32 消えた侍女
巨大なトネリコの木の洞の入り口で、モーガン・フェイが杖を手に立っている。全身から、負の感情を纏った魔力が溢れ、杖に集まる。
「こんな所に隠れていたとはね、お師匠様。いえ、マーリンズ。」
それに対し、中にいる人物は、作業の手を休めることなく、視線をモーガン・フェイに向ける事も無かった。
「ふむ、封印を破ったとは思っておったが、随分、遅かったのぉ。お主の事じゃ、直ぐにでも吾を殺しに来るかと思っておったのじゃがな。」と、鍋を掻きまわしながら老婆が言う。
「何、まだ、中途半端に封されているでは無いか、笑える。」と、古びた本を読む若い女が言う。
「ホントだー。そんなんじゃ、また返り打ちだよぉ。」と、オークの小枝を削る少女が言う。
「うるさい!」
ドン、と突いた杖が大地を揺らし、その先から雷が中の人物に伸びる。
けれど。
老婆は鬱陶しそうに首を振り、若い女は手を払い、少女はぴょんと跳ねて、それらを躱し、打ち消した。
古の偉大なドルイド、竜の末裔、現在・過去・未来を視る者、様々な名で呼ばれるこの世界の傍観者・三位一体、三人で一人、と言う特殊な存在であるマーリンズは、自分を呪詛しようとして返り打ちにあった不肖の弟子、モーガン・フェイに、再会後、初めて目を向け、憐れむ様に溜息をついた。
「「「まだまだだね。」」
冬のソルスティスの開けた翌朝、アーサー王子の侍女は、戻って来なかった。
昼になっても姿を見せない侍女に、ブリターニ王宮には不安な空気が漂い、夕方には大騒ぎになった。ゲッショウ王国カグヤ姫から特別に派遣されていた侍女の行方不明に、事件と事故の両方から捜索が行われたが、モーガン・フェイの行方は頑として知れなかった。
夜の住人に連れ攫われた。
そうまことしやかにヒソヒソと会話が交わされるのに、さほど時間はかからなかった。
何を迷信を、とカグヤは口を開きかけ、国王夫妻の真っ青な顔色を見て、それを閉ざした。ケイン王子を抱えるように抱き締める王妃の姿に、カグヤは助けを求めてユーサー王子を見る。唇を噛んだ第一王子は、モーガンを一人にした事でアーサー王子を咎めたが、休暇を取り、朝から所用で出かけて行ったいい大人の行動責任を子供に取らせるのも非常識だと、途中で気付いた。
ゲッショウ王国出身のモーガン・フェイが、ブリターニ王国の慣習しかも、迷信に近い慣習を知らず、冬のソルスティスの夜に一人になる可能性を全く考えなかった自分たちにも責任がある。
勿論、小国と言えどブリターニ王国全体で、ソルスティスの夜に行方不明になる人間が全くいない、などと言う事は無い。けれど、それが全て夜の住人に関連付けられて語られる事は無い。
けれど、モーガン・フェイの行方不明と夜の住人が結び付いたのには理由がある。
今から8年前、生まれたばかりのケイン王子が、冬のソルスティスの夜、グィネス王妃や王子たちが目を離した僅かな時間に、消えた。家族しかいない王城内の一室で、ベビーベッドから、自力で動けない赤ん坊が誰の手も借りずにいなくなるはずも無く。代わりに残されたハシバミの枝に半狂乱になった王妃に、怯える王子たち、混乱する宮廷。王城は閉鎖され、即座に各地に伝書鳥が飛ばされた。
いなくなった子供と代わりに置かれた木の枝。老人の戯言、眉唾物の迷信、飲み明かすための言い訳、そう思われていた冬のソルスティスの夜の伝承が、人々の頭に浮かぶ。伝承では、取り替え子に気が付いた場合、攫われた子供は直ぐに戻って来る。それを祈る様に期待して、人々はケイン王子を探し、翌朝、彼は、ドルイドの賢者マリ・ベルザンディの手によって、母親の腕の中に戻って来た。
その年以降、王家の冬のソルスティスは、陽が落ちる前から、常に共に過ごすようになった。
「お前は幼く、覚えていないかもしれない。けれど・・・。」
そう言ってケイン王子を抱く国王夫妻を痛まし気にみるユーサー王子に、カグヤは彼らの恐怖を想像するしかない。
僅か半日であっても、妖精の取り替え子となっていたためか、ケイン王子は虚弱体質で成長は遅かった。その代わり、年齢に釣り合わない優れた頭脳を得、今もその旺盛な知識欲で、新規事業の中核をなしているのは、妖精のせめてもの謝罪の気持ちなのか?
