3 魔法使いの提案
アーサーが目覚めたのは、ニ日後の朝だった。頬に温かく柔らかい何かが当たっている。顔を向けるとスピスピ眠っている真っ白な毛玉が見えた。
「お前、そんな綺麗な白猫だったのか。」
撫でようと右手を動かそうとして、ずきりとした痛みに思わず、顔を顰めた。目に映るのは見た事もない部屋の様子。ピンクの壁紙に猫足の家具、フリルだらけのクッション、飾り棚にぬいぐるみや人形。
「夢、じゃ無いんだ。」
無事に動く、左手を見て、そのブヨブヨした指に大きくため息をつく。
右足首の痛みは大分引いている。そろそろと起きあがろうとして、子猫がころんと転がって目を覚ました。
「んにゃ!」
つんつんと左手指で頭を突く。ぐりぐりと押し付けてくる頭に思わず癒されて、顰めていた顔が緩んだ。そのまま、左手で猫を掬うように抱き上げて、ベッドに腰掛けみる。右肩は打撲ですんだようだ。痛みはあるが、何とか動かせる。問題は右足だが、しっかり固定されていて、ひょっとして骨折したのかもしれない。体重をかけるわけにはいかないだろう。医師にどんな具合なのか話を聞きたい。
しかし、目が覚めて、結構時間が経っているのに、誰も様子を見にこないのは何故だ?別に早朝、という訳でもなく、自分も気配を消している訳では無い。腹も減ってきた。召使を呼ぶための呼び鈴は、と見回すと、何故か、離れたテーブルに置かれている。それに、なんか体も汗臭い。
「こいつ、ひょっとして、あんまり大切にされてないのか?」
嫌な想像が頭を掠った。
とりあえず、誰か呼ぶ為に呼び鈴を取りに行こうと、立ち上がる。右足に体重を乗せないよう、左にぐっと踏み込んだ途端に、派手に膝から崩れ落ちた。咄嗟に抱いていた子猫をベットに放った自分を褒めたい。そのせいで、捻った体は痛めた右側から、派手に床に落ちたが。
さすがにこの物音に召使達がバタバタと現れて、ベッド横に倒れる姫の寝巻き姿に呆然とし、大騒ぎになった。
『騒ぐぐらいなら、ちゃんと見張っとけ。』
右肩を再度ぶつけて悶絶するアーサーは、言葉なく涙を堪えた。
「姫!カグヤ!」
しばらくして、大慌てで駆けつけた国王は、カグヤ姫の体をがっしりと抱きしめ、痛めている右肩をぎゅっと押さえつけられたアーサーは、痛みで真っ青になり、思わず、頭突きを食らわせた。
「いてーよ、殺す気か!」
最愛の娘からの頭突きと罵声に国王を始め、その場にいた全員が凍りつく。
「ふしゃー!しゃー!!」
アーサーの布団の上で全身の毛を逆立てて威嚇する白猫の姿に、我に返った人々は、あれは幻影、幻聴と思う事にした。
「す、すまない、カグヤ。其方は大怪我をしているのだったな。」
気まずそうに言った国王に、アーサーもとりあえず、カグヤ姫らしく振る舞わねば、と深呼吸をして、自分を守るために威嚇してくれている子猫の背にそっと触れた。
「ありがとな、ね。」「んなっ!」
「ご心配をおかけしました、父上。先程、お医者様に診て頂き、自分の怪我の具合は理解しています。ですが、汗臭くなっていますので、湯を使いたいのですが。」
「父上?」
『?』
「どうしたんだい、カグヤ。いつものようにパパと呼んでおくれ。さっき抱きしめたのが痛かったのなら、謝るから。」
「ぱ、」「ぱ?」「パパ。」「カグヤー!」「やめろー、抱きつくなー」
『どうしてだ、どうして、こんなに国王に愛されてるのに、放置なんだ。』
ぐったりとアーサーはベッドに倒れ込んだ。大慌てした国王が、また、医者を呼んだのは言うまでも無い。
そうして、今、さっぱりとして、ベッドの中、山盛りのフリフリクッションに埋もれるように背中を預けて座っているアーサーと、その横に椅子を持ってきて不機嫌を隠さず、座っているカグヤ、カゴの中に用意されたクッションの上でスースー眠っている子猫、そして、ベッドのヘッドボードに停まって、クッキーをバリバリ食べている鳶、の当事者四人?が集まっていた。
この状態になるまで、こんなに食えるかー!とアーサーが食事に向かって叫び、こんな服着れるかー!と着替えに抵抗し、一人にしてくれーと侍女たちを追い出し、聞くに堪えない暴言を吐き、軟禁されていた中身カグヤのアーサー王子に会うために国王に頼み込み、と一生分の精神力を使い果たしたアーサーだった。
「お前さー、状況わかってる?俺の立場考えて動けよ。」
「そんなの知らないわよ。カグヤも大変だったの!あなたに、ううん、この場合はカグヤに怪我をさせたから、ってパパがものすごく怒ってて、戦争だーって叫んでて、もう一日あなたの目が覚めるのが遅かったら、カグヤ、殺されちゃってたかもしれないのよ。おまけに何、この服!硬くて薄くて着心地サイテー。」
