34 再会
「これは、凄いですね。たかが道一本とは言え、何物にも邪魔されず、全力で駆ける事が出来れば、確かに、早馬のポテンシャルを十二分に引き出すことが可能です。」
そう感心するトリスタンの目に、ぐんぐん大きくなる早馬の様子がはっきりしてくる。見事な体躯の黒馬に跨った人物は、速度を重視する為か、甲冑ではなく軽い皮鎧を纏っている様だった。速攻を得意とするブリターニ王国の銀牙騎士団もそうだが、速度重視の人選は、筋肉隆々な巨漢より、瞬発力を生かす細身の騎士が多い。とは言うものの騎乗の騎士は、随分小柄に見えた。
早馬の中でも緋色のマントは特に重要な任務を帯びている使者である。正面からくる騎士は、その緋色のマントを翻していた。一行に近づくと徐々に速度を落とし、馬車の少し前で馬を停めた。
「殿下、早馬は、我らに向けて走らされた様です。」
王都入城に辺り、何か予定変更でもあるのだろうか?
早馬を目視した時点で、アーサー王子は馬車の速度を落としていた。窓越しのトリスタンの報告に馬車を停めて待つ。一行の横に、見事な黒馬が並んだ。
「久しぶりだね、トリスタン卿。」
そう言って、風除けに顔を覆っていた布を外した騎手は、まだ、幼いと言える少女。
「は?」
驚くトリスタンの真横で、バタンと大きく馬車の扉が開いた。
転がるように降りて来たアーサー王子が、馬上の美少女を指差して、口をパクパクさせている。
「あ、あな、あー、あ、?」
「久しぶり。」
「はあぁー!?」
「さすが、サンダーは早いな、誰も追いつけない。」
満足そうに、黒馬の首筋を軽く叩く少女。その少女を追いかけてか、ブリターニ王国側の逆レーンに土煙と共に数基の騎馬が現れた。
「近衛?」
その騎士達の制服を見て、トリスタンが呟く。
「殿下!あれ程、お一人で先行されては困ります、と言ってるでは無いですかー!」
先頭を駆けていた騎士が、追いつくなり、そう怒鳴った。
「まあ、そう怒るな、久方ぶりに会う婚約者殿を迎えに来て、何が悪い?」
そう言って、黒馬サンダーアローの上で、艶やかに笑う白皙の頬、射干玉の黒髪と瞳の美少女は、ゲッショウ王国第一王女カグヤ。
三年ぶりの再会は、カグヤにとって、予想外の展開となった。
「一体、どういうつもりよ!」
「何が?」
「何が、って、全部よ、全部!」
ここは、カグヤ姫お気に入りのサンルーム。専属侍女のテイが、お茶の準備中だ。カグヤはアーサーと向かい合って席につくとそう小声で叫んだ。
第一王女の先導で、すんなりと王都どころか王城にまで顔パスで入れたブリターニ王国一行だったが、トリスタンら同行者は、馬の世話や、旅行荷物の仕分けなど諸々の仕事がある。お茶に誘われたアーサー王子は単独別行動となった。とは言え、全く護衛無し、と言う訳にもいかず、サンルームの外には女性騎士イゾルテが控えていた。
ブラッシングを終えたサンダーアローもサンルーム内でくつろぎ、アーサーの膝の上では白猫キャスが毛繕いをしている。手の届く程の低さの枝に、三羽の白い梟。初めて三兄弟が揃った梟の伝書鳥だが、本来は一羽で過ごす定位置に三羽が無理矢理とまっているので、ぎゅうぎゅうに詰まっていて、今にも誰かが転がり落ちそうだ。思わず、笑ってしまうアーサーを、何を勘違いしたのかじっとりと睨んで、カグヤはテーブルに乗り出していた身を、少々乱暴に、椅子の背に戻した。
テイがワゴンを押して現れ、二人の前に小さな焼き菓子とチョコレートの盛り合わせを置き、薫り高い紅茶をサーブして、視界に入るギリギリの位置まで下がった。
「長旅で疲れたろう?まずは甘いものでも食べて、一息つこう?」
そう言って、アーサーはチョコレートを一口、口に放り込んだ。
「うん、最高。カグヤになって唯一良かった、と思った事は食事だね。ダイエットの為に、好き放題には食べられなかったけど。」
「ちょっと!何ばらしてるのよ!」
慌てて、腰を浮かすカグヤをアーサーは扇子をばっと広げ制止すると、その陰から、にやりと笑った目だけを覗かせた。
「大丈夫、扉は閉じてるから声は外には聞こえないし、この位置取りなら唇を読まれることも無い。テイ、あ、さっきの侍女な、彼女の控えているあの辺りは、サンルームの温湿度管理をする機械室に近いから、大声を上げない限り、会話は聞こえない。後は俺が扇子を拡げて口元を隠せば、完璧さ。」
紅茶のカップを持ち上げて、そっと、侍女の方を探ったカグヤは、確かに、この位置では、アーサーが邪魔で彼女が見えない。
「・・・意外と考えているのね。」
「まあね。」
暫く、沈黙の中、静かにお茶を飲む二人は、傍から見れば、気まずい感じにも見える。
ぼつぼつと短い言葉が交わされる。
「久しぶり」「うん」
