39 その男、再び
不法侵入者であり、刺客でもあったかつてのカグヤ姫の侍女たちの遺体を譲って欲しい、と、青年は言う。まるでそれが、ただの壊れた道具であるかのような軽い物言いに、流石に敵だったとは言え、トリスタンとオキナは、顔を歪ませた。殺気を増した二人に、白金髪の青年は「あー、やっぱり、信用してくれないよね。」と肩を竦め、更に「僕は悲しいよ、ムニン。」と続けた。
カグヤ姫専用の伝書鳥である梟の名前を呼び、手懐けるその様子に、場の緊張が更に高まる。
「何してるの?」
「ほらあ、二人がのんびりしてるから、姫様、来ちゃったじゃない。」
まるで、そっちが悪いのだと言う青年の態度に、ギリリ、とオキナが歯を噛み締めた。
「カグヤ様、お下がりください!侵入者です!」
「トリスタン?オキナも?」
早朝の鍛錬に向かおうとしていたところで、ムニンが飛び立つのが見えた。騎士達にも動きがあり、何事かと来てみれば、一触即発の現場に遭遇した。
屋根の上の人物の腕にはムニンが大人しく留まっている。鳥飼の誰かとのトラブル?
けれど、侵入者、と警告されたアーサーが取る行動は一つ。
「フギン、GO!」
その声に反応して、白い梟は大きく翼を広げ、留まっていた腕に爪を立てた。
「⁉ぐっ。」
青年は、カグヤ姫の命令で自分に攻撃を仕掛けるムニンの嘴から目を庇いつつ、足場の悪い屋根から飛び降りた。すかさず、左右から迫って来る二人の護衛騎士。距離を取ろうとした結果、アーサーの攻撃範囲に入ってしまった。
「お前、見覚えがある。」
カグヤ姫にレイピアの先を喉元に突きつけられ、降参と、両手を上げた青年を、アーサーは目を細めて見つめた。
「お久しぶりです、カグヤ姫様。そして、お見事です。素人の貴女が立派に鳥を操っている。だけど、」
ふっと口元を緩めて、青年は自分を威嚇する梟に視線を合わせた。
「§↑F∫、ムニン。」
不思議な音がその口から漏れる。大きく羽を広げていた梟は、その声を聞いた途端、その羽を畳んだ。血が出るほど爪を立てていた足からも力が抜けて、伸ばされた青年の手に自ら頭を擦り付けていくほど従順な態度を示した。
アーサーを始め、トリスタンもオキナも、突然のムニンの変化に理解が追い付かない。
「本当の強者がどちらかは、明らか、かな?」
!?
「ムニン!」
カグヤ姫の悲痛な声にこちらを向くものの、こてんと首を傾けて、不思議そうに見るだけだ。
「そ、ん、な・・・。ムニン?」
呆然とするカグヤ姫を困ったように見て、青年は、梟に話しかける。
「さあ、お行き、ムニン。君のご主人様が悲しんでいるよ。」
そうして軽く腕を振ると、梟はふわりとカグヤ姫の肩に乗った。
「あの侍女たちをもらって良いかな?」
毒気を抜かれた三人に、青年は同じ言葉を繰り返す。
「・・・誰の指示?」
「言ったら、譲ってもらえるの?」
クスクス笑って、質問に質問で返す青年に、二人の護衛騎士は、再び剣に手をかける。
「彼女たちは姫様にとって、もう不要でしょ。だから、処分する手間を省いてあげようか、と。」
「彼女たちは罪人だ。だが、死んでしまったからと言って、何をしても良い、と言う事にはならない。死者には死者の尊厳がある。お前は、彼女たちを引き取って何をしようと言うのだ?」
「死者の尊厳?よくわからないな。でも、僕なら、彼女たちの体から、使われた薬を調べる事が出来るかもしれないよ。それは、凄く有用な情報だと思うんだよね。」
確かに、とトリスタンとオキナは顔を見合わせた。
アーサー王子を狙った黒幕が誰か。疑わしい者たちはいても、確証がない。異常な力を発揮した侍女たちの、力の源がわかれば、背後に潜む黒幕をあぶりだす事が出来るかもしれない。
「残念ながら、黒幕を探すために遺体を冒涜するつもりは無い。」
アーサーは声を低めた。
「あー、まあ、お姫様だもんね、仕方ないか。でも、それで君たちは良いの?」
青年の目は二人の護衛騎士にむかう。
「折角のチャンスだよ。上手くすれば、姫様と王子様の敵を一網打尽に出来るかもしれない。尊厳とか冒涜とか、青臭い言葉に酔うお子ちゃまは放っておいて、大人同士で話をしようじゃないか?」
「不敬な。」
と睨みつけてはみたものの、青年の主張にも一理ある、とトリスタンは思ってしまった。
一方、オキナは、剣に手をかけたまま、位置をずらし、カグヤ姫の視界を邪魔しないようにしつつも、その前に移り、盾となる位置に付いた。
「青臭くて結構。必要悪と割り切るには、まだ、色々な事を諦めていないからね。オキナ、トリスタン、拘束しろ。」
