。」
「きーっ、悔しいー。髪の毛一本、残ってない!これじゃあ、追跡も出来ないよぉ。」
何故か満足そうなマリ・ベルザンディに呆れるマリ・ウルズ。転げ回って悔しがるマリ・スクルド。
「「「まあ、楽しみが増えたと思えば良いか。」」」
けれど、最後はそう言って、また、各々の趣味に戻って行く。
神話の時代から、生きているドルイドの賢者には、時にはこんな娯楽が必要なのだった。