けれど、モーガン・フェイ自身が妖精と名乗っている事を、知っているカグヤは、彼女が取り替え子の被害者になったとは思えない。ただ、出かける前に言っていた”夜の住人に挨拶”の言葉で、何かトラブルになっているのだろうと想像していた。
その想像通り、数日後、モーガン・フェイからの使い、と言って現れた少女が、彼女の手紙を差し出した。
曰く、家族に不幸があり、急遽、ゲッショウ王国に帰国する事になった、挨拶もせずに帰国することを許して欲しい、と。
王城内は、漸く落ち着きを取り戻し、今度は、勝手な行動に怒り心頭となる。けれどその段階では、カグヤを含め、皆、しばらくしたら戻って来るだろうと思っていた。
けれど、新年を迎えても、モーガン・フェイは帰ってこなかった。
満月の夜、こわごわ鏡を覗いたカグヤは、無事、アーサーと繋がった事に安堵し、泣き出した。
いきなり、鏡の向こうで泣かれたアーサーには訳が分からなかったが、モーガン・フェイが行方不明になった事を知り、同じく真っ青になった。
自分たちが元に戻る鍵はフェイが握っている。届けられたフェイの手紙には、家の事が落ち着けば戻る、と書いてあるが、それがいつになるのかわからない。フェイが不在な状態で、この月鏡の道が来月もつながるのか、それすら、わからない。
『とにかく、お前はフェイの捜索を続けてくれ。こっちはこっちであの遺跡の調査をしてみる。』
『それと、もう、この連絡方法を使うのは止めよう。あの時、確か、フェイは月鏡の道の維持に自分の魔力が必要、と言っていた。なら、本当に緊急の時の為に、この鏡の魔力は残しておこう。その代わり、伝書鳥を飛ばすよ。春になればフギンとムニンの訓練が本格化する。そっちには三つ子の片割れのヘドウィーがいるだろう。三羽いれば、早々困る事は無い。近日中に、鳥飼のフローレンスに会って、ヘドウィーをアーサー王子専属にしてもらってくれ。』
「わ、わかった。それから?」
『それから、えっと、お前はこれまで通り、なるべく、これまで通り生活する。専属侍女は・・・そうだな、この際、代わりは要らない、と言うのはどうだ?元々、俺に専属の侍女はいなかったし。知らない奴に四六時中張り付いてられるのも、しんどいだろう?』
「う、うん。それは、そうなんだけど・・・。大丈夫かしら。」
不安そうに泣きはらした瞳を揺らす自分の顔は、アーサーにしても、見ていると気持ちがざわざわしてくる。知らず、抱き締めていた白猫がみゃ、と小さく鳴き、その手を舐めた。強張りかけた心が溶ける。カグヤにもキャスの様な存在がいれば良いのに、とアーサーは思った。
「フェイの捜索って、帰国した事になってるのに、どうしたら良いの?」
『モーガン・フェイの帰国については、ゲッショウ王国には連絡が来ていない、と思う。あいつは俺がアーサー王子の傍付きに推薦した事になっているから、何か起きたら、俺に問い合わせが来るだろう?流石に、第一王女絡みの使用人が所在不明になったら、国として拙い。なるべく、連絡を遅らせているうちにフェイから手紙が来たので、安心していた。ところが、いつまでたっても戻って来ない、ってところだろう?』
アーサーの言葉にカグヤも頷く。
「わたくしもあまり、彼女自身の事は心配していなかったのだけれど。でも、長すぎるわ。ねぇ、もし、彼女がいなくなってしまったら、わたくしたち、どうしたら良いの?」
話は結局、そこに戻る。
『どうしたらも、こうしたらも無いだろう。最悪、このままお互いが、アーサー王子、カグヤ王女として、結婚して、小国の王になる、って事だ。』
「そんな!」
『大丈夫。これまでだって、何とかやって来た。これからだって、何とかなる。言っただろう、トリスタンとイゾルテ。あの二人を頼れ。それと、ケイン。あいつの知恵を借りるんだ。それに、なんだかんだ言ってユーサー兄上だって、本当に困った時には力を貸してくれる。大丈夫、おまえの周りには信頼できる人達がいる。』
「何よ、それ。自慢?」
カグヤは泣き笑いの表情になる。「そんな事、もう、とっくに、知ってる。」
かつてのカグヤ姫の周囲には誰一人としてそんな人はいなかったけれど。
『そっか。』
そう言って笑顔を残し、アーサーとの通信は切れた。
翌日、カグヤは、騎士のトリスタン卿とその妹イゾルテを呼び、実家に帰った事になっているモーガン・フェイが本当は行方が知れない事を告げ、捜査協力を求めた。
彼女が夜の住人に興味をもっていた事も伝える。
兄弟には頼れなかった。彼らに自分が本当のアーサー王子では無い事をもし知られでもしたら・・・。それは、今の、カグヤには耐えられそうになかったから。
雪が解けて、春が来て、夏が過ぎても、モーガン・フェイは帰って来なかった。
アーサーが上手くやったのだろう、ブリターニ王国とは、トラブルになっていない。
その年の冬のソルスティスは何事も無く過ぎ、アーサーとカグヤ以外、モーガン・フェイの名を忘れてしまった。
月鏡にフェイの魔力が残っているのか、確かめる事は二人には怖くて出来なかった。