ムニンの裏切りともいえる行為、容赦のない侮蔑の言葉にショックを受けたものの、アーサーは、下を向くことなく青年を睨みつけて、命じた。
「あぁ、その目。いいねぇ、最高だ。ねぇ、姫様。どうかそのまま、変わらないでね。」
「ふざけるな!」
最後にカグヤ姫に向けてウインクを残し、青年は徐に後ろに跳んだ。軽々とトリスタンを飛び越え、侍女たちを閉じ込めていた納屋の扉をあっという間に開く。
「じゃあ、交渉決裂だね、残念。」
そして、アーサーから視線をそらさず、懐からマッチを取り出し、火をつけると肩越しに、納屋の中にそのまま投げ入れた。既に何かの細工が成されていたのだろう。瞬間、納屋の中に真っ赤な炎が立ち昇った。
湿った草や土を燃やすような独特の臭気と、白濁した煙があがる。
「な!?」
青年はそのまま、扉の向こう、炎の中へ消えていく。アーサーから決して視線は外さない。思わず、手を伸ばし駆け寄ろうとするカグヤ姫をオキナは抱えるように引きずってその場を離れた。
炎の向こうから「またねー」と言う緊張感もなにもない声が聞こえる。あっという間に炎の勢いは増し、屋根は落ち、壁は崩れた。
幸い納屋は、池の傍に立っていたため、駆け付けた近衛騎士達によって、速やかに消火活動が進めらた。焼け跡に残されたのは侍女の遺体が3つ。そこには、あの青年の遺体は無かった。
「逃げた、のか?」
「逃げたのでしょうね、こちらの壁の崩れ方から、私たちの注目を扉付近に集めてその隙に反対側から抜け出したのでしょう。煙を出すような物を用意していたようです。」
トリスタンの検証に近衛騎士達も頷く。そんな中、カグヤ姫だけは、青い顔をして立ち竦んでいた。
付き添うオキナが部屋に戻るよう勧めるが、首を左右に振って、震える小声でトリスタンを呼んだ。
「トリスタン、気が付いているのか?これは、この匂いは、泥炭、だ。」
「はい?」
まだ肌寒い日のあるこの時期なら、ブリターニでは暖炉に火を入れる事もよくある。嗅ぎ慣れた土と草の匂いに何の違和感も持たなかった。
けれど、違和感を持たない事が問題だった。それを理解したトリスタンの顔も青くなる。
「母屋に戻ろう。」
そう言ったカグヤ姫の表情は硬かった。
母屋では、アーサー王子を守る様にイゾルテとテイが控えていた。アーサー王子の顔色はかなり回復し、意外な事に軽装備ではあるが、きちんと武装していた。その手に細身の剣が握られている事に、トリスタンは軽く瞠目する。カグヤ姫の婚約者となってからは、内政に力を入れる事が多くなり、鍛錬は基礎訓練中心に変わっていた。勿論、王配となり、一国の国政を担う立場が待っている以上、これまでの様に騎士達に混じっての訓練などは必要ない。けれど、当初は手のひらを返したような変化に戸惑いが大きかった。内政面での成功が目を見張るものがあった為、いつの間にかその戸惑いも無くなってはいたが、こうしてアーサー王子が剣を手にする姿をみると、あの頃のやんちゃな少年を思い出して懐かしくなる。
そんなトリスタンの感慨とは別に、アーサー王子は、厳しい顔をしたカグヤ姫に心配そうな声をかけた。
「納屋が燃えた、と聞いたけれど、大丈夫?」
アーサーはカグヤの目を見て、覚悟を促すように告げる。
「これから話すことは、ここにいる6人以外、口外無用だ。」
そう一息つくと、カグヤ、テイ、イゾルテ、トリスタン、オキナ、と順に念を押す。
「昨日、アーサー王子を狙った刺客は、ブリターニ王国の者だった可能性がある。」
「「!?」」
アーサー王子とイゾルテが息を呑んだ。トリスタンは苦痛を堪えるように顔を顰めた。理解できないと言った表情のテイが代表して尋ねた。
「どうしてそう思われたのでしょう?」
「刺客たちは、朝には既にこと切れていたそうだ。だが、その遺体を回収?しに来た者がいる。
三年前に銀牙傭兵団を名乗って、わたしに面会し、短剣を投げつけた男だ。そして、そいつが、納屋に火を放った。・・・泥炭を使って。」
「泥炭?」
聞きなれない単語にテイは首を傾げる。
じわじわとその意味を理解したカグヤの表情も強張る。
「そう、泥炭。ブリターニ王国では最も一般的な燃料。だけど、ゲッショウ王国では、その存在すら殆ど知られていない。そんな物を放火に使う意味、何だと思う?」
ブリターニ王国はゲッショウ王国に敵意を持っている。少なくともアーサー王子とカグヤ姫の婚約式を妨害する一派が存在する。
そうアーサーは断言した。