「元気だった?」「まあまあ、かな」
「・・・痩せたんだ。」「頑張ったからな。お前はもっと鍛えてくれよ。」
「やってるわよ。体質でしょ。父上も兄上もこんな感じだもの。」
「・・・お二人とも元気か?」
「あなたのおかげでね。この三年、ケインも風邪一つひかず、母上が感謝してるわ。相変わらず、小さいけどね。」
「そっか・・・。」
「忘れないうちに渡しておくね、これ。母上から、婚約式で身に着けて欲しい、って。」
テーブルの上に置かれた箱を開けると、薄い黄金色のレース編みのベール。細かな模様で編まれたそれは艶やかな絹織物。
「これは、黄金の絹糸?」
「そう。あなたがブリターニ王国に贈ってくれたあの幻の蚕から採れた絹糸で編んだベールよ。凄く綺麗でしょ。」
「あ、あぁ、うん。綺麗だ・・・。」
細い絹糸で編まれたベールは羽の様に軽く、複雑な編み目模様でありながらも、透けるほど薄い。
「母上が、アーサー王子の幸せを祈って、毎日、とてもとても丁寧に編んでいたわ。」
自分の口から自分の知らない家族の話が語られる。自分の目に映っているのは、自分だけれど、その姿形はカグヤ姫で。
彼女と自分の家族が仲良くしているようで安心する。けれど、本来の居場所を取られている感覚は、こうして直接話をすると、益々、強くなってしまって。カグヤが父上、と呼ぶと、お前の父上じゃない、とアーサーの心が叫び、母に感謝されるのは、とても嬉しいけれど、人伝いで聞くのではなく、傍にいて一緒に笑っていたかった。
声変わりしたカグヤの声にすら、本当は俺の物、と思って、嫉妬してしまう。
ゲッショウ王国第一王女カグヤとして過ごした三年間に得たものは、ブリターニ王国第二王子アーサーとして過ごすはずだった三年間と、単純に比較は出来ない。
けれど、
「パパは元気?」
そう尋ねたカグヤにアーサーは仕返しの様に、笑って答えた。「相変わらずの溺愛っぷり。はっきり言ってウザい。」
「「ハハハ・・・。」」
二人の口から乾いた笑いが漏れ、溜息と一緒に紅茶を飲み込んだ。
「って、人のパパを悪く言わないで!」
「そっちこそ、俺の家族だぞ。なれなれしいんだよ。」
「はぁ?あなたの家族の距離感がおかしいのよ。王族でしょ。何で、下手したら三食一緒に食事するのよ。」
「はぁ?王族だからって、家族から命を狙われるこの国がおかしいだろ。この三年、何度殺されかけたと思ってるんだ。」
「ゲッショウ王国程の大国になれば、王位継承権争いで殺生沙汰なんて当たり前でしょ。幼い頃から、それに対抗する術を学ぶものなのよ。」
「お前は、学んでないだろう?おかげで、俺は、先ず、使用人たちの大量解雇と新たに雇う人間の身辺調査から始めなきゃならなかったんだぞ。」
「だって、カグヤは!だって、カグヤは、特別だ、って。皆、カグヤに優しかったし。何しても笑って許してくれた。褒めてくれた。大切にされてると思ってたんだもん。」
それが、決して、愛されて、守られて、大切にされていた、訳では無い、事は、今はもう十分にわかっている。
「俺の顔で”もん”、とか言うな、気持ち悪い。」
落ち込みそうなカグヤだったが、アーサーにバッサリと切られた。
「気持ち悪いって、何よ!カグヤはもてるのよ。乱暴さが取れて、王族の気品が出てきた、って。やっぱり、高貴な内面は隠し切れないわよね!」
「はああー!?それを言うなら、俺だろう!白豚王女の影も形も無いだろうが!見よ、この完璧美少女を!」
いきなり立ち上がって、くるりと回ってみせた、アーサーに、テイが何事かと、慌てて駆け寄る。サンルームの外のイゾルテ達護衛もドアを開けて入って来た。
そんな彼らに向かって、アーサーは、ふわり、と舞う様に腰を軽く落とし、見事なカーテシーを披露した。
長い黒髪がさらりと流れ、爪の先まで意識して伸ばされた両手が、ドレスを軽く摘まんでいる。
「皆さま、わたくしとアーサー王子の婚約式に、ようこそおいでくださいました。若輩者ではありますが、これから二人で共にネデル国の為政者として励んでいく所存でございます。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。」
にっこり微笑んで、上目遣いに護衛達を見上げれば、イゾルデを含め、首まで朱に染めた騎士達の視線が泳いだ。
「やりすぎです、カグヤ姫様。」
後からテイが、アーサーの頭からベールを被せた。蠱惑的なまなざしが隠れる。
元は自分の身体なのだが、カグヤはその美の破壊力に、思わず、頭を抱えた。楽しんでいる分、質が悪い。
「本気を出した姫様は無敵ですからね。」「これじゃあ、悪女。」
ゲッショウ王国第一王女カグヤには、悪い噂が良く似合う。