「黙れ、俺の国はお前の国みたいに金持ちじゃないんだよ。お前こそ、国王に溺愛されてる割には、召使たちからの扱い悪いのな。それと、王様の事パパって言ったり、自分の事カグヤって名前で言うのいい歳して恥ずかしくね?」
「きーっ、余計なお世話よ!」
自分をまじまじ見る機会など初めてだが、この二日は本当に大変だったのだろう、アーサー(中身カグヤ)の目の下には、くっきり隈が出来ていた。それとは別に、話し方にはイラっとする。自分の口からお姉言葉が零れ、手の動きがなよっとして気持ち悪い。
「家臣たちはどうしてる?」
「あ、それは大丈夫。悪いのはアーサー王子だからって主張したら、大人しく一緒に軟禁されてる。乱暴者の王子、って事で、めっちゃ謝ってたわ。取り敢えず、殺されてないから。」
安心して良いのか、俺をそんな目で見ていたのか、と怒って良いのか、アーサーは複雑だ。
「あー、お二人さん、時間は有限です。今後の事を話し合いましょう。」
クッキーを食べ終わった魔法使いのフェイが割り込んだ。アーサーの周りのクッションにクッキーのカスが飛び散っている。
『お前が腹へったって駄々こねたんだろーが!』
『あなたがお腹減ったって言ったのでしょ!』
心の中で壮絶にツッコミを入れた二人だった。
「ゴホン、えへん。えーでは、僭越ながらこの妖精王の大魔法使いフェイが、君たちに今回の事件のあらましと対策、今後の方針を提案しましょう。」
「ご存じのとおり、今現在、カグヤ姫の体にはアーサー王子が、アーサー王子の体にはカグヤ姫が入っています。これは、わたくしこと、大魔法使いフェイが、呪詛返しによる封印から解き放たれた時に、たまたま同じ所にいた為に起こった、いわば、貰い事故のようなものです。わたくし、この鳥の体で妖精王様の所に戻ったのですが、巻き込んだヒト族を放っての帰国は許されず、泣く泣く人界に舞い戻った次第です。」
「なので!わたくしの第一命題は貴方がたを元の体に戻す事!そして、わたくしを封印から解放して下さったカグヤ姫様の望み、世界の滅亡、の為に、この大魔法使いフェイの力を貸してあげましょう。」
「世界の滅亡!?」「違うから!」
ふふん、と胸を逸らす鳥のセリフに少年は驚愕し、少女は否定する。
「えー、取り消すんですかぁ。そうすると別の願いは聞きませんよー。だって、願いをコロコロ変えられても困るじゃないですかー。わたくしとしては、さっさとあなたの願いを叶えて、王の元に帰りたいんですよねー、何せ150年ぶりですから。』
「俺は、自分の体に戻してもらえればそれで良い!」
「え、カグヤは、」
「王女様は、その痩せた身体手放せないよねー。軽いでしょー。走れるもんねー。」
「う、」
「おまっ、それは俺の身体だ。お前のこの身体みたいに何の努力もせずに、食っちゃ寝してブクブクに太ったのは自業自得だろう。俺は毎日、鍛えてたんだ。返せよ!」
激昂してカグヤに向かって手を伸ばしたアーサーは、次の瞬間、肩の痛みにベッドの上に倒れた。
カグヤは怯えて立ち上がると、数歩後に下がった。
「な、何よ、私だって、好きでそんな体になった訳じゃ無いわよ!皆して、カグヤを悪者みたいに言って!カグヤが何をしたって言うのよ!」
真っ青になりながら、カグヤはその場から逃げ出した。
「畜生、あの白豚、ふざけるなよ。」
脂汗を浮かべ、苦痛に歯を食いしばりながら、アーサーはパタンと締められたドアを睨みつけた。
「部屋に戻るわ。」
自分の部屋を飛び出したカグヤは軟禁されている貴族用の一室に小走りで戻った。施錠されて安心した彼女は、ベッドに突っ伏す。自室の豪華なベッドに比べるとかなり簡素でスプリングも硬く、軽くなった体はほとんど沈まない。それが、こんな時なのにすごく嬉しかった。
「なによ、なによ。」小さく呟く。
目の前のベッドに座っていた自分の体は、ひどく醜悪に見えた。怪我をしてあちこちに包帯が巻かれ、ぶつけた所が青くなっている。ロクに手入れもされていない寝起きの髪、鏡で見ていた時より、数倍おぞましい。あの体に戻るなんて、死んでも嫌だった。
『何の努力もせずに、食っちゃ寝してブクブクに太ったのは自業自得だ』
その通りではあるのだけれど、彼の憎しみの籠った目が怖かった。
その三日後、軟禁から解放され、ブリターニ王国の一行の元に戻ったカグヤ(アーサーの体)に、アーサー(カグヤの体)との婚約が申し込まれた。